181.温泉回3
「共犯者よ、聞こえておるな?」
「聞こえてるけど……」
「ならば良し」
「それより、本気なのか?」
「妾は常に本気じゃが?」
最初にトウマを助けたときも、建国をすると決めたときも。
ミュリーシアは、いつも真剣だった。
トウマは、そんなミュリーシアの姿勢に救われていた……のだが。
そうだけど、そうじゃない。
トウマは言葉を飲み込み、首を振った。
――浴槽の中で。
波紋が生まれ、水面に映った月が歪んだ。トウマの心を写しているかのよう。
「わざわざ温泉に入りながら報告会なんて、しなくていいと思うんだが」
額に張り付く濡れた髪を、指で横に流す。
ダンジョンの第二層を解放したことで、シャンプーもボディーソープも手に入った。
そのため、乾かせば髪は今までよりもさらさら。
ヤシと塩を混ぜたボディーソープもどきも悪くはなかったが、さすがに勝てない。体も今までよりしっかり洗えているので、その後に入る温泉もさらに気持ちいい。
一日の疲れを取り、明日への活力を得る温泉。トウマにとっては、心地好く秘密めいた場所であった。
しかし、それは隣――女湯からの声で破られてしまう。
「見えておるわけではないのだから、構うまいて」
「いや、それはダメだろう。倫理的に」
「センパイ、細かいことを気にしすぎですよ。今までも、こんな風に話してたじゃないですか」
「していたが……それが、メインではなかっただろう?」
入浴中のちょっとした会話。それは、コミュニケーションの一種であり忌避すべきことではない。
だが、今回はその会話がメイン。
そうなると、前提からなにもかも違う。
「どうしてこうなったんだ……」
お互いの姿は、確かに見えていない。
ミュリーシアと親方たちで作り上げたゴーストタウンの温泉は、きちんと衝立で男湯と女湯が別れている。
だからといって。この状態で話をする必要など、どこにあるというのか。
「ちょっと特殊ではありますが、あたしは楽しいですよ」
しかし、この場ではトウマが少数派だった。
「愉快犯め……」
「え? なんですか? 聞こえませ~ん」
レイナの明るい声が、衝立の向こうから聞こえてきた。明らかに、聞こえている。しかし、証拠はどこにもない。
こうなると、トウマにできることはひとつ。
「じゃあ、ノインから報告を聞かせてもらいたい」
さっさと終わらせてしまうこと。それだけだ。
「かしこまりました。私めは――」
「――なに、そのように焦ることはあるまいて。此度は慰安も兼ねているのだからの」
「シア……」
「しっかりと、酒精も抜かねばな」
「最初から残ってないんだが」
反論している途中でトウマは気付いたが、ミュリーシアは気付いて言っている。
つまり、昨夜は相当酷かったようだ。
「それもありますが、いつも同じことばっかりじゃダメです。そのうち落とし穴に落ちますよ。環境を変えて、適度な緊張感を保たないと」
「よく分からないけど、レイナは立派なことを言っている気がするのです!」
「それほどでも……ありますねっ」
ミュリーシアも、レイナも。それに、リリィも楽しんでいるようだ。
「ご主人様、力及ばず申し訳ございません……」
「いや、ノインが悪いわけじゃない」
では、誰が悪いのか。
「悪いのは、俺の倫理観か……?」
気にしすぎと言えば、そうなのかもしれない。
加えて言えば、温泉に浸かりながら話をするなど滅多にない経験。
まだ娯楽も少ないグリフォン島だ。これくらいのイベントは、日々の潤いとして必要なのかもしれない。
「共犯者もレイナも、のぼせることはないのであろう?」
「ええ。快適ですよ」
「まあ、な……」
ダンジョンの第一層で手に入れた、ワスプアイズ。指輪型のマジックアイテムは、熱への耐性を着用者に与える。
それは、温泉に対しても効果があった。
頭に血が上って、ぼうっとするようなことはなく。それでいて、温泉の快さはそのまま。
