2話目
ベンゼン国はさすがに栄えていた。
これまで訪れた国とは段違いだ。
ホームレスはいないし、今にも倒壊してしまいそうな家屋もなく、真っ直ぐ伸びた石畳道は、掃き掃除をしたばかりと言われても信じてしまうほどに塵が落ちていない。
道行くどの住民も身なりがよく、それでいて品がある。呼び込みの荒々しい大声はなく、実に優雅だ。しかも活気はある。
王室は中央に聳え立つ城に住んでいるらしく、入国したばかりの遠くからでも目的地の発見はたやすかった。
「王室に行けばいいのかな」
「だいたいはそうだったよなぁ。どっかに騎士とか警衛とかいねぇかな」
オルトが長い首をさらに伸ばして周囲を見回す。
『国章渡し』の戦い申請は国によって場所が違う。王室だったり、騎士団室だったり、役所だったりする。そういう類の情報は、その国に仕える兵に聞くのが手っ取り早い。
「いねぇなあ」
誰もパトロールしていないのは珍しいが、とりあえず城に向かった。
◇◆◇◆◇◆
「……はっ……?」
巨大にすぎる門の前で、凛々しい表情をしていた騎士二人に用件を告げたのはオルトだった。どちらも若い騎士であるが、鍛えぬいた体に誇りを持っているらしく、素人目から見ても堂々たる佇まいだった。
だが、ひとたび『国章渡し』の単語を出すと、いっきに体が萎んでしまった。
聞き損じたのかと考えたらしいオルトが、乗馬したままで再度繰り返す。
「だから『国章渡し』の申請は王室でいいのか、って聞いてんだよ」
「こ、こく……?」
「『国章渡し』」
「こく、こく、こくしょう……?」
「国・章・渡・し!!」
オルトが苛立ちに任せて言うと、ようやく騎士の瞳がオルトの背後にいたテトラへと向けられた。そして再びオルトに視線を戻す。青褪めた顔はまだ必死に威厳を残そうと努力しているものの、乾ききった唇はかすかに震えていた。
「ち、ちなみに、どなたが、ちょ、挑戦者で……?」
オルトが無言で親指でテトラを差すのと同時に、テトラも無言無表情で軽く挙手した。
その動作ひとつで、左胸の国章達がぎらぎらと太陽光を反射する。
途端に騎士が悲鳴を抑え込むように、はっと口を手で覆った。
顔は真っ白だ。
なのに大量の汗が吹き出ている。
さすがのオルトも身を案じないわけにはいかなかった。がたがたと震え出す始末だ。
「おい、大丈夫かよ。吐くのか?」
「……ラだ……」
「は?」
「テトラだ……! テトラ・トルーシェだ!!」
片方の騎士がテトラの名を漏らすと、残っていた騎士が脱兎のごとく城に駆けて行った。
「テトラだ! 皆のもの! テトラ・トルーシェだぁぁぁッ!!」
狼少年よろしく叫びまくりながら遠ざかっていく騎士の背中をぽかんと見送る。
「……お前、有名人だな」
「だね」
オルトが呟くとテトラは口端を下げた。有名になりたいわけではなかった。
騎士はまだ叫んでいた。
「テトラだぁ!! 敵襲だぞぉッ!! 敵襲! 敵襲ぅーーッ!!」
がんがん鳴らされる国中の警鐘はまるで雷鳴のように轟いだ。
やはり、ぽかんとしているオルトが呟く。
「……俺、申請って、ちゃんと言ったよな?」
「……だね」
白昼堂々と王室に喧嘩を売りにきた二人と触れ回られたせいで、城から続々と騎士達が飛び出してきた。
巣を蹴られた蟻みたいだ。
あっという間に二人は槍や剣に囲まれてしまう。オルトが両手を挙げたので、まあ兄がそうするならとテトラも倣う。刃物の切っ先がいつ触れてもおかしくない距離にあった。
「いや、だから申請だって言って──」
「黙れ!! お前の噂は痛いほど聞いている! 王室を根絶やしにしているとの凶行! なんたる罪深さ!」
「そんなことしてない」
オルトの否定にテトラも便乗して、うんうん、と頷いてみせるけれど殺気立った騎士達にはなんの意味もなかった。
そこに──
「よしたまえ」
凛々しい声が割り込んだ。
そちらに目をやると、騎士団の最後部に立つ男がひとりいた。白の礼装はこの国の魔術師の制服であり、金色の刺繍は幹部を意味する。銀髪にメガネを掛けた彼は、にっこりと微笑みながらも、けして油断してはならない怜悧な雰囲気を滲ませていた。
「おさめなさい」
言われ、騎士達は揃って切っ先を天に向け、気を付けの姿勢を取った。騒々しさに一本の芯が通る。
なるほど、この男の笑顔は信じてはならないらしい。
銀髪の男は左胸に手を当て、恭しく礼をした。
「不敬でした。心より、お詫び申し上げます。わたくしは、ベンゼン国、王家魔術団副団長のパラと申します。ご用件を承りたく、馳せ参じました」
オルトが三度目の用を告げると、パラは小さく頷いた。予想していた答えだったと見える。
「申請は応接室でおこなっていただきます。どうぞ、こちらへ」
騎士団が道を開ける。促されたとおりにオルトは門をくぐったが、テトラはそれをせず留まった。
パラとオルトが振り返ると、テトラは大きな門を見上げ、ぐるりと城を囲う鉄柵を右から左へと見つめた。
そしてそのままで言った。
「察知魔法は解除してほしい。してくれないのなら、壊しても? これから戦うのに、私の属性を知られると不利になってしまう」
言い終えたあとで、テトラはゆっくりとパラへ視線を移した。
パラの笑みは深くなっていた。
耳まで届きそうなほど上がった口角とは裏腹に、薄く開いた瞼からは切っ先よりも鋭い銀色の瞳が覗いている。
「ほう……?」
その暗い声音こそ、彼の本音なのだろうとテトラは思った。




