表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

黒い封筒を開く五頁目





屋敷に業者を入れて魔法を敷いた、訪問者用のベルが鳴っている。



そう気付いて目を覚ますと、明るい星空の色をしたカーテンから、澄んだ朝の光が差し込んでいた。


時計を見ればまだ朝だったが、王宮や貴族の屋敷、その他の組織勤めの交渉人達が、セイをこの隠れ家から引っ張り出そうと画策し出す時間でもあった。


幸いにも今は社交シーズンではないが、その季節となるとどこからか大量の招待状が届くようになる。

なのでセイは、社交シーズンともなるとすかさず王都を離れるようにしていた。


いつもなら放置してしまうそのベルになぜだか出てしまったセイは、扉を開けた先に立っていた配達人から、国に属する騎士団の署名の入った正式な書状を受け取った。


自身で購入した小さな屋敷なので、使用人などは置いていないのだ。



(……………これが噂の。初めて見たな………)



慎ましく生きていれば、騎士団からの召喚状などを受け取る事はないだろう。

漆黒の封筒を手に首を傾げ、セイは小さく溜息を吐く。


おまけにこれは、魔法式添付された召喚状だ。


封筒を開くと、その魔法式を添付した人物からの魔法通信が繋がるようになっている。

朝一番に受け取るには、少々気鬱な手紙ではないか。



とは言え、受け取り確認をした以上、先方には配達人から連絡が入っている筈である。

不興を買わないように、早めに開封するべきだ。



手早く顔を洗うとブラシで髪を梳かして上だけ着替えてしまい、ぱりぱりと封蝋を割って封筒を開ける。


ぶん、と音がして封筒の上に浮かび上がった魔法陣からは甘い魔法の香りがして、すぐに男性の声が響いた。



「お休みのところを申し訳ありません。わたくし、第一騎士団所属のローヴァーと申しますが、セイラム・シェルフェフム氏でいらっしゃいますか?」

「………私がそうです。一人暮らしですし、個人認証の受け取り誓約書を書いたでしょう?」



久し振りにシェルフェフムの家名を出され、意識が冷えた。

何かの異常を察し、頭が猛烈に働き出す。



第一騎士団は、騎士団の中でも特務隊に近しい前線至上主義の要素を担っていた筈だ。


王宮や王族達の護衛をするのは華やかな騎士服で有名な第二騎士団で、魔法災厄などの有事に前線に出る第一騎士団はあまり表舞台には出ない。


その第一騎士団が、何の用だというのか。



「そうですね」



(…………声の響きには、警戒や嫌悪はない。であればなぜ、……………)



繋がれた魔法の向こうで、微かに微笑む気配を感じながら、セイはカーテンを少しだけ開けた。


窓の隙間から陽光が入り込み、木漏れ日の向こうの鮮やかな緑を覗かせる。

どうやら、今日はいい天気になりそうだ。



「今、少しお話させていただいても構いませんか?」

「ええ」

「フェルグレスト伯爵夫人をご存知でしょうか?」

「ええ。存じております。彼女は、会う機会は少なくても一番親しい友人の一人ですから。昨日、二年振りに再会して、一緒に昼食を楽しんだばかりです」



簡素に説明しながらも、心のどこかではわかっていた。

 


ああ、あの感覚だ。



壮大な物語の舞台の幕が開き、さぁここから物語が始まるのだと、期待と恐怖を押し殺してじっと座っているような、そんな感覚。



ふと、ずっと昔のまだ小さな頃に、そんな思いを抱いて一人で汽車に乗った事があるような気がした。



この記憶は何だろうと眉を顰めたところで、そんなセイの思考を断ち切ったのは、ここにはいない騎士の事務的な声であった。


「昨晩、フェルグレスト伯爵婦人がお亡くなりになりまして。出来れば、こちらでお話を伺いたいと思いご連絡を差し上げたのですが、ご予定は如何でしょうか?…………ああ、勿論こうしてお願いしているのは、他意はなく事務的な手続きでしかありませんので、ご容赦願えればと思います」



告げられた言葉は決して冷淡ではなかったが、まるで冷たい氷の礫のようだった。

だからきっと、その音を理解するのには時間がかかったのだろう。



この国の騎士団も、十八年前から少し風合いを変えたものの一つだ。


貴族の次男以下の男性のみで構成され、紳士的な物腰とは裏腹に軍事的な組織として独立した権限を持ち、事件や事故の調査に於いては、下級執行官であってもそれなりの自由捜査権を得ている。


あの災厄の日に、混乱を極めた王宮から騎士団が独立して動いた事で生まれた国家の第二権力としての在り方だが、一度、国家存亡に近しい程に情勢が悪化した国では、独善的な気質のある権力ですら安心材料に成り得たのだろう。


セイも、男に生まれていれば騎士になったような気がする。



なぜかその時、セイは、告げられた言葉を上手く飲み込めないまま、そんなどうでもいい事を考えていた。




「リリアナが…………?」

「ええ。伯爵夫人はお亡くなりになりました。もしご予定がなければ、本日の十一時にこちらにおいでいただけますでしょうか」

「伺います。………いつでも」



静かな声で答えてから、冷静さは不審さにも繋がるのだろうなと、ぽつりと思った。


きちんと受け答えをし、無駄もなく魔法式を切ったはずなのに、ふと自分の指先が震えていることに気付くと、セイは手に持ったままの黒い封筒をきつく握り締めた。




「………………リリアナが?」



出会ったのは、まだ学院の制服を着ていた頃。


幼い顔で笑う彼女を覚えている。

純白のウエディングドレスで、綺麗に笑っている姿も。




“彼女の名前は、マリア”



愛する人の名前を口にして、泣きそうな目で微笑んだその姿も。


まだ、こんなに鮮明に覚えているのに。




「…………っ、だから、私に会いにきたのか」



彼女は理知的で、合理的で、何をするにも無駄のない有能な女性だった。


だからと、昨日のあの再会からずっと心のどこかでは察知していたことを、セイはあらためて噛み締める。



彼女は、最後の警告をしにきてくれたのだと。



多分、リリアナは自分がもう長くないことを知っていたのだろう。

こうなってみればあの会話は、彼女が彼女なりに覚悟をしていたのだとよくわかる言葉ばかりだ。


あの謝罪は、つまりこういうことか。




(それなのに、)




「私は、察してやれなかった………っ、」



くしゃくしゃになった黒い封筒を床に投げ出し、両手で顔を覆った。




(………私の世界は、最初から壊れてる。本当に大切に思える人なんて、ほとんどいないのに)



それなのに、もういないなんて。



すぐに顔を上げて、まだ無様に震えの残る手で乱暴に長い髪をまとめた。

涙になりきれない熱でひりつく目を細めて、魔法式の通信を鳴らしたがヴィネアは出ない。



とてもではないが、じっとはしていられなかった。



堪らず、供の者もつけずに一人で歩いても評判を落とすことのない身分に感謝しつつ家を出る。


約束の時間までは少しあるので、騎士本部まで徒歩で行こうと決めて歩き出せば、ひと区画歩いた所にある大きな公園から美しい聖歌が聞こえてきた。


一年前に災害に見舞われた土地の慰霊祭を祈る為の集まりのようで、今日は国中でこのような催しが行われるのだろう。




(………もう、一年になるのか…………)



