122/295

122.オムカレーとこれからのこと

「ひゃー！　トウマ、トウマ。もう、我慢できないのです！」

「あ、ああ」

　異常なテンションなリリィに押され、トウマは石のスプーンを手にした。

「じゃあ、いただきます」

　ミュリーシアが作った。というよりも、今でも暇があれば巨人のつるはしで作り続けている、石の皿。

　その中でも大きめのそれに、こんもりと盛られた黄色い山と茶色のソース。

「……美味そうだな」

　見た目と香りは、申し分ない。

　玉子は、半熟。とろっとしたそれを石のスプーンで割り、カティアが持ち込んでくれたバターで炒めたライスをすくう。

　それにカレーを軽く絡めて口に運んだ。

「うっ、ひゃああああ！　これは、味のぼーりょくなのです！」

　リリィが両手で口を押さえて、円卓の間を縦横無尽に飛び回る。

　霊体が粒子となって、綺麗な軌跡を描いた。

「ふあああああぁぁっっ。口から、なにか出てきそうだったのです！」

　このリアクションが、すべてを物語っていた。

　カレーとはいえ、レトルト。しかも、高級品というわけではないので味はそれなりでしかない。

　しかし、ノインはその課題をクリアーしている。

「これ、カレーは一種類じゃないな？」

「はい。いくつか組み合わせて使用しております」

「野菜も足してますね」

　そう。レトルトカレーを数種組み合わせ、炒めた野菜を足すなどしてアレンジして120%味を引き出していた。

　もしかしたら、鶏ガラスープも加わっているかもしれない。

「料理のアレンジは、素人にはお勧めできないんですけどね」

「説得力があるな」

「ええ。君子は危うきに近付かないんです」

「料理は危うい扱いなのか」

　同居していた昔を思い出しながら、トウマは石のカップに注がれた水を飲み干した。

　カレーを食べた後の水は、抜群に美味い。

「驚いたわね。勇者の世界は、随分と食生活が豊か……ごめんなさいね、ヘンリー。わたくしばかり、楽しんでしまって」

「残念ですけど、カティアの喜びは私の喜びでもありますから」

　上品にオムカレーを食べる老婦人と、眼鏡をした小柄な和装メイドは二人で独自の世界を作っていた。

　それを気にした風もなく、ベーシアはものすごい勢いでスプーンを動かす。

「へぇ。やるじゃん」

「お褒めにあずかり、光栄でございます」

「でも、玉子が美味しすぎてちょっとバランスを崩してるかなー」

「……貴重なご意見、ありがとうございます」

　自覚があったのだろうか。ノインは反論せず、瀟洒な所作で頭を下げる。

　なんとなく、ばちばち火花が散っているように見えるのは気のせいだろう。きっと。

「なんとも贅沢で、刺激的じゃな。これほどの感動は、聖魔王の食卓でも味わえぬであろう。これが、あのような街中の商店で手に入るとは驚き以外のなにものでもないの」

　珍しく、ミュリーシアも饒舌だ。

　けれど、それも長くは続かない。

　口よりもスプーンを動かすのに忙しく、咀嚼するのももどかしく。

「夢中で食べてしもうたの」

「ノイン、ありがとう。美味しかった」

「感謝の極みでございます」

　軽く注文を付けていたベーシアも含めて、あっという間に完食してしまった。

「食べながら、神命（クエスト）をこなした後の行動指針を話し合うつもりだったのだがのう。すっかり、そんなものは吹き飛んでしもうたわ」

「見ていテ、なかなかおもしろかっタ」

「……すまない。夢中になってしまった」

「謝ることはなイ。若者ガ、気持ち良く食べている様は喜ばしいものダ」

「親戚のおじさんみたいなこと言い出しましたよ、このネイちゃん」

　レイナが、じとっと湿度の高い目線を向ける。

　そんな状況だから、どちらかというとネイアード寄りだとカティアは言えなかった。

「とにかく、美味であった」

　食事を必要としないドラクルから絶賛を引き出す自動人形（オートマタ）の腕は、驚異的と表現してもいいのかもしれない。

　本人に言えば、「ただ、具材を最適なサイズに切り分けて完璧に火を通しただけでございます」という反応に困る答えしか返ってこないだろう。

「それでは、お済みのお皿はお下げいたします」

　今も、粛々と食器を片付けている。まるで、それが存在意義だと言わんばかりに。

「それで、今後だがの、どのように発展させていくのが良いと思うかの？」

「そうだな。いい加減、ちゃんと農地を作ったほうがいいとは思っているんだが」

「田んぼを作りますか？　でも、お米が主食って珍しいみたいですし強制するのも違いますよねぇ」

