責8
「…オニキス、いい加減戻ってこい」
「…あ、ああ」
ジャスミンの香りと共に思考から引き戻される
目の前には鎮静効果のあるハーブティー
いつの間に…
いや、結構な時間飛んでいたのか…
手を伸ばして落ち着く様にゆっくりと口をつける
「…落ち着いたか?」
苦笑している表情に此方も釣られる
「悪い…びっくりした」
「…噂通りのオニキスなら行けると思ったんだが、残念だ」
「…不名誉だ、俺はそんなに…いやなんでもない」
お前みたいに…
そんなに恐くない
ついそう続けそうになったが…
殺されそうで言えないよな
「…言ってもいいぞ?元より同じ立場だ」
本気だろうか…
口角を上げて、まるでいたぶるような笑みを浮かべているが?
猛禽類と鼠のようだ…
誘いに乗って巣穴から出れば最後、
鋭い鉤爪でなぶられるか、掴み出されて宙に連れ去られる…
黙っていれば…
ただ俺の様を見て楽しんでいる
元の立場?
学園の同級学生だからなと言うが…
それも理想であって儘ならないと先程その口が言った筈
その免罪符はこの目の前の絶対的支配者の気持ち次第で取り消すまでもなく無効となるだろう
そう、
不敬とかそう言う意味で言わないんじゃない…
この問いが、
罠か温情か…はたまた戯れか
そして俺の思考以上の何かであれば…不用意な返答は無謀な一手となる
そして…
俺の思考回路も考えも、それをわかっていることも窺える
クツクツと笑う目の前の表情からそれを見てとれる
「からかうな…分かってるだろ」
「勿論」
これくらいは一線を越えた功労で…
良いだろうと笑い続ける様子に毒気も抜かれていく
「…で?」
再現なく笑い続ける様に問う
結局意図はと問えば、
少し目を見開く…
笑うことを止めはしないが、
回答を示せと…
そうでなければ
「くくっ…笑った笑った…ああ、理由か?
簡単だ、これで漸く灸を据えられたなと思ったんだ」
「…俺はもう焼きが回ったが」
俺の様子に満足だとでも言いたそうだ
…灸?
何のための…
俺が何をした?
何をしでかすと言いたいのか…
こちらは冷や汗ものだ…幼く聞こえる言い回しも俺を試すものか、
油断を誘うものか…
安心させるものであって欲しいと切に願う
攻撃される前に白旗を上げた…
「…ああ、漸く灸を据えられたと言ったのはオリゼのことだ。
オニキスが話を戻せと俺に促したと思ってね…そんなに警戒しなくても君に灸は要らないよ」
「そうか…それを聞いて安心して良いのかは分からんが」
「勝負を降りるのは早かったと思うけど…結構頭の回転良いでしょ?」
「殿下には負ける」
「そう、まあいい線行くと思うんだけど…」
俺の思考が、
殿下の思考がずれた
それでも直ぐに互いの思っていることを察せるだけ、
侮れない相手。
自身の土俵に持ち込んでも太刀打ちできるかどうか…
此処は殿下の土俵
分のない戦いならば幕を引いた方が楽だ
そう思ったが…
何やら諦めてくれはしないらしい…
「で、オリゼのことだけど…あいつが今何を考えているか分かる?」
「殿下がオリゼに灸を据えられたと言うならば、あまり良くない思考回路に陥っている…
だがこうして殿下が茶を飲んで寛いでいる余裕を見れば、自己嫌悪からの自傷に至ることはさせていない、こんなところか?」
スプーンにイチゴジャムを一掬いして、紅茶に入れながら言う
その光景に目が釘付けになりながらも自分なりの推測を提示する。
しかし…
明らかに映像と音声が解離している…
甘い飲み物を飲めば、
辛口のあの思考と振られてくる会話の内容は中和されて普通になるのだろうか?
