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9話目


 大きめのベッドの上で、オルトは大の字になって寝ている。

 用意してもらっていた寝間着に着替えて、風呂にも浸かって、実に満足そうな寝顔だ。すー、すー、という静かすぎる寝息は、彼の体格を考えると少しばかり似合わない。


 テトラは眠らない。


 この七年間、一度も眠らなかった。睡魔が襲ってくる気配も、もう随分と前からない。長風呂の兄と違って、ひとりきりで、さっと体を洗い流しただけなので、真夜中はいつも肌寒く、膝を抱えて小さくなっているのがいつもの流れだ。


 手渡された寝間着は畳まれたまま。着替えならいくつも持っているし、眠らないのだから着慣れたもののほうがいい。手っ取り早く魔術で洗濯と乾燥を終わらせて、静かな夜が終わるのを待っている。


 明朝、テトラ達は騎士団との顔合わせに向かう。いきなり見知らぬ騎士団に混ざって戦地に赴いてしまうと、緊張状態の中で、敵なのだか味方なのだか、判断のつかない騎士団達に襲われてしまうからという理由だった。


 そしてその日の夜、国境が通る森に行く。朝になるまで待ち、誰も来なければ、やむなしとの判断で兄妹は解放され、次の国に行ける。


 さすがに足止めを食らうのは、もうたくさんだ。戦闘参加がどうのとと言われても、既に参加したにはした。理由をつけて、旅立ってしまえばいい。


 それに、もし明日の夜にルイスサン帝国が襲撃に来ても、国境を食い止めればいいだけのこと。けして難しくはない。


 所詮、相手は同じ人間なのだ。


 人体構造の弱点は知り尽くしているし、なにより強いと噂のベンゼン国騎士団が最前線に立ってくれる。自分達の出る幕はないに等しい。


 そんなことよりも──


 早く世界一になりたい。



◇◆◇◆◇◆



「地上戦にはテトラ・トルーシェ、オルト・トルーシェの二名がサポートにあたる。既にベンゼン国の国章を持つ実力者だ」


 翌日の朝食後、訓練場に集められた騎士団達に、メタによって兄妹は紹介された。礼もしないし、手を上げることもしない二人は騎士団の目に不届き者として移ったはずだが非難はなかった。


 それよりも、どよめいたのは噂に聞くテトラと対面できたからか。

 あるいは、左胸にぎらつく国章の多さからか。普段は統率の取れているはずの騎士団員達は互いに顔を見合わせて、ひそひそとなにかを話している。


「列を乱すな!」


 メタの喝に、ぴりっとした緊張が戻ってきた。


 テトラはそこでようやく騎士団達の顔をひとつひとつじっくりと眺めた。右から左へと。

 皆、体が大きい。新人と思しき若い騎士のほとんどが髪を短く刈っており、長く束ねているのは貴族の息子なのだとパラが言っていた。


 お金持ちなのに、命を張る仕事に就いてご苦労なことだ。

 貴族には貴族の、難しい事情があるに違いない。そんなことを知りたいとも思わないが、誇らしさの漲る瞳は全員共通している。

 ざっと三千人ほどといったところか。

 残る五千の団員達は国境の警戒に向かっているものと、夜を徹し、交代を終えて休んでいるものとがいる。

 聞くところによると、魔術団員は百人しかいないらしい。体術よりも魔術が優れているものだけが魔術団に入れるとすると、魔術団員の全員は精鋭揃いに違いなかった。

 戦わずして国章を得られて幸運だった。

 次の『国章渡し』に全力で挑める。


 そんなとき、蜂蜜色の髪を束ねた若い騎士が挙手をした。

 メタが気付き、顎で指名する。


「発言を許可する」

「テトラ様に一言助言をいただきたい」


 はあ?

 そんなふうに顔を歪めたのはメタだった。若い騎士は期待に満ち満ちた目でテトラを見つめている。


「自分はクメンと申します。妹がいます。勝ち気な妹であります。今年で十歳になり、テトラ様の伝記を読んで、あなたのようになりたいと魔術学校中等部への入学を目指して日夜努力しています。兄として妹にテトラ様の一言を贈ってやりたいのです。どうぞ、なにかご助言を」


 伝記?

