105.粘体種と天使の樹
天使を産む樹。
それは、零落した神のなれの果て。
神。超常の存在であれば、それも可能なのだろう。
現実に存在する以上、疑っても仕方がない。
だが、その姿はあまりにもおぞましかった。
「神だっていうのか、あれが……?」
「なんとも度し難い」
「それだけ必死だったってことなんだろうが……」
今もなお、すさまじい速度で実をつけ天使を産み落とす天使の樹。
それを、我が身を犠牲にしながら処理していくネイアード。
やりたいことは分かるが、どうしてここまでやったのか。トウマが、軽く頭を振った。痛ましい。けれど、そう感じるのが正しいのか自分でも分からない。
「タシカナノハ、ガイガアルコト」
ネイアードが、いつもと変わらぬ声音でずるりとトウマに向き直る。
「ナルベク、テミジカニスマセヨウ」
この光景を前に、悠長にはしていられない。
トウマも、ヴァレリヤも否やはなかった。
「ハジマリハ、ハルカカコ」
「遥か過去……神蝕紀か」
すべては、そこに起因する。
当時、旧き神々同士の。そして、異界の神との激突は熾烈を極めた。
その中で、天使――御使種セレスティアルは貴重で強力な戦力だった。しかし、神々といえども簡単には創造できない。
「だから、天使は天使を増やせるようになったのか」
「それでもなお、我らの神に抗するには足りなかったのでしょう」
「結果からすると、そうなるみたいだな」
ミュリーシアやヴァレリヤは、それほど苦労していなかった。
それでも、天使の数がもっと増えたらどうなるか分からない。
「そこまでの戦力が必要だった戦いか。海が真っ二つになるのだから、当たり前かもしれないが……」
だからといって、はいそうですかとはいかない。
想像を絶する。
「ですが、事実なのでしょう」
答えは、目の前の天使の樹にある。
誰が好きこのんで、あんな存在になるだろうか。
「ソレガ、シンショクキノアリカタダッタ」
現在の価値観で、過去の行いを非難しても仕方がない。
ある神が、人格も矜持もすべてなげうち天使を産むだけの存在に成り果てた。
濃厚な魔力が集まる土地に植えられ、その存在は秘匿され。ただひたすらに役目を果たし続けた。
神蝕紀が終わっても、なお終わりなく。
これが、すべてだ。
「あの樹のことは分かった……としよう」
ぎゅっと拳を握り、険のある瞳でネイアードを見つめる。
「それを、ネイアードたちが抑え続けていたということになるが……。なぜだ?」
簡単なことではない。
こうして話をしている間にも、犠牲は出ている。
「ワレラニ、コノクベツハナイ。ヒトデイエバ、リュウケツシテイルノトカワラナイ」
「全体でひとつの生き物。だから、多少減っても問題はない。合理的ですね」
「痛いことには変わらないだろう……。ああ、いや。こっちの価値観を押しつけるつもりはない。すまない」
「シャザイハフヨウダ」
ネイアードの表面から、普段以上に皮膚や筋肉が流れ落ちる。
「ツギニ、ワレラノコトヲカタロウ」
粘体種ネイアード。
それは、神々が作り出した生物ではない。かといって、自然発生的に出現したわけでもなかった。
「じゃあ、どうやって生まれたんだ?」
「ミズカラ、ノゾンデ」
ネイアードは、人間、エルフ、ドワーフなど。様々な種族が志願して、魔法儀式により生まれた。後天的な種族なのだ。
「望んで、そのような姿に?」
トウマよりも先に、ヴァレリヤが反応した。
珍しいことに、整った美貌には驚きが浮かんでいる。
光輝教会も、把握していなかった。それどころか、世界の誰も知らない情報だったのかもしれない。
「理由は、目的はなんだったんだ?」
「…………」
この期に及んで、ネイアードは言い及んだ。
けれど、トウマはそれを許さない。
「ここまで来て、秘密はなしだ」
「…………セカイノタメ」
感情がこもらない。それでいてひび割れた、いかにも聞き苦しい声。
だが、トウマはそこに違和感を憶える。
「もしかして、照れている……のか?」
「アリエナイ」
即座に否定し、ネイアードは話を続ける。
天使の樹が生まれたように、神蝕紀の大戦。特に、旧き神と異界の神の激突は亀裂海を始めとする数々の爪痕を世界に残した。
実戦投入まではいかなかったようだが、スチームバロンもその落とし子と言えるだろう。
