20話目 目当てのもの
テトラが五十個の国章を手に入れたことは、瞬く間に各国に知れ渡った。というよりは、各国、テトラと戦ったことのある魔術師や、その戦いを観覧していた国民達は、テトラこそ最強になるのだろうと疑ってもいなかったので、うわあ世界最強が誕生したあ、という感動はむしろなく「お、いよいよ制覇したのか」くらいの驚きだったようだとオルトが言っていた。
贈呈式やら授与式やら、とにかくたくさんの式典を開かれたのは、魔術学校があるクロム国だ。
テトラが二四番目に国章を渡してもらったところだが、記憶にはない。
確か、おぼろげに、魔術学校の教員達が束になって掛かってきたような気がする、くらいの記憶しかなく、それも定かではなかった。式典を終えて、待ちに待った財産付与の場に魔術学校の教員制服を着付けた男がひとりいたので、あの記憶はクロム国だったと認識した程度だ。
魔術学校の記憶は鮮明にある。
「それでは財産付与について、ご説明いたします」
クロム国のなんちゃら省庁の官僚らしき好々爺が厳かに言い放つ。
それもそのはずで、与えられる財産は、クロム国の舞踏会用の広間をもってしても入り切らず、ここに用意されなかった物達よ目録を読むだけだというのに、与えてくれる財産の元の所有者が集まっているのだ。世界最強からの謝辞を待っているらしい。
「まずは現金五十億シュウキリツ」
シュウキリツはこの世界の通貨だ。五十億シュウキリツとなると、一生働かずに、一生豪遊できる金額である。だいたい百シュウキリツでパン一個が買える。
「さらに別荘──」
つらつらと長たらしい目録を読み終えたあと、盛大な拍手が湧いた。
特段、彼らには最強魔術師に興味はない。各国共通のマスコットキャラクターが生まれたくらいの気持ちだろうし、あわよくばテトラをなにか商業利用してやろうと画策しているに違いない。
そんな空気な賛辞に興味がないのは、こちらも一緒だ。
だからテトラは拍手も鳴り止まぬうちに、言った。
「『稠密六方格子構造の棺』が欲しい」
ぴたり、と止む拍手。
称賛を遮るというテトラの不躾な態度ではなく、誰もがその棺の名を聞き取れなかったのだ。
官僚が問返してくる。いっきに額に脂汗が浮かんだのを見ると、該当する物を知らぬようだ。
「ちょ、ちょうみつ、ろっぽ……?」
「『稠密六方格子構造の棺』。六角柱の形をした真っ黒な棺のこと。魔術学校の地下にある、魔道具歴史館に保管されている。最強魔術師は、世界の安寧のためにその力を行使する権限を有する。
世界平和の役に立つと思われるものは、なんでも使用して構わない特権が与えられる。
世界的国宝でもまた然り。しかも国宝が壊れても免責不問にされる。何百年も前に国宝認定されている棺があるはず。『稠密六方格子構造の棺』。それを使いたい」
官僚が床につくほど長い目録を読み返した。その慌てっぷりといったら、同情したくなるほどだ。式の前に予め言っておくべきだったかと、少しばかり反省した。
「お、お調べ致しますので、少々、お待ちを──」
「俺が案内します」
そう名乗りをあげたのは、魔術学校から唯一出席していた男だった。
年齢は三十から四十といったところか。身長はそれほど高くないが、痩せているため長身に見える。額から右目、右頬にかけて裂傷の跡があり、眼帯で隠そうとしているが隠しきれていない。紫掛かった髪を後ろに撫でつけた髪型で、傷も相まって迫力がある。
はて、こんな奴と戦っただろうか。
テトラはまったく思い出せなかったが、とにかく案内してくれるというのなら従おう。
兄妹は男に付いていく形で広間を後にした。
◇◆◇◆◇◆
