129.駅ビルへ
火口のダンジョンの第一層を抜け、第二層へ。
ニャルヴィオンでたどり着いたとき、トウマはじっとレイナの反応を観察していた。正確には、気にしていた……。いや、心配していたと表現すべきだろう。
それくらい、この東京近郊のある都市と融合したと思しきダンジョンはセンシティブな存在。
少なくとも、トウマはそう位置付けていた。
「うわ、ほんとに日本じゃないですか」
「見ただけで分かるですか?」
「行ったことはない街ですけど、見れば分かりますよ」
「なるほどなのです。そういうものなのですか」
……にもかかわらず、ニャルヴィオンの二階席でリリィと話すレイナの横顔はいつも通りだった。
特に、無理をしている様子は感じられない。自然体だし、ある意味で他人事のよう。
トウマの目は、節穴ではない。少なくとも、レイナの異常を感知するという用途では。
まったく、いつも通り。それがいいことなのか、トウマには分からない。目に見えて悪くはないというだけ。要経過観察だ。
「前回は、すぐに戦車とやらが出てきたがのう。今回は、ゾンビの気配もないようだの」
「モンスター扱いだから、一回倒したらしばらく出てこないとかですかね?」
「その可能性はあるが、確定とも言えぬの」
「出てきたとしても、やっつけちゃえばいいのですよ!」
「うむ。ここはダンジョンだからの」
ゾンビとはいえ、特殊な装置を埋め込まれた元は人間。
その事実は共有しているが、レイナはまったく気にした様子がない。意外なほど、なにもなかった。
「あたしとしては、わざわざ出会いたくもないですけど……。まあ、ミュリーシアがいればそう危険はないですよね」
「ほう。素直だの、珍しく」
「適材適所でいいかなと。あたしが緑の聖女じゃなくて、ヴァレリヤみたいな能力だったら違ったでしょうけどね」
ミュリーシアへの態度も、なにも変わらない。
レイナは、完全に平常心だった。
「……それはそれで、人間らしい情緒の存在を疑ってしまうな」
「なに、人をサイコパス扱いしてるんですか」
他人を観察しているとき、他人からもまた観察されているのだ。
ずっと黙っているトウマがなにを考えているかなど、レイナに筒抜けだった。
トウマは軽く息を吐き、所在なげに長くなりつつある髪をかく。
「そういうわけでは……あるな」
「そこは否定するところですよね!?」
「にゃ~」
暴れないようにとニャルヴィオンが注意するが、レイナには届かない。
ネイルを綺麗に塗った指を突きつけ、トウマへと迫る。
「あたしだって、そりゃ多少は気にしますけど。事前に証拠付きで聞いているんですから。この程度で取り乱したりなんかしませんよ」
カラコンで緑がかった瞳は、意外なほど澄んでいた。
それ以上に、真剣だった。
「悪かった。子供扱いしすぎだったな」
「そうですよ。海よりも深く反省してください」
口元を少しだけひくひくとさせて、レイナが言い捨てた。
笑いをこらえているのは、明らかだった。
トウマ以外には。
「確かに、第一層のようなモンスター退治とは違う複雑な状況じゃ。共犯者の心配はもっともであろう」
ミュリーシアが、やれやれと言わんばかりに口元を黒い羽毛扇で隠す。
「過保護ですけどね」
「心配されておることを、誇っても良いのだぞ?」
「センパイがあたしを心配するなんて、いつも通りじゃないですか」
肩をすくめ、レイナがトウマから離れていく。
「大丈夫ということなら、いいんだ。子供扱いして悪かったな、玲那」
「分かればいいんですよ、分かれば」
背を向けたまま、レイナが上から目線でトウマを許した。
今の表情を見せるわけには、いかないから。
「にゃ~~」
「ニャルヴィオンが、どこへ行けばいいのか分かんなくて困ってるのですよ?」
「……悪い。とりあえず、あの一番高いビルがある方向へ進んでくれ」
レイナの横を通って最前列へ移動し、トウマがニャルヴィオンへ指示した。
駅ビルがある場所が、地域で一番栄えている。そこに最も高いビルがあるのは、自明の理だ。
「リリィ、知っているのです。あれは、魔法使いが住んでる塔なのです!」
「どうですかね。相場の錬金術師とかはいたかもしれないですけど」
「変な言葉を教えるんじゃない」
結局、トウマに後頭部を軽く叩かれ。
