19話目 最強魔術師
ゴンゴン──
オルトが透明な箱、通称フィルガードを拳で軽く叩いてみると鈍くて重い音がした。四方をぐるりと二人で回ってみたものの、隙間はない。
「ちょっと火とか試してみる」
「おう」
オルトがテトラの背に移動したところで、深呼吸をする。肺に溜まった空気がぐらぐらと煮詰まったのを見計らって、吼えるようにして吐き出した。
見事な火炎球に聴衆も「おお!」と、ざわつく。だが職人達は自信満々の顔を崩さない。その表情のとおり、火炎が消えたあとのフィルガードには煤ひとつの汚れさえついていなかった。
その後も水、雷を試して見たが化擦り傷もつかない。転がっていた小石を魔術で物凄い速さでぶつけてみたものの、結果は変わらなかった。
「ははあー。なるほど、これは今までで一番の強者かも」
「条件さえクリアすれば、テトラほとんど圧勝だったもんなあ」
テトラはふっと息を吹き掛けた。ベンゼン国で処刑人を吹き飛ばしたのと同じ魔術だ。
すると、箱の中の国章がピローの上で少し動いた。
「ふむ。中に空気は一応あるわけだ」
「なるほど、このフィルガードの素材と一緒に溶かして固められてないってことだな。……で、それがなんか解決策になるのか?」
「ならん。とりあえず、どれだけの厚さがあるのか見てみよう」
掌を国章に向け、ほんの少し動かすと国章が浮いた。壁のほうへとそのまま移動させる。コツンと軽い音がした。
「あー、5センチってとこか?」
国章と箱の厚さを真横から観察するオルトが片目を閉じて言った。親指と人差し指とで厚さを示してみると、確かに5センチメートルくらいだ。天井、地面につく六面すべてを見てみたがどれも均一な厚さのようだ。
「落としてみるか」
テトラは呟いて、また掌を箱に向ける。今度はフィルガードそのものを対象物として、徐々に腕を上げた。
フィルガードがゆっくりと上昇していく。うんと、うんと高く。
おお! と、職人達が驚いて、組んでいた腕を外した。さすがにここまでの高さから落下させたことがないのかもしれない。テトラはおまけで勢いもつけてフィルガードを地面に叩き付けた。
地面は抉れた。
土が高波みたいに弾けたあとで、雨のごとく降り注いでくる。
フィルガードは、まさしく最強の盾とばかりに無傷でそこに君臨していた。
「やっぱり下が地面だと衝撃が吸収されるか。あ、もしかしてフィルガードと橋って同じ素材?」
オルトがまた知識の引き出しを開けてくれる。
「あー、確かにそうだった」
「まさか、橋にぶつける気じゃねえだろうな!?」
「あ、だめ?」
「い、いや、だめ、っていうか……」
職人達が焦って顔を見合わせている。これは試してみる価値ありか。
テトラは再びフィルガードを浮遊させて、そのまま橋へ向かった。橋に着いて、また先のようにぐんぐんとフィルガードを上昇させる。背後では職人達が心配そうにひそひそ話をしていた。
「大丈夫か……?」
「橋の厚さは30センチはあるんだ。壊れるはずがねえよ」
「でも、ほら万が一ってことが……」
「俺達が作ったんだ、情けねえ声出すな!」
そんな彼らを横目に、テトラはフィルガードを橋に叩き付けた。
「お!?」
オルトが歓喜に湧く。職人達は悲鳴に似た声を挙げた。
フィルガードと衝突した橋の欄干が破壊されたのだ。
テトラも期待したのだが、やはり、フィルガードには穴も開かなかった。うーむ。と、唸っていると、まったく予想だにしないことが起こる。
「あらあらあらあらあら!?」
フィルガードを落下させたところがよくなかった。あまりに欄干に近かったのである。そのせいでフィルガードがまるごと湖に落ちてしまったのだ。
兄妹はすぐに駆け付けて水中に視線を落とした。
透明度の高い水の中に、ゆらゆらと箱が見える。どんどん小さくなっているのは、物凄い速さで沈んでいるからだ。
「あちゃー……」
なんたる失態、と思っているとオルトが思い付いたように指を鳴らした。
「おい、まだ試してねえのがあるぞ!」
「なに?」
「圧力!」
テトラも思い付いた。そのことにオルトも気付いて二人は声を揃えた。
「「水圧」」
そうか、圧力はまだ試していなかった。
「湖の水深は?」
「1700メートル。海に匹敵する深さだ」
「よし、底に着くまで待ってみて、そこから引き上げてみる」
「……相当、重いぞ。できるか?」
「やってみる。できなかったら、国章は永遠に取れなくなる」
兄妹は頷き合って、静かに待った。もう箱は見えなくなっていた。どのくらいで底に着くのだろう。わからない。それほどの計算ができるほどの知識が兄妹にはなかった。
「できるはずがねえさ! 底まで着いたフィルガードを引き揚げるだと!? 一体、何トンの重さが掛かると思ってんだ!! 俺達は手伝わねえぞ。お前らたった二人でできるとでもいうのか!! 馬鹿め!! 皆、喜べ!! 俺達職人の勝ちだ!! 俺達のフィルガードは誰にも壊せねえのさ!!」
リーダーの鼓舞に職人達は顔を綻ばせて手を打った。誰しもが勝利を確信しているらしい。
なぜ?
