キリギリスの涙
子供たちの先生として招いたアダン神官は、所属組織に報告書を出す義務のある人のわけですが、報告書にはもちろん、検閲は入れさせてもらってます。
というわけで。
「あ、これはダメ」
今回は検閲の結果、出せない情報がけっこうあると判断しました。
「しかしお許しいただければ、これで救われる民がいるのです」
「ダメなもんはダメです。人間がまずやるのって、略奪部隊の編成だからね?」
アダン神官が大量に書いていたのは、うちの村の冬の暮らしの事。家は温かいし食べ物には困らない、という事を、食べられるものの種類と量まで含めて細々と書き連ねてました。
こんな情報が人間の国に漏れたら、次にあいつらが考えるのは『あるなら寄こせ!』です。いや、寄こせとすら思わないか。『あそこにあるのは俺のモノだ、取りに行ってやる』くらい言いかねないね。あいつら所有権とか理解しないんで。
自分で問題解決することを学ぶ気のない奴には、うちの在庫の事は教えちゃいけません。
「うん、今回の報告書はだいぶん分量が減るね」
ばらされるとまずい情報ばっかり並んでます。
ありていに言うと、アダン神官の情報があれば略奪軍を編成できるね、これ。
「魔王陛下、そこをなんとかお許しください。あちらの民の救いになるのです」
「教えたら村に被害が出るから、ダメ」
人間の国の民とやらを救うために、村の住人が被害を被るのを許す気は無いです。
「だいたい、農業書くらい買ってくる気になればいくらでも買えるでしょう。自分で調達できるのに買ってこない奴に、タダで情報やる気は無いよ」
あいつらに理解できるのって、うちの村には食料があるって事くらいだからねえ。
食料の作り方を学ぶ気なんか、全然ないでしょ。
「しかし!」
「うちの住人、人間に身内を殺された人も多いんだよ」
アダン神官は都合よく目をつぶろうとしてるけどね。
「そんな住人が頑張って作り上げたものを、人間にほいほいやる義理なんかないんだよ」
「しかし陛下も人間でしょう!」
「別の世界のね。俺はあんたらの尻拭いさせられてるだけで、あんたらのお身内じゃないですよ」
どれだけ食い下がったところで、削除すべきものは削除です。
特に今年は人間の国は不作だったし。春以降も食糧不足が必発となると、こちらの食糧目当てに押し寄せてくるリスクはけっこうあります。
「だいたいアダン神官、あなた知恵の女神の神官でしょ?教える内容間違ってます。今ここにある豊富な食料の自慢なんかじゃなくて、農業書から学べと書いてやらなきゃ駄目です」
アダン神官の手紙は『ここはすげーぜ物がいっぱいあるぜ!』『詳しくは、こんなものがこんなにこうやって貯蔵してあるぞ!』と書いてるだけだからねえ。
「脳足りん連中は食料自慢なんかされたら、「じゃあよこせ」と押し寄せてくるだけですよ。もうちょっと知恵使ってくれませんかね」
「しかし、ここの食糧があると教えてやれば」
「奪いに来るのにちょうどいい、だから教えてやりたい、と?」
「そんなことは申しません、しかし!」
「あんたが書いたものは、奪いに来いという誘いにしかなってない」
「そんなつもりは!私は、ここの食糧があれば民が救えると」
だから、俺は連中の面倒見る責任なんかないんだってば。
「頭冷やせ」
話にならないので、浮遊でアダン神官の襟首をひっつかみ、タイミングよくオゥウェンが空けた窓から放り出した。
アダン神官が落ちた場所は、雪だまりの上。首から上は埋もれてないから、窒息の心配は無いだろう。
「魔王様、あれをこれ以上置くのは危険かと」
オゥウェンが眉をひそめてそんなことを言っているけど。
「下手に追い出すと、管理できない状態でベラベラ喋るよ」
なので、できれば手元に飼っておくのが無難です。
「それに、今回の連絡が来るまで大人しかったろ」
「故郷が飢えに苦しんでいるという事でしたね」
いよいよ、人間の国では厳しい季節が始まっていた。
不作の年の冬は、春までの十分な食料は確保できていない。食べられるものなら何でも粉にしてパンを焼き、わずかなパンと水でしのぐ生活の中で、弱い者から死んでいく。
その窮状を伝える手紙が届いた後、アダン神官が書いたのが、検閲で不可を出した手紙だった。
「俺、人間の国まで救う義理ないよ」
この世界の中にもすでに、農業生産レベルを上げるための技術が存在している。
そういう知識から目を背け、すべての種族の頂点にいる尊い自分たちという幻想にとり憑かれて道を誤った人間の国に、俺が何かしてやる義理は無い。
「そりゃそうです。で、あれどうします」
雪に埋まったアダン神官、それでも『ここの食糧があれば、人間を救えるんです!』と叫んでますが。
……この村でそれは大声で言わない方が良いんだけどねえ。
「人間に食わせてやったら、この村が飢えるんだが、判ってるか?」
窓から呼びかけると、
「充分食べてるところから取って、何が悪いんですか!」
と、泣きながら叫び返してきた。
ちなみに、今俺がいるのは役場の二階の俺の仕事部屋。
一階には広い事務室があって、そこの人もアダン神官の声は聞こえてるんだよね。
「悪いに決まってるだろう、俺は許可してないよ」
「なぜですか!教えてやれば取りに来ますよ!」
うーん、ここらはアダン神官の限界なんだろうなあ。
俺に対する敬称からも判る通り、アダン神官は人間の国の常識から抜け出せていない。王様でもなんでもない自治領のリーダー、という俺の公的な立場は全く理解できてないし、金を出して食料を緊急輸入するという発想も出来ない。物があると教えてやれば、王の慈悲にすがるために人間はここにやって来るし、慈悲深く振る舞う必要がある国王は余った食糧を分けて当然だ、という理想しか頭にない。
実際には人間の国って、窮乏すれば略奪に走るんだけどね。民度なんてものは存在してません。
「だから来させるなっつーとるの」
「魔王陛下のお慈悲が必要なのです!」
「俺は王様じゃなくて農園主。従業員を困らせるわけないでしょ」
自分の従業員を犠牲にしてまで、他所の連中に何かしてやる義理は無いですからね?
「慈悲なんかあるわけないでしょ。農具の改良ひとつしない、生産計画もなくべんべんと痩せた土を掘り返してるだけの連中の、備えの不足を俺がどうにかする義理、無いからね?」
「王たるものの心得でありましょう!」
「王様じゃないっつの」
情報を与えれば略奪に来る、赤字の原因にしかならない連中に差し伸べる手なんか無いですよ。
「与えよとは申しません、有るものを無い所に移すことをお許しくださいと!」
「略奪っつーの、それ。やらせるわけないでしょが」
ちなみにアダン神官のモラルが不足してるわけじゃないんだよね、これ。
人間の国だと割と一般的な感覚です。『無い所に』自分の物を移されないために武装するのも、まあ普通。それがあっちの常識だったりする。
「とりあえず、落ち着くまで仕事からも離れて、隔離室に入ってもらいます。良いね?」
子供たちに変な事を教えられても困るし。
そしてアダン神官の言い草を聞いてた、役場から出てきた面々が、なんか殺気立ってました。
魔王「村の人のトラウマを刺激することにもなるから、下手なこと言ったらダメだよー」





