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10話目


 静かな森だった。

 豊かに生い茂る木々達は瑞々しく、緑が濃い。土の匂いと葉の匂いがそよ風に乗って楽しそうに走っている。

 鳥の一羽も鳴いていない閑寂。


 見える城が小指ほども小さくなったとき、国境の手前で野営を組んでいる団員達と合流した。

 クメンを含む九人の小隊でテトラ達は国境に向かった。野営組と交代して、警戒と休憩を繰り返しているらしい。小隊は他に何十とある。海にも同数以上の団員を送られていた。


 昼の一件以来、クメンは兄妹に目もくれない。存在しないとばかりに装っているが、顔は青痣だらけだ。それでいてオルトは無傷なのだから、もしかすれば、ほんの少し、負けた悔しさもあるのかもしれない。


 夜は静かに()けていく。

 馬を置いてきたテトラとオルトは巡視に向かった九人を座って待つことにした。オルトはその体格を見込まれて、鎧と剣を借りている。


 大きな岩を背凭れにしていると、馬の蹄が土を踏む音がした。

 クメン達が戻ってきたのだった。そしてすぐにまた巡視に出掛けていく。そんなことが六度あった。

 野営組が交代に来て、一旦、国境から戻る。

 張ったテントの中で、騎士達はすぐに眠った。オルトも同様だ。休めるときに休んでおかなければ戦えないと教えられているに違いない。


 そして四度目の国境警戒に就いた。団員達が現れては消える。


 これで無事に朝がくれば──


 だが、テトラの瞼がぴくりと痙攣した。それは違和感を覚えたときの、本能の警告だった。


「情報は正しかったか……」


 溜息混じりに呟く。

 計画からクメン達が戻ってくるのと同時に兄妹は立ち上がった。既にその気配を捉えていた。


 それまで座っているだけだった二人が動いたことで、クメン達は少なからず驚いていた。


「なんですか?」


 団員が訝しげに問う。

 テトラは遠くを見るように目を細めて、吐息を吹きかけるみたいに囁いた。


「きた」


 団員は眉をひそめた。


「きた? まさか、敵が? いや、そんなはずはありません。半分の小隊が最前線にいるのです。襲撃があれば、こんなに静かなはずは──」


 ひゅっと音を立てて弓矢が闇を貫いた。テトラの足元の土を抉った矢を皮切りに、ひゅんひゅんと矢が飛んでくる。クメン達はさっと真剣な顔になって盾を構えた。


「敵襲! 敵襲だ! 始まったぞ!」


 さすがとも言うべきか。不意打ちを食らったにも関わらず、小隊は盾を構えながら馬を走らせ、闇の中に切り込んでいった。敵襲と聞きつけた野営組も立て続けに加わっていく。夜に溶けていったいくつもの背中を見守り、二人は再び腰を落ち着けた。


「俺達の出番はなさそうだな」

「だね」


 遠くで団員達の勇猛果敢な雄叫びが聞こえている。金属のぶつかり合う音は、そこで命のやりとりが行われているとは思えないほどに他人事に聞こえた。


「なあ、テトラ」

「ん?」

「お前が世界一になったら。この旅が終わったら、川の近くに家を立てようぜ。二階建てでさ。丸太作りの茶色のやつ。うんとデカいベッドを置いてもまだ余裕のある大きい部屋でさ。うんと料理を並べても余裕のあるデッカいテーブルも置いてさ。動物の世話して、植物の世話して、川で魚釣ったりして、毎日好きなだけ食って好きなだけ寝ようぜ」

