3話目
案内されたのは城の二階にある応接室だった。
赤い絨毯が敷き詰められた大きな部屋で、ソファセット以外にも本棚や調度品などが飾られている。待ち時間の退屈しのぎのためなのか、ベンゼン国のこれまでの歴史年表や本、歴代の王の似顔絵がこれみよがしに並んでいた。東を向いているため、窓からは燦々と陽が降り注いでいる。
テトラとオルトはそれらの歴史に見向きもせずにソファに座った。パラも向かいに座る。
「先程は失礼いたしました。『国章渡し』はほとんど伝承みたいなものでしたので、若い騎士が驚いてしまったのだと思います。テトラ様の噂は聞いております。カドミ国では、魔術師七人が戦前逃亡したとか」
カドミ国とは、テトラが待ち呆けをくらった四八番目の国だ。
「逃亡してたのか。知らなかったな」
「だね」
言うと、パラは意外そうな顔をした。
「ご存知なかったんですか? 闘技場まで行ったものの、あまりにもテトラ様の魔力が強すぎて、負けを確信した七人が王に泣きついたと専らの噂ですよ」
「へえ」
オルトが興味なさそうに言った。目的以外の会話はあまりしたくないというのが兄妹の共通見解だった。
基本的に二人は、二人以外を好ましく思わない。
空気を察したのか、パラは本題に移った。
「申請書を書いていただきます。魔術ではなく、物理的に存在する青インクと羽ペンで。条件を説明するのはそのあと。条件を聞いて辞退したくなれば、申し出てください」
頷いた。
用意していたらしい洋紙とインクがローテーブル置かれる。
最後にペンが差し出された。
テトラはペンを持つパラの手を見て、パラの瞳を見た。
その瞳の真意とは。
不触の魔術師が本当にその二つ名を貫くのかを見ているのか、あるいは触れてみたらどうなるのか、という好奇心なのかもしれない。
テトラはその挑発に屈しなかった。
どちらも引かず、じっと見合ったまま、ぴりついた時間が流れる。
断ち切ってくれたのはオルトだった。
横からテトラの代わりにペンを受け取り、テーブルに置いてやる。するとテトラは何事もなかったかのようにペンを持ち上げ、申請書の必要事項を埋め始めた。
どの国もほぼ同様の内容が記されている。死亡した場合は補償しないだとか、後遺症が残っても責を負わないだとか、国の保身に関することだ。迷わず書き終えたテトラがペンを置くと、パラが膝の上でなにやら大きな本を開いた。
硬そうな材質の金ピカの表紙だ。
題名が書かれていなかったように思う。パラが白手袋をしているところを見るに、かなり大切なものらしい。
「では『国章渡し』の戦いについて、条件を説明します。ひとつ、門扉をくぐる前に察知魔術の罠を看破した者のみ申請を可とする」
オルトは思わずパラを睨んでいた。
申請どころか、もう既に始まっていたのだ。無事にテトラはひとつめの条件をクリアしたわけだが、このやり方はなかなか卑怯である。そんな怒りを瞳に込めていたようだが、パラは意に介さなかった。
「ふたつ、申請者には──」
いきなりパラの言葉が詰まった。
本に落としていた視線をテトラに向ける。上目でメガネの隙間から覗く銀色の瞳は、感情丸出しで真ん丸になっていた。先までの鉄仮面が嘘のようだ。
オルトは項垂れてしまう。
「お前なぁ、タイミングってもんがよぉ」
「ごめん」
ぐぎゅるるるるるゥッ!!