それでも、レイナはうれしそう……かどうかはともかく。少なくとも、本気で怒ったりはしなかった。
街の中心部と思われる場所への移動は、滞りなく終わった。
予想されたゾンビや戦車の襲撃はなく、平和そのもの。
「ニャルヴィオンがハイブリッドカーを食べて、パワーアップっていうこともなかったですね」
「エンジンが違うから、無理なんじゃないか?」
「バスを食べるほうが無理だと思うんですけど……」
あったのは、こんなちょっとした議論程度だ。
ただし、駅自体は平和な光景とは言えなかった。
「なんか、ひどいことになっているのです」
「爆発でもしたみたいだな……」
駅舎は崩れ、時折瓦礫の欠片が落ちてくる。いつ崩れてもおかしくない惨状だった。
「これは、あまり近付かぬほうが良さそうだの」
「駅ビルのほうが無事なのは、不幸中の幸いと言っていいんですかね」
駅に背を向け、レイナが駅ビルを緑がかった瞳で下から上へ見上げる。
活気がなく廃墟のよう……ということを除けば、かなりまともな状態だった。
けれど、窓ガラスはかなりの数が割れている。また、入り口はバリケードのようなもので覆われていた。
「ここに立てこもってたのか?」
「今のところ、人の気配はないがの」
「リリィが、ひとっ飛び見てくるです?」
「なにがあるか分からないし、安易な単独行動はやめよう」
「分かったのです」
残念そうだったが、ゴーストの少女は素直に納得した。
「それなら、屋上から入ります? どうも、駐車場になってるみたいですよ」
「でも、空を飛んだら攻撃されたのですよ?」
「悪くないの。この四人なら、切り抜けられるであろうよ」
「そうだな。あのバリケードを破壊して入っていくよりはましだろう」
三対の視線を向けられたトウマが、軽く。けれど、しっかりとうなずいた。
ただし、出番が無くなりそうなニャルヴィオンだけは残念そうだった。
「ならば、良し」
ミュリーシアが黒い羽毛扇をぱっと開くと、ドレスの裾から影が伸びる。それがいくつかの帯となり、トウマとレイナの体にしっかりと巻き付いた。
「こうするのも、久し振りな気がするのう」
「明らかに気のせいだ」
ネイアードとともに、グリフォン島へ戻ってきたときもこうして世話になっている。これで久々なら、カティアとヘンリーは数世紀ぶりの再会になってしまう。
「それじゃ、ニャルヴィオン。行ってくるのですよ!」
「にゃ~」
「まだ早い」
「にゃ?」
今にも飛び出していきそうなリリィを押しとどめてから、トウマは《エボン・フィールド》を発動させた。
これで、狙撃を受けても問題ない。次の瞬間には、ミュリーシアの杭が飛んで終わりだ。
「では、行くぞ」
「……頼む」
何度経験しても、地面から足が離れる瞬間は慣れない。大丈夫だと分かっていても、思わず体が縮こまる。手にしたレッドボーダーの感触が、頼みの綱だった。
「今度こそ、行ってくるのですよ~」
「にゃ~」
地上に残ったニャルヴィオンが遠く、小さくなっていく。
しかし、トウマにそれを確認する予定も余裕もない。
「センパイを見ていると、人は大地から離れて生きられないと実感しますね」
「屋上に着くまでだからな」
それくらい我慢できる……とまでは言わず、トウマはただ上だけを見つめた。
黒いドレスで牽引するミュリーシアと、楽しそうに飛ぶリリィ。二人の姿だけが見える。他は、意図的に意識から外した。
「とうちゃーく、なのです!」
「意外と早かったですね」
上昇していたのは、一分にも満たない時間だろう。
しかし、ほっと一息とはならなかった。
「屋上で待ち受けられていたか」
「うむ。うじゃうじゃおるな」
ミュリーシアが赤い瞳で見つめる先は、駅ビルの屋上。そこには、大量のゾンビたちが休むことなく徘徊していた。
まるで、蟻のようだ。
「見るからに、ゾンビですね……」
「心配ないのです。ミュリーシアが、全部やっつけてくれるのです」
「そうですね……って、なんか変な音がしません」
「向こうからか」
トウマが指し示す先。
ビルの影から、バタバタバタとなにかが回転し風を切る音がした。
次の瞬間、飛び出してきたのはトウマとレイナには見憶えがある乗り物。
――ヘリコプターだった。
しかも、武装をした。




