127.初収穫のチョコレートクッキー
「冷静に考えたら、リリィだけ先走ってもどうにもならなかったのです!」
「その反省は、次に活かそうな」
「主に、ダンジョンでだの」
全員が“王宮”に戻ってから、手を洗ってすぐに調理開始となった。
まずは、収穫してあったカカオの実に《ファブリケーション》のスキルを使用してチョコレート作りからだ。
「魔力回復するためのチョコレートを作るのにスキルで魔力を消費するとか、マッチポンプがひどすぎません?」
「人の生とは、そういったものよ」
石のボウルというか、すり鉢というか。
ミュリーシアが削り出した器に、チョコレートが満たされていった。
こちらは以前から製糖済みだった砂糖も加え、さらに沸騰湾の塩を少量入れ味を調える。
「ゥワンッ!」
「小麦粉は、問題ないようでございます」
小さなポメラニアンが一回鳴いて、安全だと知らせてくれた。
「それでは、使わせていただきます」
「遠慮はいりません。じゃんじゃん、やっちゃってください」
混ざり物のない、真っ白な小麦粉。
それを振るってチョコレートに加えて、さっくりと混ぜていく。
「ノインは、やっぱり手際がいいな」
「もったいないお言葉でございます」
機械的な正確さで石のヘラを動かし、生地がまとまったところで、次に棒状に丸めた。
「これで、クッキーの完成なのですか?」
「火を通さないとお腹壊しますよ……センパイが」
「無念なのです」
テンションが乱高下するリリィとは対照的に、ノインはいつも通りにトウマへ頭を下げる。
「ご主人様、お願いいたします」
「ああ」
冷凍庫で10分ほど冷やすところだが、ここはスキルでショートカットする。
「《フェイク・コールド》」
スキルを使用して生地を冷まし、切りやすい硬さにした。
「奥様、厚みはこの程度で?」
「ああ、5ミリぐらいでちょうどいいですね」
「そんなに薄かったら、食べた気にならないのですよ?」
「大丈夫ですよ。焼いたら、ちゃんと膨らみますから」
リリィに説明している間にも、ノインは止まらない。黙々と淡々と着々と。チョコレート色をしたクッキー生地を完全に同じ厚さに切り分けていく。
まるで、機械で計ったような正確さ。
「軽く引くぐらいすごいですね」
「自動人形ですので」
「だが、この中ではノインにしかできない技術だ」
「もったいないお言葉でございます」
心持ちスピードアップして、クッキーの準備が完了する。
あとは、焼くだけ。
かまどをふたつとも使用し、両方に石のフライパンを置いて弱火で熱する。
「蓋をして、片面10分ずつ。あとは、火から離して予熱で5分ってところですかね」
「かしこまりました」
ノインがてきぱきと工程を進め、一段落。
待つだけとなったところで、リリィが空に浮かんでもじもじとする。
「トウマ、時間を進められないのです?」
「無理だ」
「がーーんっ、なのです」
リリィが頬に両手を当て、口を大きく開けた。まるで、ムンクの叫びのよう。
「待つのも、また楽しいものよ」
大人な態度でミュリーシアが、黒い羽毛扇をゆるゆると振った。
「リリィはそういうのを求めているのではないです」
「う、うむ。しかしのう……」
「今、リリィは冷静さを欠こうとしているのです」
「それは、済まぬことをしたのう……」
不利を悟り、ミュリーシアはさりげなくトウマの背後へ移動した。
「待つしかないんだから、それをわくわくする時間にしようというのは前向きで俺は好きだな」
「共犯者……」
「考え方が好きってだけですからね? 曲解しないでくださいよ?」
「幼なじみとして好きと言われ続けただけのことはあるの」
ミュリーシアとレイナの視線が空中で衝突した。
一触即発。
だが、戦争にはならなかった。
「うっ。ごめんなさいなのです」
リリィに頭を下げられては、それどころではなくなる。
「ちゃんと謝れて偉いな」
「分かれば、それで良いのだ」
「それで、どうやって楽しむですか? 踊るですか?」
「そこは、玲那が遊んでくれる」
「あたしですか!? あー……。折り紙でもします?」
「よく分からないけど、やるのです!」
レイナとリリィの二人で円卓の間へと移動していった。
「ツルっていうのはよく分からないですけど、確かに鳥さんなのです! 紙で鳥さんなのです!」
「ほう……」
「気になるなら、シアも行くか?」
「う、うむ……」
こうして、厨房にはトウマとノインだけが残る。
「それでは、ご主人様。ホイップクリームの作業に移らせていただきます」
「ああ。俺が必要だということは、冷やせばいいんだな」
「その通りでございます」
瀟洒な所作で頭を下げるノインが、北のグリフォンの牙で取れたヤシの実から中身をまた別の石のボウルに注ぐ。
「冷やしますと、水分と固形の油分が分離いたします。その固形の部分を原料に使います」
「なるほど」
説明を聞いてから、再び《フェイク・コールド》を使用する。
植物を腐らせることが嫌なわけではないが、スキルがどうやって平和に活かされるとなんだかうれしかった。
「よく、こんな調理法を知っていたな」
「獣の乳が苦手という方は、古き世にもいらっしゃいましたので」
そうこうしているうちに、本当に水分と固形の油分に分離していった。
「ご主人様、ありがとうございます」
ノインが固形部分を石のスプーンで取り出し、それを石のフォークを背中合わせにした代用泡立て器で混ぜていった。
「これはすごいものだな……」