さらに二度目の珍事。
パラが思わず説明を中止したのは、テトラの腹の虫があまりにも大きく空腹を訴えたからだった。
オルトはさっさと諦めたらしかった。
「食堂あるか? こいつ、一日に最低八食は食わねえと体がもたねえんだ」
「八食……?」
「むしろ十二食あるとありがたい」
「四階に騎士団専用の食堂ならばありますが……豪華なお食事というほどのものは提供できかねるかと……」
「いーの、いーの。質より量だから。よし、四階だってよ、テトラ。行こうぜ」
「うん」
パラはあからさまにドン引きしつつも、なんとか本を閉じ、ドアを開けようと先導した。その背中にさらにオルトが問う。
「ところで食材とやらは、かなり余分があるのか?」
「ええ。騎士団は体が資本ですし、やはり体躯に恵まれたものも多く、訓練も厳しいため、たっぷり余裕のある食材調達を心掛けています。食べても食べてもなくならないとまで言われていますよ」
「ふーん。だってよ、テトラ」
「それは助かる」
◇◆◇◆◇◆
「………な……」
パラは開いた口が塞がらなかった。
テトラは一心不乱にスプーンで食料を掬い、口の中へ放り込んでいく。壊れてしまったオルゴールが何度も同じメロディを流すのと同じで、テトラのその行為はほとんど機械仕掛けだった。掬っては放り込んで飲み込む。掬う。放る。飲む。
はじめこそ、よく食べるなあ、と笑い声さえ聞こえてきた厨房は、今では汗びっしょりになって鍋を振っている。テトラの吸引に料理のスピードが追い付かないのだ。
食堂には何十人と騎士達がいたが、テトラのあまりの食べっぷりに圧倒されて、皆が皆、動きを止めてテトラを見つめている。自分達の何分の一くらいしかない体のテトラが、自分達の倍以上食べているのが信じられないのだ。
休憩の一杯だと優雅に紅茶を飲んでいるのは、オルトただひとりだ。
二十人分は食べてる。
なんだ、この女は。
パラはこれも魔術のひとつなのかと注視してみたが、どうにも魔術の発動を感じられない。錯覚かと目をごしごし擦ってみても、やはり紛うことなき痩せぎすの大食漢が今もまだ衰え知らずで咀嚼している。
「これ美味しい」とテトラ。
「どれ。ちょっと頂戴」
「ほれ」
「ふざけんな! スプーンの先にソースがちょっと付いてるだけじゃねえか! こんなん舐めただけで味なんかわかるわけ──美味えな、なんだこれ」
「肉」
「んなのは見りゃわかんだよ!」
テトラに関する情報は、随分と前から入ってきていた。
テトラがバッヂを二十個ほど手に入れた、ちょうど三、四年前くらいからだったか。五十年ぶりに、本気で『国章渡し』を制覇しようとしている奴がいると、しかも女なのだと、魔術師界に噂が駆け巡った。
テトラは痩せていて、女性にしては長身で、髪を短くしているため、女であると知らずに見れば少年と勘違いしてしまう。長袖の詰襟の裾は長く、ご丁寧に漆黒の手袋まで嵌めている。青白い顔色で目の下には濃い隈が影を落とし、暗い性格なのかと思いきやオルト・トルーシェとふざけ合う。
確か二人は異父兄だった。
不運にも、母親が不埒な賊に襲われて、身籠ってしまったのがテトラ・トルーシェだ。
褐色の肌に、がっしりとした体付きの兄、オルトが五歳のころにテトラが誕生した。
母親はテトラとオルトを差別しなかった。
愛情深く育て、二人は仲睦まじい兄妹になっている。そして母親亡き後、二人は『国章渡し』制覇を目指して旅に出た──と、ここまでが入手できている噂の大筋だった。
肌の色こそ違うが、黒髪黒目は同じだ。母親に似たのだろうか。
いや、なにより気になるのは『不触の魔術師』の意味だ。魔術には相手に触れてこそ効果があるものもある。魔術の三分の一は接触が必要になってくるのだ。なのにそれらを捨てたのか?
しかも、それで勝ち続けているとは、どれほどの強さなのだ?
テトラを前にして、パラはごくりと固唾をのんだ。
すぐにでもテトラの魔力を測量する魔術を発動させたかったが、それをすればテトラが瞬時に見抜くだろうという確信めいた予感があった。
「食べた食べた」
「俺もなんだかんだ食ったわ。美味えな、この食堂」
「お褒めに預かり、光栄です。では、応接室に──」
「デザートってあるのかな」
「あるんじゃね?」
「久しぶりにホールケーキ食べたい。六個くらい」
いい加減にしろ。
とは言えずに、パラは厨房にケーキをありったけ持ってくるよう指示を出した。