21話目 カンの鋭い奴は
「よお、おかえり」
手を挙げて、小さな歓迎を示したのはメタだ。ペンターとその付き人を伴ってベンゼン国に戻ったテトラは、小さく頷くだけで返事とした。
出迎えたパラはにこにこと相変わらず本心を隠そうとする笑顔を貼り付けており、へキスはやはり無表情だけれど、別れのときに言ってくれた言葉は嘘ではなかったらしく、たくさんの料理を用意しておいてくれたようだった。
顔を合わせるなり、テトラは言った。
「頼みがある」
メタは既知だとでもいうように頷いた。
「ペンターから事情は聞いてる。『稠密六方格子の棺』を使いたいんだってな」
「できれば、すぐにでも」
「そう言うと思って、既に運び出してある。魔術団の施設にこのまま行こう。さっさと用事を済ませて、久しぶりにあの食べっぷりを見せてくれよ」
ベンゼン国を去ってから一ヶ月弱が経っていた。ヒドロフィルへ行くのに数日、クロムへ戻るのに数日、式典やらで数日と、目まぐるしく動いたせいでテトラにしてみれば、そんなに月日が経っていたのかと驚くくらいだ。感覚的には三日ほど前に手を振った気がする。
魔術団の施設のさらに奥の別棟に研究室はあった。
どうやら極秘にされている施設らしく、一見すれば倉庫のように小さい。だがそれも魔術で錯覚させているだけで、中に入ってみるといくつもの頑丈な扉が並ぶ広大な敷地だった。
そのひとつに案内された。
そこはなにもない、がらんどうの部屋だった。
けれど床に正六角形が大きく刻まれており、六つの頂点に椅子が置かれていること、六角形の中央に『稠密六方格子の棺』が置いてあるのを見ると、『ベンズの間』を模倣しているのがわかる。
ベンゼンの『稠密六方格子の棺』は白かった。
照明を反射して輝く棺は、歴史館よろしく寝かせられている。頂点や面に金色の魔石が嵌め込まれている構造は歴史館にあるものと一致するが、色は国の象徴に塗り替えられていた。
テトラはあることに気が付いた。
「……魔石が足りない」
本来、『稠密六方格子の棺』は各頂点、各面の中央に魔石がそれぞれ嵌め込まれている。だが、対角線上にある魔石がひとつずつ足りなかった。
「そうなんだ。俺達の魔術団創設以来、頭の切れる精鋭達の努力の結晶がこれなんだが、どうしてもすべての魔石を嵌め込もうとすると、魔石同士の力が強すぎて弾いちまう。だから、本物は棺だけで使えるが、このレプリカはその六つの魔石を補う人力が必要になる。それが俺達六人の適合者だ」
「なるほど。わかった、使い方は?」
「簡単だ。閉じ込めたい魔獣を棺に入れる、蓋を閉じる、六人で全魔力を注いで消滅させる」
「魔獣の魂だけでも大丈夫?」
「理論上は可能だ」
「よし、ならやろう」
「魔獣はどこにいるんだ?」
「ここだよ」
テトラは言いながら、詰襟のボタンをひとつひとつ外し始めた。
ぎょっとしたのはオルトを筆頭に、メタ、そして遅れて到着していたパラ、ヘキスとペンターもだった。だが、オルトだけは驚愕の意味が違った。詰襟を脱ごうとするテトラを止めようとする。
「待てよ、いいのか? こいつら、信用できるのか?」
「やるしかない。バレても構わない」
用さえ済めば、あとはこちらのものだ。
「つまり、テトラは自分の中にある魔獣の部分だけを消滅させたいのか?」
「そうだよ、兄さん。そうしたら私は人間に戻れる。二人で誰にも邪魔されずに幸せに暮らしていける」
「本当に、いいんだな?」
覗き込んでくる双眸を見つめ返す。兄の瞳はいつになく純真だった。
テトラは頷いた。
そして、ボタンを外し終えた長袖の詰襟を脱ぎ捨てる。
「……は?」
声を漏らしたのはヘキスだった。他の三人はごくりと息を呑んだ。
服の下にあったのは、漆黒の肌だった。
オルトのように遺伝的な褐色の肌ではなく、黒インクの人工的な黒い肌だ。
だが、それはよく見れば黒い肌なのではなく、白い肌の上にびっしりと文字が入れ墨されているのだとわかる。
メタは思わず駆け寄って、その背中を食い入るように見つめた。
「……全部だ……この文字、全部が魔術の呪文だぞ」
「一文字一文字が小指の先よりも小さいですね。これは……ひとりでは彫れません。……オルト、あなたが?」
オルトは答えなかった。
ペンターが閃いた。
「……そっか、だからオルトは魔術が使えないのに魔術に詳しいんだ。こうやってテトラの体に彫ったから。一字一句、間違えないように、何度も何度も確かめながら彫ったから、だから全部覚えてるんだ」
感嘆している三人とはよそに、へキスは戦慄いている。震えを抑えようと、手で口を覆ったほどだ。
「お前、わ、わかってるのか。身体に魔術の呪文を入れ墨するなんて……」
「わかってるよ」
「わかってない!」
「ちゃんとわかってる」
「わかってない! 身体に呪文を彫ったら、その呪文達は常にお前の命を喰っていくんだぞ! 魔術を発動するたびに寿命が──」
「わかってるよ、全部」
テトラの眼差しの意味を、へキスは悟ったらしかった。
テトラらしからぬ、弱さと強さの混じった柔らかな眼差しは自分の命を差し出している自覚のあるものだった。へキスは、それが堪らないといったように顔を歪めた。
彼はきっと、自国愛が強いのだろうとテトラは思う。そして命を尊重するのだろうとも。
テトラは首から足の爪先までびっしりと彫られた呪文を眺めながら言った。
「本当はこんなに滲んでなかった。魔術を使うたびに色が濃くなっていく。いつか、私はきっと真っ黒になって、消えてしまう」
「……呪文を知らないのも、全部、使い方だけを覚えたからなんだね」
ペンターの言葉には同情が孕んでいた。
そのとおりだ。
呪文も知らないし、魔道具の使い方も知らない。ただ、どの部位にどんな力を込めて動かせば魔術が発動するか、それだけを必死に覚えた。だからテトラには魔術を使っている感覚があまりなかった。
体の一部を動かす。
それほどに、テトラは魔術と融合しつつある。
「私の中にある魔獣を切り離す魔術がある。それを発動させて棺に投げ込むから、メタが蓋を閉じてくれないか」
「ああ。いいとも、喜んで」
「それが終わったら、もう体の呪文は消す? 消せるの?」
ペンターがテトラを見上げてくる。もしも弟がいたのなら、こんなにも心配して自分を見てくれるものなのだろうかと、テトラは思った。
「消せる。回復魔術の最高難易度の時間回帰をすれば、肌が元通りになる。ただ、もう魔術は使えないかもしれない。ベンゼンの役には立てない」
「いいんですよ。僕達は、僕達で強くなると決めたんですから」
ありがたい。
テトラは、顕になった手で、やはり顕になった胸を抉ろうとした。
そこでヘキスが呪いの言葉を言った。
「戻る? お前、さっき人間に戻ると言ったな。
まさか、お前、元は人間なのか?
魔獣とのハーフとして生まれたんじゃ、ないのか?」
テトラはへキスを睨んだ。




