110.小さな冒険(黙認)
「ベーシア、ベーシア。ここが、ダンジョンの入り口なのですよ!」
「おおー。こいつは、立派な門だ」
ゴーストの少女――リリィの解説に、両腕や喉に包帯を巻いた草原の種族がふんふんとうなずく。
ここは、グリフォンフジの山頂。二人の目の前には、青銅製の重厚な門。
角張っていて、どっしりとした長方形の構造物。地上1メートルほどのところに浮かんでいるが、ニャルヴィオンの上に乗っているため観察するにはちょうどいい高さ。。
観音開きの左右の扉は縦に四つに区切られ、それぞれのパネルには異なるモチーフの彫刻がなされていた。
そのうちのひとつだけ、赤い色が付いている。階層をひとつ解放した証拠だ。
「これ、裏側から見ても同じなんだねぇ」
「この門は形だけの物だって、ミュリーシアが言っていたのです!」
「ボクの出身世界には、こういうあからさまなのは珍しかったなぁ」
「レイナが言うには、だいたいこんな感じらしいのです」
反対側に回っても、同じ扉が見えるだけ。
まだ、蜃気楼や幻の類と言われたほうが納得できる。
「せめてもの安全弁なのかなぁ。中からモンスターが溢れ出してくるとか、気付かなかったらどかんでしょ?」
ニャルヴィオンの上で、ベーシアが両手をぱっと広げて爆発を表現した。ただし、顔はいつも通り子供のような無邪気な笑顔だ。
「簡単に見つからないところにあったら、困るのです。あのでっかいのが外に出てきたら、ヤバヤバなのですよ」
しかし、この門の向こうにダンジョンは存在する。
それは、第一層にみとはいえ踏み込んだリリィがよく分かっている。
「運が良かったね。これは、王様に必要な要素だと思うな」
「それじゃ、中も案内するのですよ~」
「お。異世界のダンジョン楽しみだな~」
門に触れ、ニャルヴィオンともどもダンジョンへと転移した。
第一層は、至るところから溶岩が吹き出ていた。しかし、入り口はさすがに例外。緩やかな下り坂が続いている。
「ここは、坂の途中ででっかい石が転がってくるトラップがあったのです」
「基本だけど、性格悪いねっ」
「それを、ミュリーシアが真っ二つにしたのです。今では、温泉になっているのです」
「ちょっと、なにを言っているのか良く分からないかな~」
ダンジョン内に、ニャルヴィオンのキャタピラ音が響き渡る。
飛ばされないよう、ベーシアがキャスケット帽を抑えた。
「それで、この先は溶岩のカーテンなのです」
「うわー。カーテンっていうか、滝っていうか……。なかなか殺意高いねぇ」
階層核を持つスチームバロンを倒しても、当然というべきか溶岩のカーテンは健在だった。
「……あれ? ベーシアとニャルヴィオンはくぐれないのです?」
先行して溶岩のカーテンに頭を突っ込んだリリィが、その場でくるりと反転する。
困ったように腕を組み、唇を突き出して考え込む。
「ふふふふふ。心配ご無用!」
ニャルヴィオンの上で、ベーシアがポーズを取って無限貯蔵のバッグに手を入れた。
「ぴょんぴょんテレポートする親友やアルビノの幼女に対抗して手に入れた、瞬間移動の指輪が火を噴くよ」
「にゃッ!」
「比喩だから!」
抗議するようにニャルヴィオンが体を揺らした。危ういところで、ベーシアは踏み止まる。
蒸気猫は火気厳禁だった。
「ほら、一緒に飛ぼう! イェス! ウィーキャンフラーイ!」
それが合言葉というわけではなかっただろうが、ベーシアとニャルヴィオンはまとめて転移。次の部屋に、突然出現した。
「ほー。ベーシア、なかなかやるのです」
「まあね。ほんとは短い距離しか飛べないんだけど」
「ぐふふふふ。これなら、足手まといにはならなそうなのです」
「ボクの真価を見抜くとは……プロだね?」
「にゃ~」
茶番は放置して、ニャルヴィオンが先に進む。
幸か不幸か。階層核を破壊したばかりなので、モンスターは出てこない。
短距離瞬間転移の指輪を駆使し、順番にダンジョンを巡っていく。
赤い大亀と戦った溶岩の沼。
設計図が散乱していた部屋。
強酸の池。
凶悪なトラップがあった部屋。
そして、最後にスチームバロンと激闘を繰り広げた格納庫。破壊の跡が生々しく、ノインの妹たちの体が収められた容器も残されている。
「……安らかに」
ベーシアらしからぬ真剣さで短く祈りを捧げ――
「しかし、その巨大ロボット見てみたかったなぁ。ボクは、こういうイベントの時だいたい省られる気がする」
――次の瞬間には、またいつも通りのふてぶてしい表情に戻っていた。
「というわけで、見学ツアーは終わりなのです」
「協力、感謝。建国記の重要な1ページになりそうだよ」
「ここからは、じっちけんがく? というやつなのです。ダンジョンの第二層へ行くのですよ!」
「お、昨日の今日で?」
ベーシアの瞳が、流星のようにキラリと光る。