 そんなものがあるのかと目顔でオルトを問うと、視線を泳がせて口笛を吹いている。


「妹をだしにして金儲けしたのかクソ兄貴」

「違ぇよ! 勝手にどっかのバカが書いて出版してんだよ! 妄想、妄想! 俺達の過去なんざ嘘八百だぞ、あれ!」

「なんで黙ってた」

「知ったら著者を殺しに行くだろ、おめーは!」

「当たり前だ」


 まあ、一緒に旅をして本を書いている素振りなんてなかったから、兄が著者ではないということは事実なのだろう。


 ところで、問題はこのクメンとかいう男だ。

 なんだ、この輝く瞳は。自分達兄弟は、もうずっとそんな瞳をしていないのに。

 したくても、できなくなってしまったのに。

 どうせ貴族なのだろう。ここにいなくても、生きる(すべ)があるのだろう。


 逃げ道があるのだろう。


 その純粋な目を穢してやりたくなった。


「やめておけ」


 言うと、クメンは「はっ?」と声を漏らした。聞き損じたのか、意味が通じなかったのか。

 テトラは詳細に言ってやった。


「魔術なんて、やめておけと言ったんだ。そんなものに関わらないで生きていけるのならば、そっちの道を選べ。そのほうが──」



 ──幸せだ


 しばらく呆然としていたクメンの顔がみるみると真っ赤になっていく。妹の夢を侮辱されたのだと気付いて、抑えきれないと見た。まだ若い。理性というもののコントロールがうまくないらしい。

 がしゃがしゃと鎧を揺らして、大股で歩み寄ってくる。隊列などおかまいなしだ。

 何人かの団員が止めようと行く手を阻んだが、それさえ払いのけて迫ってくる。


「貴様──」


 掴みかからんとしたとき、オルトがその手を掴んだ。オルトのほうが背も高く、肩幅も広い。


「伝記を読んだんだろ? なら、知ってるはずだ。テトラに(さわ)るな」

「なにを言う! こいつの発言は妹を、いや魔術師を目指すすべての人間を侮辱したんだぞ!」

「落ち着け。俺も兄貴だから怒る気持ちはわかる。だから、あんたを殴りたくねえ。退()いてくれ」

「しかし──」

「妹が殴られるのを黙って見てる兄貴なんて、いねえだろ。こいつは俺の妹だ。正真正銘、血の繋がった妹だ。命を賭けても惜しくない妹なんだよ。その妹が、四九個の国章を得るために血反吐(ちへど)吐いてんだ。それだけ険しい道を歩いてきたやつが、追随しようとする十歳の女の子に、辛いから他を選べという助言のどこがおかしい? 何度も死にかける妹を眺めているしかない兄貴に、なりたいのか」


 オルトの握力は、これまでの制止に比べて力が込められていなかった。それはどこか、懇願に近かった。

 説得にクメンは屈した。腕をおろして、一礼する。


「あなたの辛酸な経験を考慮しない、浅はかな行動でございました。お詫びいたします」

「うん」


 それだけだった。

 テトラは謝らなかった。謝る必要がないと信じていたからだ。だが、クメンの怒りが再燃したのは明らかだった

 隊列に戻るそのとき。


「けだもの」


 そう吐き捨てた。しかもなかなかの声量だったので最前列の団員と、メタ、パラ、ヘキス、ペンターの耳に届いた。聞こえていた者達だけ、目が真ん丸になる。

 その理由は──


「おいおいおいおい、さすがに今のは聞き捨てならねえなあ? んン⁉ オニーサン怒っちゃったよォ⁉」


 シスコンのきらいがあるオルトがぶちキレたからだった。

 クメンとオルトの殴り合いの喧嘩を止めるのに十五分掛かった。

 さすがにテトラは少し反省した。


 その数時間後、ぼろぼろのクメンと同じ部隊で兄弟は森を目指している。

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