5話目
ぴりぴりと体に微弱な痺れが走った。
椅子の感触を確かめるより先に、悟る。
──座ったら、だめだ
はっとした。
だが、遅かった。
椅子と椅子とを繋ぐ溝が青緑色に神々しく輝き始めたのだ。
いよいよ光が溝を追って正六角形を作るというとき、テトラは立ち上がってしまった。途端に、命を亡くしたみたいに淡い光が消えていく。
目を見開いていたのは、そこにいた四人のベンゼン国の魔術師だ。
赤髪の男は呆然と口をパクパクとさせていて、少年は思わず抱えていた膝を離して椅子の上に立ち上がっていた。テトラを小さな手で指差している。
動揺を隠し切れなかったのは、テトラだった。
並大抵のことでは動じない性格ではあるが、この事実だけは、第六感が不都合だと叫んでいる。
「座ってください」
パラが震えた声で言った。興奮を抑えきれないといった感じだった。
しかし、テトラはもう二度と座るまいと決めている。首を振った。
「嫌だ」
「座るのが条件のはずです」
「もう座った。二度は条件になかった」
「完璧に座れよ! 今の光は、建国以来の神聖な光だぞ! 六人の魔術師が揃うとき、ベンゼン国は──」
「いいから座ってよ! 本当にあんたが適合者なのか、確かめなくちゃ!」
赤髪、少年に立て続けに責められる。それでもテトラは頑なに拒否をした。広い空間だというのに、まるで逃げ場をなくしたみたいに焦っている。
「嫌だ。絶対に座らない」
「座れって!!」
赤髪は立ち上がると、なかなかの体躯だった。問答無用でテトラに飛びかかろうとする。
間に入ったのはオルトだった。
赤髪の突進よりも早く、オルトがテトラの前に立ちはだかる。
「テトラに触んじゃねぇッ!!」
「うるせえ!」
体格に恵まれた二人がぶつかり合う。
がちん、と重い音がした。二人は揉み合いながら怒号を浴びせ合った。言葉にならない憤怒がこだまする。
「メタ団長! やめてください!」
「やめなよ、メタ! 見苦しいな!」
「団長……!」
「兄さん!」
パラと少年、無口な男が総出で制止しようとする。テトラもオルトを抑えたかった。
だが、できない。踏み出した一歩を止めた。
悔しい。
拳を作る。
触れられない。触れてはいけない。
しかし、躊躇している間に赤髪の強烈な一発がオルトの顔を捉えた。
「兄さんッ!!」
オルトがバランスを崩して、空席だった椅子をなぎ倒すようにして触れた。
駆け寄ろうとして、テトラも自分の椅子に触れてしまった。
刹那──
強烈な光の六角形が完成された。
目を開けていられないほどの光は熱を持っていた。肌を焼くような業熱にテトラは呼吸を忘れる。椅子を離さなければならないのに、肌が椅子に吸い付いたように離れなかった。
だが、少しして椅子が拒絶した。
ばちん、と破裂音がしてテトラの体が猛烈なスピードで浮き上がる。
光が消える。
だがテトラの体は止まらない。
「テトラ!!」
オルトの声で我に返った。
胸の前で両腕を交差させ、力を込める。すると勢いは衰え、天井に激突する寸前でぴたりと止まった。あとは自由落下に任せて、着地をすればよい。それくらいの身体能力は持っていた。
テトラが降り立ったのは、正六角形の中心だった。
戦慄く瞳で周囲を見渡す。
四人の魔術師達の目に確信と、少しの疑問の色が浮かんでいた。
「適合者だ……。この二人、適合者だぞ!」
「そんな、いっきに二人も!? すっごぉい!! そっか、兄妹だから血が繋がってるから、適合の可能性は高くなるのか! そっか、そっか!」
「国王陛下にお知らせしなければなりません。行きましょう!」
口々に言う。
だが、その興奮と反比例して、テトラは青褪めていた。オルトは訳がわからないとばかりに不機嫌そうな顔をしている。
その場に水を差す人物がいた。
「なんで、弾かれた」
無口な男だ。
彼が発した疑問の一言に、魔術師達の興奮は一瞬にして冷めたようだった。
「そう、だよね……。なんで弾かれたんだろう。適合者なら六角形が輝いたあとで、金色に変わるはずなのに」
「確かに……おかしいですね」
「あんまりにも一瞬だったからじゃねえか?」
四人の目がテトラに向けられる。
テトラは目を合わせないようにして、まだ膝を付いているオルトに駆け寄った。同じように膝を付く。
「兄さん、大丈夫? 痛い?」
「ああ。あの野郎、なかなか重いパンチしてきやがる」
「今、治すから動かないで」
オルトが負傷している部分の肌の上の空中で、テトラは人差し指で十字を切った。十字の残像が青色に変化し、風車のようにクルクルと回転する。風車はオルトの傷を吸い上げて、すっかり治してしまった。
「もう痛くない?」
「ああ、大丈夫だ。なんつー顔してやがる」
ははっ、と笑うオルトを見て、テトラは心底安堵した。
自分には、もう兄しかいないのだ。他の誰もいらない。
兄だけがいればいい。
「とにかく、報告」
無口な男が言うと、魔術師達は賛同した。
「テトラ様、オルト様はお休みできる部屋を用意していますので、そちらへご案内致します。メタ団長は先に国王陛下のところへ。よろしいですね」
「ああ。行くぞ」
メタは最後に再びオルトに睨みをくれていたが、オルトはそっぽを向いてやり過ごした。歯向かう理由さえなくなれば、オルトは喧嘩を買わない。
無口な男だけが、向き直る直前まで不気味な視線をテトラに向けていた。