昨日も、その災害のことを思い出した。

リリアナと待ち合わせをした店で、漸く僅かばかりの復興が進んだその街のワインが出たのだ。


一年前の災害で、世界的にも有名なワイナリーの何世代にも渡って受け継がれた葡萄畑は、残念ながら失われてしまった。


減ってゆくばかりで新しいものが作られる事はないそのボトルを手に、今日は贅沢をしましょうと微笑んだ親友はどんな思いだったのか。



「……………っ、」



その微笑みを思い出してしまい、セイは咄嗟に胸元の服地を強く掴んだ。



僅かな風に木々の枝葉が揺れるばかりの長閑な公園から、どこか物悲しい歌声が聞こえてくる。


そんな鎮魂の歌はリリアナの為のものではないけれど、どこかにいる彼女にも、国中から聞こえる歌声は届くのだろうか。




一年前にこの国を見舞った悲惨な天災について、セイは、国外の辺境地で一報を受けた。


王都に隣接する土地での大規模な災害と、その結果の甚大な崩落事故。

十八年前の災厄の影響で起きたものらしいその事故を、会う約束をしていたヴィネアからの電話で知ったセイは、あまりの事態に帰国を考えたくらいだ。



(あの日は、ヴィネアもどこかの国で天災による事故に巻き込まれていて、途中から連絡がつかなくなってしまったし、私が中継地点にしていた村も、その影響で孤立してたっけ…………)



だが、手近なトランクに荷物を入れながら徐々に冷静になってゆくにつれ、その覚悟は薄れ、リリアナの無事だけを何とか確認するともう一度荷解きをした。



ただの感傷などの為に混乱したダルフェニウムに戻っても、大切な誰かを案じる大勢の人々の中で、セイは誰に会いにゆけばいいのだろう。



(私は、私でいることを気に入ってはいる…………)



それでも、これまでの人生であれだけ大勢の人に出会いながら、リリアナとヴィネア以外に名前を挙げられるような友人もいない自分を冷淡だと思うことはある。


小さな頃から特別な子供だったセイが、あまり居心地の良くない特別さに渋々甘んじていたのは、自分の異端さを家族に知られてしまうのが恐ろしかったからだ。


まだ、彼への思いは美しいばかりで、望みのない執着などは抱えていなかった。


それでも、自分の抱える感情が異質なことには気付いていた小さい頃。


セイにとっての家族というものは、近しいようで様子の読めない、怖くて近寄り難いものだった。


大人びた子供だからだと思われた方が楽だとそうそうに諦めて孤立したセイにとって、学院に入って漸く出来た友人のリリアナこそが、家族よりも多くを語らった大切な人である。


この世界との繋がりの希薄さは例えようもなく、失いたくない人がこんなに少ないのだと知る事はとても恐ろしい。



(あの人にだって、最愛の人と言えば伴侶しかいなかった。けれどもそれは、比べようもないぐらいに特別過ぎるから、たった一人でも充分なぐらいだと彼が思ったからだ。それに比べて私は、何て薄っぺらな人間なのだろう…………)



手のひらからこぼれ落ちてゆく宝物を見るように、恐怖がじわじわと心の奥深くに沁み込んでくる。


悲しいのは、大切な人を亡くしたからだ。

そして恐ろしいのは、大切な人がもう殆どいなくなってしまったからだ。



(こんなに大切な友達だったのに、最後の挨拶すら、まともに覚えてないからだ)



昨日、鳥という不思議で奇妙な言葉にすっかり困惑していたセイは、リリアナにはまた会えると無様にも信じきっていた。

別れの挨拶も、形だけ親しげな微笑みを浮かべたあっさりしたもので。



次などもうなくて、リリアナにはもう二度と会えないのに。



「ああ、本当に嫌になる。…………馬鹿みたいだよね、………リリアナ」


そう口に出したら堪えきれなくなって、セイは立ち止まって俯くと、両手で顔を覆って一人でぼろぼろと泣いた。





どれだけ歩いたのだろう。


コートのポケットに手を突っ込んだまま見上げた第一騎士団本部は、思っていた以上に地味な外観の建物であった。


一時間程は歩いた筈だが、この程度で足が重くなる程に柔な体ではない。

とは言え、さすがに疲れたなと溜め息を吐く。



(何だか、……………うん。地味だな。造りはとても壮麗な建物なのだから、木の一本でも植えればいいのに…………)


第一騎士団と第二騎士団は担う役割が違うので、こちらはこのくらい実用的で然るべきなのだが、親友を亡くしたばかりのセイからしてみれば、この無機質さが八つ当たりだとわかっていても理不尽な気がした。



はたりと、風がコートの裾を揺らす。


装飾と言えばそれが唯一の、入り口の大きな扉に刻まれている魔法刻印には、魔法の興りだと言われている人ならざるものの叡智の意匠の一つである美しい竜の姿が象られていた。



(……………綺麗だ)



その意匠になぜか奇妙なくらいに心を動かされてじっと見ていると、扉の前に一人の男性が立っている事に気付いた。


この距離感を保てている内に冷静に観察するべく見つめたその男性は、精悍な眼差しが涼やかな端正な顔立ちをしている。


漆黒の騎士服は第一騎士団の象徴でもあり、装いだけで浮き彫りになる優美さと異質さを孕んでいた。



(………………犬。猟犬や、…………狼のような………)



そんな事を考えながら歩み寄り、セイはその思考の奇妙さに眉を顰める。

なぜ突然そんな事を考えたのだろうと首を傾げたかったが、こちらを見ているあの騎士におかしな印象を与える事は避けよう。



(こちらを認識して待っていた様子だから、きっと彼が、ローヴァーという騎士に違いない………。何で私は、猟犬のようだと思ってしまったのかな…………)



確かに印象的な男性だが、初対面の人間を動物に例える癖なんて今までなかった。

それとも、この不安定な思考こそが、微かな絶望と狼狽の残り香のようなものなのだろうか。



まだ離れているのにこちらを見て一礼した騎士は、短めの灰色の髪が与える印象の鋭さと淡白さが美しく、硬質な気配と眼差しの酷薄さが如何にも前線に出る騎士らしい。


こつこつと石造りの階段で靴音を響かせ、セイはゆっくりと歩み寄る。



「中で待っていて下さってもよかったのに」



彼女らしい率直さで言えば、ローヴァーは少し微笑んだようだった。


それは微笑みと称するには鋭すぎて硝子の破片が光るようではあったけれど、なぜだかセイを不愉快にはしなかった。



感じたのは、確信………のようなものだと思う。



彼が何を確信し、何を考えているのかはわからないけれど、セイを、例えばリリアナの事件の容疑者だとは考えていないようだった。



「いえ、ついででしたから。それにしても、よく召喚状を差し上げたのが私だとわかりましたね」

「私を見た表情で」

「そうですか。では、中へ」

「ええ」



驚く程に短いその言葉と響きに、セイは、会ったばかりのその騎士に興味を惹かれた。

そんな場合ではないのだが、この独特の気配を持つ人の人間的な部分や、心を覗いてみたいと感じたのだ。


それはまるで、妙に目を惹かれる本の表紙を見つける瞬間に似ている。



(………あの日に、王宮の舞踏会でヴィネアに会ったときと同じだ)



