168.お酒はいくつになってから?
「ただいま~なのですよ~」
「マテラの粉ミルクとかを回収できた」
「おかえりなさいませ。それは、安心いたしました」
一旦“王宮”に戻ったトウマとリリィ。そして、ニャルヴィオンは火口のダンジョンの第二層へと遠征した。
そこでベビー用品を確保して戻ったとき、ノインは厨房で調理の真っ最中だった。
「確認は後ほど。まずは、空き部屋に運ばせていただきます」
「それくらい、俺がやるから」
「料理が最優先なのです」
「……かしこまりました。お言葉に、甘えさせていただきます」
瀟洒に頭を下げるノインに見送られ荷物を置き、円卓の間へ移動するとミュリーシアとレイナがいた。
もちろん、レッドボーダーのゆりかごのマテラもだ。
ノートパソコンから流れるBGMで、ご機嫌にぐっすり眠っている。
「センパイ、リリィちゃん。おかえりなさい」
「ああ。ノインのフォローを頼んで悪かったな」
「大したことじゃありませんよ。温泉を運んで来たミュリーシアに比べれば」
「なに、それこそ大したことではないがの。食事が終わったら、ゆるりと浸かるが良い」
トウマはうなずき、円卓に座った。リリィはマテラにただいまと言うと、緊張の面持ちで空中に待機する。
「お待たせいたしました」
ノインは他にも用意しているが、今回の目玉は魚介とキノコのアヒージョ。
グリフォンの尾で獲れた……スケルトンシャークが獲ったイカやタコをノインがさばき、キノコと一緒にオリーブオイルで煮たものだ。
「お口に合えば良いのですが」
「ほう。香辛料をふんだんに使っておるようじゃの」
「はい。献上品は、まだございますので」
「ふえ~。なんだか不思議なのです」
ミュリーシア謹製の石のスキレットには、オリーブオイルに浸かった具材が浮かんでいる。
トウマも、実物を見るのは初めて。煮物のようで、煮物ではない。
「では、いただくとするかの」
「ええ。マジックアイテムから出てきたオリーブオイルの味を、確かめてあげましょうか」
「いただきます」
トウマが、石のフォークでキノコを刺して口に運ぶ。
「……へえ……これが」
「むむむむむ」
言ってしまえば、ただのオイル煮だ。
しかし、素材の味が絶妙に絡み合い遙かな高みへと誘っていた。これは、ノインの技術もあるだろう。
「簡単に美味しいとは言えないような気がするのです。でも、不快なわけではなく……。なんだか、刺激的なのです!」
リリィが腕を組み、円卓の周囲を飛び回る。
「トウマ、一口ではよく分からないのです!」
「……そうか」
リクエストがなくとも、そのつもりだった。
今度は、タコを口に運ぶ。
弾力があり、噛むと旨味が弾けた。味だけでなく、食感も楽しめる。
「う~ん。これは美味しいですよ。向こうの世界で食べたのよりも、ずっと」
「様々な香辛料も用いましたが、沸騰湾の塩が味の決め手かと存じます」
「塩は、料理の基本ですね」
「最初に手に入って、良かったな」
「うむ。僥倖であったの」
白ワインとともに、ミュリーシアがアヒージョを楽しむ。
食事を嗜好品と言い切るドラクルだけに、じっくりと楽しんでいる様子だった。
「それから、あのマジックアイテムの油壺についてなのですが」
「なにか分かったのか?」
「量が減りませんでした」
「それはストレートにすごいな」
「まるでファンタジーですねえ」
キノコを口に運ぶレイナの緑がかった瞳が、驚きに見開かれた。
「無限にというのは考えにくいですので、一日の上限があるものと思われますが」
「それでも、便利だな」
日本のように、好きなときに好きなだけ買えるわけではないのだ。
それに、油は過酷な労働とセットになっている。それが一定量とはいえ、労せずして手に入るのだ。
「マテラ、ナイスアシストなのですよ~」
レッドボーダーのゆりかごで眠る白い赤ん坊を、リリィが慈しみをこめて撫でる。
「理論的には、欲しいマジックアイテムを手に入れられるわけですよね」
「倫理的に、NGだけどな」
マテラが何者なのかは、さておき。トウマに、モンスターや他の生物を生み出すシャボン玉を活用する気はない。
イカロスになりたい願望など、持ち合わせていないのだ。
「そうですね。それよりも、そろそろバゲットの頃合いじゃないですか?」
当然、ノインが焼きたてを用意してくれている。
素材の出汁がたっぷりと染み出した油に、パンを浸して一口。
「ほう……」
まず、ミュリーシアの赤い唇から官能的な声が漏れ出た。
それくらい、絶品だった。すべては、このバゲットのための前座だと言ってしまえるほどに。
「バゲットとの組み合わせも、かなりのものだの」
「ガーリックトーストの上位互換って感じがするな」
「油、これ全部油なんですよね。でも、食べずにはいられない!」
レイナが深刻な表情を浮かべるが、結局アクセルを踏み込んだ。
そして、リリィも珍しく難しい顔をしていた。
「トウマ、トウマ」