オリゼはともかく目の前の暴君の考えなど分からない
が、今俺が考えていることなら確実に分かる。
ここは甘いロシアンティーじゃなくて、別のものを飲むべきだと
きっとその口を開けば辛口の内容が続くのだから…
だから、
変な希望的観測を持たせないで欲しい…
これからそれを相手にする俺に余計な労力をお願いだから浪費させてくれるな
「…オニキス、俺は甘党だ」
なにか文句あるのかと先程の笑みが出現しかけている…
いや…うん、何の問題点も見つからないな
片言になりかける思考
遠い目をしかけるのを…
ばれているとしても現実に、目の前のハーブティーを一気に飲み下し無理矢理にでも呼び戻した
「…何を考えているか、か。
分かるのはあいつが暗闇が嫌いなこと位だな」
ロシアンティーの下りは割愛だ。
触れるな、
危険だと完全に流して答えれば
それすらも面白かったのか笑い始める…
これ、オリゼ一年間よく耐えれたなと感心する
「まあそうだね。
端的に言えば自身を大切にしないと、どんな顛末になるのかを思い知らされている筈だ」
…
…
「…噛み砕いてご教授願えますか」
さっきからゾワゾワしている
ただでさえこれが終わればビショップの沙汰も下さないといけないのに
こんな精神を削られるやり取りをしないといけないなんて…
スイッチの入ったラピスよりたちが悪い
比べられるレベルじゃないが…
そして聞きたくない…
「…傷を作らなければよかった。
傷を悪化させなければこんなことにはならなかった
受身をとれば皆の世話になることもなかった
オニキスの侍従が手当ての為に反省室まで来ることもなかった
侍従が傷のために失言することもなかった
きっとオニキスがその侍従の肩代わりをする
俺にオニキスが裁かれる
…
自身がオニキスの友であったが為に
取り返しがつかない罪を負うことになる。
"俺の見習いになった
それが為にオニキス達を矢面に立たせた"
その根本的原因は
叔父の罪を被ろうとしなければ…自殺しようとしなければだ。
…
見習いになることもなかった
一線を引こうと釣り合わないとの自己嫌悪から俺の友の立場を捨てる事もなかった
その上でその後何度も死のうとした
舌に刻んだ陣がなければきっと死んでいた
…こんなことがなければ俺が此処まで怒ることはない
俺の友の立場を否定したことで温情を願い出ることが出来ない…
見習いの立場からではオニキスやビショップを救えない、
追い詰められたオリゼは絶対にそれに気づく。
…
既に信じてすらいないアメジスと俺とのまやかしの取引だからと言い聞かせ、
俺との友人関係が本物でなかった時…己が傷付くことを恐れた
それだけの理由で…持っている筈の最後のカードを自ら溝に捨てた。
友であり続ければなんとかなったものを、と
だから俺が用意した活路は一つ
あいつは聡い、
己が深く関わる相手の思考は読める…感覚的で常時ではないが…それでも馬鹿ではない。
俺の意図を…いや、俺らの願いを汲める筈だ
"認めろと"
自らの価値を、
存在意義をどんな形でも
そして友の価値を、
差し伸べられ、助けを伸ばす手先に相手がいる有り難みを
オニキスが、
俺が…お前を大事に思う周りの人達の事を考えろと
釣り合わないと思うなら己が身の可愛さにかまけるな、
昔のように努力して見せろとな…」
「…」
「…話し過ぎたかな?」
「いや、心中察するよ」
つい一気に話してしまった、
黙り混むオニキスに話し終わって気づく…
きっと巧妙だと…引いているのかもしれない
それでも、
言葉は返ってきた、
伝わった。
俺の心の内が分かったらしい…
「そう…だから多分、何かしらの形で"友"だと認める。オニキスとあの侍従の為にね」
「まさか…」
「ん?」
「この件、俺らの侍従が引き起こした事をオリゼに認めさせるために利用出来ると考えたのか?
この短い間で思考を巡らせて…」
「そうだよ?
良い機会が巡ってきたとすら思ったね」
なんだ、
あの温情の違和感に気付いたのか…
やはり頭が回る、
会話していて楽しくもある
オリゼが関わる奴等は…
やはり面白い
そうだよ、
こうして事を起こしたオニキスの傍仕えを直ぐに退室してやったのもオニキスに処断を任せたのも…
俺の傍仕えがこうして無傷でサーブしているのも
この功績が大きいから。
かなりの割合を占めている…
「ちっ…それを踏まえての張り手三回か?」
「勿論」
勿論。
活用できなくても重罪にまではしなかったけど、
…此処迄軽くはしなかったろうなあ
「あいつが暗闇嫌いなのも、
追い詰められた状況でどんな風に考えるかも推測してか?」
「勿論」
勿論。
逃げ場があれば、追い詰められなければ
オリゼは易々と認めはしない
己の最適解だと思った事に関しては、
それが例え間違っていると傍目から見て分かると知りながらも頑固に譲らない
「…えげつない」
「まあそう言うなよ…あ、そう言えばオリゼとオニキスは組が一緒だったね?
