131.ショッピングセンター六階
「それじゃ、行ってくるのですよ~!」
「にゃ~」
「留守番よろしくなのです!」
「にゃっ」
香箱座りのニャルヴィオンが、駅ビルの屋上駐車場で短い手を伸ばした。
トウマには敬礼をしているように見えたが、真相は分からない。
「まあ、ニャンコプターモードに比べたら些細なことか」
屋上の駐車場から、ショッピングセンター内へ。
しかし、当然ながら屋内は真っ暗だった。
「魔力を15単位。加えて精神を5単位。理によって配合し、我と我らの行く手に幸運を照らす――かくあれかし」
暗闇に包まれたショッピングセンターに、少女の朗々とした声が響き渡った。
不吉を吹き払うような、希望に満ちた声音だ。
「《グローリィ・スフィア》」
スキルの詠唱が終了すると同時に、少女――レイナの手のひらから光球が浮かび上がった。
周囲を圧倒する、黄金に近い優しい輝き。
明暗の落差に、トウマは思わずまぶたを閉じてしまう。
「ひゃー! 明るいのです!」
「妾もリリィも暗所でも問題はないが、明るいに越したことはないの」
「この明かりの範囲内にいる人は、思考が冴えて行動も正確さが増すというスキルなんですけどね」
普段使いするには代償が重たいが、この状況なら有用……というだけではない。
「探索にちょうどいいな」
ちょっとしたことにも気付きやすくなるだろうし、相乗効果は計り知れない。
「ダンジョンへ連れて行かれたときも、使ってあげると喜ばれましたね」
レイナの意識はこの程度だったが、平和を意味する名を持つ異界の神ナイアルラトホテップの加護と同一視されているスキルだった。
雑に、懐中電灯代わりに使用していいものではない。
光輝教会の関係者が見たら、卒倒しかねない状況だった。
「魔力のことを考えると、いつもいつも使えるわけじゃないのが難点というところか」
「そうですね。わりと重たいです……って、誰が重たいんですか」
「気にするということは、自覚があるということにならないか?」
緑がかった瞳でにらんでくるレイナをスルーし、トウマはようやく闇に慣れた目で周囲を見回す。
探索の邪魔になるため、《エボン・フィールド》は解除してある。空を飛ぶと攻撃されるというので、使用したスキルだ。その役割は、すでに終えている。
「最上階は……レストラン街だったみたいだな」
「ええ、見る影もないですけどね」
ガラスは割れ、床は焦げ、順番待ちのための椅子は、壊されている。
「あ、オムライスが転がっているのですよ!」
オムカレーの衝撃は、リリィの中では絶対に忘れられない。輝かしい記憶となって刻まれている。
リリィがぎゅんっと加速して床に散らばる、オムライス……の食品サンプルへと飛んでいく。
「むむむ。オムライスなのに、オムライスじゃないのです……?」
しかし、オムライスの形をしていながら。否、床にあってもオムライスの形を保っていることに首をひねっている。
「それは、作り物だな。こういうメニューがありますよっていう見本だ」
「でも、食べ物そっくりなのですよ?」
「そっくりじゃないと、見本にならない」
なおも諦めきれないリリィがすみれ色の瞳で見上げてくるが、トウマは静かに首を振るだけ。
「リリィちゃん、諦めてください。さすがのセンパイも、それを食べたら死んでしまいます」
「それは重大事じゃが、そもそも床に落ちた物を食べるでない」
「ぐうの音も出ない正論なのです……」
天真爛漫なリリィが顔をしわくちゃにして、現実を受け入れた。断腸の思いという言葉の、生きたサンプルだ。
「それで、共犯者。ここは、すべて飲食店ということで良いのかの?」
「ああ、そうなるな」
「ほう。このような施設を造っておきながら、最上階に飲食店をわざわざのう」
「地球……故郷じゃ一般的な形式だ」
「下から順番に買い物をして、疲れたところで栄養補給みたいな感じなんじゃないですか?」
あまり関心がないのか、レイナが適当に流して話を先に進める。
「でも、レストランじゃちょっと微妙ですよね。正直、あんまり使えそうなのはないでしょうし」
「食器とか、包丁とかの調理用具か?」
「食器のう……」
ノインは喜ぶだろうが、石食器マイスターのミュリーシアはあまりいい顔をしていなかった。
「テーブルとかも使えますかね。あとは、マニアにメニューとか売れたりしません?」
「なるほど。文字は分からなくても、写真は価値があるかも知れないな。それなら、本屋で図鑑でも見繕ったほうがいいんじゃないか?」
略奪があったとしても、見向きされるとは思えない。暴動の中で破損してしまっている可能性はあるが、それは本に限らない話だ。
「そっちは、なんか変に知識が流出しても面倒じゃありません?」
「戦争中だからな……。過剰反応かもしれないが、気をつけるに越したことはないか」
「それにしても、センパイ。こうして相談していると、完全に泥棒ですね」
「……そうだな」
どう言い繕っても、空き巣であることは否定できなかった。
柔らかく暖かな光の中で二人揃って苦笑を浮かべるが、不満に頬を膨らませたのがリリィだ。
「なんだか、第二層のことが分かってからトウマとレイナは二人の世界に入りがちなのです!」
