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16話目


 目を覚ましたとき、テトラは自分の姿を鏡で見るまで安心できなかった。

 見慣れない天井がはっきりと輪郭を伴うと、これまでの経緯を思い出した。急いで浴室に向かう。

 この七年間、睡眠を取れなかったのは魔獣が寝ている間隙を襲って乗っ取ろうとしていたからだ。だがあいにく、隙を狙おうと窺えば窺ってくるほどテトラも覚醒してしまう。あたりまえだ。体はひとつなのだから。

 だから、テトラは気を失っている間に、魔獣に支配されているのではないかと慌てた。綺麗に磨き上げられた鏡の中に写る、顔色の悪いテトラ・トルーシェを見つけて心底安堵する。

 いつものテトラ・トルーシェだ。


「……よかった……」


 鏡の中の自分を撫でる。

 まだ、人間だ。

 まだ、テトラだ。

 鏡に手を置いたまま項垂れると、頭上から声が降ってきた。


「もう平気か?」


 その優しい声音はオルトだった。振り仰ぐと、ドアに背を預けたオルトがいる。自分に慈愛の目を向けてくれる、世界でたったひとりの兄の目の下にはクマが刻まれていた。夜通し看病してくれたのだろう。


「すっきりした。もう大丈夫。ありがとう」

「そりゃよかった。オニーサマは久しぶりに焦ったぞ。五日も起きねえんだから」

「え、そんなに?」

「そんなに」

「マジ?」

「マジ」

「なにもなかった? 発作とか」

「なにも。安心しろ。身体を拭くのも、着替えさせるのも、俺だけが耐魔手袋を嵌めてやったし、なにも影響はなかった。気絶してんのに、飯だっつったら口開けてモゴモゴ食ってたしな」


 くつくつと喉を鳴らして笑っているあたり、同じ顔で食事の介助をしてくれたのだろう。兄はとても優しいから。


「話は聞いた。脅迫まがいのこと、されたらしいじゃねえか」

「そう。性格悪すぎ」

「でも、訓練してやるのは世界制覇してからでいいって話なんだろ?」

「そう。だから、今日にでも()とう。時間が惜しい」

「いいよ、行こう。毒を盛った犯人をあの四人が躍起になって探してくれてるけど、わからずじまいでもいいか?」

「どうでもいい。どこの国にも謀反はあるし、権力を持たせるのを嫌がる連中もいる。あとひとつで世界一になるから、邪魔したい奴がいるのも不思議じゃない。それより、時間を優先したい」

「わかった。着替える」

「……寝てからにする?」


 怠そうなオルトを慮って提案したのだが、おもむろに首を振った。


「馬に乗りながら寝るくらい、訳ない。オニーサマをなめるなよ」


 オルトはテトラの頭に手を伸ばした。触れてはならないと気付いて、また途中でやめる。


「全部終わったら、説教してやる」


 どうせ、そんなことはしないくせに。

 二人は着替えて、そのまま何も言わずに城を出た。誰かに会ったら、また足止めをくらいそうだったからだ。特にあの四人は、やたらに熱心だから厄介だから会いたくない。

 城内は、やたら人がいなくて静かで、好都合だった。



◇◆◇◆◇◆



 世の中は、うまくいかないことばかりだ。

 パラが張り巡らしていた探知魔術をうまく逃れていたと思ったのに、いざ、国境を越えようとすると行く手を騎士団に阻まれてしまった。

 どうして行かせてくれないのか。

 正六角形に弾かれた自分が、魔獣を倒せるからといってこんなにも希少種扱いされるのがよくわからない。どうしても教官が欲しいのなら、他の国からでも顧問を雇えばいいだけではないか。

 ずらりと隊列を組んで並ぶ騎士団の中には、クメンもいた。

 だが、目を合わせまいと騎馬しながら俯いている。


「通してくれ。この国に戻るのは、旅を終えてからでいいと言われてる」


 オルトが訴えかけても、騎士団は動かなかった。

 どうして騎士団なのか?

 ふと、疑問が湧く。

 自分を説得しようというのなら、関わりのある魔術団員のほうがいいだろうし、普通ならばそうする。下っ端の騎士団の挙声よりも、メタの一言のほうが重みがありそうなものだが。

 かといって時間稼ぎでもなさそうだ。パラやメタが来る気配もない。

 いや、むしろ、騎士団の顔に誇らしさがまるで感じられなかった。

 ポリマーとの対峙を迎える前の顔合わせのときとは、表情が全然違う。


 なんだ……?


 そう疑ったが、次の瞬間、理由を悟った。


 全員が剣を構えたのだ。

 切っ先が木漏れ日を反射してきらめく波を作る。


 兄妹は声を揃えて納得した。


「「……なるほど」」


 力になってくれないなら、消す、か。


「誰の命令だ。毒を盛った奴か?」


 訊ねても、答える騎士はいなかった。否定しないということは肯定だろうし、物言わぬということは、自分達よりも地位が高い人間からの命令なのだろう。あるいは、仲間の発案か。

 どちらにせよ、不本意な仕事に違いなかった。

 彼らは、彼らが納得する仕事ならばこんなに暗い顔はしない。

 あれだけ輝いていた瞳は、表情はどこに穢れ落ちたのだ。

 テトラはひどく残念に思った。

 別の未来を歩んだ、兄の面影を見ていたのにここに並ぶ騎士は意思を喪失した人形に過ぎない。


 戦う価値もない。


「悪いけど、相手にしないよ」


 右手の人差し指を親指の腹に引っ掛けて、軽く弾く。空気をデコピンする要領で一度それを行うと、かつての神話で海が割れたように人波が左右に吹き飛ばされて道を作った。


 急いで行ってしまおうと、馬の手綱を強く引く。

 馬がけたたましく鳴いた。


 開いた道を駆け抜ける。

 風が顔にばちばちと当たった。行くなと、押し戻されるみたいだった。


「テトラ様!」


 その声は、クメンだった。

 馬をなおも走らせながら、首だけで振り返る。

 クメンは涙と鼻水で汚れた顔で訴えかけた。


「助けてください……! メタ団長達が……処刑台に……!」


 テトラは思わず手綱をぐんっと引いた。馬が、なんだよ、と言わんばかりに唸ったが、命令通りに足を止めた。


「助けてください! 魔術団の全員が、処刑されてしまいます! 我々騎士団では、どうすることもできません!」


 助けてください!

 真っ赤になって叫ぶクメンの顔は、先の人形とは違って胸になにかを抱いていた。

 テトラは思わず呟いていた。


「いい顔だ」


 オルトとちらりと視線を交わす。お前がいいのなら、という意味合いの肩の竦め合いをした。

 二人は高らかに国境を再び跨いだ。

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