150.一騒動ある帰還
「あれだけ散々やらかして、置き土産はパソコンひとつですか。まあ、戦わずに済んだのはよかったですけど」
レイナがぶつぶつと文句を言い、それでも、丁寧に地面に転がるノートパソコンを拾い上げた。
「ぐっ、意外と重たいですね」
3キロほどだろうか。意外とずっしりとした重みがあった。緑がかった瞳に、辟易とした色合いが乗る。
「共犯者よ。パソコンとは、なんじゃ?」
「鈍器にしては、形状がいささか問題のようですが……」
「それは違う」
使えなくはないだろうが、それは灰皿なども同じだろう。
「俺たちの世界にあった、電子機器……。元は計算機だったか」
「ここで出てきたマジックアイテムってことは、すまほの仲間なのです?」
「近いものはあるな。生まれた順番としては、ノートパソコンのほうが先だが」
「じゃあ、すまほのお兄さんなのです!」
「だからって、スマホより役に立つとは限りませんよ」
拾ったノートパソコンを、トウマに押しつける。それを受け取りつつ、空いた手でトウマはレイナの頭を撫でた。
「なにするんですか、いきなり」
じとっとした視線を送りながらも、レイナは止めない。
「見知らぬ誰かのために怒れるのは、悪いことじゃあない」
「別に、そんなことは……」
「でも、ほどほどにな。あんまり怒りすぎると、自分に返ってくるぞ」
「センパイは大げさなんですよ」
レイナが、ぷいっと横を向く。
すると、ミュリーシアは黒い羽毛扇で口元だけでなく目元も隠し、リリィはぐふふと笑い、ノインは目を伏せている。
「あが、ががががが」
歯医者の治療台でしか発してはいけないような声が、レイナの唇から漏れた。
「それから、俺たちの代わりに怒ってくれてありがとうな」
「まだ続けるんですか!? あたしをどれだけ辱めるつもりですか!?」
良くも悪くも、トウマは空気を読めなかった。
「まったくもう! いつまで、人の頭を撫でているんですか!」
顔を真っ赤にして、ノートパソコンを強引に押す。そして、トウマから距離を取るとネイルを綺麗に塗った人差し指を突きつけた。
「あたしはパソコンのことは知りませんから、センパイに任せます!」
「確かに、俺のほうが適任だろうな」
パソコンの授業は、もちろん受けている。
しかし、自在に操れるわけではない。もしそうなら、日本人は誰もが英語と古文と漢文を読み書きできることだろう。
「完全に平常心なのが、逆にすごいの」
「ご主人様ですから」
「トウマだから、当然なのです」
「そうだな」
なぜほめられているのか分からなかったが、トウマはそのまま流した。これが、一番傷が浅くなる。
「とりあえず、見た目はただのパソコンだな」
まったくの平常心でノートパソコンを手にし、くるっと全体を観察する。
筐体も天板も黒い。かなり、どっしりとしている。
かといって、一般家庭にあるようなものとは少し違う。どちらかというと、会社で使われていそうなタイプだ。
開くと、液晶画面もそこそこの大きさがあった。無理をすれば、ここにいる全員で一度に見ることもできそうだ。
「ただ、ネットがないと調べ物もできないだろうしな。アプリ次第か」
「まあ、腐っても階層核のマジックアイテムよ。まったくの無用の長物ということもあるまい」
「あたしたち以外には使えそうにないんですから、ゴミだったら困りますよ」
「ご主人様。一旦、“王宮”へ戻られますか?」
「ああ、そうだな」
確認の形を取ったノインの提案に、トウマはうなずいた。
もう少しで、電源も入れるところだった。
「確かに、ここで長々とやるようなことじゃないな」
「うむ。では、凱旋じゃ」
「凱旋なのです!」
「にゃ~!」
全員でニャルヴィオンに乗り込み、白い扉をくぐる。
火口のダンジョン。その入り口へと転移し、ニャンコプターモードに移行してゴーストタウンへと帰還した。
そして、なにごともなく“王宮”に到着
――とは、いかなかった。
「お祈りしてくるのです!」
「お祈り? ああ、精霊像か」
ニャルヴィオンの二階席。その窓から飛び出していくリリィの後ろ姿を眺めながら、合点がいったという顔をする。
「その意外そうな顔。もう忘れちゃったんですか?」
「シアの作品を忘れるはずがないだろう」