夕暮れの薄暗い教室で、振り返って笑ったリリアナに会ったときと同じ。



ふっと、眩暈にも似た一瞬。

何かを掴みかけたものの、その気配はすぐに立ち消えて失われる。




「さてと、」



魔法の四大元素を天使に見立てたステンドグラスが並ぶ廊下を抜け、セイが通されたのは小綺麗な部屋であった。


とは言え、建物としての造りは壮麗だったものの、その内観は簡素ですらあった。

絨毯すら敷かない剥き出しの石床に、これはもう第一騎士団における気質と嗜好なのかもしれないと考える。


勧められた椅子に腰掛けながら視線を正面に戻すと、ローヴァーは、伏せかけた瞼の下からどきりとするぐらいに強い眼差しでセイの姿を捉える。


今のところ、ぞんざいな言葉には敵意はなく、彼らしさしか感じられない。

そして、ダルフェニウム国の特徴的な配色ではないふくよかな青い瞳は、優しい夜のようでとても美しかった。



(う、…………窓も閉めきっているのか)



鎧戸までを閉じている窓は、開けても木々の色が見えはしないけれど、せめて空の色くらいは見せればいいのにと思わざるを得ない。


飴色の木のテーブルには装飾など微塵もなく、椅子も簡素な木の椅子だ。

そんな、本来なら壮麗にもなり得る部屋を平坦に見せる調度品選びは、威圧的で息苦しいというよりは、何となくがっかりしてしまう。


しかしながら、第一騎士団のこの部屋に通される者達は限られているに違いないので、もしかすると、このどこか警戒心を奪うような内装も一つの戦略なのかもしれない。



「リリアナの死に不審なところがあるのなら、その遺体は騎士団の安置室にあるのではないでしょうか。会わせてもらえないんですか?」


ふっと、微笑む気配。


「確かに伯爵夫人は議論の余地のある亡くなり方をされましたが、こういう状況で故人にお会いいただくとしたら、ご家族の方のみですから」

「ああ。………そうでした。………と言うより、そうでしょうね」


リリアナの死に疑問があるらしいという事を確かめ、セイはテーブルの下に隠した指先をきつく握った。


「心中お察し申し上げます。とは言え、私も二、三お聞きしなければなりませんし、取って付けたようで申し訳ないとは思うのですが………」

「構いませんよ。気にはなりません。あなたにとってみれば、お仕事の範疇だと承知しておりますから」



喋りながら、セイは不思議になる。

この部屋に特別な照明などない。


おまけに天井から吊るされたくすんだシャンデリアの位置からしても、窓の角度からしても、ローヴァーの瞳に揺らぐ奇妙な光の正体にはならない。


よく、眼光鋭いなどという言葉があるが、その言葉を指し示すのが、実際に瞳そのものが暗く輝くように見える現象だったとするなら、これがそうなのだろうか。


鮮やかな暗い光は、どこか野生の獣の瞳のようだ。



(………………いや、犬なんかじゃない。………これは狼の目だ)



そう考えながら、セイは、どうしても自分が異常だとは思えなかった。


どこかでこのおかしな世界の始まりの瞬間があるのだとしたら、リリアナがセイの世界を引っくり返したその瞬間から始まっているに違いない。



(低くて硬質な声。熱くて獣臭い吐息を吐く狼というよりも、冷たい冬の夜を彷徨う狼だな……………)




「シェルフェフム嬢?」



あるかなきかの微かな躊躇。

セイは、彼女らしい物騒さで、告げるべき一言を選ぶ。



「鳥という言葉をご存知ですか?」



ふっと、ローヴァーの瞳が見開かれた。

涼しげな切れ長の瞳を見開く様は、一種壮快なものでもあったが、セイが感じたのは重苦しいばかりの恐怖であった。



ああ、やはり。

やはり、その道筋なのか。



「単純にお答えするのならば、その単語はよく存じておりますよ。一般常識としてね。それとも、特別な意味を孕む言葉として、私に何かを伝えようとしておられるのですか?」



如才のない返答に、セイは少し微笑み返してやりたくなる。

これは冷たい男かもしれないが、とても厄介な男だ。



「いえ、深い意味はないです。ただ、あなたは今、リリアナの死に関して何か思い当たることはないかとおっしゃられた。私に思い当たる唯一のことといえば、昨日、彼女が私に話した、鳥には気を付けろという奇妙な言葉でしたので、そうお聞きしたまでです」

「成る程。実に興味深いですね。さっぱり意味がわかりませんが」


そう言いながらも、目の前の騎士は困惑を演じる手間を省くことにしたようだ。

その高慢さに、セイはまた少し興味を惹かれる。



「私にもわからないんです。彼女にそれは何かと問い返したところ、私が認識している鳥としか思えないような、一般的な特徴を教えられましたので。………けれど、何か意味のあるものが残されたとすれば、それくらいでしたから」

「確かにその内容では、シェルフェフム嬢も困惑されたでしょう」

「あなたは、………まるでその言葉の持つ意味をご存知のように返されるのですね」

「まさか。亡くなられた伯爵夫人が仰った意味での鳥とは何なのかは、私にも想像がつきません。少し、調べさせてみましょう。何か、死亡原因の調査の進展に役立つものだといいのですが」



ひた、と向けられた強過ぎる視線を、セイは真っ直ぐに受け止めた。



「あなたは、リリアナの死には不審な点もあるとおっしゃった。それを明らかにして下さい。彼女は大事な親友でした。私は、この問題を納得のいく形で片付ける必要がある」

「ご遺体を発見されたご家族によれば、夫人は、自室の窓を開け、バルコニーの手前で倒れて亡くなられていたそうです」

「バルコニーの手前で…………」

「私がお伝えした不審点と言えば、死因が掴めないという程度でしかありません。それでもこれは王宮への出入りのある貴族の不審死ですからね。こうして、最後に彼女と会ったあなたにもご足労いただきました。とは言え、事件性のある場面を目撃した者はおりませんし、そのような物証があるわけでもない。どうか、安易に事件とお考えにはならないでいただきたい」



今度はセイが微笑む番だった。

飛び切り甘く冷ややかな微笑みを、目の前の騎士に投げかける。



「あなたは、それが自殺や事故死だとは思っていないのに?」


ローヴァーもまた、目を逸らさなかった。


「さて、どうでしょう」


騎士らしからぬそんな言葉を吐いて、薄く笑っただけで。





その日、ローヴァーとのやり取りは、実はそれでは終わらなかった。


短い聴取はあっという間に終わってしまい、どこか無礼にも感じられるぐらいの慇懃さで送り出されて騎士団本部を出たセイは、その場を離れながら、携帯用の魔法端末を取り出していた。