オニキスが数日間講義にでなければ更に不安は増すだろうね…貴族と言えど子爵嫡男と皇太子だ」
「はっ?」
「傍仕えの処断もあって忙しいのなら、少し位講義サボってみたらどう?」
さらりと今思い付いた、
名案を口にすればオニキスの…顔が引き吊る
突然何を言い出すのかと、
これ以上の搦め手があるのかと…
まるで悪魔の囁きだとでも言いたそうだ
まあ…
逃げの一手、
俺に謝罪も覚悟もせずに…会わず講義や部屋に逃げたら
オニキスが居ないことに気付かせるだけ。
その可能性は低い、
自身のために身を投げ打った人達を放置することはないから
使われていない法律については、貴族子息ならば必ず知っている
家を継ぐにしろ、しないにしろ
上に立つものとしての責任と立場の重さを教えるものだからだ
だから、
もし万が一敗走してオニキスの存在が消えればその法を利用したと理解する
同時に肩代わりの減刑がいかほどのものであれど…
今回の件、
俺が事にすれば死罪よりましになるだけだとオリゼなら分かっている筈
そして俺の性格も…
「…敵にまわさなくて良かったと今心底思う」
「そうかな…これでもオリゼには優しいと思うよ?」
「…どの辺が?」
「遠慮がないね…オニキス、では聞くけどオリゼは圧力や不条理に屈すると思う?」
「しないな…」
「そう、例え俺がどんな身分であっても認めないことは認めない。
オニキスに対してだってそうでしょ?」
「まあ…な」
「この件を利用した俺の策が功を奏する。
その条件は、オニキスが罰を受けることでも俺が処断を下すからでもない」
「…」
「まあ、それも要因の一つではあるけど…
決してオリゼが折れるのは圧力や俺の持つ強権に対してではない。
理由はね…オリゼがオニキスやその侍従、そして俺に責を感じていると共に情を持っていることだ」
「あーつまり、災の原因に自分の非があると分かっている…それを認めないことで己ではなく謝罪すべき大事に思っている相手が傷付くと?」
「そ、俺が己の利のために…今回はオリゼに友と認めさせるためだけに道理を欠いた判断をするとする。
己の大事な人達が罰をうけたり脅しに利用されれば、
例えその罰自体が正当なものであれ…
…オリゼは俺を詰るだろうね。そして俺を身限る、友としても人としても」
「言わんとすることは分かった
まさか…それを恐れているのか?」
「まあ、そういう時のオリゼって怖くない?」
「くくっ…こんな策士が、
次期最高権力者が布団にくるまれば容易く御せる奴の事を恐れるってか…っふはは」
成る程なと、
俺らの情状酌量はもう一つの理由があった
利のために利用するためには、
オリゼの怒りを間違っても買うわけにはいかない…
利用するならば、
脅しとして使うならばそのリスクを恐れたのもあるのかもしれない
殿下がオリゼに、
己を救うためにそう算段した策であっても
利用された時点で、
手遅れにされていれば…俺らが物言えぬ状態に落とされていれば
心の奥底では殿下の事も、
自身の事も許せなくなるだろう
なんだ、
怖じけづくのかと…
引き際も心得ている、
オリゼが疑問に思えば納得できる様に罪の軽減のそれらしい理由もそれかと…
可愛い所もあるじゃないかと…
勘づいてしまった。
だから…
つい口に出てしまった…のだ
口が歪む、
そして笑いが止まらない
不機嫌そうに殿下の顔が変化しても、
そして危険であることが分かっていても止まらない…
…
…
「いつ迄笑うつもりだ、流石に怒るぞ…」
「くっ…っ、悪い今までの話の流れ的にな…」
腹に据えかねた、
まあ数分も笑い転げていれば誰だって怒るよな
だが、笑わせた原因は…
責任は俺にはない
俺を攻めるなと含めて言えば、
深く溜め息をつく様子
「…それについては承知してる、が…オニキスは怖くないのか?」
「ああ、怖いさ…あの業火には焼かれたくないね。
あの時は俺はオリゼに守られる側だったが、それでも熾烈だった…相手が可哀想に思える程だったなあ…」
「オニキスがオリゼに?」
「おかしいだろ?
皆…常に俺の方が世話焼いて守ってやる側だって思ってる。
それでもオリゼだからこそ誰もが怯むものに強くて…立ち向かえることもあるんだよなあ…」
「オニキスが言うあの時が何の事かは分からないが、合点がいった。
布団と美味しい物には目がなくて幼子のように無垢な笑みすら浮かべるし…害意にも危険が差し迫っても気を抜いてて危なっかしい程なのにな」
合点、ね…
まさか分かるのか…
…ん?
「…それ、誉めてるのか?」
「当たり前…同時に貶してもいるけれどね」
だろうな…
「しっかりして欲しい部分はまあ、あるな」
「そう、そういうこと…でもそれは俺らに対して気を抜いてる証拠で役得であるからと、注意もせずに放置してる」
「気が合うな…」
この点に関しては、
と心のなかで呟いたのは
密かに付け加えたのは秘密だ…




