狂気の歴史(side:ウィーレ)
必要なこととはいえ、この女と顔を合わせるのは鬱陶しい。女の並べる不平不満を聞き流しながら、ウィーレはうんざりしていた。
「そなた、あと三年で支援が終わるのを判っておるのか?」
ウィーレは聞き流していたが、まともに相手をしなくてはいけない長老のリゼーレは大変である。女の言葉を辛抱強く聞いていた長老だが、あまりにも身勝手な不満ばかり並べたてるのが続くのをさすがに遮って、問うていた。
「むつかしいこと言えば、だませると思ってるんでしょ!そういうの、サギシって言うんだよ!」
質問に答えようとせず、間髪入れず投げ返された暴言を聞いて、ウィーレはそれはそれは深いため息をついた。
「神子は村のためにいるんだから!なんでご飯くれないの!?」
「人聞きの悪い。食糧支援はちゃんとあるだろう」
ウィーレが視線で示した先には、今月分の配給食糧の袋が置かれていた。
毎月恒例になっているリゼーレらの訪問は、難民として過ごす彼女の息子と、そのおまけとしての女へ支援物資を与えるためのものだ。
他国との取り決めに従って難民への支援を約束している国はいくつもあるが、魔王領はその中でもしっかりした支援を行っている。形ばかり食べ物と水を配るような国も珍しくない中、魔王領ではしっかりした家をあてがわれ、贅沢品は無いものの十分な量の食べ物が支給され、寒さをしのぐに十分な燃料と衣服が与えられている。
魔王は色々試行錯誤している途中だと言うが、村への立ち入りが制限される難民の子供と、保護期間を過ぎて支援対象から外れたはずの女に対しては、十分以上に手厚い支援だ。よその国であれば、子供に長めの保護期間を設けることもないし、その親兄弟が期限を超えて留まる温情措置もとられる事はない。
ウィーレの常識で言えば、この女とその息子は、とうに追い出されているべき存在だった。
「誰もうちで料理しないとか、ありえないし。わたし、神子さまなのに!ごはん、くれてないじゃない!」
「糧が与えられることに感謝せんか。自分で料理いたせ」
リゼーレの口調はかなり厳しいものだったが、女は気にする様子もない。
「料理のおばさん、前は来てたじゃない。もう来ないとか、ないよ!なまけさせたら、ダメなんだから!」
「ここはそなたの村ではない」
「あたしがいるんだから、ここがあたしの村でしょ。神子さま大切にしなきゃダメって知らないとか、あなたたちホンット、バカじゃないの!?」
この物言いと考えの浅さで一児の母とは信じがたいが、それより信じがたいのは、この元神子が流暢に話すことそのものだ。
ウィーレが聞き取った限りでは、この元神子はかなり古い流儀で育てられている。
古の作法に従うなら、神子はごく幼いうちに選ばれる。神子に立てられれば家族から切り離され、世俗の人が話しかけることも、神子から俗人に声をかけることも許されず、話しかけるのは神官ただ一人だ。そしてそうして育てられた神子も、初潮を迎えるとその役を終え、俗人に戻る。
しかしそうして俗人となった元神子の少女たちは、まともな会話をする事も教わっておらず、動き回る事もなく育ったため走る事はおろか隣村まで歩くことも出来ず、俗人として生活する能力は何も持たないまま放り出されていた。
神子がその座を退いた後のことなど考えていないやり方に、当の森の神が神託という形で苦言を呈したのが、今から170年ほど前の事だ。神の名を使って子供の人生を歪めてはならない、と伝えられた時を境に、古い作法は徐々に廃されてゆき、今では神子を置かない神殿のほうが多い。いたとしてもいささか形骸化した形であり、神子として立った少女も儀式のない時は普通の子供として育まれるから、他の子供と同じように自由に喋り、走り回っても何ら不思議はない。
しかしこの元神子は、本人の話によれば家族とは別の建物に住まい、神に仕える男のみが話しかけることを許され、他の村人たちに声をかける事はあっても話すことはしなかったとの事なのだ。
それがやや幼い印象はあるにせよ流暢に話すことができ、14歳で母になっているのだから、おかしなことだらけである。
「だからぁ、あたし神子様なんだからね!食べられるもの持ってきてよ!生のイモなんかいらない!!」
「魔王様の慈悲にこれ以上すがろうと思うでない」
リゼーレが冷たく言い放って席を立つのは、毎度のことだった。