あの騎士がどのような調査をするのかはさて置き、ひとまず、ヴィネアにこの件の一報を入れておこうとしたのだ。


ふっと揺れた空気に振り返ったセイは、視界に揺れた漆黒の騎士服に、いつもの煙草を取り出す前でよかったと少しだけ思う。

この男が嫌いそうな気がしたのだ。



「偶然ではありませんね。私を、つけてらっしゃる?」

「まさか。尾行だとすれば、隣に並ぶなど不手際にも程がある」

「個人的に、そのような経験も少なくはないのですが」


そんな皮肉に、男は小さく喉を鳴らした。

ぞくりと響く甘さにも似た冷ややかさに、セイはしみじみと納得する。


やはりそうだ。


この男は何かが例えようもなく異質で、その気配は、歩道を歩く人々の中に決して混ざり込みはしない。



多分、セイの頭が壊れてなければ。



(実際のところ、王宮に足を踏み入れれば、特殊な魔法を扱える特別な人間なんて幾らでも見付けられる。けれど、その気配ともまるで違う……………)



隣に並ばれると、セイはその騎士が思っていたよりも長身ではなかった事に驚いた。

セイよりは長身であるが、例えば、ヴィネアよりは低いに違いない。



「少しどこかに入れますか?話せる場所なら、立ち話でも構わないのですが、あなたはご婦人ですので」

「私にそのような気遣いが必要かどうかはさて置き、角を曲がってすぐのところに、行きつけのカフェがありますが、そこでも?」



出会ったばかりの騎士としてはあまりにも不躾な誘いであったが、セイはすぐに頷いた。

ここで躊躇ってみても仕方がないし、ローヴァーという騎士が、セイの調べている何かを知っているのは間違いない。


こうして接触出来るのなら、願うべくもない機会だ。



それ以上言葉を交わすこともなく店まで先導すると、彼も何も言わずについてきた。

騎士である以上は貴族でもあるのに、ローヴァーはセイに主導権を握られても構わないようだ。


店に入ってきたセイを目に止め、時折来る眼福な客に顔を輝かせた店員は、店内の奥の静かで広いテーブルに案内してくれる。

セイは、そんな好みを覚えていてくれた店員に微笑みを返した。



「成程、確かに本たる特異さはやはりあるか。つけられもするだろうな」


しかし、その一瞬の隙間に手間取られ、背後で呟いたローヴァーの言葉は、セイの耳には入らなかった。


コートを脱いで席に着くと、セイは、向かい側に腰を下ろした怜悧な瞳を遠慮なく覗き込む。



「あ、私は珈琲を。ローヴァーさんは?………では、彼にも同じものを」

「ローヴァーとお呼び下さい。我々は騎士団に所属する際に家名を名乗る事を禁じられますからね。強引にお誘いしたようで申し訳ない。ご不安に思われてなければいいのですが」


性格なのだろう。僅かに頭を下げたローヴァーに、セイは小さく首を振った。


「いえ、乗ったのは私ですし、不躾だとは思いますが、あなたは少しも高圧的ではありませんでしたよ。事件や事故至上主義な騎士団の人間らしくないですね。だから不快に思うよりも、何をご存知なのだろうかと興味が湧きました」

「今は、騎士として振る舞っておりませんから」


生真面目に答えたローヴァーの言葉に、セイはいささか面食らった。

まさか、そこまであけすけに返答する男だとは思わなかったのだ。


「業務時間内に、騎士が口にする台詞には思えないのは確かです」

「しかるべきところに漏れれば問題になるでしょう。でも、あなたはそれどころではないでしょうから」

「先程は自分で否定した言葉を、今更知った顔で蒸し返されても」

「先程は、業務中でしたから。なので、これから鳥について語るのだとすれば、それは私の個人的な事情からです」


その言葉が音になった途端、セイは、形のない不安に眉を顰めた。


ローヴァーと今向かい合っているカフェは半地下の造りになっており、貴族達は近付かず、商人達が愛用する市井の店だ。


空に開けた窓などない筈なのに、それでも瞼の奥に翼の影を感じてしまうのは、単なる強迫観念からだろうか。


親友の死という衝撃で揺らいだ心が、まだ平静さに程遠いからかもしれない。



「私は、リリアナに告げられた鳥というものが、何なのかを全く知りません。ですから、あなたがそれについて知っているのならば、私はもう、あなたから語っていただくしか真実を得る術がないし、あなたが知っているような素振りを見せた以上、私は簡単には引き下がりませんよ」


コートの下は女性らしいワンピース姿だったが、この男ならば、セイが頑固な人間だと見抜くのは容易いだろう。


そう思ってあえて語尾を強めることもなく宣言したところで、大きな手に似合わない華奢なカップを取り上げたローヴァーが、小さく微笑んだ。



(………物語的、)



ローヴァーの怜悧で美しい微笑みを見た途端、セイの中にそんな言葉が浮かび上がる。



(そう、物語的なんだ。他人とは違うとか、特異点がなくても目を惹くだなんて言葉では表現出来ない。……………彼等はみんな、どこか物語的だ)



日常ではない、もっと鮮やかで不自然なもの。


最初の物語を、捨てなかった者達。


不意にその言葉を思い出して、セイは密かに納得した。


彼等が物語的だと衝動的に感じたのは、きっと彼等が、通常の人間が持ち得るもの以上に、余分な物語を抱えた存在だからなのだろう。



(とすれば、この騎士はどちらなのか?)



今生のものではない物語を抱えた、自分やリリアナ達と同じ存在なのか。

或いは、未知のその他の存在なのか。


そこまで考えて、セイは自分の思考の織りにぞっとした。



(今のは、…………何だ?)



確かに自分の思考だけど、なぜそう思ったのかがどうしてもわからない。




「魂に色残りのある者に出会うのは、実際のところそう珍しいものではないんですよ」


セイの沈黙をどう捕えたのか、ローヴァーが最初に告げたのはそんなことだった。


「そうだとすると、もう自分の人生を得ている人達を追いかけ回すくせに、鳥とやらは、随分杜撰な管理をしていることになりませんか」

「命は生ものですから。画一生産をされる造花ではなく、生花だと思えば納得もゆくでしょう」


生き生きと笑う、在りし日のリリアナの姿を思い描いた。

花のようにという言葉の艶やかさは、確かに彼女に相応しい。



「その割には、規格外と判断された者達に対する処分は、あまりにも酷薄では?」

「その辺りの線引きは、私にも理解が及ばない。鳥は、規格内の者達を慈悲深く愛することもあるが、基本的に人間の願いには取り合わないことが多いですね。規格を外れたものを狩り立てる様は、軍律を持つような組織などより遥かに冷酷ですから、彼等にとってのその管理は、愛情らしきものを見せようとも、所詮仕事の範疇でしかないのでしょう。つまりのところ、あなた方とは違う生き物ですからね」



その言葉と、語られる内容に滲んだ不穏さに、セイは握り込んだままの指先が冷たくなった。


この騎士は今、人間の側に立たずに会話をしているのでは無いだろうか。



「…………人間からすれば、不愉快な話ですね。けれど、鋏を入れて剪定する植物の感情を慮る園芸家は、滅多にいないでしょう。業務としてそれを行うとしたら、尚一層に」


言い訳もせずにセイをしばし見つめた後、ローヴァーは、観察していたのを隠しもせずに頷いた。



「珍しい判断力をお持ちの方だ。しかしながら、率直さが幸いで可能性はとても低いと言わざるを得ない」


今度は、セイが微笑む番だった。


「これでも、不器用だと遠まわしにでも言われることは珍しいんですよ」

「ご自身でも、自分が器用だとは思われてはいないでしょう」


ともすれば、相手を不愉快にしかねない率直さで言うくせに、ローヴァーの表情は生真面目なままだ。


彼は彼なりに何かを愉快だと感じているのは理解出来たが、どういう意図で自分に接触してきたのかまでは読みとれない。


「私の生き方は無様ですから。あなたの説明から察するに、……………あなたは、鳥ではないのですね?」


からりと笑ったセイを見て、ローヴァーは微笑みよりも笑顔に近いものを瞳に滲ませる。

そうすると、受ける印象ががらりと変わった。


「感情があるのですから、無様でいるのもまた、人間らしいことでしょう。勿論、見ている事すら不愉快な者もおりますがね」


その言葉の鋭さに、セイの中で小さな不安が揺れる。


彼は善意の味方なのか、そうではないのか。



(この人にとって、リリアナの死は、どのような意味を持つものなのか)



