悪友
「…漸くか?」
声を潜めてオニキスが聞いてくる
軽く頷き同意を示し、
横にあったクッションを手渡す…
やっと寝息をたて始めたオリゼ
それを起こさないように用が済んだ匙と蓮華を静かに置いて、
自身の膝を引き抜きながら代わりに北欧柄のそれを差し込んだ
続けてルークに用意させた毛布を立ち上がってかけてやる
暫く…
オニキスと規則的な呼吸を繰り返しているのを確認して…
向かいのソファーに二人して移動した
「香を焚いたとはいえ、軽いやつなのに…」
「…俺らにも効かないやつ、オリゼにここまで効くはずないだろ?」
「やっぱりあの飲み薬…強いの?」
やはり…
香の効果で寝たわけではないね…
それならば薬が原因
でも…普通の痛み止めや薬が効きにくいオリゼにはそれも考えにくい
だから…
疑問をオニキスに投げ掛ける
「…普段なら使わない、まして酒と併用するのは通常避ける物だ…」
やはりね…
渋顔になったのを見て
相当キツイのを使ったのが分かる
それも度数の高いアルコールを飲ませた上で…
リスクを承知で、
何故オニキスがそんな強行を?
「何で使ったの?」
自分が思ったより固く責める様な声が出る…
何故?
さっきオリゼに、詰め寄った時
反射の抵抗ですら鈍く弱いものだった…
そんなオリゼに
通常避ける物を飲ませるなんて何をしているんだと
何かあれば取り返しが付かなくなるかもしれないと不安から来る八つ当たり
俺が招いた事故
そしてそれを手当てしてくれたのは他でもないオニキスであるのに…
「ラピス…」
「ごめん、オニキスに当たった」
「…はぁ」
眉を上げて不快だと示す…
眉間の皺と俺を呼ぶ声
流石に悪かったと左横を向いて…オニキスに面と向かって直ぐに謝れば
ソファーの座面に深く沈み込む様子
「ごめん…」
「まあ…いいけどな…
だから調合の配分は変化させたし、飲ませる量には神経を使った。
それでも効果が必要以上に回りやすくなるせいで身体に負担をかけるのは変わらないが…」
…
「…何が問題なの?」
「深く寝させないと体力が回復しないからだ」
終いには更に姿勢を崩し…背もたれに腕を預けて、
目を閉じてしまった…
そんなオニキスに何かあると察する
「…体力?」
「気付いてないのか?
微熱に、倦怠感…慣れない見習い業務で心身を使い続けた、その上傷による痛みを我慢し続ける事で過度に疲れたせいだろうな」
「ウイスキーだけでも眠そうにしていたけど…
それでは駄目だったの?」
「ああ見えて緊張で交感神経優位で目が冴えていた筈…
運良く寝れたとしても酒による睡眠は浅い、途中覚醒した後は確実に寝れなくなるだろうから…
身体がどれ程疲れきっていても、寝れない辛さに熱をもった傷の痛みに耐えれば疲弊して回復も治りも悪くなる」
「ああ…麻酔も内服薬もあまり効かないからね…そう、そういうことね」
「そういうことだ…」
…
一定の呼吸をしている、
その顔に苦悶は浮かんでいない
麻酔が効かないから傷を縫う際にアルコールで紛らわさせた
痛み止めをそもそも処方しなかったのは効果が無いから…
痛みと熱を我慢して侍従見習いとして立ち振る舞った二日間、
平常時でも心身が磨耗するであろう事は察して難くない。
その上、
きっとオリゼなら無理をした…
食事を簡易的に済ませて教わったことを復習でもしたのだろう
栄養素も睡眠も少ない
そして先程
麻酔が効かないから傷を縫う際にアルコールで紛らわさせた
それでもあれ程縫えば…
痛みに強いオリゼが呻く程のもの
オニキスの言う通り…
そんな疲れと痛みから逃げる方法は寝ること
それすら叶わなかったら、
精神的にも体力的にも安らぐ暇も無かったのだ
だから、
身体に負担をかけてまで薬を処方することを決断した
そちらのリスクの方が少ないから…
それも配合や量に配慮してだ。
きっと…オニキスは俺のためにもしたのだろう
何かあれば取り返しが付かなくなるかもしれないのではなく取り返し付かなくなるのは傷を負わせた俺
勿論負傷したオリゼを治すことは大前提だとしても…
大きな借りだ…
これはいつか必ず返さないと…オニキスにも、
そしてこれだけ辛い思いをしても俺に恨み言一つ…責めることもしないオリゼには…
そもそもは俺が招いた事故だ
オニキスもオリゼも俺を咎めるどころか心配をかけないように行動する
家業で慣れた技術…驕りからくる確認不足を招いた…
全ては俺の慢心が原因
負担をかけて…思いやられてまで何も思わないことなどない
本当に悪いことをし…
「…ん」
オリゼの声か?