本来の用途からすると邪道もいいところだろうが、とにかく役に立っているのは間違いない。
「ある意味、夢のアイテムですよね」
「さすがに、体がふやけるのまでは防げないけどな」
「これがあれば、サウナにも永遠に入っていられますね」
「それは、脱水症状で普通に死ぬだろう」
「沸騰湾にも潜れるのです!」
「できますね、確かに……」
「……やりたくはないな」
リリィの指摘に、トウマは真顔になった。餅は餅屋。海はスケルトンシャークに任せたいところだ。
ともあれ、退路は完全にふさがれた。
トウマは体を投げ出し、鼻の下までお湯に浸かった。ぶくぶくと、空気の泡が生まれては消える。
「話は戻るが、妾は湯あたりするほど柔な体をしておらぬ」
「ドラクルって、ほんとどうなってるんですかね……」
「私めも、湯あたりするような機能はございません」
「そうだ、センパイ」
「なんだ?」
「ノインの体って、綺麗なんですよ」
「奥様!?」
女湯から、ばしゃんっと水音がした。
レイナに触られ、ノインが驚いた……というところだろうか。
その光景を想像……したりはせず、トウマは虚空を眺めて意識を散乱させた。
一緒のベッドで寝るようにしてから会得した特技だ。
「継ぎ目もなんにもなくて、肌も白くてすべすべなんですから。人間と変わらないっていうか、遥かに上位互換ですよ」
「思わず触れたくなる白さなのですよ~」
「うむ。ドラクルの美的基準でも、かなりのものじゃぞ」
「私めは、そのように作られただけですので。奥様や陛下に比べられるようなものでは……」
謙遜するノインだが、もちろんレイナは聞いていない。
「そうなると、ヘンリーもなんにもしなくてもお肌すべすべってことになるんですよ? どう思います? この格差社会」
「どうもこうもない。配られたカードで、勝負するしかないだろう」
反射で返した言葉。
向こう側が、少し静かになる。
「なんでそこで、『玲那はそのままで綺麗だよ』って言えないんですかね」
「言ったら怒るだろう?」
「もちろんですよ。女子の美容への努力を、なんだと思っているんですか」
理不尽だった。
しかし、問題ない。トウマは、慣れっこだ。
「ふむ。ならば、その努力を褒めるべきだったわけじゃな」
「は? そんなことをしたら、リリィちゃんを派遣してお仕置きですよ」
「よく分からないのです。でも、トウマにいたずらはちょっと楽しそうなのです」
「リリィ様、それは……」
ノインがストップをかけようとするが。しかし、迫力不足だ。
「レイナから指令が来たら、地面の下からトウマを驚かせに行くのですよ!」
「共犯者の反応は気になるがのう」
「気にしないでくれ」
「とはいえ。いささか、理不尽ではあるまいかの?」
「理不尽なんかじゃないですよ。『最近、かわいいね。頑張ってるの?』とか聞かれてどう答えろって言うんですか」
「それは、言い方が破滅的に悪いだけではないのかの……」
そのまま受け入れてもダメ。
努力を褒めるなど、以ての外。
「模範解答は、どうなるんじゃ?」
「一例としては、『他の人はよく分からないけど、俺は玲那が一番好きだよ』ですね」
「なるほどのう。なんとも、わがままじゃな」
「それが女の子というものです」
衝立の向こうで、レイナが胸を張った……ような気がした。
「……そろそろ始めないか?」
「そうじゃな。これ以上ダラダラしておると、ワインが欲しくなってしまうわ」
「今日のMVPはシアだから、飲んでもいいと思うけどな」
「甘やかすのもどうかと思いますよ」
「では、まずは私めから報告させていただいてよろしいでしょうか?」
湯気の向こうから、怜悧な声が届いた。
疑問の形だったが、確認に等しい。
「最初は勇気あるのです。さすが、ノインなのです」
「いえ、そのようなことは……」
ぱちぱちぱちぱちと、拍手の音が聞こえてくる。
こうして、ようやく今日の報告会が始まった。