高速にして、正確無比。
目にも止まらぬ早業でココナッツミルクを混ぜ続け、六分立ち程度になったところで砂糖を加えて味を調整。
そこからさらに泡立て続け、完全に角が立った状態にした。
その間、クッキーの焼き具合も様子をきちんと見ている。
「ご主人様、そろそろでございます」
「リリィ、もうすぐできあがるぞ」
「承知した――ッッのです!」
壁を突っ切り、円卓の間から厨房へ躍り出るリリィ。それに遅れて、ミュリーシアとレイナもやってきた。
「わくわく。わくわくなのです」
「それでは――」
ノインが火から下ろしたフライパンのふたを開くと、そこには丸くて黒いチョコレートクッキーが並んでいた。
湯気とともに、芳しい香りが広がっていく。
「あとは、しばらく冷まして完成となりますが……」
「ひゃー! もう、我慢できないのです!」
「というわけで、センパイ。お願いします」
「どれ」
待ちかねていたリリィを、これ以上焦らすわけにはいかない。
用心棒のように前へ出て、二度目の《フェイク・コールド》。先ほどよりも加減し、クッキーからあら熱を取る。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした。ちょうど、よろしいかと」
そのチョコレートクッキーを皿に盛り、ココナッツミルクで作った生クリームを添えた。
「完成でございます」
「見た目は、いけてますね」
「トウマ! トウマ!」
「分かっている。それじゃ……いただきます」
丸い形のクッキーを手に取り、一口。まずは、クリームはつけない。
「ほおおー。口の中で、ほろほろって崩れるのが気持ちいいのですよ」
トウマも久し振りに食べるクッキー。懐かしく、さくっとした食感が楽しい。
「味も、もちろんおいしーのです。複雑な味わいがするのです」
好みによっては甘さが足りないと思うかもしれないが、トウマにはちょうどいい。
ほろ苦い味わいは、リリィにも好評だった。
好評でない食べ物など、今のところはないのだが。
「リリィは、好き嫌いがなくて偉いな」
「へへーんなのです。でも、みんなも喜んでいるのですよ!」
他のゴーストたちにも好評だったようだ。
「普通に買ったクッキーよりも美味いな」
「感謝の極みでございます」
そして、好評なのはレイナにとっても同じ。ただし、少し違った方向で。
「ふむふむ。結構、魔力が回復している感じがありますね」
「そうだな。2枚ぐらいで、《フェイク・コールド》の分は回復しそうだ」
「《ファブリケーション》だと5枚ぐらいは必要ですかね? まあ、充分ですけど……これ、加工品にしたほうが魔力回復するんじゃないですか?」
「ただ飲むよりも、凝縮されているのかもしれないな」
携帯のしやすさ、摂取のしやすさ。どちらも、チョコレートドリンクよりも遥かに上だ。
「まあ、魔法使いが戦闘中に魔力切れでチョコクッキーむしゃむしゃし出したら面白すぎですけど」
「カロリーバーみたいな形にしたら、もうちょっと格好はつくかもしれないがな。まあ、その辺の心配は光輝教会がすればいい」
ヘンリーが戻ってきたら、カティアにレシピを伝えるように言っておく必要があるだろう。
「ほろ苦くて良いの。ただの甘味よりも、妾はこちらのほうが好みじゃな」
「口に合って良かった」
「でも、リリィは生クリームというのも気になるのです」
「分かってる」
次は、クッキーで生クリームをよそって口に運んだ。
「むむーーー。むーー」
「どうしたんだ?」
「トウマ、次は、クッキーとクッキーで生クリームを挟んで欲しいのです」
「ああ、なるほど」
そういうお菓子があったなと、リクエスト通りにしてまた一口。
「はあぁ……。幸せなのです……」
テンションが一周してしまったようだ。
悟りの境地で、静かに染みるように息をもらした。
「独特な癖みたいのはありますけど、これはこれでいい感じですね」
「そうだな。甘過ぎもしないし、ちょうどいい塩梅だ」
「スキルで育てた小麦、味に問題はないようだの」
「……ああ。それが本題だったな」
リリィのペースに巻き込まれ、すっかり忘れていた。
「あたしとセンパイが食べて普通に美味しかったってことは、結構ハイレベルだったことになりますけど。もちろん、ノインの腕もあるでしょうけど」
「もったいないお言葉でございます」
「まあ、輸出品にするつもりはないさ」
「あたしがかかりっきりだと、ダンジョン攻略が滞りますしね」
とりあえず、スキル農業に問題がないことが分かった。
実験は成功と言っていいだろう。
「もうひとつの本題。ダンジョンのほうも、問題なさそうだの」
「そうだな。余ったクッキーは、向こうに持ち込むことにしよう」
「余るのです……か?」
リリィが人差し指を唇で甘噛みして、物欲しそうな表情でトウマを見下ろす。
「さすがに、これ全部は食べきれないな」
「違うのです」
「ご主人様、今日のところは私めは居残りでも構わないでしょうか」
「ああ、そういう……」
アメジストのような紫の瞳が、爛々と輝いていた。
原料はある。
作り方も、学習した。
だが、まだ改良の余地がある。もっと、極めたい。
自動人形の瞳は、そう言っていた。
「そうだな。明日以降のことを考えると、作り置きしてもらえると助かる。ノイン、頼めるか?」
「承知いたしました」
和装のメイドが、瀟洒に恭しく一礼する。
その後ろで、ゴーストの少女が勝者のように拳を突き上げていた。




