13話目 メタの消沈
その日の夜、メタはなかなか寝付けなかった。
国境には通常程度の警戒員を配置して、他の団員達は休息させている。自分も眠って明日に備えなければならないのに、頭が考えるのをやめてくれない。
なにをするでもなく、部屋にひとりでいられもせず、メタは食堂のテーブルに座って何時間も過ごしていた。ぼんやりと、一点を見つめたまま。
ふと、気配がした。
振り仰ぐと、青白い顔が暗闇に浮かんでいた。
「わあッ!!」
「ああぃ!? なに、なんだよ、びっくりするから辞めてよ」
「……な、なんだ、テトラか……驚かせるなよ」
「失礼な奴だな」
黒髪黒目に加えて黒ずくめの服だから、闇の中で見ると顔しか認識できないのだ。いきなりなんの化け物かと思ったが、当の本人はそそくさと厨房のほうへ消えていく。
特にやることもなかったので、テトラを追ってみた。
「……なにしてんだ?」
「夜食。兄さんが厨房に頼んで作ってもらってたやつ。冷蔵庫に入ってるから自由に食べていいって言われてる。盗んでるわけじゃない」
言いながら取り出したのは、十数人で取り分けるのが普通の容器に、山盛りになったピラフだ。
それをどん、とテーブルに乗せ、取り分け用の大きなスプーンで食べ始めた。
「温めないのか?」
「火加減が難しい」
「貸してみろ」
メタは容器を両手で挟み込むと、静かに呪文を唱えた。右手の親指に嵌められている指輪の魔石が僅かに光る。じんわりと掌が温かくなったところで、やめた。
「ほら、これでいい」
「お、本当だ。ちょうどいい。ありがとう」
燭台の蝋燭にも火を灯してやると、ピラフから湯気が立ち上っているのが見えた。
どうしてか、メタはテトラの向かいに腰掛けた。
しばらくテトラの食事を眺めていると、不思議そうにテトラが見上げてくる。
「なに?」
「よく食べるな、お前は」
「あげないよ」
「いらねえよ」
きっと、誰かに打ち明けたかったのだろうと思う。けれど団長としてここにいる自分がそんな悩みを抱えていると言ってしまえば信頼がなくなってしまいそうで、どうしても言えなかった。
目の前にいるテトラはいつかここを去る。
騎士でもなければ団員でもないし、国民でもない。
自分という人間がいかに弱いかを吐露したところで、あまり影響はない。
そうとわかっているから、メタはとうとう語り始めてしまった。
「今日、役立たずと言われたんだ」
テトラは変わらず咀嚼を続けている。
「騎士は命を懸けて魔術師を助けるのに、魔術師は騎士になにもしてくれないのか。守られるだけか。魔術師のくせに、役立たず。魔術師のくせに。魔術師のくせに」
魔術師のくせに。
頭の中で反芻され続ける言葉達はどれも鋭利で、メタの心を深く抉る。地上戦は勝てるという傲りがなかったわけでもない。自分に落ち度がなかったと言えない。だから──
「死んだ全員の責任を感じるんでしょ」
テトラは頬袋いっぱいにピラフを詰め込んだまま言った。どんどん、と胸を叩きながら厨房に向かって、グラスに水を取って戻ってくる。頬張っていたぶんを嚥下すると、また口に詰め込んでいく。
メタはやけに納得した。
そう。死が圧し掛かってくるのだ。全員の死が。
団長になってから、いつも肩が重い。
決断すること。これでよかったのかと振り返りたくなる迷い。誤ったかもしれないという後悔。いつも引っ張られて、踏み出す足が重くて堪らないのだ。
テトラは食事の手を休めず、続けた。
「なんでこうなったんだ。どうしてこうなったんだ。ああすればよかったのか、こうすればよかったのか。そうしたら助けられたのか。なら、どうして俺はそれをしなかったのか。ああ、俺のせいだ俺のせいだ。
俺に力さえあれば。
そうやって自分を責めたくなるんでしょ」
なにも言えなかった。寸分違わず、テトラの言うとおりだった。
「その気持ちは、よくわかる」
その一言に泣きそうになった。
俺の気持ちなんてわからないくせに、とは思わなかった。
このテトラ・トルーシェが母を亡くしたショックで世界制覇を目指したことは、出版されている伝記で知っている。真実だけが書いてあるとはいわないが、嘘だけを書いているとも思えない。だから、少なからずこのテトラにはメタの気持ちがわかる可能性がある。
無力な子供の前で母が殺された。
その事実は、自分の非力さを嘆くには充分だ。
「けど、やめたほうがいい」
「……なに?」
「そんな気持ちには、ならないほうがいい。死を悼むのは大切だとは思うけど、自分を責めるのはやめたほうがいい気がする」
「……しかし、俺は団長として、団員の死に責任があるのは事実だ」
「じゃあ、なにをするんだ?」
「……なにを、だと……?」
「自分が悪かったのだと責めて、それから? ぐずぐず落ち込んで、それから? そうやって泣いて朝を待つのか」
言われて初めて自分が涙を流していることに気付いた。慌てて乱暴に拭う。
「泣き虫」
「な!? 俺はそんな奴じゃ──!」
「泣き虫」
「違う! 俺はちゃんと考えてる! このミスを繰り返さないためにどうすればいいか、次の布陣、次の作戦、魔術の有効活用! それに遺族へのサポートとか、お金とか、就労先の手配とか、それから、とにかくたくさん考えてんだよ、俺だって!」
言うと、テトラは口の端を吊り上げて、おもしろそうに笑っていた。不躾にもメタをスプーンで差して、それだよ、それ、と言っている。
「そういう前向きなことだけ考えてればいいんだよ。後ろを向くと辛くなる。変なこと考え出す前に、とっとと前向いたほうが有意義だよ」
だが、それはどこか自嘲めいていた。それに、どこか感情なんか不要だと吐き捨てているみたいだ。
メタは問うた。
「お前は?」
「なにが」
「お前は今、どこを向いてるんだ」
テトラは答えなかった。
ずっと俯いて、黙り込んだままピラフをかき込んでいる。
なんだか、そのまま闇に消えてしまいそうで、メタは急いで取り繕った。
「い、いや、なんでもない。話してすっきりしたら小腹が減ったな。少し貰ってもいいか」
「絶対、嫌。他にもなんかあったよ」
「あれは緊急出動時のための保存食だ! 夜勤の奴らのための軽食だ! 寄越せ、このケチめが!」
「嫌。絶対に嫌」
少なくとも、メタの心はすっかり軽くなってしまっていた。