「なにが魔王様よ!お清めの儀式もやってくれないじゃない!」
「ありもしない儀式をでっち上げるでないわ」
リゼーレが押さえきれない怒気をにじませた声にも、女はまったく意に介していなかった。
「うちの神官様はやってくれたもん!神子様を気持ちよくさせるのがギム?だって!」
「口を慎め。ではな」
沈黙を守っていたウィーレを促し、リゼーレは小さな家を出た。
魔王領の中では小さな家ではあるが、寝室が二つと台所がついている、庶民の家としてはなかなか立派なものだ。寒村であればそれこそ、一間しかない家で、一家全員が同じ部屋で炉床を囲んで寝るような暮らしをしていることを思えば、難民にもしっかりした家を提供する魔王の方針は破格ともいえる。
しかし村から離れた場所にあるしっかりした家は、悪徳の巣窟にもなりうる場所だった。
「……ルージャの父親は、やはり」
難民集落から離れたところで、ウィーレはそう口を開いた。
「あれの村の神官だろうよ」
リゼーレの口調は苦々しかった。
『神子様が清めてあげてるの』といいながらあの女が何をしているか、リゼーレもウィーレも知っている。
あれは無学で手に技もない、身を立てる手段を持たない若い女だ。独り身の男と一夜を共にして何がしかの物を得ているのは、褒められはしないが目をつぶらざるをえない。
魔王領の領民であれば、娼婦に身を落とさず済むよう支援が用意されているのだが、女自身が領民になるのを拒否している。そのうえ女は『親しい男友達』と金のやり取りをしていないし、法の保護下にもいないから、処罰の対象にもなっていない。
「夫でもない男と交わることに、疑問を持っていない神子、か。世も末ですね」
元神子を保護したのはリゼーレだ。ウィーレは別の一行をまとめて避難してきたため、保護された経緯を直接知っているわけではない。
「およそ、神子とは呼べぬ者よ」
「生臭神官が手を出した、というわけですか」
「うむ。神子選びも、もとより曰く付きだったようでな」
「と、おっしゃると?」
ウィーレの問いに、リゼーレの額のしわが深くなった。
「村の中で、見目良い女の産んだ娘を神子に仕立て、十ほどの年になれば手籠めにしておったようだ。それを、代々繰り返していたと」
「むごいことを。それにしても、よくご存じですね」
「あれを保護した時に、神官も一緒におってな。奴めがアナーシャの娘に目を付けて、神子にしてやろうと抜かしおった時に聞きだした」
アナーシャの娘は当時、まだ二つかそこらだろう。アナーシャの美しさを受け継いだ娘に、手を出そうとしたという事か。
「そういう事であったな。たまには血のつながらぬ神子を味見させよと抜かしおったわ」
「……は?」
「ルージャの父は、ルージャの母の父でもある」
「狂ってる」
幼い神子を手籠めにして娘を産ませ、その娘もまた孕ませたという事か。と問うと、リゼーレの答えは是であった。
「……私は、その神官に会ったことが無いのですが、どうなったのです」
「もう死んでおる。奴の息子も、似たような下衆であったよ」
「息子も?あの女は一人だけ助かったと聞いておりました」
「我々のもとに押しかけて来た時は、女一人に男四人であったわ。二人は下男で、追っ手に対する盾にされておってな、その怪我がもとですぐに死んだ」
「神官と息子は、無傷であったと?」
「ああ、腹の立つことにな。そして、奴らが専属の神官になって神を祀ってやるのだから女を差し出せと抜かしおったわ」
「ああ、それでいなくなったと」
リゼーレ以下の者たちの怒りを買ったのだ、という事は良く分かる。
「森の神に仕えるのが生業と言うておったのだ、親子で森に還ったのは本望であろうよ」
生臭どもは、森の生き物に食い散らかされて終わったのだろう。
「そもそも森の神を祀るのに、専業の神官は不要なのですが……神官が神官として威張っていたのは、なんともいびつな在り方です」
森の神は神殿にこもって祈りだけをささげる事を良しとしない、とされている。ウィーレも神官の一人として正規の教育を受けているし、正神官の資格も得ているが、森の神の神官の常で、普段は別の仕事についていた。
「他とはほとんど行き来のない村であったそうだからな」
あまり愉快ではない話だ、とリゼーレはぽつりと溢し、話はそれきりになった。
魔王「横溝正史的なあれこれって、あるからね……あ、村民になる事を拒否されちゃったから、俺は介入できません」