「別に疑ってはおらぬから、もう少しマイルドな表現にならぬかの?」
タラップを使って下りながら、トウマは首を傾げる。特に、過激な言い方をした憶えはなかった。
「恐らく、精霊像とお祈りという行為が結びつかなかっただけではないでしょうか」
「まあ、そうだな」
「別に、信心深くはないですからね」
「神も精霊も、こっちでは実在しているということは理解しているつもりなんだけどな」
けれど、心の底から実感はしていない。
リリィのように、帰ってきたらお参りをするという思考にはならなかったのだ。
「それは、あたしも同じですけどね」
「妾も、真っ先に行くとナルシストのようではあるな」
「シアは、確かにそうなってしまうな」
芸術家というのも複雑なものだと、トウマは同情する。
しかし、それは直後かき消された。
「トウマ! ミュリーシア! レイナ! ノイン! ニャルヴィオン! 大変なのですよ!」
「にゃ?」
なんで自分までと、蒸気猫が戸惑いの声を上げる。それでも、キャタピラを響かせてリリィの元へと急いだ。まるで、親子のようだった。
「アムルタート様の像が、大変なことになっているのです!」
「大変なこと?」
「まさか、壊れたりとか?」
トウマとレイナも顔を見合わせ、
結果的には、杞憂だった。
だが、大変なことには変わりなかった。
「まあ、なんと……」
ノインが口元に手を当て、控えめに驚いた。アメジストのような紫の瞳は見開かれており、決して驚いていないわけではない。
それも、当然だろう。
なにしろ、完成したはずの精霊像が一目で分かるほど変化しているのだから。
「……なんだか、神々しくなってません?」
「元々すごかったけど、よりすごくなっているというか……」
語彙力が、どこかへ吹き飛んでいた。
「生きているみたいなのです!」
「妾の腕が、ここまでとはの」
ミュリーシアの冗談にも、今ひとつキレがない。
「あ、写真を撮ってありますよ」
「いつの間に……」
「センパイが、写真に感心なさ過ぎなだけです」
真実だけに、反論はできなかった。
レイナがスマホを操作し、カメラロール――トウマの知らない写真がごまんとあった――から精霊像の写真を呼び出す。
「こうして見比べると……明らかに、違いますね」
「特殊な素材なのでしょうか?」
「ただの石だったと思うが……。しかし、リリィが言った通りだな。本当に、生きているように見える」
「像を彫ったのは、妾自身じゃ。なれど、彫らされたという感覚があったのも確かだの」
ミュリーシアの証言に、どう判断したものかという空気が流れる。
「付喪神になるには、だいぶ早いよな」
「妖怪ですか。まあ、そう言われてみると髪が伸びる人形なんかと同じでお寺案件な気がしますが」
「それは、いかなるものじゃ?」
「長く使った物品に魂が宿るという妖怪……魔法的な生物ということになるのか?」
「ふむ。高度なインテリジェンスアイテムといったところかの」
ミュリーシアが、レッドボーダーをちらりと見る。厳密には違うが、訂正も難しいのでそのままにする。
「不思議なのは確かだが、そこまで心配しなくていいんじゃないか?」
「根拠がないですよ、センパイ」
「そうでもない」
当たり前のような顔をして、トウマが続ける。
「この像は、シアが作って精霊アムルタートに捧げたものだ」
「それがどうかしたのです?」
「どう考えたって、悪いものにはならないだろう」
リリィが、ぽんっと手を叩く。
ミュリーシアもあっけを取られていたが、すぐににやりと笑った。
「うむ。共犯者の言や良し。これは瑞兆と考えよ」
光彩奪目。輝くような美貌に、文字通り目を奪われる。
「まあ、そうですね。ファンタジーなら、こういうことぐらいありますよね」
「せっかくですので、晩餐は多少手の込んだものにいたしましょう」
「本当なのです!?」
リリィが、あっさりと食いついた。
「ストーンスキンディアの熟成が、済んでおります」
「ああ、あの石の皮ごと食べた鹿……」
「はい。脱皮直後でしたのですぐに調理いたしましたが、本来は長期熟成させる食材でございます」
「あー。もしかして、石つながりなのです?」
リリィが小首を傾げて聞く。
ノインは、無言で。それでいて瀟洒に頭を下げた。




