裏
…
暫く……
まだ部屋に満たされた紅茶の香りに我にかえる
そうだ…
水を飲みに来たんだったと足を進め、
飲料用の水を手に握りしめていたそれに汲み咽下する…
…休んでいなさい、か
付いて回るなら、数枚になった上質な紙に万年筆がいるだろう
それと…
夢で見た実家の侍従がしていたこと…
…多いな
主人が、傍に侍る相手が我が儘であればあるほど仕事は増える
きっと俺の担当である彼奴らは楽じゃない役回りだったんだろうと思う…
増やしに増やした手間と時間…それでも嫌な顔一つもしなかった
茶菓子だって、急な変更だって…ちゃんと世話してくれた
自分付きの侍従ですらそれだ
…今の俺とは天と地程の差がある
…まして殿下付きの側仕えなんて考えただけでも恐ろしい
戻って少しでも知識を詰め込もう
…行きの陽気さは何処へやら
思考しながらふらふらと部屋に戻る
なおざりにバックパックの携帯食糧を漁り
口に入れる
6食続けてこれか……
でも今優先させるべきは食事ではない、
そう切り替える為にシェラカップに残った水で飲み下して本を開く
姿勢、身だしなみ…ね
本を頭に乗せながらの移動、給仕…
姿勢と目線の矯正なんだな…平日の夜にでも練習してみよう
服装…
白手袋に、カフス…懐中時計か
ギラギラとした装飾のあるカフスはあるがそれじゃダメだろう…
その他もどう考えても持ってない…
今から用意できる訳もない
今度揃えよう…
次だ次
ベットメイキングにリネン洗濯…
日々の生活補助
男子寮においては屋敷とは違って侍従も行う…
成る程
次は…
領地経営の知識
税所得の把握と活用、貯蓄について…
テーブルセットに料理
給仕の際の作法…
茶菓子
茶器、ティーセット教養
主人の日々のスケジュール把握
自身の仕事時間管理
社交知識に、情報収集
馬術、護身術、護衛術…
…
…
これ、出来るのかな?
読み終わり閉じた表紙を再び見返してみる
嫌味のように"入門"と書かれている……
その隣に紙と万年筆を置き直して
上着だけ脱ぎ椅子の背に掛けて昇る
…少しだけ眠ろう
…
…コンコン
まずい!寝坊した!
覚醒すると同時に嫌な動悸がする
ばくばくと拍動する心臓を余所に
ベットから飛び起きる
髪を適当に直しながら降りて
片手で掴んだ上着を着る
「はい」
アコヤ側の扉を引いてを開けた
長い一日が始まった
…本当に入門書だったのだと痛感した
緩やかに流れる表とは違う。
裏ではきびきびと下げた食器やらリネンの処理、
殿下の退室時間の隙間を縫って掃除と整理整頓
頼まれた資料や物の調達算段
時間通りに焼き上がる菓子と入れ終わる紅茶
…講義や帝王学、流行物に至るまで様々な資料に目を通し
相談に乗れるよう備えている姿
それについて回るだけで精一杯
付け焼き刃の知識など活用する場面もない。
そもそも現場で実践出来る
技能もスピードもないのだと痛いほど理解できた
……
……
痛たたっ…
よっこいしょとばかりに椅子に腰をおろす
足裏太股も腰も…色んな所が痛い
どっと疲れが出てくる…
慣れないとは言え、初日だからと見ていただけなのに
もう下がって良いと言われ使用人部屋に下がってきたが、
今もアコヤは仕事し続けている
休憩をとることもなく。
いや俺の世話がなければ…普段は少し位は休憩取れているに違いない…
殿下の前以外では丁寧に手順とコツを言いながらやり方を見せてくれた…出来うる限りの時間を掛けて
殿下特有の要求はあったかもしれない…
それでも貴族からしたら普通の…些事な指示レベル
…
我が儘でもなく、身を眩ませるわけでもない
何気ない極々和やかな貴族の休日だったはずだ
優雅で余裕をもった立ち振舞いは殿下の前でだけ。
裏に一歩でも引けば
忙しなく懐中時計を見ながら動く
殿下の普段通りの行動を元に予想して、算段しておく
何か変更があれば直ぐさま組み直して行動に移す
優秀だからか、
その合間を縫って俺に解説までしてくれる時間を作ってくれもした
だから…
それを忘れない内にと…
全く書き取る暇どころか出す暇もなかった万年筆と紙
侍従服の内ポケットから取り出して
時間毎のアコヤの行動と作業内容
…その横に言われたコツを書き加えていく
勿論…指摘と注意された事もだ
明日も少なくとも6時には呼びに来るのだろう
早めに寝ようと立ち上がった
…が、
忘れてた…
いや、さっきまで忘れられていてよかった
瓶を見た急に痛み出す左腕
にそう強く思う




