102.天使の最期
レイナが《ビーンズストーク》を使用した直後のこと。
ボートの上の光輝騎士たちが、緑の聖女のスキル。否、奇跡に瞠目していた。
「施しを受けることになるとは」
「向こうは、そんなこと考えて……なんでもねえです」
ヴァレリヤの碧眼に射抜かれて、ジルヴィオは無意識に懐をまさぐった。ストレスに耐えかねて煙草を求めての動きだったが、指先が金属の容器に触れたところでぎりぎり冷静さを取り戻す。
こんな状況で煙草に火を付けたら、命の保証はない。
「こっちも、見てるだけってわけにはいかないと思いますがね」
どこで見つけたのか。トウマに忠誠心を向ける不思議な装束の美少女。
黒髪の女が不似合いで不釣り合いな杖を手に《ビーンズストーク》の上を疾走するのを、ジルヴィオが無遠慮に眺めやる。
どうやら、トウマの周囲には美女・美少女が集まる運命があるようだった。
「勇者様ってのも、大変なもんだぜ」
ジルヴィオは、酢になりかけたワインを口に含んだような表情で首を振った。
確かに、トウマの周囲にはタイプの違う美女・美少女が集まっている。多種多様な華が咲き誇る様は、男子の本懐ここに極まれりといったところか。
けれど、それは巧妙な罠だ。
手を出したらその時点で束縛される。タイプは違えど、その点では共通していた。
精神的に重たそうなので、うらやましいとはまったく思わなかった。
ジルヴィオは、心からの同情とともに肩をすくめる。どんな地獄だ。
「放置できない? 無論です。神敵を前に撤退はあり得ません」
「不利なら、逃げ……転進もありじゃ――」
「――であれば、なおさらでしょう」
ジルヴィオとの不毛な会話を打ち切って、ヴァレリヤがボートから《ビーンズストーク》に飛び移った。
「勝てる勝負を、避ける理由はありません」
光輝騎士の象徴ともいえる白銀の鎧はそのまま、剣を抜き太く丸い蔦のような道を疾走する。
神託鎧装をまとわないのか、まとえないのか。
どちらかは分からないが、少なくとも移動に神託鎧装が必要ないのは確かだった。
そのヴァレリヤの前に、天使が一体立ちはだかる。
「アウレデユウアウレデユウアウアウアウアウレデユウ」
「身も心も、彼奴等の眷属になった……ということですか」
敵を前にして、瞑目。
次の瞬間、見開いた碧眼には炎が宿っていた。
「シラクデシウレクオクユンオンクデ」
「我が身、我が心は一片までも我らが神に捧げられしもの」
四本の手に握られた武器から、さざなみのようなリング状の光線が放たれる。
太く丸い蔦の上では逃げ場はないように思えたが、ヴァレリヤは動じない。傍観しているジルヴィオも、まるで心配していない。
「我らが神のモノに手を出すとは、思い上がりも甚だしい」
迫る天使化光線に対し、ヴァレリヤがロングソードを振り下ろした。
いかなる神力が宿っているのか。
放たれた剣閃に切り裂かれ、光線が雲散霧消する。
「ジルヴィオ・ウェルザーリ!」
「この期に及んで、さぼりゃしねえって」
名を呼ばれ、ジルヴィオが棒手裏剣のような投げナイフを数本一斉に投擲した。
それはまっすぐに飛んでいく――ヴァレリヤの背へ向けて。
「いい腕です、腕は」
突き刺さる直前。
ヴァレリヤは鎧をまとっているとは思えない動きで、跳躍した。その足下を、投げナイフが通過していく。
スクリーンになっており、天使は手にした剣や槍で防ごうとするが間に合わない。
ミュリーシアの杭には及ばないが、牽制には充分だった。
なにより、一本でも刺さればそれで充分。
トウマの動きを封じた時よりも、数倍強い毒が塗られているのだから。
「毒は、通じるみてえだしな」
先に天使を撃破したノインをちらりと見て、ジルヴィオはそっと胸を撫で下ろす。これで、仕事をしたことにはなるはずだ。
「無念は、必ず晴らしましょう」
苦しめるつもりはない。
ヴァレリヤは静かに息を吐き。次の瞬間、天使が上下に分断された。
「妾も負けてはおられぬな」
ノインが一体倒し、光輝騎士も動いている。
大元の天使は動いていないが、残りは二体。
「ちょうど良かろう」
気負いも、悲壮感もまるでない。
余裕綽々。ゆったりと落ち着いた様子で翼を生やして《エボン・フィールド》から飛び立った。
「クエレウダユウべシコクンズ」
「なんじゃ? 妾が上にいるのが気に食わぬのか?」
天井近くまで加速すると、眼下から天使たちの鳴き声が聞こえてきた。
内容は分からないが、意図を察することはできるようになってきた。
要は、動物と同じなのだ。
天使とマッスルースターの違いなど、空を飛べるかどうかでしかない。
「であれば、上は譲るとしようかの」
ニィと口角を上げると同時に、ミュリーシアの姿がかき消えた。
不意の、失速。
翼を仕舞ったミュリーシアの姿が、《ビーンズストーク》の陰に隠れる。
「レクゲユンオクユクユコョトコオンクク」
