141.建国記序章
今回は、ベーシア視点です。
これからも、ちょくちょくあります。
「ふ~ん。暗黒大陸だなんだかんだ言っても、そんなに変わりないないじゃん」
どこからともなく現れ、よっと砂浜に降り立った草原の種族が興味深そうに周囲を見回した。
背後には亀裂海。さらにその向こうにはミッドランズ。
足下の砂浜は、デルヴェやグリフォン島となんら変わりない。
では、目の前に広がる光景はどうか。
冷たい鉄で覆われた、荒涼とした大地だろうか?
触れれば切れる、鋭利な樹木が立ち並んでいるだろうか?
常に暗雲垂れ込め、間断なく雷が降り注いでいるだろうか?
否、否、否。断じて否だった。
特になにもないごく普通の大地が広がり、遠くに漁村らしきものが見える程度。“魔族”領域の海岸線だからと、怪魚種サハギンが闊歩しているなどということもない。
ミッドランズと変わらない。むしろ、寂れているぐらいだった。
「これなら、奈落のほうがよっぽど“魔族”領域だよ。まあ、妖魔諸侯が住んでるんだから当たり前だけど」
予想通りだが、期待外れ。
包帯をぐるぐる巻きにした両手を首の後ろで組み、トコトコと歩いて内陸を目指す。その外見も相まって、まるで子供のようだ。
ただ、もしこの光景を見ている者がいたら奇妙に思ったことだろう。
隙だらけで、歩き方も普通。
にもかかわらず、砂浜には足跡のひとつもついていなかったのだ。
鬼巌種オーガ。
その容貌魁偉にして、筋骨隆々。
額から伸びる二本の角に下顎から生える牙を備え、鋼よりも固い筋肉で全身を覆うまさしく鬼。
彼らが集う酒場は、この夜かつてない盛り上がりを見せていた。
その原因は、ふらりと現れた吟遊詩人。
小さな草原の種族の巧みな演奏で、場はすでに充分すぎるほど暖まっている。
巨大な魔獣タラスクスに一人で立ち向かい、友が治める街を守り切った岩巨人の詩には喝采を上げた。
愛する者のために武闘会を戦い抜いた魔術師の詩では、例外なく妻帯者が肩と背中を叩かれた。
戦乱の島で虐げられていた竜人が救われる詩を聞き、そこかしこで殴り合いが始まった。
それは、オーガにとってこの上ない賛辞。飲み干した酒と流れた血が多ければ多いほど、良い宴なのだから。
この盛り上がりを作り上げた吟遊詩人は、ずっとにこにこと笑っていた。
だが、それも最後の詩に入る直前までのこと。
これは、今まで同様事実を元にした詩である。
そう前置きしてリュートをつま弾いた吟遊詩人は、エヴァンジェリスト。神の言葉を語る伝道者にも似ていた。
「世に生まれいでし時より、万物これ滅びの運命を背負いしもの。
完成は、滅びの始まり。
なれど、一度人々の記憶に刻まれば永遠の時を生きることも能うものなり」
今までと同じ導入。
酒場がしんっと静まりかえる。
まるで条件反射のように、オーガたちが耳を傾けた。
「今宵、永遠の生を得しは、誇り高き吸血鬼の女王。
その名はシア。
一族の権力争いに敗れ、しかし混乱を嫌った心優しき女王なり。
彼女は、ある夜、運命に出会う」
声は、決して大きくない。
けれど、不思議と響き渡った。
まるで、直接心に語りかけられているかのよう。
「運命、それ即ち異世界から訪れし勇者なり。
ああ、なれどその命は風前の灯火。
無論。戦場において、勝敗は時の運。
盛者必衰は世の理なり。
なれど、さにあらず。さにあらず」
リュートがかき鳴らされ、それに伴いオーガたちの感情もかき乱される。
「命が危機に晒されているは、裏切りがため。
味方からその大いなる能力を請われ、大いなる戦果を上げ。
なれど、それがために使い捨てられんとしていた」
そこかしこから、ジョッキが叩き付けられる音がした。
オーガたちは、怒りを感じていた。
哀しみも感じていた。
戦果を上げた者を使い捨てにしようとする、その性根に。
結果を出しても正当に評価されないことに。
オーガたちは、純朴だった。
オーガたちは、善良だった。
それが、敵である異界の勇者であろうとも。
「死の危機に瀕す、勇者イナバ。
なれど、運命は正しき者を決して見捨てず。