「うん。いい考え」

「それからずっと何十年も二人で暮らそう。酒樽とか買っちまうか」

「そうだね。楽しそう」


 いよいよ国章が最後のひとつとなって、兄は一抹の不安を覚えたのだろうか。それとも、まもなく迎えるであろう旅の終わりが待ち遠しくて堪らないのだろうか。

 どちらもだろうと思った。

 その証拠に、オルトはテトラをしっかりと見据えて言ったのだ。


「だから、死ぬなよ」


 絶対に。

 その願いに、頷いて返事とした。

 生きて帰るのだ。五十の国章を得て、生き延びるのだ。二人で。幸せのために。


 そのとき、遠くで聞こえていた怒号が悲鳴に変わった。がらりと雰囲気が変わる。静寂に沈んでいた森は、どこかざわめきだっていた。

 それは戦闘だけが理由ではないようだ。


 交わっていた二つの視線が、団員達が消えていった闇に向けられる。

 闇からぼんやりと浮かんできたのは、逃げ帰ってくる団員達だ。どの団員も血だらけだ。馬もない。

 さすがにオルトは立ち上がった。


「なんだ、どうした。全員、ベンゼンの奴らじゃねえか。地上戦は得意じゃねえのか?」


 立ち向かったはずの、ほとんどが逃げ戻ってきている。血相を変えて駆け抜けていく彼らに威厳もなにもない。


 なにか、あったな。


 テトラは大きく深呼吸した。そして気付く。


 ──この匂いは


 ばきばき、と木々の折れる音がした。

 いや、なぎ倒す音か。

 視線を上に向ければ、まだソレは遠くにいるというのに、そこに佇んでいるのが見える。

 魔獣だ。

 木々よりも遥かに背の高い魔獣はドラゴンよりも大きく、獰猛で有名な二足歩行の怪物、ポリマーだ。

 一匹一匹は小さな魔獣なのに、それらが集合して個体となったのがポリマーだ。だから接近して皮膚をよくみると、蛆虫が這っているみたいに、皮膚一枚一枚が蠢いている。彼らはあくまでも集合体。


 今まで気付かなかったのは、集合体になる前の状態でここに来たからだろう。


 ポリマーになるきっかけがあったはずだ。


 そんなことを考えていると、やはり皮膚と同じく、チロチロと揺らめく赤茶色の双眸と目が合う。



「最初は、ルイスサン帝国の騎士団との戦いだったんです! こちらが圧倒的に優勢でした、間違いなく! なのに、あいつら、魔獣を連れてきやがった‼ 俺達に地上戦では勝てないと知ってて、あいつら‼」


 ひとりの団員がテトラの前で崩れ落ちるようにして説明した。

 テトラは魔獣を見上げている。思いついたように呟いた。


「この匂い。そうか、餌を蒔かれたか」

「餌? そういえば、ルイスサンの奴ら、何か粉を蒔いていました。我々への目潰しかと思っていたのですが、それが⁉」

「おそらく、そう」

「そんな! 団員のほとんどがその粉に触れています! 餌まみれになっています!」


 続々とテトラの周りに満身創痍の団員が集まってくる。

 それでもテトラは久しぶりの巨大クラスの魔獣を見上げていた。魔獣はその大きな足で着実に近づいてきている。あの足に踏み潰されれば、ひとたまりもない。一瞬で人の形を失うだろう。

 ポリマーが動くたびに(すす)みたいなものが湧き上がっている。


 まだ一匹一匹の結合が弱い。

 ボーフラみたいに小虫共が飛んでいるに違いない。

 醜い奴だ。

 人間が恐怖を感じるのも、不愉快に思うのも、なるほど頷ける。


「テトラ様!」


 ふと、名を呼ばれた。

 そこには、今、逃げてきたばかりと思われるクメンがいた。左目が潰れている。矢を避けきれなかったようだ。

 残った右目からは血の混じった涙が流れていた。

 クメンは柔らかな土の上に両膝をついて、屈辱を厭わず土下座している。


「お助けを! どうかお助けを! このまま魔獣が街に迎えば、国が!」

「火矢も剣も槍も効きません! どうか!」

「どうか!」


 口々に騎士達が希う。

 正直なところ、この国がどうなろうと知ったこっちゃない。

 だが、テトラは次の一言でどうしてか動いてやろうと思った。


「妹に最後の別れもしていないんです!」


 そうか。

 別れのない別れは、さぞや辛かろう。

 残された妹は、日夜、兄を思い出して泣くのだろう。家族を失って、もしかすれば自分に魔術さえあれば守れたかもしれないと兄を想って泣くのだろう。かつて力さえあればと泣き崩れた自分がそうしたように、その幼い妹君は自分のような考えに至って動いてしまうかもしれない。

 繰り返してはならない。この悲劇を生み出してはならない。


 仕方ない。


 テトラは一歩を踏み出した。


「走って逃げて。できるだけ遠くに」


 両腕を広げる。五指にしっかり力を込めて広げると、掌大の小さな黒い炎が生まれた。

 ポリマーに火は効かないというのに?

 違う。それは炎などではなかった。

 黒の禍々しき炎は夜闇を吸って次第に大きくなり始めた。

 沸き立つ風がテトラの髪をふわりと撫でる。


「刺しても死なない、射っても死なない、燃やしても死なない。沈めるには大きすぎる。けど、生命を奪う手段はまだある」


 腐敗だ。


 テトラがぶつぶつと呟いていると、オルトはなにかを察した。


「おい、おいおいおいヤベえぞ! 早く立て! 逃げるんだ! 走るぞ!」

「しかし、国境が! 我々が食い止めなければ!」

「馬鹿野郎が! テトラがいりゃ、あんなの大丈夫だ! とにかく逃げろ! 俺達も全員死ぬぞ!」


 まだ動けないでいる騎士達を鼓舞させる。

 その間にも、テトラの両の掌に生まれた黒炎はテトラの肌を舐める蛇の舌みたいに、テトラの全身に絡みついていた。

 全身に黒の炎を纏ったテトラ。黒の風を纏った黒ずくめの魔術師。


「走れぇッ!!」


 オルトは全力で騎士団達の背を押した。

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