「どうした?」
「みんなから、お酒が足りないってリクエストされているのです!」
「酒か……」
険のある瞳を、ミュリーシアに向ける。
カティアからの献上品であるワインを、手製の石のグラスであおる様は堂に入っていた。
実際の味は分からないが、実に美味しそうに見える。地球にいたら、あちこちのCMに引っ張りだこだろう。
「共犯者とレイナであれば、ともに杯を交わすことに異存はないのう」
「あたしも、興味がないではないですが……」
言葉を濁しつつ、レイナがちらりとトウマを見る。
いつもそうだが。いつにも増して仏頂面をしていた。
「異世界に来て、元の国の法律に縛られる必要はない。そもそも、国によって飲酒可能な年齢も違う」
だがと、トウマは首を振った。
「染みついた意識は、なかなかそういうわけにもいかない」
「ですよねー。センパイですものねー」
「我らがアムルタート王国における、ひとつの課題ではないかの?」
石のカップを円卓に置くと、ミュリーシアが赤い瞳でトウマを見つめた。
「さて、共犯者よ。アムルタート王国は、飲酒を何歳から解禁すれば良いと考える?」
「あたしたちの故郷じゃ、20歳からでしたけど」
「その基準、こちらでも適用できるとは思うておらぬであろう?」
「あっ、そうですね……」
意味ありげに微笑む、ドラクルの姫。
その表情で、レイナは察した。
「やたら寿命が長い種族もいるんですよね」
「それなら、種族毎に成人年齢に達したらでいいんじゃないのか?」
肉体的な成長は、それぞれだ。一律で、決める必要はない。
「うむ。それで良いとしてだ」
「……俺は、なにか見落としているのか?」
ミュリーシアが、ぱっと黒い羽毛扇を開く。
「ミッドランズの人間たちは、共犯者の年にはとっくに酒を飲んでおるぞ」
「そういうことか……」
日本の法律を盾に、こちらの慣習を歪めるわけにはいかない。
「俺と玲那だけ例外にはできないしな……」
「あたしも、お酒勧められたことありますよ。なにされるか分かんなかったので、けちょんけちょんに断りましたが」
「俺は、ないな……」
トウマに飲ませるのが、もったいないとでも思われていたのかもしれない。ジルヴィオなら、充分あり得る。
「というか、これが正解な気がしてきた」
「クズですね」
レイナが、一刀両断した。
「なに、妾はそんなに吝嗇ではないぞ。ささ、試しに飲んでみるが良い」
「今後、いろんな席で勧められる可能性はありますね」
「……なるほど」
ゴーストに、自動人形に、粘体種ネイアード。
飲酒どころか食事をしない相手ばかりだったが、今後はそうとは限らない。
そして、レイナの言う通り宴席に出る場合もあるだろう。
「自分の限界を知っておくのも重要か」
「無理は禁物でございますが、ここであれば失敗しても問題はございません」
「飲むですか? 飲んじゃうですか?」
リリィも、大人が飲むアルコールに興味があるようだ。わくわくと、手を握ってトウマを見守る。
「じゃあ、せっかくだから少しだけ」
「おお。遠慮せず飲むが良い」
「今、用意いたします」
ノインが厨房と往復して、石のカップを運んでくる。
ミュリーシアと、お揃いだ。
「ふふふっ。興が乗って複数作ったが、まさか共犯者と杯を交わすことになるとはの」
「息子と飲めてうれしそうなお父さんみたいですね」
「ジイさんとは、できなかったからな」
「いや、違うからの?」
それは、ドラクルの姫が求めるシチュエーションではなかった。
変な方向へ行く前に、白ワインをとくとくと注ぐ。
「ありがとう」
トウマがカップを手にし、軽くミュリーシアのそれと合わせる。
石だが極限まで薄くしているため、グラスのように澄んだ音がした。
四対の瞳に見守られながら、ぐいっとあおる。
こくりこくりと、トウマの喉が鳴った。
「……酸っぱいな。でも、美味いような気が……する?」
「う~ん。アヒージョよりも、不思議な感じなのです。でも、みんなは喜んでるみたいなのです!」
どうやら、酔いまでは共有できないようだ。リリィとしては、少し変わったジュースを飲んでいる感覚らしい。
「そういえば、おじいちゃんは欠かさず晩酌してましたね」
「ほうほう。いける口ではないか、共犯者」
ミュリーシアが、うれしそうに微笑む。
「まだ飲めるであろう?」
「大丈夫だとは思うが……」
「一人で飲むのも良いが、相手がおるとなお良い。それが共犯者であれば格別よの」
「そういうことなら」
トウマが首肯すると、ワインがまた石のカップになみなみと注がれた。
「まあ、ジイさんもこれくらい飲んでいたしな。ワインじゃなかったが」
それを一息であおる。
「そ、そんなペースで飲んで大丈夫です?」
「いや、特に問題はないな」
「リリィも大丈夫なのですよ~」
「ふむふむ。共犯者はうわばみじゃな。善哉善哉」
飲み仲間が増えそうで、良かった。
このとき、ミュリーシアはそう思っていた。
本心、から