…寝言だろうか
見れば身動ぎして、寝返りを打つ様子に思考を止める
「寝てる…よね?」
「ああ、効いてる筈だ」
横をチラリと見る。
目を開けて確認もしないが、
薬に関しての知識と技術から効果がしっかりと出ているのは分かっているのだろう…
…
「はぁ…ルーク?入って来ていいよ」
そのオニキスの言葉に扉に向かってそう言えば、
思った通り、
そっとルークが入ってくる
休めと言った筈のルークの気配は先程からずっと感じていた
目の前のオリゼを示せば
承知しているとばかりに頷き
無防備なまま寝るオリゼの頭を支えながらクッションの代わりに綿のしっかりと詰まった枕を差し込んでいく
背を向けている、その表情こそ窺えないが
毛布をかけ直している動作は…
事務的以上の…どことなく労りの気持ちが籠っているように感じられる。
ルークはオリゼのことをあまり…いや、
毛嫌いしてきた筈
珍しいなと疑問をもちながらもオリゼの様子を注視する
「…悪いんだけど、なんか摘まめるものと紅茶お願いしていい?」
暫く…
掛け終わっても起きる様子もない
寝ている事を再確認してからそう頼めば
ルークが会釈だけをして再び出ていった
…
「オニキス…で、本当に大丈夫なの?」
「傷のことか…浅くはないがちゃんと治るから心配しなくていい。
それと、明日の朝様子も見に来る」
俺の腕や判断に疑問を持っている訳ではない、
ただオリゼが心配なだけで…大丈夫だと確認したいだけの質問
先程、
無言の時間はラピスなりに色々考えていたせいできっと生まれたものだ
そして、
大丈夫にはきっともう一つの意味が含まれている
処置に対する自身に対する失敗の疑念
ラピスは、
あの時こそ茶化して言ってはいたが
オリゼが暴れることを留意せず怪我をさせたことを自責している
自身の家業への慢心
だからこそ俺を心配している
俺が自分と同じ様な過ちをすれば、と。
自身の過失の尻拭い…オリゼの処置させた己の責任に加えて
同時にオリゼや俺に負担をかけるからだ
心配し過ぎなんだよ…
これ以上お前らに負荷を掛けるような失態は、ミスはしないように細心の注意を払ったと言っただろうに
だから、
含まなくてもラピスの心配を拭うような言い回しにした
「そう…それとごめん。縫うの…好きじゃないでしょ?」
「ちっお前まで気にするな…てか、なんで傷口があんなに開いた?糸が肉に食い込ん…いやなんでもない」
埒があかん…
仕方なく薄く目を開けて、
ソファーに沈み込むように再度背中を預けて座り直す
俺が疲れているのが分かっているのだろう、
心配してくるラピスに話題を変えればつい普段の癖で傷口の慘状が口から出たが…
聞きたくないとばかりの反応に言葉を切る
「理由なら知ってるけど?」
「…話せ」
「…殿下の側仕えが手荒にしたから…まあ受け身も取ろうとしなかったオリゼが悪いんだけど」
「お前な……まあ…どうせオリゼのことだし、なんかしらの理由で、あの側仕えの気の済むように好きにさせたんだろ?」
「…うん、多分ルークの件で罰を肩代わりしてもらった…いや、されたみたい。
上下関係を気にする性格じゃないのに録に抵抗しなかった、
察するに…あの傍仕えに対して負い目に感じてたんじゃない?左腕の傷のこと隠してたみたいだからね」
「ルークの件?」
「昨日話したやつだよ」
「ああ…あれな…ちっ本当に素直じゃねえやつ」
そんなこと、
そんな行動が償いになる訳ないのにな…
それでも、
オリゼらしいと言えばオリゼらしい
「そうだね、それに…抹茶まで点てたみたいだよ?」
「は?あいつが?誰に?」
「あの傍仕えに。
さっき部屋を改めて戻ってきた時疑問に思わなかった?