「米は俺たちが食べる分ぐらいにして……いや、どっちにしろ開墾が先だな」

　リリィたち、ゴーストが暮らしていたのは遙か昔のこと。

　今は、その痕跡程度しか残っていない。緑の聖女であるレイナがいるとはいえ、一からのスタートになるだろう。

「でも、それならダンジョンの攻略を優先すべきか」

「どちらか片方だけしか、できぬわけではあるまい。例えば、朝と昼に分けて同時に進めれば良かろう」

「それは、シアに負担がかかりすぎると思うんだが」

「なるほど。オーバーワークを盾に、センパイから血をねだる作戦ですか」

「なくとも、その程度こなしてみせるわ！」

「アムルタート様のほこらは、どうするのです？」

「それも、やってみせようぞ」

　余裕で羽毛扇を振るミュリーシア。

　トウマはなにも言わず。ただ、いつでも血を提供できるように体調には気をつけようと決意する。

　一方、カティアは軽くため息をついた。目には、憂いを帯びている。

「わたくしは、さすがに戻らないといけないわね」

「向こうでは、特にカティアのことはなにも言われなかったが。だからといって、いつまでもというわけにはいかないか」

　グリフォン島から離れるのは、仕方ない。

　だが、それはヘンリーとの別離も意味していた。

「50年も別れていたのよ。この程度、なんということもないわ」

「そう……ですね。私たちは、これからも交易という絆でつながるんですから」

　二人の世界は、そのままに。ネイアードが、全身鎧の手を挙げた。

「便乗しテ、こちらも一旦戻るとしヨウ」

「……分かった。一刻も早く全員で戻ってこれるよう、ダンジョンの攻略を進めておく」

「別ニ、残していても構わなイ。我々も貢献できることヲ、証明しヨウ」

　次いで、誰かに聞かれる前にベーシアもグリフォン島から離れることを告げる。

「そういうことなら、ボクは南に行こうかな～」

「南？　魔族領域へということか？」

　暗黒大陸とも呼ばれる、ミッドランズを追い落とされた“魔族”たちが住まう土地。この場では、ミュリーシアしか足を踏み入れたことがない場所。

「建国記を作ってて思ったけど、光輝教会の支配地域よりそっちのほうが受けるでしょ」

「妾は、裏切り者扱いされそうだがの」

「そこは、上手いこと悲劇のヒロインっぽく演出するから」

「ヒロイン？　悲劇の？」

　あまりにも似合わなくて、レイナは本気で頭上にインテロゲーションマークを浮かべていた。

「妾も、同感だの。そんな玉ではあるまいて」

「充分、悲劇のヒロインの資格は満たしていると思うけどな」

「少なくとも、共犯者にとって妾はヒロインということになるわけだの。悪くはないのう」

　暗送秋波。レイナには見えないようさりげなく羽毛扇で隠し、ミュリーシアがトウマは流し目を送る。

「俺にとっては、シアは最初からヒロインだけどな」

「……う、おっ。そうか。ならば良い」

　なにが良いのかは、ミュリーシア本人にもよく分かっていなかった。

「とにかく。そんな感じで、ボクも島を出るよ」

「ベーシア、達者で暮らすのですよ」

「でも、船は北に行くことになるな……。出発は、ヘンリーがカティアを送り届けてからでいいか？」

「いらない、いらない。歩いてれば、たどり着くさ」

「そういう観念的な話をしたいわけではないんだが」

「実際そうだって。ボクの昔の名はホライズンウォーカー。悩みながら歩いていたら、異世界へたどり着いて新米冒険者を弟子に取っていた男……」

「……そうか」

「マジで、ちょっと意味が分からないですね」

　ベーシアには、常識を当てはめてはいけない。本人ができるというのだから、放置していればいいのだ。

　ということにした。

「そうなると……。残るのは、シアと玲那とリリィとノインだけになるんだな」

「私は、ちゃんと戻ってきますからね？　そりゃ、船からはそんなに出ないかもしれませんが」

「もちろん分かっている」

　だが、いきなり人数が減るのだ。

「寂しくなるな」

「…………」

「当たり前の感想を口にしただけなのに、なぜそんな意外そうにされるんだ？」

「意外だからですね」

　正論だった。

「なに、寂しがる暇などあるまいよ」

　ミュリーシアが、ぱっと黒い羽毛扇を開く。

「農地作りに、ダンジョンの攻略。他にも、どうせやるべきことが生えてくるに違いないわ」

「そうなのです。トウマは、美味しいご飯を食べることを第一に考えていればいいのです！」

「ああ。労働した後のご飯は、美味しいだろうな」

　気付けば、トウマは笑っていた。

　珍しく、笑顔だと分かるほどはっきりと。