「『稠密六方格子構造の棺』を御存知とは、博識ですね。魔術や魔道具が盛んになってから、名も廃れてしまった棺ですよ。歴史館も人気が衰えておりますので、知っているものは限られています。棺をご使用したいので?」
「そう」
男と共に馬車で向かったクロム魔術学校は、テトラの記憶にあったものと変わらずそこに聳えていた。
赤茶色の煉瓦造りの校舎がカタカナのコの字型に建てられ、校舎で広間を囲っている。一見すればただの学校なのだが、至るところに魔術が仕掛けられていて不法侵入者は必ず道に迷うようになっているし、訓練として使用する広間も無限に広くできる。しかも外見からは広くなっているとは見えないという、摩訶不思議な学校なのだ。
魔術学校は静かだった。お昼前なので授業をしているのかもしれない。座学もあるらしいとは知っている。
男は生徒用入口ではなく、観光客用の入口から地下へ向かった。薄暗い階段のところどころに燭台があり、男が器用に火を付けて歩いて回る。
下りきると、魔道具歴史館と銘打たれた観音開きの扉があった。
押し開ける。
やはりここも薄暗く、男は階段にあった燭台を手に持って中へと誘導した。
並ぶショーケースには白布が被せられていた。テトラも知らない魔道具が解説付きで納められているのだろうけれど、あいにく、その知識を取り入れようとする余裕はない。
今はとにかく棺だ。
男はさらに奥へと兄妹を促した。それは関係者のみが立ち入りを許される倉庫で、厳重な施錠が施された扉で守られていた。
その中に、『稠密六方格子構造の棺』があった。
闇のように暗い棺は、六角柱を寝かせた状態で保管してある。頂点や面に強力な魔石が嵌め込まれ、そこだけがきらきらと光っている──はずなのだが。
「……な……!」
テトラは思わず駆け寄り、愛し子をそうするように棺を撫でた。
その棺は役目を終えていた。
魔石は力を使い果たし、濁った欠片に成り下がっている。触れれば、粉々に崩れてしまいそうだった。棺の随所に痛みが目立ち、けして、目的通りの使用に耐えられるとは思えなかった。
「俺は教師ではなく、この国の学芸員です。つまり、歴史的価値のあるものの適正な保管を任されています。だからテトラ様との戦いには参加しておりませんでした。それに、着任したのはおよそ半年前。
俺が来る前は、学芸員は数年間、不在でした。つまり、この棺を適正な環境で保管できる人間がいなかった。長い年月を耐え続けた棺は放置されて、とうとう朽ちてしまったのです。誰のせいでもございません。造られたものは、いつか壊れる。テトラ様には大変申し訳ございませんが、他の物を──」
「これじゃなきゃ駄目なんだよ!! これがなくちゃ!」
ぎゅっと棺に力を込めると、ぐにゃりと指が食い込んで歪んだ。腐っているのだ。さっと手を引っ込める。自分が魔術を掛けてしまったのか、元から腐敗していたのか、わからない。
背後で男が困ったように口籠っている。
「……しかし」
テトラは背中越しに嘆いた。
「なんで──。だって、棺が壊れたなんて、なにも」
「魔術学校が隠蔽したのでございましょう。人手不足にかこつけて、学芸員をおかず、結果として歴史的価値の高い魔道具を使い物にならなくしてしまった……さすがに公にはできなかったのでしょう」
「そんな」
テトラは膝から崩れ落ちた。
そこには自分が求めていたもののすべてがあるのに、すべてがなかった。
棺はミイラのように静かに眠っている。
もう目が覚めることはない。
私の願いは潰えた。
テトラは、いつぶりかの涙を流した。一粒流れてしまうと我慢できなくて、その場に突っ伏して、絶望に歪んだ視界に喉を震わせて、大声で泣いた。
どうしてなのだ。
この棺こそ、私の夢を叶えてくれる唯一のものだったのに。
これがないと、これがないと!
