135.鍵はスマートフォン
駅ビルの一階は、他の階よりも天井が高い設計になっていた。
吹き抜けというわけではないが、イベントなどの関係で広々としたスペースが確保されている。
今までと同じく階段を使って移動し、一階にたどり着いたトウマたちは慎重に探索を進めた。
例外なく建物内は荒らされ、バリケードのせいで外からの光も入ってこない。
逆に、蜥蜴蜘蛛やジャイアントラットにも遭遇はせずイベントステージにたどり着いた。
往時は店が企画した販促イベントが行われたり、地元の学校の吹奏楽部などが招待され演奏をしていたりということもあるのだろう。
だが、当然と言うべきか。今は、そんな面影はどこにもない。
あるはずがない。
にもかかわらず、それを一目見たとき。
トウマは、広告や宣伝の類だと思ってしまった。
ティラノサウルス・レックス。
地球で最も有名な肉食恐竜。
イベントスペースを占拠する恐竜のレプリカを目の当たりにして。
ああ、この辺で恐竜展でもやっていたんだな――と。
そう思ってしまった。
「共犯者、レイナ。なにを呆けておるっ」
「ああ、良くできてるから――」
「なにを言うておるか! モンスターじゃぞ!」
光源が《グローリィ・スフィア》だけの薄闇。
その中で、それがギロリと目を剥いた。
「グッッ、ギャアアアアアッッ」
人を丸飲みにする顎から、大気を震動させる咆哮が放たれた。
それが一歩踏み出すと、駅ビル全体が揺れたような錯覚に襲われる。
本物であれば、体重は5~6トンにもなる。もしトラックが歩いたら、地響きぐらい立てるだろう。
天井すれすれの大きさだが、その動きに迷いはなかった。
「なんで、ここにあんなのが……」
「どこにいても、存在自体がおかしいですけどね」
呆然とするトウマに、ツッコミを入れるレイナ。
それだけで、異常事態だと分かる。
「ええいっ。亀にも天使にも臆しておらんかっただろうが」
「よく分からないけど、どうするのです?」
「無論、撤退も考えなければならぬであろうが――」
自らの獲物だと、ティラノサウルスが近付いてくる。
ゆっくりだが、鈍重ではない。
まさに、王者の歩み。
「――それは、今ではない」
暴君の前に、吸血姫が立ちふさがった。
「なんじゃ? 縄張りに踏み込まれて、怒っておるのか?」
「ギャアアアアアッッ」
逃げも、ひれ伏しもしない。
不遜な人間に、ダンジョンのティラノサウルスが苛立ちの声を上げた。
しかし、トウマとレイナをかばうように立つミュリーシアは動じない。
天姿国色。その美しさに、翳りはなかった。
「……すまない、シア」
「こういうときのために、妾はおるでな」
ようやく正気を取り戻したトウマが、なにかを追い出すように頭を振った。
「では、疾く片付けるとしようかの」
黒いドレスの裾野が伸び、一本の巨大な杭が生まれた。
それが高速で撃ち出され、ティラノサウルスは大きく顎を開いた。
噛み砕く?
否。人を丸飲みできる口に炎が灯り――吐き出された。
影術で編んだ杭がティラノサウルスにたどり着く前に迎撃され、力なく地面に落下して消滅する。
「ふむ。ドラゴンの一族であったか」
「なんでティラノサウルスが火を吐くんだ!?」
当然と受け止めるミュリーシアと、珍しく。本当に珍しく目を見開くトウマ。
そして、リリィは果敢に飛び込んだ。
「空を飛んでたやつと違って、攻撃が通じるのです!」
スキルで強化された状態で、目と鼻へ連続して手刀を放つ。
「ギャアァァンンッッッ」
それを受けて、不快げに巨大な頭を振りリリィを振り解こうとする。
しかし、天井が近く上手くいかない。
ゆえに、再び火を吹いた。
リリィの青いワンピースが炎に飲まれる。
「リリィ!」
「リリィちゃん!」
「うわっ。ちょっとびっくりしたのです」
火の中から現れたリリィは、無事。
けれど、さすがに距離を取った。
「リリィちゃんに、よくも――」
無傷ではあるが、だからといって許せる物ではない。レイナの緑がかった瞳から、恐怖の色が消えた。
「魔力を40単位。加えて精神を20単位。理によって配合し、架け橋を描く――かくあれかし」
レイナが両手を広げ、天井のコンクリートへ掲げた。
「《ビーンズストーク》」
自らの腑甲斐なさを振り払うように使用したスキルは、天井から太い蔦を生やし。今度は通路となることなく、ティラノサウルスに巻き付いた。
「ミュリーシア、やっちゃってください!」
「任された」
「魔力を40単位、加えて精神を10単位、体力を40単位。理によって配合し、衰亡の運命を導く――かくあれかし」
戦闘に慣れたとは言えないトウマだが、勝機を見る目は確かに育まれていた。
「《コラプスフェザー》」
破滅の雪が降り、弱体化させられたティラノサウルスはブレスはおろか《ビーンズストーク》から抜け出そうとすることもできない。
恐竜が、どうっと倒れ伏した。
「滅ぶが良い」
こに、天から漆黒の杭が落ちてくる。
まるで、6500万年前の隕石のように。
それが、ティラノサウルスの最後となった。
「あの巨大な赤亀より上ということはなかったの」
「ああ、そうか……。驚いた……」
致命傷を受けて身じろぎひとつしない恐竜を眺めつつ、トウマは意識せず二度三度と瞬きをした。
