144.キャンパス探索
「お待たせいたしました。視界内の脅威は、排除されたようでございます」
ヒュドラから元の姿に戻った杖を、ノインが拾い上げる。
その周囲には、死屍累々の一言では表現できないゾンビたちの体だったものが広がっていた。
その中でも、和装のメイドはいささかも美しさが損なわれていない。
「数に任せる相手にこそ、有効な手札のようでございますね」
「ああ。そうだな……」
大学の正門を乗り越えたニャルヴィオンの二階席。
トウマは、そこでうなずくことしかできずにいた。
「妾が手を下すまでもなかったということだの」
「それはいいですけど、このままにするのはまずいんじゃないですか?」
駅ビルの屋上程度なら、ネイアードの到着を待っても良かった。
しかし、キャンパスに広がるこの数となると心情的にも話が変わってくる。
「雑草みたいに、びーってするです?」
「……そうしよう」
相変わらず、死者の未練は感じない。
ほとんど自我が存在しないのか。他に原因があるのか。理由は分からないが、未練がなければ聞くこともできない。
「できることは、これくらいしかないからな」
反対の声は、どこからも上がらなかった。
それに感謝しつつ、トウマはタラップで下りる。
「魔力を10単位、加えて精神を5単位。理によって配合し、我が指先は崩壊を進める――かくあれかし」
そして、正門の前。大学の入り口でスキルの詠唱を始めた。
「《ディケイド》」
負の生命力によって、腐敗を促進させるスキル。
それを薄く広く投射するよう応用し、キャンパスのそこかしこに散らばったゾンビを塵へと帰していった。
それを、何度も繰り返す。
作業が終わるまで、それほどの時間はかからなかった。
「共犯者、ご苦労であった」
「ああ。待たせてすまない」
「にゃ~」
「ご主人様、少し休まれますか?」
「いや……クッキーだけでも、もらおうか」
「そうするのです!」
ニャルヴィオンの二階席に戻ってきたトウマが、手近なシートにどかりと座る。
その横に、レイナが当然のような顔をして陣取った。
「膝枕は嫌でしょうから、代わりにあたしの肩を貸してあげます」
「過去に、膝枕をしてもらったことがあるかのような捏造はやめてもらおうか」
「ふふふっ。果たして、本当にないと言い切れますか?」
「言い切れるが?」
「同じベッドで寝ているのに?」
「関係ないだろう、それは」
しかし、ある意味もっともだと思ったのだろう。トウマの声は、明らかにトーンダウンしていた。
「はいはい。それよりも、クッキーを出してください」
「そっちから始めた話じゃなかったか?」
険のある瞳を向けながら、それでも素直にボディバッグから布――さすがに、ゴーストシルクではない――に包まれたチョコレートクッキーを取り出す。
「じゃあ、食べさせてあげます」
「なんだと?」
口元へ寄せられる、チョコレートクッキー。それを前に、トウマが目を見開いた。反射的に距離を離そうとしてレイナに手を掴まれていることに気付く。
「はい、あーんしてください。あーん」
「リリィが見てるぞ」
「トウマ、早く食べて欲しいのです」
この件に関して、トウマに味方はいなかった。
恥ずかしいが、本気で嫌がるものでもない。
その中途半端さも作用し、トウマはレイナから食べさせられてもらってしまった。
「口の中でほろほろっと解けて、でもさくさくで。甘くてほろ苦くて、とっても良し! なのですよ~~」
リリィが喜んでくれたのが、せめてもの救いだろうか。
そう思っていたが、早計だった。
「ほう……」
「そのような……」
ふと顔を上げると、赤と紫の瞳にぶつかる。
「レイナは、できておるのう」
「さすが、奥様でございますね」
「はいはい、順番にやるのですよ!」
「やらないからな」
やらされた。
「ニャルヴィオン、行ってくるのですよ~」
「にゃ~~~!」
キャンパスまでは乗り入れられたが、さすがに中には入れない。
そこで、ニャルヴィオンは置いて五人で大学の校舎に入っていった。
まだ、竣工からそれほど時間は経っていないのだろう。
校舎の天井は高く、白い壁には清潔感がある。
それどころか、ガラスも割れておらず、壁や床もそのまま。ゾンビの大半が、外に出ていたお陰だろうか。
さすがに電気はきていないが、今までに比べたら雲泥の差があった
「本来はいいことなんだろうが、ここだけ例外というのも不気味に感じるな」
「振れ幅が大きすぎるんですよね……」
「0か1か、でございますね」
こつこつこつと、無人の校舎に足音が響く。
破壊は免れていたが、荒涼とした寂しさは否めない。