「おい、テトラ、どうしたんだよ。よくわかんねえよ。ニーちゃんにもわかるように言ってくれ。お前、この棺でなにをしたかったんだ?」
「……っ兄さ……! こ、れ……! わた、し……!」
嗚咽で言葉がうまく出てこない。
オルトは質問の矛先を男に変えた。
「これはなにをする棺なんだ?」
男は変わらぬ表情のままで答えた。
「それは、魂を封印できる棺です」
「……魂?」
「左様。死んだものの魂、生きているものの魂、動物の魂。魂と名の付くものでしたら、なんでも封印できます。そして、その魂を消滅させるのです。消滅されない場合、二度とその棺は開きません。消滅できたら、再び開き、また別のものを封印できます。それに、封印のために魔術師が結界を張り続けることも必要ありません。
入れたら、それでおしまい。
消滅か、二度と出てこないか、どちらかです。
テトラ様は、なにか強力な敵を封印してしまいたかったのでしょう。残念です。しかし、テトラ様ほどの力さえあれば、棺使わずともどんなものも封印できましょう。一日に一度魔力を与えれば封印できる魔道具も存在しますし、そう気を落とさずに──」
テトラの肩に触れようとした男の手を、オルトが叩き落とした。一睨だけで、相手を竦ませる。
「俺の妹だ。触るんじゃねえ」
男を牽制し、オルトは膝を付いてテトラの顔を覗き込んだ。
「テトラ」
その声は今までのどの声よりも優しい声だった。
「テトラ。大丈夫だ。大丈夫だよ。ニーちゃんが付いてるから」
テトラは、もう自分は幸せになれないのだと確信していた。
このまま誰にも触れず、触れられず、人の温もりさえとうに忘れて冷たく死んでいくのだろう。
もう心から笑えることなんてなくて、いつ訪れるかわからない死に怯えて暮らすのだろう。
このために、このためだけに頑張ってきたのに!
「テトラ?」
そのとき、ふと声がした。
振り返ると、そこにはベンゼン国で出会ったペンターがいる。魔術学校の制服を着付けているところを見るに、魔術を学ぶという有言実行を試みているらしかった。
「テトラの授与式があるって聞いて、広間に行ったら、多分ここだって言われて来てみたら……どうしたの。オルトと喧嘩?」
ペンターは少しばかり大人の顔になっていた。
テトラはやけになって説明した。ひっく、ひっく、という嗚咽を抑えられるほどには落ち着きを取り戻していた。
というよりは諦念に達していた。
「『稠密六方格子構造の棺』を使いたかった……。なのに、壊れて使えないらしい」
ペンターはミイラと化した棺を撫でて、軽く言った。
「本当だ、ただの木になってるね。……でも、これなら、僕達の魔術団が研究を進めてるよ。レプリカがついこの前、完成したんじゃなかったかな。さすがに本物までの力はないけど」
「……え」
「昔の人はどうやってこれを作ったんだろうね。すごいよね。なんでも魂を封じ込めて消滅させる、または永遠に逃さない。……確か僕達の国では魔獣との戦いに疎いから、魔獣の魂だけを封じ込める『稠密六方格子構造の棺』を作ってたよ。まだ力を試してないから公表してないけど。それで足りそう?」
テトラはこくこくと頷いた。
充分だ。魔獣さえ、魔獣の部分の魂さえ──。
「なら僕も一時帰国しないと。確か、適合者六人が揃わないと棺も発動しないはずだから」
オルトはテトラが落ち着いたのを見て、安心しているらしい。いつもの調子でペンターと話している。
「それにしても奇遇だな。ベンゼン国で研究してるなんて。そういうのは本当に国家機密なんだな」
「そりゃそうだよ。自分の国を守れるかが掛かってるんだから。それに、この棺は六角形だよ? 僕達ベンゼン国のシンボルなんだから、僕達が研究しないでどうすんのさ」
一度は沈みきってしまった絶望に、光の届かない深い深い絶望に、なにか一筋の希望が見えた気がした。
テトラはこれで、自分の体にある魔獣の部分を封じ込めたかった。
そして、人間に戻りたいのである。
人間に戻って、心から、兄と笑い合いたいのである。