もういないリリアナの、最後の警告を無視するわけにはいかない。


こうして出会った以上は、相手がどういうものなのかをきちんと見極める必要があったが、今のセイには質問の仕方も不確かなくらいだった。



「あなたは、…………どうしてこの件に時間を割こうと思われたんですか?見ず知らずの他人という範疇でもせめて、リリアナの死を惜しんでくれているからなのでしょうか?」



学生の頃、唇を濡らす珈琲の苦みが苦手だった。


珈琲が大好きだった親友を喜ばせたくて付き合っている内に、セイも飲めるようになったのだ。



(……………だから、不確かなものでも、恐ろしいものでも、私はリリアナが残したものに、応えられる限りは向き合おう)



そう考えて背筋を伸ばし直したセイに、ローヴァーから返された言葉はとても意外なものだった。



「マリアを惜しいとは思いますよ。例えば、我々の目を引く脱走者として。希少な写本として。けれども、伯爵夫人の死に関しては、同胞ですからね。…………本を亡くしたから死んだのか、或いは復讐をし損ねたかぐらいの感慨でしょうか。我々はあまり、同族には興味がない」



地下の空間を染める淡いオレンジ色の光が、テーブルを柔らかく照らしている。


グラスや陶器の触れ合う音に、市販の音楽を蓄え繰り返す魔法石から低く囁くピアノの旋律。


この話は、一体どこからどこまでが正気でいて、どこから先が見知らぬ物語なのだろう。



「………待って下さい。言われている意味がわからない。……………そもそも、マリアの名前をどうして?」

「おや、成る程」



ローヴァーは得心気味に頷き、その表情が不憫そうであったことがセイの不安を掻き立てる。



「リリアナは、………私と、…………同じものではない?」



(………そうだ。リリアナも、そんなことを言っていたような気がする。あの時の私には、きちんと理解出来ていなかっただけで………)



「彼女は我々と同じもの。同列の種族ではないにせよ、あなたの恐れる鳥にこそ近い存在ですね。我々にも種類があり、その続柄によって性質が異なるので似ていると言う表現もおかしなものですが」

「………リリアナが、鳥と同じようなもの?」

「正確には、役割が違います。鳥はこの世界では、あなた方人間というものに公の干渉権を持っている唯一の種族です。他には、そうですね…………。例えば、狼は、ごく稀にこちら側にもいるが、知識を与えるだけの存在であることが多く、人間に関わることを好みません。梟もそうですかね。最も多いのが鹿で、美しいものに目がない彼等は、写本に引き寄せられてこの世界に深く関わることが多い。こちら側に入り込んだ殆どの同胞は、鹿のようにコレクターです」



耳を滑りそうなくらいに作り話めいた説明に、セイは、しっかりと理解せねばと自分を鼓舞しなければならなかった。


そうして一度飲み込むと、会った時にリリアナが話していた言葉の中にも、同じ色合いのものがあったことを思い出す。



「そうだ、………あの時、リリアナは、自分が鹿だと言っていた………」

「ああ、彼女は鹿でしたか。それにしても珍しいな。雌鹿は滅多にいないものなんですよ」

「そう、なのですか?……よくわからないけど、そういうものなのか……………」



納得しかけてセイは、リリアナの歌うような語りを思い出す。



“帽子職人だったわ”



わからないまま思い当たってしまった言葉に、きりきりと頭痛がし始めた。

自分の履歴を棚に上げて言わせて貰えば、こういう話はとても苦手なのだ。



「ローヴァーさん、………あなた方は、こちら側で生まれ変わったりもするものなのですか?………いや、自分で口にしていてもおかしな質問だなとは思うんですけど………」


言いながら困惑して眉を顰めると、そんな様が可笑しかったのか、ローヴァーはまた少しだけ微笑んだ。


その微笑みを説明するのなら、どこか違う世界で生まれた見知らぬ生き物が、ちっぽけな人間を憐れみながらも柔らかな愛情を向けたかのような、そんな尊大さであった。



「いいえ、滅多に。それは我々にとっては、不利益しかない道筋ですからね。長命高位の特権を失い、力を削って記憶すら曖昧になってしまう。でも恐らく、あなたがその質問をしたということは、伯爵夫人はそのような状況にあったようだ。……………極めて珍しい」

「…………多分。あなたが、雌鹿が珍しいと言うのを聞いて、リリアナがマリアに初めて出会った頃の彼女は、帽子職人の男だったと話していたのを思い出しました」



もう一度カップを取り上げようとして、セイは、模様以外の全てを飲んでしまったことに気付いた。



「ふむ。これで納得もいきました。彼女の死因は、復讐でも他の我々らしい死因でもなく、鳥に回収されただけのようだ。二度目であれば、我々とて鳥の手を逃れるだけの力はもうない。不憫なことですが」



(それは、そんな風に、当たり前の声で言うべきことなの?)



事務的で平淡な言葉に胸が軋む。

わあっと声を上げて怒りたかったが、なぜだか、ローヴァーに対しては怒りを感じることが出来なかった。



「…………では、リリアナは鳥に殺されたのですね?」



(私は、どうして鳥というものを憎いと思わないのだろう…………)



どうしてなのだと自分自身に問いかけても、この悲しみは、親友を失った自分の内側にしか向いていない。


けれど、奪われたのならそれは力尽くではないか。

リリアナは、マリアを喪った悲しみを乗り越えて、やっと愛する人を見付けたばかりなのに。


「殺されたという表現で考えるのは、あまりお勧めしません。彼女の状態であれば、ただの回収ですから。死の場面としては、ただの老衰とも変わりない」


そんな幕引きですら理不尽だと抵抗するのも人間ですがねと続け、ローヴァーはカップを取り上げる。


考える時間を与えてくれたとわかって、セイは暫くの間、言葉を溜めた。



(回収なんて、最低の言葉なのに)


それでもやはり、鳥というものに対する憎しみは湧き上がらなかった。


(だとすれば、鳥というものに、明確な人格や顔を持たせてないからだろうか)



考えてみたが、そうでもない気がする。

だとすれば、人間らしく天使の行いには運命めいた諦めを感じてしまうのだろうか。


少し考えてから、そちらでもないようだと結論付けて、まだ色褪せる筈もない彼女の最後の笑顔を思い浮かべた。


一点の曇りもない、胸に突き刺さるような綺麗な微笑みを。



(………ううん、きっと)



