冬の罠
この村の住民のほとんどは、人間の国に追われて難民化したひとか、その子供たちだ。
普段は表に出さないけど、苦労したひとほど、何かのはずみで黒いものが噴出してくる。
「直接手を下してはいけない、とは言っておいたからね」
俺のもとにアダン神官脱走の知らせが入ったのは、騒ぎから三日後の事でした。
「探しますか?」
やる気ありません、と声音でも態度でも示すオゥウェンさん、ちと素直すぎやしませんかね。
リーシャさんなんかは用心深いから大丈夫なんだけど、アダン神官は人間優位が身に染みついちゃってるもんだから、無意識に自分を上に置く癖がある。
村の住民が過去にどれだけの思いを重ねてここに来たのか、を聞いても『寛大に慈悲を見せる』とあくまで上から目線でものを言うもんだから、なんというか、イライラするひともいたわけですよ。ほとんどの住民はそんな態度を見せなかったけど、あくまでも見せなかっただけ。
そりゃ、こういう機会になれば爆発するよねと言ったところ。
オゥウェンとしては、真剣に探して救助する気になんかならなくて当然だろう。
「んー、そうだね、人間の国の連中と接触してないことを確認する必要は、あるよ」
「かしこまりました」
脱走の手引きをしたのが誰かは一応、調べる必要あるんですが。
内部の犯行なのは判明してます。
なんせ、脱走を唆してた本人が申し出てきましたんで。
脱走させる計画を立てたグループのリーダーは、人間に父親を殺された耳長族の若者。親子で住んでいた町を襲撃され、襲撃の日に父親を、逃避行の途中で母親を亡くしているけど、表向きは人間への恨みなど感じさせないように振る舞ってる知性派です。
イライラもうまく隠してたみたいだし、アダン神官を信用させて唆すのは簡単だったろう。
なお、今回はあくまでも『アダン神官は勝手に出て行った』という証拠しか残ってません。俺の指示で追い出したわけでは無いです。
が。
「勝手に脱走した場合でも、情報保全が出来ているかどうかは確認する必要、あるからね?」
「はい、もうしわけありません」
「今度からは、情報が漏れない保証が有るところで終わるように計らってくれるといいかな」
村から出ちゃったんですよね、アダン神官。
これが村の中で発見されてれば、確認作業が楽だったんですが。
脱走直後の不幸な事故が起きないあたり、手引きしたひとも素直です。
「お怒りではない、と」
「君は善人過ぎます、て意味でなら、多少は指導しても良いかなーと思うけどね。脱走させたこと自体は、結果見えてるから別に構わないよ」
はっきり言うと、脱走を唆した目的はもちろん、凍死させるため。
ただ、怪しまれないために渡した装備がまとも過ぎて、思ったより遠くに行けたっぽいんだよねえ。
「君らには色々、負担かけてたかもしれないな。配慮が足りなかった」
「いえ、子供たちのためをお考えと分かっておりましたから」
「今回は罰するつもりはないけどね。政治的にごたごたする可能性もあるから、次回は勝手にやらないでね」
誰かが手を下す可能性も考えてたから、これで問題が増えるというわけでは無いけどね。今のところ、想定内で収まってはいます。
とはいえ、こういう腹黒いことをやるなら、俺が責任とれる形でやって欲しかったわけで。
「申し訳ありません」
「一応、脱走させちゃったという事で、相応の対応はするからね?」
公的な話をするなら、不穏な言動があるので隔離していたアダン神官が、見守りをしてた担当者の目をかいくぐって逃げ出して、凍死しました……ということになる。
春になってから神殿に連絡付けてもらう時に備えて、見守っていた担当者に事情を聴きました、というポーズくらいはとっておく必要あるからね。
──────────
幸いにも晴れた晩に出て行ったので、アダン神官の痕跡を追うのはそれほど困難ではない。
「吹雪いてないから大丈夫、という言葉を信じたんだろうなあ」
放射冷却で冷える晩に出て行ったわけですよ。
もちろん、罠です。
普段ならもしかしたら、智女神の『神託』で危険を知ることができたかもしれないけど、例の女神さんは今、反省文の書き取り中。こちらの世界に干渉することは禁じられている。
そしてこの村の住民は、アダン神官に本当の危険を教えてやるつもりなんか、なかったわけです。ここで一緒にずっと暮らしていく人だとは、まだ見なされていなかったということ。
冬の夜の危険を知らなかったアダン神官の足跡は、いったん川岸に下りている。川沿いの道に設置したゲートを迂回して、また森の中の道に戻るルートをとった模様。
アダン神官以外がいた痕跡は、なし。
川から道に上がった場所は、誰も踏み込んでいない雪の中。ラッセルしながら進んだんだろうね、細い道が作られてました。
「水も食料も不足してるのに、ここでこれだけ動けばなあ」
相当に汗もかくし、汗はやがて冷えるもとになる。脱水症状のリスクも上がる。
まして川筋ともなれば、風の通り道にもなっている。今の時期、あまり通りたい場所ではない。
頑張ってラッセルして森の道に到達、そこから先もスキーやスノーシューで踏み固めた道があるだけだ。外敵の侵入につながるリスクがあるため、森の木に付けてある印の事はアダン神官には教えていないし、夜に人間の視力で正しい道を見てとるのも難しいだろう。
アダン神官の痕跡は案の定、道からそれて森の中に迷い込んでいる。
このへんの森には魔道具も仕掛けてないし、迷い込むこと自体はおかしくない。
痕跡を追跡する俺達はスキーを履いてるけど、アダン神官が履いていたのは村の中で良く使われるブーツで、かなり雪に埋まっていた様子がうかがえた。
「頑張って歩いたんだな」
最後まで、どうにか国にたどり着こうとしていたんだろうね。
足跡の終わる場所で、アダン神官は先を見据えるように半分目を開いたまま倒れて、凍り付いていた。
背中には、それなりのサイズの荷物。荷物の中にある食糧には、手を付けた痕跡が無かった。
「……どうなさいます」
「丁重に扱ってくれ」
引いてきた橇に毛布を広げてもらい、そこに浮遊で移動させたアダン神官の遺体を下ろす。
仮埋葬してやる都合もあるし、いったん村に連れ帰ることにした。
魔王「すぐに怒らない人ほど、怒らせると怖いんだよ?」





