8話目
襲撃があるのは二日後の可能性が高いとの情報だそうだ。
ただ丸切り無防備にしておくわけにもいかないので、水陸どちらの国境付近にも既に騎士団を送ったらしい。交代で見張りを続け、万が一のときにはすぐに魔術団と残りの騎士団が駆け付ける手筈になっている。
「あんたさァ、胃袋どうなってんの?」
食堂で本日六回目の食事を摂っていると、向かいで本日三回目の食事を摂っているペンターが、気持ち悪そうに顔を歪めて言った。
「なんなの? そのお腹のどこに食べ物入ってんの? ぺったんこの癖に、食べ物どこなの? 怖いんだけど。蒸発してる?」
「すぐに栄養になってる説を推してる」
「兄貴は普通なのに、なんで妹だけこんなに食べるの? 細胞全部がお腹なの?」
「そんな気がする」
適当に受け流していると、隣で食後の一杯を楽しんでいたオルトが紅茶のおかわりを貰いに席を立った。ここはセルフで厨房と隔てるカウンターに食事や飲料を取りに行くスタイルを採用している。
テトラがひとりになって、ペンターはここぞとばかりに身を乗り出して、声を潜めて訊ねてきた。
「世界一になったら、なにが欲しいの? お金も国ひとつ買えるくらいもらえるし、皆から尊敬されるし、魔術学校の校長もできたりするし、なんか、特別な権力を授けるとかなんとか、とにかく、なんでもできるんでしょ?」
「そのはず」
「ねえねえ。欲しいものがちゃんと手に入ったら、ずっとここにいてくれる?」
突然の質問の意図がわからず、大きな塊のチーズをごくんと腹へ飲み下して目をぱちくりとした。
「なんでここにいなきゃいけない?」
「だって、適合者なんだよ? メタもパラもお祖父様……あ、国王陛下も、テトラ達を引き留めたのは適合者だからだ。戦闘参加なんて二人を足止めするためだけの口実だよ。地上戦で負けたことなんてないし、負けるなんてありえないもん」
「ベンゼン歴史の書で見た。六日間、祈って結界を作って加護がどうのこうのって」
「そうそう! 僕、適合者に選ばれたのすっっごい嬉しいんだけど、まだ魔術がそんなにうまいわけじゃないから、いっっっつも実戦では後方支援なんだ。
ほら、僕が万が一にでも死んだりしたら、また存在するかわからない適合者を探す羽目になるでしょ? もしかしたら、六人ぴったりしかいないかもしれないのに! だから早く結界を作って、ちゃんと魔術学校の高等部に入って、しっかり勉強したいの」
なんとも高尚な意志である。
咀嚼を再開していると、オルトが戻ってきた。
どちらかといえば少食な兄は香り立つ紅茶をよく好む。それでも筋骨隆々なのは、父からの遺伝の成せるわざなのだろう。
父の体格も本当に恵まれていた。
「テトラは四九個も国章持ってるんだから、きっとメタやパラよりも、うんと強いんでしょ? 戦闘が終わって、結界を作って、世界一になったら戻ってきて魔術学校で魔術を教えてよ。あの、ほら、昨日の天井にぶつかりそうになったときに使った魔術! あれなに? どんな魔石? 魔導具? 呪文とかは?」
「わからない」
「……え?」
「あの魔術がなんて名前なのか、覚えてない」
「どういうこと? 誰に教えてもらったの?」
「教わってない。強いて言えば兄さんのほうが魔術に関しては遥かに詳しい。兄さんに教わったとも言える、かも。あとは、やりかただけ習得した。だから教えられない」
「そっか!! なるほどね、体で覚えるタイプなんだね!」
「まさしく」
「じゃあ、オルト! 魔術教えて!」
「無理。魔術使えないもん、俺」
ペンターの目が目尻が避けてしまいそうなほど見開かれた。
「……え、嘘でしょ?」
「「嘘じゃない。魔力ゼロ」」
「嘘の噂でしょ、そんなの。実力を隠してるんでしょ?」
「「いや、本当」」
「じゃ、じゃあ、なんで適合者なの!? あれ、魔力持ってる人じゃないと反応しないはずなんだよ!?」
「「知らん」」
愕然としているこの国の王子を見ていると、その事実はやはり相当奇異なものなのだろうと予想がつく。しかし、そんなものはテトラにもオルトにも知ったこっちゃないので、取り繕うこともしない。
だが、少しばかり不憫に見えたのか、オルトは紅茶を舐めてから教えてやった。
「とりあえず、昨日の衝撃吸収魔術は、フェノル社発行の魔術書『これさえあれば君も最強魔術師! 学校じゃ教えてくれないこんな魔術! 総集編☆第八巻』の百六八ページに載ってる」
「それって十二巻もあるやつでしょ。……まさか、その魔術書全部暗記してるわけじゃないよね」
テトラとオルトは互いを見合って、肩を竦めてみせた。そのやり取りを見ていたペンターの顔は、あからさまに引きつっている。
「……で、テトラはその魔術書、読んだことある?」
「「ない」」
「一度も?」
「「ない」」
「……で、オルトはそれだけ豊富な知識にも関わらず、魔術は……」
「「使えない」」
「これまで一度も?」
「「ない」」
「なんなのこの兄妹!! 怖い!!」
震えを抑えるみたいに自分を抱いているペンターの隣に、食事を持ったへキスが座った。長身細身の彼は無言の着席のあとで、テトラの顔も見ずに言った。
「まるで二人でひとりみたいだな」
その呟きは、独り言だったのだろうか。
それとも兄妹達への揶揄なのだろうか。
テトラ達には判断がつかなかった。だから相手にしないでいると、へキスはさらに冷たい言葉を浴びせた。
「もし二人のうち、どちらかが切り離された幻影なのだとしたら、本物はどっちなんだろうな」
それは明らかに兄妹への挑発だった。わざと怒らせて、不愉快にさせて、なにが目的なのだろうか。なんの反応を、見ようというのか。
それともへキスは、なにかに感付いているのか?
テトラが窺い見ていると、オルトが棘のある声音で言った。
「仮に俺達が元々はひとりの人間で、なんかの拍子に分かれたんだとしたら、お前は今の俺達を見て、なにを基準に本物を決めるんだ?」
お前は、俺達のどっちかが偽物に見えるのか?
その問いにへキスは答えなかった。
返事の得られなかった質問は、まるで存在さえしていなかったみたいに溶けて消えてしまった。