リリアナが最後にごめんと口にした時から、無意識に理解していた事実に胸が痛んだ。



(もうリリアナには、理由がなくなってしまったんだ)



大事な人は他にもいただろう。

彼女が、伴侶となった伯爵を彼女なりに愛していたことを、セイは知っている。


けれど、時として、それだけでは駄目なこともあるのだ。

それだけでは生きていけないだけの分量を失ってしまえば、心だって力尽きる。



遠い昔の、あの人のように。



(もう飽き飽きしたって言っていた。リリアナはきっと、その先も生きてみようと思ったんだろう。でもどうしてもあれ以上は引き伸ばせなくて、…………諦めた。あれは、そういう言葉だった)



残された彼女の家族には酷な話だろうが、リリアナにとっての最上の悲劇は、もうマリアを失った瞬間に終わってしまっていたのだと、セイだからこそ理解してやることが出来る。


だからセイは、諦めてしまったリリアナを責めることも出来ないし、鳥を憎むことが出来ないのだろう。



伴侶を失ったあの人が感じた、明日というものへの激しい恐怖を知っていたから。




「…………せめて、苦しんだりはしなかったのだといいのですが」

「抵抗の痕跡はありませんでしたから、納得の上でしょう。能力差があるとはいえ、材料が鹿であれば鳥への対抗手段くらい知っているでしょうから」

「………………そうですか」



言えるのは、もうそれぐらいだった。

肩の力が抜けてしまい、セイは椅子に深く沈み込む。



「練り直しに甘んじるとは、愚かではあるが、鹿らしい執着と愛情だ。マリア程の写本を得たのなら、一族の中でも随分と高位の者だったに違いなかったのに」



(…………本?)



その言葉に、ひたりと、確信めいた予感が落ちる。



「その、写本というのは?」



そう尋ねたセイに、ローヴァーの眼差しはますます見知らぬ生き物のように澄んだ光を帯びた。


真夜中の森の中で野生の獣と向かい合ったなら、月明かりを映してこんな風に煌めくに違いない。



「それを語るには、そもそも我々の鳥以外の者達がなぜ、こちら側に下りてくるのかを説明しなければいけないかな」

「あちら側の世界、というものがあるんですか?」


(私は今、ちゃんと起きているんだろうか?それともこれは、随分と長い夢?)



まるでおとぎ話だと思って、リリアナがそういうものを愛していたのは、もしや彼女の出自のせいなのだろうかと思った。


「ええ。あなた方の馴染んだ世界は、大きな国の一つと思っていただきたい。我々の生まれた土地もまた、そういうものの一つです。正規の交流があるわけではないので、公な存在でもないですが」

「…………すみません、珈琲のお代りを」



セイは無言で視線を巡らせると、店員を捕まえてオーダーを重ねた。


喉を潤すものがなければ、到底続きの議論なぞ出来そうにない。




「こう見えても、神学の教養はあまり持ち合わせていないので、対処に時間がかかりそうです」


お代わりが届いた珈琲を口に含んでからようやくそう返せば、ローヴァーはまた薄く微笑む。


その度に硬質な気配が和らぎ、随分と年長者に見守られているような気がした。



「あなた方の言うところの神学とやらは、我々にはよくわかりませんが、」

「そういうものなの?」


つい子供のように聞き返したせいか、ローヴァーは微かに驚いたらしかった。

ふっとその瞳に奇妙な熱が宿るのを、セイは目に止めて眉を顰める。



なぜだかそれは、ひどく男性的なものに思えた気がした。



「どちらかと言えば、この国で日常的に用いられている魔法にこそ近いでしょうか」

「聖書や信仰のようなものではなく?」

「そちらは鳥の領分です。だが、より深い民族信仰の中には、我々の情報も多いのは確かですね。妖精や精霊、様々なお伽話や寓話に混ざり、同胞達の足跡を辿れることもある」



軍人のように硬派な印象の男から聞くにしては、あまりにも不似合いな内容だった。


それに彼の言葉は、心の躍る物語というよりも、民族の歴史を聞かされるように粛々としていて、会話の内容の冷ややかさには現実に根ざした事実であることを認識させられる。



「…………お手上げです」



両手を広げてみせ、正直にそう告げたセイに、ローヴァーは一つ頷いた。



「そういう設定の物語舞台なのだと思えばいいのだそうですよ。私の友人が以前、そう説明することを提案していたので」

「自分で理解できるまでは、そのような設定なのだと思うことにします。私の生きる世界は、随分変わってしまったんだって」


演出的な仕草の一環で項垂れたせいで、髪が揺れた。


そのセイの髪の一筋が、濡れたグラスに触れるのを、ローヴァーはいとも自然に指先で受け止めて阻止する。


何だか身に覚えのある面倒見の良さだなと思えば、リリアナと、もう一人の悪友の顔が浮かんだ。



(…………いや、まさかそんな…………ね)




「面倒見がいいのも、あなた方の特性でしょうか?」

「かもしれません。我々は、無意識ではあっても、写本にはやや過保護になるらしいですね」



(リリアナが、マリアにそうだったみたいに?けれどもそれは、自分にとっての特別な相手だけに適応されるものではないのだろうか。それなら、……………)



写本全てにと言うことであれば、そうなのかもしれない。

セイは、まだ決して触れずにいる自身の履歴を思ってひやりとする。


まだ、自覚などないのだ。

だとしても、セイがそちら側のものだとすれば、それでこそなのか。



「マリアは、写本だったのですよね?」

「ええ。希少で価値のある人間の存在と権利を、我々はそう呼び管理します。念の為に教示させていただけば、色残りのある魂が全て写本になるわけではありません。規格外のものと、希少なものはまた別の分類です。今回はたまたま、写本が故に色残りしたというケースかと」

「成程……………。ええと、………あなた達は、見た目はよく似ているのに、人間とはまるで違う生き物なのですか?」

「違いますね。生花と、造花と、良く出来た飴細工が違うもののように」

「そうか、……………だからつまり、それだけの種類を知らなければ、同じものだと思うのか」



親友が殺された事件の真相が知りたい。

そして、不意に巻き込まれてしまったこの物語の筋書きが知りたい。


そこから話し始めた筈なのに、拾い集めた情報は荒唐無稽でさえあって、その厄介さにどっと疲労感を覚えた。




(前歴の記憶ぐらいのものまでなら、何とか対処出来る)