残った二体の天使がでたらめに、光線を放ってあぶり出そうとする。
「なんと。この程度で見失うとは」
意外。
蔑むのではなく、ミュリーシアは驚いていた。
それでも、やるべきことを怠りはしない。
「妾は、勤勉な女王を目指しておるゆえな」
遮蔽から影の杭を射出し、天使の一体を破壊する。それと同時に《ビーンズストーク》の上に着地すると、横にノインがいた。
「陛下は、元凶をお願いいたします」
「うむ。任された」
残る天使は二体。
ノインに露払いを任せ、ミュリーシアは最初に出現した天使へと飛ぶ。
天使化させたあとは静観していた、元凶。話が通じない以上、トウマも文句は言わないだろう。
殺すのだ。
その横を、もうひとつの影――ヴァレリヤ・イスフェルトが疾走する。
「共犯者、レイナ。手出しは無用じゃ」
ちらりとその姿を認めたが、声をかけたのはボートで待つ二人に対して。
「妾一人で倒してみせようぞ」
天使が出てきた背景は分からないが、本命はあくまでもネイアード。
二人には、力を温存しておいて欲しい。
――というのが、ひとつ。
もうひとつは、やや不純で政治的な理由。
光輝教会に、力を見せつける。そのためには、独力で戦う必要があった。
「ヴァレリヤなんかに負けたら、承知しませんからね!」
「無論。女王が、騎士に劣るわけにはいくまいて」
その隙に、ヴァレリヤが加速する。
太陽のような金髪が踊り、一条の雷光となった。
その勢いのまま飛び出し、天使へと斬りかかる。
雷光のような一閃。
しかし、天使には届かなかった。
「オコトラトデズ」
出現したときと同じ、虚空に開いた虹色の穴。
それに入り込み、地底湖から姿を消す。
「天使化させ、自らは動かず逃げるだけとは」
「指揮官としては、優秀なようじゃの」
ヴァレリヤは岩の壁を蹴って《ビーンズストーク》へと舞い戻り、ミュリーシアは黒い羽毛扇を広げて宙に浮く。
そうしながらも、警戒は怠らない。
当然だ。消えたからにはまた出てこなくてはならないのだから。
「シア、後ろだ!」
「譲るつもりはありません」
「獲物を横取りとは、躾のなっておらぬ猟犬じゃな」
再び、ヴァレリヤが雷光となった。
ミュリーシアの背後。空中に出現した天使に対し、力強く踏み込むと跳躍。天から落ちる雷光とは逆に、地上から空へ向けて斬りかかる。
「ジルヴィオ!」
「分かってますよ!」
タイミングを合わせて。いや、先読みしてジルヴィオが投げナイフを放つ。
しかし、それは攻撃のためではなかった。
何本かまとめて放たれたナイフを足場にして、ヴァレリヤはさらに加速。
「大した手品じゃな」
ミュリーシアですら驚く。あるいは、あきれる技で天使を剣の間合いに収めた。
「|平和は我らとともにあり(フリーデン・ミット・ウンス)」
「ジャシウクデククレラトコレウユエガ!」
聖句とともに繰り出された、必殺の一撃。
それを、剣・槍・戦輪・杯。天使は四本の腕と武器で、必殺の一撃を受け止めた。
受け止めたが、勢いはヴァレリヤが上だった。
四つの武器がひび割れ、受け止めきれずに粉砕。そのままロングソードが天使の肉を断つ。
「じゃが、浅かったの。次は、妾の番で良かろう?」
勢いを失って、ヴァレリヤが《ビーンズストーク》へと落ちていく。
そして、ミュリーシアに返事を聞くつもりはなかった。
ドレスから伸びた影で、無数の杭を編み背後にずらりと展開。
まるで、黒い雨を背負っているかのよう。
「さて、どこまで耐えられるかの?」
その黒い雨――影の杭が地底湖に降る。
天使にのみ、集中して。
瞬間移動の穴は連発できないのか。天使はかわそうとするが、雨を避けられるはずがない。
代わりに、剣・槍・戦輪・杯。四種の武器を産みだして受け止める。
「やりたければ、やると良かろう。後悔がないようにの」
ガードされても関係ない。
防御しきれないほど攻撃を飽和させるか。
あるいは、その上から削りきるだけ。
「……さすがシア……で、済ませていいのか」
「これでまだ血を吸ってパワーアップを残してるんですから。どこのラスボスだって話ですよ」
ボートから聞こえてきた賞賛の声を、ドラクルの鋭敏な聴覚が捕らえる。
光輝燦然。ただただ美しい相貌に、不釣り合いなほど凶悪な牙がのぞく。
それが、ミュリーシア・ケイティファ・ドラクル。
天使よりも強大で美しく、心優しいアムルタート王国の女王。
「オエッシコクラアデ! トデオデクンククシコクエククオエッシコクラアデ!」
しかし、天使もただでは終わらなかった。
無数の杭の圧力に屈服し、水面近くへと追いやられていた天使の体が爆ぜた。
「自爆!?」
それは果たして、誰の声だったのか。
確かなのは、天使が自爆。
出現したときと同じ虹色の光を周囲に振りまき、爆発したこと。
そして、光が収まったとき。
トウマの姿が、この地底湖から消え失せていたことだけだった。