4話目
応接室に戻ってきた三人は、先と同じ並びでソファに腰掛けた。
しばし崩れた雰囲気を保とうと、こほん、と咳払いしてから、パラは改めた。
「では、とりあえず、条件ふたつめですが、とある椅子に座っていただきます」
パラは件の本を開いて二人に見えるように持ち換えた。
そこには椅子の絵が六つ描かれている。
どれも違うデザインではあるが、共通項として、背凭れに正六角形が刻まれている。だが、椅子ひとつひとつにある正六角形は、椅子それぞれ、どこかしらの角が消えてしまっていた。線が繋がりきれていない、中途半端な六角形だ。
「城の最上階に『ベンズの間』という、我々ベンゼン国にとって、とても神聖な部屋があります。そちらに、この椅子六脚が用意されていますので、テトラ様はわたくしが指定した椅子にご着席いただければと思います」
「座るだけ? なにか、現象が起きないとだめとか? なにか体や魔力に不都合が生じるとか」
テトラが訊ねると、パラは首を振って否定した。
「なるほど、なかなかに鋭い。そうです、ある現象が発するかどうかのテストになりますが、なにも起きなくても、クリアです。ご着席いただいても、テトラ様の身に危険は生じません。この点は確約致します」
「なにも起きなくても、クリア?」
パラはまたにっこりと微笑んだ。
「こちらは、いわゆるアンケートのようなもの。現象が発すれば幸運程度のものなので、ご着席いただきさえすれば戦いにおける可否に影響はございません」
「なるほど」
「それでは最後の条件です」
テトラの隣でオルトが身構えたのがわかった。どんな条件がくるのだと、毎度、不安視しているのはどちらかといえばオルトだった。
魔力のない罪悪感からなのだろうか。
オルトには魔力がほとんどなかった。
それは仕方のないことだ。しかし、その代わりオルトには恵まれた肉体と鋭敏な五感がある。テトラよりも頭ひとつ分は高いその身長と、盛り上がった筋肉は剣でも槍でも弓でも、なんでもたやすく、そして誰よりも使いこなす。度胸もある。
テトラが『国章渡し』を制覇したいと言わなければ、あの長閑な田舎で優秀な狩人になっていただろうし、ベンゼン国のような大国で、騎士団指折りの猛者になっていたに違いなかった。
『国章渡し』はテトラが言い出したにも関わらず、兄として支えると申し出てくれたのは嬉しかったし、心強かった。魔術ではどうにもならない数多くの場面でオルトに助けてもらったのに、兄オルトはテトラに苦を強いていると自責の念を感じているらしい。だから、なるべく条件は厳しくないものがいいと望んでいるのだ。
命を賭けて戦うのだから、せめて、それだけは──と。
この心優しき兄の他に、何を望むというのだ。
兄と共に、またあの地で牛を飼い、豚を飼い、山羊を飼い、兎、鶏に囲まれながら田畑を耕して、二人で笑って過ごせばいいではないか。
だがテトラにはどうしても国章制覇して、欲しいものがひとつ、あった。
それだけは、どうしても諦められなかった。
それだけしか、テトラの目的を遂げる方法がなかった。
パラは勿体つけるみたいに、ゆっくりと告げた。
「必要とあらば、国家間の戦闘に参加してください」
目をぱちくりとしたのはテトラだけではなかった。
オルトなんぞ、ぐっと体を乗り出して、わざとらしく耳に手を当ててみせたほどだった。
「もう一回、言ってくんねえか? ちょっと、よく聞き取れなかった」
「国からの要請があれば、国家間の戦闘に参加してください」
「……それだけ?」
「それだけ」
「「マジ?」」
テトラとオルトは顔を見合わせた。
今までのどの国よりも易い条件だった。要請があれば、ということは全戦闘に参加するわけではないし、戦闘に参加が条件なのであればどの程度戦績を要するかも関係はない。ならば手抜きをして自己保身にさえ努めていれば生きて帰って来られる。しかもそれは『国章渡し』のあとの話だ。
つまり、椅子に座るだけでいい。
こんなに簡単でいいのだろうか。
訝しむテトラを畳み掛けるべく、パラはぱたんと本を閉じた。
「いかがなさいます? 条件、呑みますか?」
断る理由もない。
初めから、どんな条件を提示されても戦うつもりだったのだ。
「もちろん」
「では行きましょう」
言い終えるが早いか、パラは立ち上がって、あっという間にドアを開けている。
◇◆◇◆◇◆
『ベンズの間』は実に広い空間だった。
なんにもない、がらんどうの空間。
絨毯や調度品は一切なく、石造りの壁がそのままで装飾もされていない。窓もなく、暖炉もなく、薄暗くて、ひんやりと冷たかった。
その空間の中央の床に、広間と比べてしまうと、実にこじんまりとした正六角形が彫られていた。ちょうどダイニングテーブルくらいだろうか。手を伸ばせば届きそうではある。
六角形の辺と辺が交わる頂点に絵で見た椅子が置かれている。
そして三脚に、既に誰かが座っていた。
「ちゃっちゃっと終わらせてくれよ! どうせ時間の無駄なんだから!」
「僕さぁ、暇じゃないんだよねぇ」
「……」
大股を広げている、鮮やかな赤髪を刈り上げているせっかちな男と、椅子の上に膝を抱えて座っている少年と、姿勢正しい無口な男だ。それぞれ白の服、金色の刺繍を見るに、魔術団の幹部に違いない。
この四人と戦うのだろう。
テトラはなんとなく、そんな気がした。
「ではテトラ様はその席に座ってください。六角形の最上部の頂点が欠けているところです」
指定された椅子の前に着く。パラは既にひとつの椅子に着席しており、テトラの動向を注視していた。
六脚目、ちょうどテトラの左隣だけが空席だ。
オルトは心配そうに壁際に立って事の成り行きを見守っていてくれている。
テトラは不思議に思いながらも、着席した。