「ドノテイドケイゲンデキタカ、ワカラヌ。ダガ、ワレラハソレヲメザシテウマレカワッタ」
人の形を失い粘体状の生物となった彼らネイアードの特性は、近づくモノの肉体と精神を“劣化”させてしまうこと。
つまり、ネイアードは存在するだけで有機物を劣化させ、その姿を直視した者は記憶を奪われる。
そこには、有機物になるのか精神に近いのかは分からないが、魔力も含まれていた。
この特性により魔力異常を軽減し、世界へばらまかれた激突の余波を吸収した。
「世界が滅びなかったのは、ネイアードのお陰だった……と?」
「ソレハ、ダレニモワカラヌ。フヨウダッタカモシレヌ」
謙遜か、本当にそう思っているのか。
ネイアードの場合は、恐らく前者だろう。
誇ることなどなく、讃えられることを期待するでもなく。ネイアードは、ネイアードにとっての事実を告げた。
「筋は通っていますが……」
「疑う必要があるか? 心優しい種族だったで、いいと思うけどな」
近付くなと散々警告してきたのは、この種族特性によるものだろう。
トウマは、死霊術師だったことを心から感謝した。
「それに、神蝕紀の行いはどうあれ、天使の樹と戦い続けていたのは確かだろう」
ずっとここの地下底深くに生息し、誰も近づけないようにしていた。
「ヒトガチカヅキテンシガフエテハ、ホンマツテントウ」
「そうだな。でも、ネイアードが天使の樹をどうにかする義務もなかっただろう?」
「…………」
ネイアードは答えない。
つまるところ、それが答えだった。
「ネイアードには“劣化”の特性があるが、それを活用して天使の樹を抑え込んでいた」
トウマが、まとめる。
……だけでなく、その先があった。
「つまり、天使の樹を滅ぼせばこの土地を離れられるわけだ」
「ドウカシテイル」
ネイアードは言葉で。ヴァレリヤは表情で。
驚きというよりも、あきれを表現した。
「そんな風に言われるとは思わなかった」
トウマはミュリーシアのように腕を組み、首をかしげる。
予想していなかった反応に、困惑していた。
「天使の樹を、どうにかするために説明したんじゃないのか?」
「ミセタノハ、タイキョサセルタメダ」
「知ってしまった以上、放置はできません。選択は、殲滅。それだけです」
ネイアードとヴァレリヤ――光輝教会は、やはり相容れない。
しかし、和解は無理にしても勝手に争われては困る。
「これは、神命だろう? 俺から主導権を奪うのはなしだ。それともこう言うのか? 『神命どころじゃない』と」
「……話は聞きましょう」
思った通りの反応に、トウマは心の中でだけうなずく。
ヴァレリヤの扱いが分かってきた。
ジルヴィオと違って、理屈が通じる。その点では、トウマと相性がいいと言えるのかもしれなかった。
「この場所は、魔力が濃厚な土地なんだろう」
「そのような傾向は……。いえ、そうですね。いくらなんでも、なにもなしに天使の樹が実をつけられるとは思えません」
「恐らくはな。ネイアードたちはそれを“劣化”の特性で抑えつつ、天使の拡散を防いでいた」
天使が自由に動いたら、デルヴェは壊滅することだろう。
そして、数を増やして世界中に広がっていく。まるで、イナゴのように。
それがミッドランズだけで済むかは、神のみぞ知る。
「失敗したら、世界が滅びかねない仕事を果たしてきた。それも、気が遠くなる期間ずっと。俺はネイアードたちを尊敬する」
「フヨウダ」
真っ直ぐな賞賛を、言下に跳ね返す。
それに傷ついた様子もなく、トウマは続ける。
「でも、あの天使は地底湖――外へ出た。対応も限界に近くなっているんじゃないか?」
「イチドモナカッタコトデハナイ」
過去にもあったことだと、ネイアードは言う。
しかし、限界かどうかには触れなかった。
相変わらず、素直ではない。
「邪悪な樹を切り倒す。光輝教会としても、異存はありません」
「ネイアードとの共闘も?」
「神命を受諾したのは、我々ではありません」
ヴァレリヤも、方針自体には同意する。
「しかし、単なる自暴自棄であれば見過ごすことはできません」
「ソノトオリダ」
「もちろん、勝算はある」
エボン・フィールド越しに、トウマはネイアードを見つめる。
「負の生命力を操るスキルは、逆に増幅するんじゃないか?」
マイナスとマイナスを掛け合わせる。
そんな単純な話ではないだろうが、トウマは答えを確信していた。