人の作ったものなら、必ず人の手で壊れる。人が作ったものでなくても、人は必ず壊すのに、家族の絆でさえ壊そうとする人間は多くいるのに、それを認めないなんてまだ現実を知らない赤子じゃないか。
ここで勝たなくちゃ、勝たなくちゃ──
──私は死ぬんだ
「テトラ」
その声に振り仰ぐと、オルトがいつもの悪戯っ子な笑顔を向けてくれていた。
「お前ならできる。大丈夫だ。俺の妹だろ」
兄はどうしてこうも力をくれるのだろう。いつも自信をくれて、笑顔をくれて、緩和をくれる。笑い返すと、ずしん、と僅かに橋が揺れた気がした。底に着いたのかもしれない。
テトラは水面を睨み付けた。光の届かない湖の底に沈んだフィルガードを見据える。見えなくても、そこにあるもの。
掌をかざし、ぐっと引っ張り上げる。無理だ。上がらない。腕そのものを固定されてしまったみたいに箱がぴくりとも動かないのを感じた。
「くっっっそッ!! 上がらない……!」
「待ってろ」
オルトはロープを取り出してテトラの腰に巻いた。さらにその先を馬に括り付ける。
「行け、引っ張れ!!」
二頭の馬は律儀に歩を進めようとしたが、どうにも一歩が進まない。オルトもロープを持って引っ張った。
じりじりとテトラの体が引かれていく。
「上がり始めた! そのまま引っ張って!!」
「おうよ!! 猛スピードで引き上げろ!!」
テトラの歯の食い縛りを職人達はいつの間にか見つめていた。その横顔は、彼らが物造りに熱中しているときのそれとまったく同じに違いなかった。誰しもが黙している。
「……変形してる……!」
感覚でわかる。フィルガードは確かに変形しているみたいだった。急浮上している間にもみるみる形が歪んでいくのがわかる。しかも、そのたびに引き揚げる力が楽になっていった。
がくん、と膝が崩れ落ちそうになる。
──魔力が……!
「こんなところで、負けてたまるか……!」
やりたいことが、あるんだ。
また兄と二人で暮らすのだ。
幸せだったあの日々が走馬灯のように目の前をちらついていく。
そして最後に見えたのは、かつて、幼少期に出会った魔獣だ。
目にじわじわと力が入っていく。
「ここだぁッ!!」
テトラが手を天に翳したのと同時にフィルガードが水面から飛び出した。槍のように紡錘形に歪んだフィルガードは魚のように水を弾いて輝いている。そして宙に浮いた途端──
──パキン
軽い音を立てて割れた。
「……そうか、急浮上で内部の空気も……」
割れたフィルガードから転がり出たのは、美しい水色の国章だ。空から落ちてくる国章を受け止める。左胸に着けると、五十すべての国章が揃った。
職人達を見ると、まだ浮かんだままのフィルガードを見つめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「……そんな……俺達の、フィルガードが……」
なにか、言葉を掛けたほうがいいのだろうか。腰に巻かれたロープを外しながら迷っていると、街のほうからぞろぞろと女性陣が現れた。
「なにを情けない顔をしてんだよ!! 負けたんだから、さっさと潔く認めちまいな! それよりも、世界最強の魔術師様の御誕生なんだよ!! 酒盛りだ! 食事だ! ほら、準備し始めな!!」
腕まくりをした女性陣に肩や背中を叩かれ、職人達はおずおずと踵を返して行ってしまった。最後に残ったリーダーは愛おしそうに、ひしゃげたフィルガードに両手を伸ばしている。テトラはそっと、フィルガードを下ろしてやった。透明なフィルガードは水を滴らせて泣いているみたいにみえた。彼らにとって、フィルガードは子どもと同じなのだろう。
「俺達の、フィルガードが……」
「……あー、なんていうか……その私にも目的があって──」
「すげえぞ、フィルガード! 水深1700メートルで粉々にならねえなんざ、さすが俺達のフィルガードだ!! ほら見ろ! ひしゃげて、たったの一度割れただけだ! どの溶接部分も外れちゃいねえぞ!! うぉー!! すげえ! すげえぞ!」
スキップしながらフィルガードを抱いて去っていく背中を見て、慰めの言葉を掛けようとしていた自分を恥じた。ここが職人の国だということを忘れていた。彼らはまた、なにかを作り出すのだ。
「ほら最強魔術師様! あとそこのニーちゃん! おいで! たらふくご馳走するよ!」
らっきー。
兄妹は笑い、互いにサムアップをした。
これで、目的のものを手に入れられる。