第一層で遭遇したモンスターたちも、常識外れという意味ではティラノサウルスとそこまで違いはない。
少なくとも、元々の常識に照らし合わせれば。
そのことに気づかなかった自分自身に、トウマは驚いていた。
「これ、地球に持って帰れたら一財産でしょうね……」
「ああ。だが、元々無理だったようだな」
ティラノサウルスが薄い光に包まれている。
魔力へ還元されようとしているのだ。
「でっかい、トカゲだったのですよ~」
「まあ、確かにそうだな……」
「知っておるようじゃったが、あれはドラゴンの亜種かの?」
「いや、俺たちの世界で遙か昔に絶滅したはずの生物――恐竜だ」
「きょーりゅーなのです?」
こてんっと、リリィが首を傾げる。
これ以上だとホラーになってしまう、絶妙な角度だ。
「……それにしても、妙だったな」
「ですよね」
「いや、そういうことじゃない」
恐竜――ティラノサウルスが存在していること自体おかしいのは分かっている。
けれど、トウマが言いたいのはそういうことではなかった。
「あんなでかいクモもネズミもいなかったが、クモやネズミは普通にいた」
「でも、あんなものが」
「ふむ。となると、ダンジョンが産みだしたモンスターということのようだの」
「今までは、そうじゃなかったんですかね……」
「魔力の還元が起こっておらぬ以上、そういうことになるのう」
蜥蜴蜘蛛も、ジャイアントラットも。分類としては、マッスルースターと同じく害獣――動物と言うことになる。
しかも、地球産の。
「あまりにも、モンスターが少なすぎると思うておったのだ」
この世界の宿痾とも言える魔力異常。
それにより発生するのが、モンスターとダンジョン。
特に、ダンジョンは内部に発生するモンスターを適度に間引せねば、オーバーフロウなどの災厄を起こしてしまう危険な存在。
しかし、この第二層ではモンスターがいなかった。
「調整用に自然発生したのであろう。もしかすると、上下の層の影響でこの姿をとったのではないかの」
「そういえば、サラマンダーだったか。火トカゲが外に出ていたな」
「だから、あのティラノサウルスが火を噴いたんですね」
「そういうことであろうな」
朝からカツ丼が出て来たような顔で、レイナが天を仰いだ。
肯定されたくなどなかった。
「つまり、今まで遭遇していたゾンビとか戦車とも。クモともネズミとも、完全に別口だったということか」
「迷惑ですけど、納得するしかないみたいですね」
レイナがサイドテールにした髪に触れ、ため息を吐いた。思考を放棄したようだ。
「それで、一体なにが出てくるんででしょうね? 恐竜由来のマジックアイテムって」
「想像もつかないな」
トウマは、軽く肩をすくめた。こればかりは、待つしかない。
「でっかいお肉になって欲しいのです!」
「まあ、それならそれでもいいですけどね」
けれど、リリィの希望は叶えられなかった。
数分後。ティラノサウルスが消滅し、後に残されたのは意外なマジックアイテム。
いや、これをマジックアイテムと呼んでいいのか。トウマには、判断がつかなかった。
「スマホ?」
「充電されてるんですかね」
試しに液晶画面に触れてみると、画面が映った。
後ろ側を見ると、かじられたリンゴのロゴが描かれている。スマホの形をしたマジックアイテムと、いうわけでもなさそうだ。
「うわっ。なんか出て来たのです」
「これは、そういう機械だから」
トウマが持つスマホを中心に、全員で顔を突き合わせている。
端から見たら変な光景だなと思いつつ、だからといって一人で操作するわけにも行かなかった。
「パスかけてないとか、不用心ですね」
「そういうものじゃないんだろ」
その証拠に、自動的に地図アプリが起動した。
そして、ある場所にマークがついている。
「ここは……大学みたいですね」
「そこに、なにかがあるというわけか」
露骨すぎる誘導に、トウマは顔をしかめた。
「つまり、どういうことなのかの?」
「こいつは、第二層の地図兼鍵ってことだな」
「ダンジョンの性質に合わせたってところですね」
「ふむ。罠ではないのかの?」
「その可能性はあるな」
だが、こうもあからさまだと無視もできない。
「次は、ノインも一緒に大学へ行くことになるな」
「ですね。それでこのスマホ、他の用途には使えないんでしょうか?」
珍しく、わくわくとするレイナにスマホを預けた。
「とりあえず、地図アプリは落として……」
「おお、なんか職人っぽい動きなのです」
「慣れておるのう」
「あ、カメラアプリはあるみたいですね」
「カメラなのです?」
「説明するよりも、自撮りしてみましょう」
リリィを抱き寄せ、インカメラでセルフィーを撮影した。
「ほら、これがカメラですよ」
「ふぇええええぇぇっ。板の中に、リリィとレイナがいるのです。あれ? じゃあ、ここにいるリリィは一体……?」
「見るに、これは高度な絵のようなものなのであろう? であれば、心配なかろうよ」
「安心したのです」
カメラを一瞬で理解したミュリーシアだったが、やはり興味があるのだろう。珍しく物欲しげな顔でレイナを見やる。
「まったく、仕方ありませんね」
「本番までにバッテリー切れ、なんてことにはならないようにな」
少し離れて、トウマは念のため警戒する。
撮影会に巻き込まれる、15分前のことだった。