…だって、棗にお茶が入ってるなんて普通この国の人間が知るわけないじゃない。薬代わりだと振る舞ったみたいだし…オリゼとしては最大級の詫びの入れ方じゃない?」
「…確かに…あ、まさかそのついでに抹茶飲んだだけかよ…」
「あ、確かに」
携帯食料しか食べなかったかもしれない事実に
呆気に…
そして直ぐに二人して溜め息が重なった。
「でも…こいつが簡易的だろうが普段ならならない亭主側になってまでも一服点てたんなら…よっぽど謝ろうとしてたってことだな」
「滅多なことで振る舞う訳ないよね…」
俺らだって振る舞われた事は1度きり
謝るにしても…直接的な言葉も、行動も天邪鬼で素直でないあいつは滅多にしない
あの時はラピスも俺も激怒した
時間が立っても収まらなかったし、オリゼ流の謝罪は堪忍袋の尾を切るだけで…
隣のラピスも
同じことを考えているのか…
だから、
今回その行動を取ったのはオリゼにとってかなり重く深く後悔したと言うことだから…
「…どこまで失態を問われたのか、肩代わりされたのかは分からないが…かなりの重い罰か?」
「でもさ…重さにかかわらず、肩代わりを許して側仕えに罰を与えるなんて…聞き及ぶ限り殿下らしくもないよ…
きっと何が意図があった。それに、到底そこまでの事をした見習いに対する扱いとは思えない態度だったし」
公平な判断を下すと評判の殿下
流石皇太子だと評価も高い
友人として免責するのも想像しにくいし、したとしてもおかし過ぎる…
そしてその責を指導役の傍仕えに負わせることも…
ラピスの言う通り、かなり考えにくい…か。
ならば…
何か意図があった
その仮定が事実であるとして…
それが何か分かれば…
…ん?
「合点がいった…あいつを守る為だ」
「…どういうこと?」
「…見習いにまでしたのは…
万が一のことをすれば殿下の皇太子の立場に傷がつく…何かあれば側仕えが自分の代わりに責任を被る
…そうすれば自分のせいでに周りが傷つくのを嫌うオリゼはきっと下手なことはしない
…つまりオリゼ自身に少しは自分を大事に扱わせようとする意図があったんじゃないかと思う」
「…でもなんでそこまで…」
「…舌に自害防止の魔方陣があった…見間違いは、ない」
あれは…患者に使うやつだ
昔、外聞の為だと連れてかれた病棟で見た…目に焼き付いたあれと寸分違わなかった…
精神を病んでいるか、
中毒症で正常な判断を失った人達
…思い出すだけでも辛い
世話や処置をする側も非情な判断を強いられる
そしてそうしなければ患者の命は守れない
せめぎ合う葛藤
苦悩…
そして出口の見えない病状…
そんな相手に施す陣
それが、オリゼに施されていた
「ねえもしかして…オリゼが叔父の責任を被ろうとしたのって…」
「庇う気持ちもなかったとは言い切れないが…
…そもそも死んでも構わないとでも思ってたんじゃないか?
それを察した殿下とその意を汲んだ側仕えが行動した結果が多分…現状のこれのはずだ」
眉を下げている
そんなラピスにオリゼの舌を…
口に向けて指を指して自身の推測を、説明をした