トウマからは、止められていたはず。
それなのにあっさりとスルーするリリィに……あっさりと同調した。
「ボク、そういうの……とってもいいと思うな!」
「さすが、ベーシア。話が分かるのです」
ぐふふふふと、リリィが悪い笑みを浮かべる。
「にゃ~? にゃにゃにゃにゃな!?」
それに焦ったのはニャルヴィオンだ。
直接言われたわけではないが、これ以上先に進むのが良くないことは理解していた。
「にゃー! にゃー! にゃー!」
この暴走を止められる人材は、ニャルヴィオンだけ。
考え直したほうがいいと、鳴き声で警告する……が。
「ニャルヴィオンも、賛成って言っているのです」
「にゃ!?」
見事なまでの冤罪が発生した。
「ちょっとだけ。先っぽだけだから」
「にゃ~!」
ニャルヴィオンの背中を撫でて、「まあ、まあ」となだめる。
もっとも、実のところはトウマからリリィが暴走した場合は同行するようにベーシアへお願いをしていたのだ。
「にゃ~……」
こうなっては仕方がない。
リリィとベーシア。この二人だけにしてはおけないと、ニャルヴィオンも覚悟を決めた。
こうして、二人と一機は階層核があった場所に出現した扉をくぐってダンジョンの第二層へ侵入する。
「ちょっと見るだけです。ちょっと見てくるだけなのです」
そう誰かに言い訳しつつ踏み入れたそこは、不思議な空間だった。
石造りの背の高い建物が林立し、それがどれもボロボロになっている。
道も石畳のようなもので舗装されていたが、穴だらけだ。
道ばたには、車輪のついた箱のようなものがうち捨てられている。
どれも、この世界では珍しい。それどころか、見たことがない。
トウマとレイナがいたら、こう言うだろう。
「地球だ」
と。
「なにここ、地球っぽいね」
ベーシアも言った。さすが、異世界慣れしている。
「地球? それより、ダンジョンなのに空があるのです」
「あ、ほんとだ。でも、曇ってるね」
ダンジョン内のゴーストタウンに、ニャルヴィオンのキャタピラ音が響く。
「ちょっと、空を飛んで確認するのです」
ニャルヴィオンと併走するように飛んでいたリリィが、物理法則を無視して高度を上げた。
金髪の三つ編みが舞い、童話から出てきたようなワンピースが翻る。
「ふにゃ?」
その動きが、不意に止まった。
光るなにかがリリィの頭を貫通し、地面に着弾した。
ダメージはない。だが、驚いて動きが止まってしまった。
「へえ、ボク相手に狙撃で挑むなんてね?」
ベーシアがリュートをつま弾く。
それと同時に光の矢が出現し、周囲のビルのひとつに吸い込まれた。
「リリィ、戻ってきたほうがいいよ」
「にゃ~!」
「なんか、変なのが出てきたのですよ!」
リリィの言う通り、ビルの隙間や割れた窓。曲がり角の先から、無数の人影が現れる。
それは、死体だった。
毛髪は抜け落ち、眼球はずり落ち。
服はぼろぼろで、それ以上に体は腐り落ちている。
乱杭歯はむき出しで、目に光はない。
だが、ただの死体ではない。
動く死体だ。
トウマとレイナがいたら、こう言うだろう。
「ゾンビだ」
と。
「ゾンビかぁ。急所がないやつらはさぁ。ほんと、死ねばいいのに」
「死ぬのも、結構悪くないのですよ?」
「マジで? じゃあ、ボクは今まで救いを与えていたんだ。やったね」
無邪気に喜んでから、ベーシアがリュートを弾いた。
その分だけ、ゾンビに矢が突き刺さりその場で崩れ落ちる。
急所がないのは嫌だと言いつつ、きっちり処理するところがベーシアらしい。
「とはいえ、切りがないなぁ」
「トウマがいないから、リリィではやれないのです」
「ニャルヴィオン、轢いてみる?」
「にゃにゃー!?」
断固拒否の構えを見せるニャルヴィオン。
蒸気猫は、きれい好きでもあった。
「ま、そこまでしなくていいか。逃げ回るだけなら、全然余裕だね」
扉が再使用できるようになるまで、適当に逃げ回ることになった。
荒廃した都市を、蒸気猫が駆けていく。なかなか、不思議な光景だ。
「こんな世界だけど、風は気持ちいいね……」
「あ。トウマが久々にご飯を食べたのです」
「浸る暇もなかった!」
むしろうれしそうに、ベーシアは包帯が巻かれた手を叩いた。
「ふ~ん。今まで食べられなかったぐらい忙しかったってことかな?」
「お~。なんだか、熱々でとろけるようで罪な味がするのですよ」
「ピザでも食べてるのかな? だとしたら、もう終わったんじゃない?」
「トウマたちに、このダンジョンを早く見せてあげたいのです!」
リリィはすみれ色の瞳を輝かせ、トウマにほめてもらえる未来に思いを馳せる。
「にゃ~? にゃ、にゃあ……」
素直に謝るほうがいいのでは……? というニャルヴィオンのアドバイスは、残念ながら届かなかった。