でも、これはもう完全にこの世の理の外のもの。


お伽話の領分だ。




「申し訳ありませんが、今日はこの後、騎士としての仕事が入っていましてね」



暫く無言で思考の熱を逃がしていたセイに、ローヴァーは嫌みのない仕草で右手の時計を覗き込む。


騎士としての仕事とこの時間の線引きの違いが気になったが、第一騎士団の任務は基本的に極秘扱いである。



「寧ろ業務時間内でしたよね。申し訳ない、質問ばかりで辟易としたでしょう」

「いや、それを想定した上であなたを捕まえたのですからそんなことはないですよ。失礼だがこの後、どこかに行かれる予定は?」

「………………いや、家に帰るだけですが」


不審そうに見返せば、ローヴァーは淡々とした物言いで意外な提案を口にする。


「では送っていきましょう」

「…………結構です。遠いですし、もう暫くここで考えてから行きますから」



咄嗟に断ってしまったのは、さすがに驚いたからである。

けれども、目の前の灰色の髪の騎士は、その断りを受け入れなかった。



「私のようなものに遭った日ですから、帰り道は注意した方がいい。手短にはなりますが、鳥避けの方法でも伝授しましょう」



からりと、どこかで氷が鳴った。

僅かな採光の為にある天窓のステンドグラスから落ちる光が、午後の淡い色に変っている。



「そういうものであれば、……………そうですね、遠慮なく。やはり、あなたは面倒見がいいのですね」

「通常であれば、誰かの面倒を見るのはあまり好まないのですが、あなたですので」

「……………では、何と言えばいいのか、…………申し訳ない」

「あなたのことはかなり好きですからね」



今度こそ絶句したセイに気付かず、ローヴァーはさらりと伝票を取り上げて立ち上がる。

珈琲を奢られることに慣れてないわけではないが、彼のような男には不慣れだ。



(うわ、…………そんな事はないと考えられる私ですら、口説かれているのかと錯覚しそうなぐらいだな………)



言葉選びが、あまりにも率直過ぎる。

いっそ実は不器用なのではと思わざるを得ない無防備さに、セイは目を瞠るばかりだ。



立ち上がったところで、セイは、隣の椅子にかけていたコートを取り上げる手に上手く力が籠められずに苦笑した。


足元が沈むようで、じわじわと現実感が薄れてゆく。


今日は、朝から普通ではないことばかりだ。



(…………リリアナが、死んでしまったと知らされた日)



胸が鋭く痛んだけれど、目をきつく瞑ってやり過ごした。

今でもリリアナの事を思うと、涙がぽたりと体の内側に落ちるような苦痛がある。



でも、もうそれだけではない。

セイは、リリアナの残した言葉を紐解き、これからのことを考えなければならなかった。


ローヴァーの振り返る気配に背筋を伸ばし、店のドアに向かった。





「……………それは、民間伝承ですかね」

「さて、私もそこまで詳しくはないので」


窓からの風景を見ながら、セイは困惑しっ放しの自分の頭に同情した。



ローヴァー曰く、青空の日には大きな帆船が来るらしい。

どこにと訊き返せば、これはあなた方の持つ伝承だと投げ返されてしまって憮然とした。


青空の日に死んだ者は、まっすぐな道を行き、虹色の門をくぐって青空と水面とを鏡に映したような真っ青な港から、大きな帆船に乗れるのだそうだ。


だから、こんな空の日には、人間はその帆船を思うのかと思っていたということらしい。


そう言われても、初めて聞く話なので、セイにも返答しようがなかった。


とは言え、笑ってみせる訳にもいかず、途方に暮れる。

何しろ、彼は大真面目なのだ。



「鳥の話に戻しますが、晴れている日は、屋根つきの移動手段を確保するのが好ましいですね。雨と雪の日には彼等は現れない。曇りの日は、雲の隙間があるかどうかを見て下さい」



あの後、歩くのかと思えば、ローヴァーは自分の車を出した。


この国では、商用の扱いが許された魔法が用いられる道具はかなりの種類があるが、その中でも一定の階級層にだけ許された最高級の嗜好品がこの車だ。



(となると、車を持つ事を許されるくらい、騎士の中でもかなりの階位にあるらしい…………)



現実味のない会話の受け入れは、思っていたよりも簡単になった。


もうどうにでもしてくれという感じに近いが、奇妙な知恵熱のようなもので微かに頭痛もする。


帰ったらしばらく眠ろうと思ったが、今日の今日で眠れるかどうかもわからない。



「真っ白い大きな翼に黒い瞳、中庸な顔立ちとでも言えばいいのか。彼等は…………表情がひどく冷めていて、人形のような異質さで目立ちます。翼もありますし、群衆に紛れ込むことは出来ません」

「やはり、天使の特徴を聞いているみたいだ」


微かに微笑む気配がした。

ローヴァーの運転は、器用だと思うヴィネアのそれとは違い、言うならばそつがない。



「天使というもの自体が、鳥を示したものですからね。穏やかで規律を守り、時には冷酷な審判者になるこちら側の庇護者。同じ羽ものでも、先程話した梟とはだいぶ違う」



(………私からしてみれば、梟も鳥なのだけれど)


どうやら、線引きが難しいようだ。



「あなたは、…………狼?」

「そうです」



それは密かな確信を得て、慎重に機会を図って聞いた筈の質問だったのに、返されたのは素っ気のない肯定だけだった。

どうやら、誰かに正体を知られてはいけないというものでもないようだ。



「あなたも、コレクターなのですか?元々は、こちら側の存在ではないのでしょう?」

「…………私は少し変わり者でしてね。少し前に起きた事故の調査でこちらに来たまま、帰るのが億劫になってしまった。違う国だと思えば、居心地がいいこともあるものです。それに、こちら側は随分と不安定になってしまったので、私のようなものでも長く住めるようになった」


ローヴァーが初めて見せた躊躇いのようなものに、セイは視線を巡らせる。


「こちら側で、あなた方が気にかけるような事故があったのですね………」

「ええ、十八年前に」

「………あ、」



息を飲んだセイをちらりと見た眼差しは、なぜか痛ましげである。


街路樹の影がまばらに落ちては流れてゆくその向こう側で、彼が小さく息を吐くのが見えた。



(大きな自然災害と同時に、爆発的な広がりを見せた未知の感染症、国が手を回しきれないのも仕方がない不幸の連鎖だった。対策が後手になるそれより前に、意志決定をする機関の中の者達が次から次へと倒れていったと聞いている。でもそれは、誰かの意志によって引き起こされるような、事故と表現するべきものなのだろうか)



無言のままの時間が過ぎ、車線の交わる大きな交差点を抜けてから、ローヴァーは静かな声で疑問を引き取った。



「……………あれは、こちら側の災害ではありません。我々側の事故、なんですよ。かつての黒死病や、その他の大きな不運の災厄と同じように」

「待って、あなた方にはそんなものを引き起こすような素因があるってこと?」



不安や恐怖よりも、なぜだか焦りを感じてセイは声を固くする。



「影響力や力、のようなものであれば確かに持っています。でも、あのような事故を引き起こすのは単純な相性のようなものでして」

「単純な相性ごときで、引き起こされてはたまらない事態だと思うけれど」

「だからこそ、幾つかの一族から調査の為の者が差し向けられた。順を追って説明した方がいいでしょうね。我々の領分では、長命高位な人ならざる者でも、こちら側に影響を及ぼさない一族と、そうではない一族がいます。鹿や梟、蝶や魚や鼠達は元よりこちら側に馴染みやすい」

「鹿は、多いと言っていましたね……………」

「ええ。鹿は情緒的ですから。逆に相性が悪く、こちら側に踏み込めば大きな揺らぎを引き起こしてしまいかねない者達が、狼に蛇、蝙蝠や針鼠。そのようなものがこちらに降りた事で起きたのが、十八年前の災厄です」

「…………あなたは狼なのでしょう?」


セイのその不審そうな問いかけに、癖なのか、ローヴァーはまた一つ生真面目に頷いた。



「今はあの事故の後ですから、その影響が強く残る期間内であれば、我々の存在は毒にもならない。今回は甚大なものでしたので、百年くらいの猶予はあるかと」

「……………それだけの被害を出せるくらいに、相性の悪い誰かがこちらに来たということであれば、それは、…………まだこちらにいるのでしょうか?」



あの災厄が失わせたものは、何もこの国の平安ばかりではない。

当時、この国の統治下にあった隣の小国は跡形もなく崩壊し、今は荒地が残るばかりだ。


少しの間、セイは返答を待った。

或いはそれは、ローヴァーが言葉を探している時間だったのかもしれない。



「まだ、誰がこちらに入ったのかの特定にすら至っていません。あちら側には、こちらの言葉では割り当てられないような者もいますし、我々の持つ種族の名前もまた、あなた方の知る獣たちとも一致しないでしょう」

「そもそも、向こう側からどうやって来るんですか?」

「双方の国の間には、線路が一本通っています。その乗車券を、専売している王族直轄の商人から買い、通常の旅程を経てこちら側に来ることになるでしょう」



(…………なんて奇妙な話だろう!)



