春の学外実習(2)
引率の先生役二人と子供らが山菜取りに行ってしまうと、小さな斜面はとたんに静かになる。
鳥が鳴いてる声が聞こえて、日差しは温かく、絶好の昼寝日和……と言いたいところですが、こういう草地で昼寝はお勧めしない。
こっちの世界にもダニはいるからねえ。ダニに刺されて病気になる事もあるわけだから、昼寝するならハンモックか何かを使って地面からの距離をとったほうが良い。まだダニの出る季節じゃないからそれほど心配しなくていいけど、だからと言って直接寝っ転がる気にはならんわな。
ダニに刺されて熱が出た時の薬はあまり良いものがないので、刺されない用心をするしか無いです。
というわけで、子供らが戻って来た時に昼の準備が出来るように、火床の周りに虫よけを焚く。子供らも作業前に焚いてたけど、あれは子供が扱っても大丈夫な弱いものだから、ちょっと不十分。一番強い虫よけは有鱗族の子供が直接吸い込むと少し害が出るので、子供らがいない隙に焚いておく。
元の世界と同様に、こっちでもヒト系の種族ってやたらと毒物に強いんだよね。有鱗族には有害なものでも、ヒト系種族に影響が出ないことが多い。そんなわけだから、俺しかいないうちにやるべき事はやっておきます。
この、一番強い虫よけはだいたい6時間くらいは虫の活動を抑えられる。効能としてはダニ類が吸血する気を無くすタイプで、殺虫効果はあまり無いから生態系への影響は少ない優れもの。ダニだって生態系の一部を構成している以上、むやみに消して回るわけにもいかない。吸血させなければ子供らに害は無いから、ちょっとの間だけ大人しくしててくれれば十分なんだし。
虫よけの煙を空気に乗せて草地一面に行き渡らせ、しっかり燻す。ゴミやそこに混じる虫を吹き上げることなく、空気を循環させるようにぐるぐる吹きわたらせるのがコツで、ちょっと丁寧に扱えば微風魔法は実用性が極めて高いんだよね。
そして一通り虫よけを行き渡らせて処理を済ませたあと、燃えカスは水に入れて始末する。子供らが戻ってくる前に煙を完全に消しておく必要があるから、ここは念のためきっちりと。
そこまでやった後で、遠くから呼子笛が鳴るのが聞こえてきた。
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「予測通りではあるよな」
緊急時に吹けと教えてあった呼子笛をちゃんと吹いたのは、赤牛族のランカちゃんだった。
あんまりアウトドアに向かない子なんだけど、インドア向きの慎重な頭脳派の片鱗は見せている。今日は白牙族のザーン君と耳長族のルージャ君とチームを組ませてある。
「ルージャの現在位置はこちらで掌握した」
「ザーンは判りますか」
先生役のうち、フェイさんはこちらに合流している。リィアン君は他の子供といっしょにシロハナダイラに集合中で、他の子供の面倒を見てもらいます。
「途中で止まっているね。安全地帯にはいるようだ」
問題を起こしたのはルージャ君。
もともと、不意の衝動に駆られて行動することの多い子なんだけど、その特性が今回もいかんなく発揮された結果、沢筋を下り始めたとの事。
ファルさんはもちろん、沢筋を降りるのは危険だからとすでに教えてあるんだけどね。ルージャ君は衝動に弱いので、「行ってみよう」と思った瞬間に先生からの注意事項が頭から消えるのはもちろん、一緒にいる友達の制止も聞こえなくなる。
そして、衝動に駆られて行動する時に、友達の腕を掴んで無理矢理引きずっていくのも日常茶飯事。ルージャ君の突飛な思い付きに強引に付き合わされた子供がケガをしたことも、何度かある。
そんなわけで今回はルージャ君の参加見送りも考えたんだけど、ザーン君・ランカちゃんの協力もあって最後のチャンスという事になっていた。
体格の良いザーン君なら、ルージャ君が腕を掴んで引っ張ろうとしても、それを振り払える。ランカちゃんも体格は良いから無理に連れて行くことはできないし、制止の声をかけるのもできる。
ルージャ君を外そうとした時、最後のチャンスをくれと声を上げたのが、いつもお世話係と化しているこの二人だった。
曰く、親がルージャにお薬をやりたがってないのが悪いんであって、ルージャが悪いわけじゃないと。ルージャの親を説得するまでルージャが何もできないのは、可哀そうすぎる。そう、お世話係の二人は力説した。
……安全管理上はかなり不安が残る話だったけど、俺が付いて行くという条件で許可を出した。
そして、ルージャ君が危険地帯に突入していった場合は、絶対に一緒に行かない事。止められないと判断したら、迷わず大人を呼ぶこと。この二点を徹底するようにと言い含めてあったわけですが。
「ランカちゃん、よくやった」
子供がやりがちなのが、突進していく子にむかって「ダメだよ、止まって!」なんて言いながら追いかけて行っちゃうという行動だ。それをやるとまず、遭難者が増えるだけになる。
安全なところで立ち止まって、声だけかけ続けるというのは案外、胆力がいるからね。今回、ランカちゃんは沢への降り口で目印代わりに立っていた。
「ザーン君はもう少し先にいます」
滝にぶつかるまでは、この沢筋も一見すれば平穏な道だ。
「ありがとう。じゃ、ランカちゃんはここで休憩ね」
おやつのクッキーを渡しながら、休憩指示。大人が来るまでは不安もあっただろうから、少し休ませたほうが良いだろう。
ランカちゃんにはファルさんについててもらって、俺がザーン君を探す。こちらも慎重派だけあって、ガレ場の手前で止まっていた。
「あ、魔王様!」
「ああ、ここで止まってたね。よくやった」
「止められなかった」
「しょうがないよ、ルージャはそういう子だから。……ああ、だいぶん下りちゃったな」
ガレ場を下ると沢に行き当たり、そこからしばらくは歩いて沢を下ることが可能だ。
だが、その先で小さな滝に行き当たる。頑張れば下りられないこともないんだけど、降りたが最後で登れない。
滝を降りる途中で足を滑らせて落ちれば、降りるも登るも困難という事態に陥る。日本の山でも沢筋に降りて遭難するのはパターンの一つだったけど、それはここでも同じだ。
そのルージャ君はといえば、滝のところを降りるのに一生懸命になっていて、周りが見えていない模様。
「ザーン君も戻って。ファルさんがランカちゃんと一緒に待ってるから、合流したらいっしょにシロハナダイラまで行くんだよ」
「わかりました。ルージャのこと、おねがいします」
他の人なら単独で遭難者を迎えに行くのは自殺行為になりかねないけど、俺はその心配もないので、とりあえず子供二人を同伴者付きで戻すことにする。
ザーン君がカーブを曲がって姿が見えなくなったところで、ルージャ君に意識を戻す。
「まあ、そうなるよな」
足を滑らせて滝つぼに落ち、じたばたしているのが探知に引っかかった。
ルージャ君が直接見えるところまで短距離跳躍。滝の上に出て、落ちないように注意しながら下をのぞき込む。
とりあえず意識はあるし、ジタバタする元気もあるようだ。
「浮遊」
ジタバタするルージャ君を魔法で捕まえて、引き揚げた。
魔王「遭難後に原形を保って回収できれば上等、今回は生きてるからヨシ」