「ここが、共犯者たちの学舎かの?」
「いや、大学だからもう一段階上の学校だな」
「そんなにいくつもあるのかの?」
「そもそも、こっちに大学とかあるのか?」
「ないのう」
「光輝教会なら、神学校みたいなのがありそうですけど」
どちらにしろ、戦争続きでその辺りはあまり充実していないようだ。
無人の廊下を歩きながら大学のことを説明しつつ、教室を回って行く。
一階には、大教室が多かった。
「うわっ。でっかい教室ですね」
「何百人と入れそうですが……」
「それだけ、学ぶ人間が多いということだのう。これが、数多ある学舎のひとつとは恐れ入る」
「でも、なんにもなさそうなのです!」
リリィがびゅんっと飛んで大教室をぐるっと一周した。
無人の教室は、やはり往時の姿をそのまま保っている。
つまり、コンビニや駅ビルのように使えそうな物資はない。
「黒板とかチョークはありますけどね」
「それって、なんなのです?」
「あそこにチョークで文字を書いて授業をするんだ」
「ほう。それはなかなか楽しそうだの」
「ご主人様、引きはがしますか?」
「いや、やめておこう」
「ですね」
記念碑というわけではないが、せっかくならそのままにしておきたい。
「基準が一貫してないって、言われてしまうかもしれないけどな」
「感情を優先するのは、なにも間違っておらぬぞ。人は、金貨の裏表で語れるものではないのだからの」
「食べ物じゃなければ、どうでもいいのです!」
トウマは笑って、次の教室へと移動する。
その途中、スマートフォンを操作しているレイナに気がついた。
「スマホの地図は、どうなってるんだ?」
「拡大しても、特定の場所をマークしたりはしないですね」
「そこまで対応していないのか……」
「どこかに、次のヒントがあるのか……ですね」
レイナが制服のポケットに、スマートフォンをしまう。慣れた手つきに、ミュリーシアが感心したように赤い瞳を見開いた。
「堂に入っておるの」
「JKなら、このくらい当たり前ですよ」
「じぇーけー! なんか、かっこういいのです!」
「可愛くて格好良いのがJKですからね」
「ただの自画自賛になっているぞ」
手分けはせず、校舎を巡っていく。
久し振りの壊れていない建物だったが、逆に収穫はなかった。
「ゾンビに出会わないのは良かったですけどね」
「見たところ、複数の建物があるようですが……」
「順番に見て回ろう」
「すまほとやらを信じるなら、ここになにかあるのは必然であるからの」
構内には、当然ながら複数の校舎がある。
別の校舎へ向かうため、キャンパスを歩いている……と。
「レイナ! 止まるが良い!」
「ゴゴゴゴゴッゴゴゴオゴゴッッ」
ずどんっと、足下から突き上げられるような衝撃。
レイナは、文字通り飛び上がった。
「な? なんですか?」
なにか情報が出てこないかと歩きスマホしていたレイナが視線を上げると、目の前に鈍色の金属柱があった。
それが、騎士の着る鎧。洋館のセットに置かれていそうな全身鎧の一部だと気付いたのは、目が合ったから。
そう、目だ。
黒く、大きな瞳に全身が映っていた。
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳は人間ではなく、動物のもの。
だが、愛らしさは感じない。
すべては、そのサイズに起因する。
「ねえ、センパイ。あたしの目には、恐竜よりもでっかいゴリラに見えるんですけど……」
「俺にもそう見える」
「はあぁ……。でっかい猿なのです!」
突如頭上から降って湧いた鎧ゴリラに、トウマとレイナは全力で後退した。
レッドボーダーを構え、レイナを背後にかばう。
ティラノサウルスのときに反省が充分活きた格好だ。
代わりに前に出たのは、ミュリーシアとロッド・オブ・ヒュドラを構えたノイン。
しかし、鎧ゴリラは一顧だにしない。
存在を誇示するかのように、鎧ごと両手で胸を叩いてドラミングする。
「な、なんなのです?」
「あの鎖を外そうとしているのではないでしょうか?」
ノインの指摘で、鎧ゴリラが鎖で縛られていることに気付いた。
しかし、それは半分しか正解でない。
鎧ゴリラは自ら鎖を解くと、柄を持って頭上で大きく振り回した。
その鎖の先には、錨ほどの大きさの分銅。それと、柄の先には巨大な鎌があった。
「鎖鎌ですか? 忍者がもってるやつ?」
「形は、そうみたいだな……」
ぐるぐると風を切り裂き、鎖を振り回す巨大な全身鎧ゴリラ。
誰があんなサイズの鎧と鎖鎌を作ったんだと、トウマは顔を引きつらせた。