「そうですか? そんなつもりはないんですけどね……」
なぜか相好を崩すレイナに、リリィがぴしゃりと言った。
「そういうのは、夜二人きりでやるのですよ!」
「リリィちゃんに言われては仕方がないですね。分かりました」
「そろそろ、ベッドは別々だからな?」
「ひどい。もう、あたしは用済みなんですね……って、こういうのをやめろって話ですよね? 分かってます。分かってますから」
リリィの機嫌が本格的に悪くなる前に、レイナが素早く撤退した。
その配慮を、なぜ最初からできないのかとトウマは頭を振る。
「せっかくなので、軽く見ていきましょうか」
「そうだな。シアたちはわけが分からないだろうしな」
「うむ。配慮に感謝する」
レストラン街は、和食、中華、イタリアン。焼き肉、しゃぶしゃぶ、回転寿司。様々なレストランが軒を連ねている。
四人で移動し始めると、虚空に浮かぶ《グローリィ・スフィア》もレイナに追随した。
「ここは、回転寿司……っていきなり説明が面倒なの来ましたね」
「回転? なんで回るのです?」
「元々、お寿司は回らないものだったんですけど……」
「元気がなくなってしまったのです?」
「センパイ、パスです!」
押しつけられても嫌な顔ひとつせず、トウマが目の高さに飛ぶリリィへ口を開く。
「まず、寿司というのは新鮮な魚の切り身を握ったご飯に乗せて食べる料理だ」
「生なのですか?」
「生だ」
「ふえええ……」
びっくりして、リリィが両手で口を押さえた。
それはとても可愛らしかったが、対照的にミュリーシアは特に驚いた様子はない。
「妾は生き血を啜るからの。他にも、生肉を好む種族もおる」
「多様性ですねぇ」
「元は屋台で出すような料理だったが、そのうち高級化してな。それを、さらに安価に戻したのが回転寿司だ。敷居を下げて、薄利多売にシフトしたんだろう。たぶんだが」
「最近は、高級回転寿司とかもありますけどね」
「人の営みは、寄せては返す波のように繰り返すものよ」
明眸皓歯。赤い瞳に深遠な理解の色を乗せ、ミュリーシアは静かに首肯した。
結局、回転の謎は明かされなかったがリリィはそこまでこだわっていなかった。
「そちらの店は、なんじゃ? なにやら、面白い形の看板をしておるが」
「焼き肉屋ですね。薄く切ったお肉を自分で焼いてたれに漬けて食べる料理? まあ、アトラクションみたいなものです」
「料理なのに催し物なのですか! トウマとレイナのふるさとはすごいのです!」
「アトラクションかはともかく、特別感があることは間違いないな」
ハレの日の料理……とまではいかないが、それに近いものがある。
「次は、和食……とんかつの店か」
「それ! それ、聞くだけで美味しそうなのです!」
「豚肉に衣をまとわせて揚げた料理ですよ。ちなみに、めちゃくちゃ美味しいです」
「トウマ!」
「ノインに頼んで作ってもらおう」
息せき切って迫るリリィに抗しきれず、トウマは請け負わざるを得なかった。
「ソースが見つかるといいんだが……」
「そこは、探すしかないですよね。泥棒みたいで気が引けますが」
「このまま放置しても、朽ちるだけであろう。ならば、使ってやるのが慈悲というものよ」
「安っぽい理屈ですけど、まあ、そうですね」
レイナがその場で軽くジャンプし、気合いを入れた。
「それじゃ、そろそろ家捜しを頑張りましょうか」
「美味しい食事のために、頑張るのですよ!」
トウマとレイナ。ミュリーシアとリリィに分かれてレストラン街を捜索し、一時間ほどでエスカレーターの前に物資が積み重ねられた。
業務用のデミグラスソース。2kgが三缶。
焼き肉用の炭が四袋。
やはり業務用の、中華調味料が六缶。
奥まったところにあった、紹興酒が一ケース。
同じく、業務用の真空パックされたタピオカが一箱18kg。
揚げ物用のラードが六缶。
ドレッシングが三箱。
トンカツソースが五缶。
それから、小麦粉や米を保存できそうな袋や容器がいくつか。
どこまで《グローリィ・スフィア》が効果を発揮したのかは分からないが、大漁といえばその通りだった。
「量が多いな……」
「自分で使うには余りそうで、売るには少なすぎるという。どれだけチャーハン作れって言うんですか」
「野菜炒めに使っても美味いけどな」
トウマは手の上で中華調味料の缶を転がす。一人暮らしの重要なパートナーだ。
「それよりも、しゃぶしゃぶの店にタピオカがあるのが謎だったんだが」
「どこにでもありますよ、タピオカぐらい」
「あれ、要するに白玉だろう? なにが、そんなに人気なんだ?」
「もちもちして楽しいじゃないですか」
「そういうものか……」
いまいち理解できなかったが、だからといって否定するほど狭量でもない。
「とりあえず、ニャルヴィオンに運び込むか」
「ええ。それから、下に行きましょう」
「警戒しつつな」
「妾がおれば、共犯者には指一本触れさせぬわ」
ニャルヴィオンへの積み込みは、ミュリーシアの活躍ですぐに終わる。
「また行ってくるのですよ!」
「にゃ~」
挨拶を交わしてから、念のため階段を使って、トウマたちは次のフロアへと移動した。