義を見てせざるは勇無きなり。
女王シアは、義も勇も備えし佳人なれば」
野太い歓声が酒場を揺らした。比喩ではない、足踏みも伴って実際に揺れていた。
しかし、店主が文句を言うことはない。当然だ、展開が盛り上がるに伴いエールが飛ぶように売れていくのだから。
「花月容態。
その美に打たれし騎士は、指一本動かせず。
されど、女王シアは騎士など一顧だにせず」
なぜ、殺さないのか。
不満の声が響く。
いや、殺す価値のなき者を手に掛ければ魂が鈍るとの反論がそれを抑え込んだ。
「女王シアは勇者イナバを連れ出し、命を助く。
勇者は心より感謝し、彼女の願いを叶えんとす。
すでにすべてを失いし女王が抱くは理想のみ。
即ち、誰も飢えず、誰も虐げられず、誰も矜持を曲げられぬ世が欲しい。
美しき顔に自嘲を浮かべ、のたまった」
叶えられるはずがない望み。
オーガたちは、固唾を飲んで続きを待つ。
「勇者は、逡巡せず。
ただ、熟考の末に答う。
新しき国を造るべしと」
おおと、野太い声が酒場を揺らした。
道理だ。それは道理だ。
吟遊詩人の詩に酔ったオーガたちは、杯を掲げ中身を飲み干した。
「ああ、これぞ運命なり。
大いなる精霊に導かれ、女王と勇者は隠されし地にて国を建てる。
其は、アムルタート王国。
最も新しき、最も古き加護を受けし国なり」
アムルタート王国。誰かが、つぶやいた。
アムルタート王国。誰かが、杯を掲げた。
アムルタート王国。アムルタート王国。アムルタート王国。
確かに、その名が刻まれた。
「さあさあ、この二人の建国記はいかなる結末を迎えるのか。それはまた、別の機会に」
建国の手前。
ミュリーシアとトウマが建国を決意するところまでしか、披露しない。
ひょいっと椅子から降りると、大量の銅貨や銀貨が飛んでくる。中には、金貨も混じっていた。
ベーシアは、素早く。そして、確実に受け取っていく。
それを面白がって、さらにおひねりが飛ぶ。
だが、その時。
酒場の入り口が、大きな音を立てて開かれた。
「あんたが、ミュリーシア様の歌を広めてる草原の種族っすね」
オーガたちの視線と殺気が集中するが、フードを目深にかぶった女は気にしていない。
図太いのではない。
ただ、鈍感なだけだった。
「そうっすよね? 間違いないっすよね?」
「ええ……。なんか、めんどくさいのが出て来ちゃったなぁ……」
「めんどくさいとはどういうことっすか!?」
「そのまんまなんだけど……」
ベーシアは、リュートを片手にしばし考える。
そして、結論。
「――逃げる」
フードの女も、オーガたちも動きを止めた。
止めざるを得なかった。
間の前にいたはずの草原の種族が、あっという間に消え失せてしまったのだから。
「それじゃ、ご静聴ありがとうございましたー」
そして、いつの間にか。本当にいつの間にか、酒場の入り口に立っていた。
ついでに、エールがなみなみと注がれた杯と骨付き肉が山盛りになった皿を手に。
「ああああああっっっっ。待つっすよ」
「え? なに?」
「ほんとに待つんすか!?」
フードの女が店を駆け抜け、ベーシアが肉を食らいエールを飲む。
そして、用無しになった杯と皿をフードの女に投げた。
「ごちそうさま」
「うぉっとととと」
律儀に受け取り、フードの女の足が止まった。
「じゃあ、待ったので」
「ううううっっっ。ぐうの音も出ないっす」
風切音すらさせて、ベーシアは酒場を出て行った。
アクシデントはあったが、受けは良かった。ほくほくだ。
だから、あのフードの女のことを思い出しても真剣な表情を見せるのは一瞬。
「これは、グリフォン島に戻ったら報告してぶん投げよう」
完全に、自分でどうにかする気はなかった。
それはベーシアの仕事ではない。
仮に、ネイアードの件をベーシアが解決したとして。それで、彼らが移住することになっただろうか。
あり得ない。
「そこは、トウマくんたちが奔走してくれないとね」
自分は、ただの介添人。
実際に、悩み、あがき、解決するのは彼ら。
なので、面倒事は丸ごと投げるに限るのだ。