目の前の男は狼で、人ではなくて、でもセイの知る狼でもない。

何よりも、こちら側への旅券販売が商売として機能していることの生々しさに驚いた。



(向こう側の話を、もっと知りたい…………)



「そのあたりを詳しく教えていただくことって、出来ますか?」


思わずそう言えば、ローヴァーが僅かに微笑む気配がした。


「一晩はかかりますよ」


そう言われれば少し怯む。

この男は、今のところ事情通の人ならざる者だがただの騎士で、友人でもなければ協力者でもない。

それなのにこうして話をしているのだから、何とも奇妙な巡り合わせだ。



「お嫌でなければいつか。誘ったのは私ですから、希望の店を予約します」


女性らしからぬ男気でそう重ねれば、ローヴァーは少し笑ったようだ。


「あなたが選んだ店で構いません。眼福なのはこちらの方だ。とは言え、晴れた日であれば家を出る前に連絡を下さい。口頭で構わないですかね、」



おもむろに魔法通信の為の承認術式を伝え始めたローヴァーに、セイは慌てて手持ちの端末にその文字列を記録させた。


甘くてもいいはずの行為だが、やはり、本人が頓着していないせいでさらりとしている。


その術式を無事に記録し終えたところで、質問が口をついた。



「ところで、猫というものはいますか?」


我慢が出来なくなったのだ。


「猫もいますよ。中庸であり、広く複雑な存在ですが。何か気になることが?」

「いいえ、ふっと犬や猫のような、私達にとって一般的なものはいるのだろうかと」

「そう言えば、犬はこちら側にしかおりませんね。似たような、こちら側にはいない犬のようなものはおりますが」

「…………え」



続きを聞こうとして、自宅の前に車が止められたことに気付いた。

召喚状を出したくらいなので、勿論住所は知られていたようだ。


ここで話し込むのも迷惑だろうからと、送ってくれたことにお礼を言うと、彼が車を降りる前に自分でドアを開けた。


玄関前まで送ろうとするローヴァーを押し留めて、その代わりに忠告を信じて早足で屋根の下に潜り込む。



幸い、見上げた空は空のままで、奇妙なものは何も見えないようだ。



振り返れば、運転席のローヴァーがその振る舞いを褒めるように頷いてから走り出したのが微かに見えた。


律儀な男だ。

そしてやはり、過保護な気がする。



「私の知らない犬って、………具体的に何なのだろう……?」



呆然としたまま思わずそう呟いてしまったのは、仕方がないことだろう。

評判や印象よりも、遥かにセイは一般人であるし、そもそも魔法にすらあまり詳しくはない。


困ったなと、溜め息を吐いた。




(あれ、………………)



眉を顰めて首を傾げたまま家の鍵を出そうとして、ふと動きを止めた。


目の前にあるのは、瀟洒な趣きのある古く大きな屋敷で、藍色の夜鉱石の玄関のポーチに大きく茂るのは、檸檬とミモザの木だろうか。


玄関までの小道には、中程までの背丈に育ったバラが豊かに咲き誇り、色とりどり繊細に咲き乱れる草花へと変化してゆく完璧な一枚の絵にセイは目を瞬いた。



(………私の家、……勿論ここだった筈だ)



おかしなことだけど、この家を初めて見たような気がしたのだ。



ほんの、一瞬だけ。




「はは、…………これは重傷だな」



そう笑ってから通用口を抜けて敷地内に入ろうとしたら、内側から扉をぐいと引かれて驚いて手を離す。



「何が重傷なんだ?」



たまたま外に出ようとしていたのか、片手に魔法式の連絡端末を持ったまま通用口の扉を開けたのは、ヴィネアだった。



「あれ、鍵でも渡していたっけ?」

「ほお、そういう体で家主を傷付ける言葉遊びは悪趣味だぞ。しばらく仕事で空けていた腹いせか?…………まぁ今は、そのくらい言える余裕があれば、俺もほっとするけどな」



ふわりと微笑んだ表情の優しさに、朝から強張っていた気持ちが緩んだ。


何かとても大切なことを忘れているような気がしたけれど、残念ながら今は考える力もない。


セイを屋敷の敷地内に入れながら当たり前のように鞄を受け取り、ヴィネアは歩きながらもこちらの話を聞く体勢になる。


彼が、こうやって自然に差し出すものの有難さに、なぜだか今日に限ってセイは打ちのめされそうになった。



「リリアナには会わせて貰えなかったけれど、担当の騎士は、話がわかりそうな人だったよ」

「今、車で送ってきたのがその騎士か?」

「なんだ、見ていたのか。私のことまで心配してくれて、騎士らしい振る舞いかもしれないが過保護な人だよね」


微かに不安を覚えて、何でもないことみたいにそう言えば、ヴィネアは呆れ顔でお前は人たらしだからなと言うに留まってくれた。


またここでも、セイは何が怖かったのかすぐにわからなくなる。



「疲れただろう。話したければ話せばいいし、そうでなければ少し休んだらどうだ」

「そうか、…………私は、疲れているのかな。思考がうまくまとまらない」

「ひと眠りしてこい。夕飯の時に色々話そう」



頭をわしわしと撫でられて、素直に頷いた。



(そう言えば私、リリアナが死んでしまったことを、ヴィネアにいつ話したんだっけ?)



そう考えかけ、召喚状を貰った時に彼も傍にいたのだと、実感の湧かない記憶が答えを出してくる。



(なぜこんなことを考えているのかな、…………………思っている以上に疲れているかも)



そうだ、多分とても疲れているから、こんな奇妙な感覚になるに違いない。



自分にそう言い聞かせながら持っていて貰った鞄を受け取ると、屋敷の二階に向かう階段に足をかけ、自分でもわけがわからずに振り返った。



書斎に戻ろうとしていたヴィネアが、急な方向転換に気付いてその理由を視線で促す。




「ねぇ、ヴィネア、……………これは本当に私の家だったかな?」




呆気にとられたように押し黙ってから、ヴィネアは唐突に笑い出した。


笑っている筈なのに、空気がずしりと重く、セイはどういうわけか、それ以上に何も言い重ねられなくなる。



結局、彼は愉快そうに笑うばかりで、セイの馬鹿げた質問には答えてくれなかった。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