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赤17






…目覚めは悪くなかった

固いマットレスも好みではない肌触りのタオルケットも、

疲れをとるには十分な筈だった



学期始めの挨拶に、

数日前こうして侍従服をきた記憶が甦る

殿下には、

侍従資格を得るために侍従査定で引き起こした俺の事の経緯を許して貰えた…

王家や国に反意があると見なさないと、

今後も見習い改め、侍従の一人として仕えることを許された。



だけど、

俺を友人としても信用している殿下とは違い

その傍仕えには侍従として不適格だと見なされているだろう。

主人に害なすかもしれないと未だ…

俺は危険視されているままだ。


内申書を見れば、誰でも危惧する

不穏分子であると俺を警戒する…アコヤさんに良く思われていないことを当然だと分かっていても、

考えないようにしてきた。



折角侍従として資格を得たのに、

講習で身につけた技術も日の目を浴びることもない。

見習いであった頃より、

…何もさせて貰えないかもしれない





…それでも

まだ俺には殿下がいる

侍従として仕えろと言ってくれた主人がいる…


板張りの天井を、

こうしてベッドに横になって眺めているだけでは駄目だと分かっている




もう、

目が覚めて10分は経っているだろう

枕元に置いた懐中時計は、

アコヤさんに見習いのお祝いとして貰ったその時計は…既に2時半を示している。


そろそろ侍従服に着替えなければ、間に合わなくなる

後15分で支度して、

3時10分前にはアコヤさんの部屋に伺いを立てなければならない

嫌でも

何でも身体を動かしてなすべきことをなす


もそりと、

離れがたいタオルケットをはね除けて…

梯子から身体をベッドから下ろしていく





着替えや身だしなみ、

始めてしまえば慣れたものだ…

意識しなくても手は動くし、

手順も身体が覚えている


時間のない中、

駆けずり回るように、こなした侍従講習や査定

そのお陰で所要時間も格段に短縮したらしい

正確に計ったことはなかったが、

終わって確認すれば…時計の針は10分も進んでいなかった


そう

もう支度はし終わった

再度確認した侍従服にも皺もない、

髪や身だしなみも問題ない

後は

準備も全て終えて後は侍従として朝の打ち合わせのために

アコヤさんの部屋に俺は行くだけだ




…いかないといけない


それが分かっていても…

忌諱されている相手に積極的に相対したい人間などいない

侍従としての仕事は何一つ任されない、

しなくていいと言われる為にこの扉をノックしたくないのだ…




そんな重い気持ちが、

余裕があった筈の時間を浪費していく。

既にこうして扉の前に立って15分


もう少しで3時を示す時計に急かされつつも

その傍仕えの部屋に続く扉を開けることを俺に困難にさせている







コンコン


「入りますよ、オリゼ」


「おはようございます…アコヤさん」



渋っていた…

そんな俺が一歩踏み出せない内に

彼方から扉はノックされ、開かれた



「起きていたのですか…オリゼ」


「はい」

「準備も出来ているのですね。

ならば…何故そんなところで立ちつくしているのですか?」




寝坊したわけでも、

時間ギリギリまで用意にかけていたわけでもない

ただ、

準備万端である筈なのに

定刻になっても部屋に入ってこなかった。


そんな俺に

何故だと疑問に思うのも仕方がないし、

ただ立ちつくして時間に遅れた姿も不自然に映るのだろう



それに…

誉められた態度をとれてもいない。

事務的に挨拶と返事は返せたものの、

指導をしてくれている相手に…上司でもある傍仕えに対してただ立っているだけ


普段通りに見えていない自覚はある…





「遅れて申し訳ありません」


「…入りなさい」


「はい」


せめて時間が守れなかった事を

詫びなければと謝罪の言葉を口にするも温度はなかった


反省しているように、

全く聞こえない声音に表情


それに対してただ促されただけ…?

無理矢理、

身体を動かしてアコヤさんの部屋に入るが


立ち尽くしていたお陰で遅刻した筈、

謝罪も反省色は皆無だろうに…

何故?


俺は時間に遅れたのに、

直ぐに叱責されはしないのか?





「具合が良くないのですか?」


「体調管理は出来ています、

…遅刻したことへの叱責はどのようなものでしょう」


俺に対する心配ではない、

侍従として

何度も疎かにしてきた自己管理が出来ていないのではないかといぶかしんで確認されただけ。



そんな顔で、

主人の前に立つのかと忠告されただけだ




「私がオリゼの部屋をノックしたのは一分前です。

…入室は時間きっかりに、間に合いましたね」


「最低限、侍従としては五分前に行動すべきでしょう。

時間丁度を間に合ったと見なすには甘いのではないですか?」



おかしい


呼びに来てもらって、

時間きっかり入室出来たから間に合ったと見なす?

俺はもう失敗が許される見習いじゃない、

普段厳しいアコヤさんであれば…

見習いの俺にもそんなことは絶対言わなかった


それでも十分だと、

指導に値しないと見切られたから…責もないのだろうか?

どうせ、

危険因子で侍従としての働きをさせないのであれば…と、

だからこんな甘い言葉を俺にくれるのだろうか



表情が抜け落ちた状態を、

戻せとも言われない…




「…確かに見習いでない貴方には甘いですね、

ならば心得を一回ではなく…三周唱えて貰いましょうか」


「畏まりました」



甘い…


心得が出来ていないと唱えさせられるのはいつものこと、

何もなくても唱えさせることもある普通だ。

回数を増やされることも、

叱責とは別にされてきたことだ…





見習いではない貴方にはとは言うが… 

見習いのときよりも、緩い


血の気が引いていく…

俺を侍従として認めていない材料が増えていく

侍従として受けて当然の叱責をうければ、

俺はまだ一縷の望みをつなぐことが出来るのにと…


その証拠として、

もっと重い責を乞うたというに

残念なことに望む物は与えられなかった。





でも、

これ以上ごねても不振を買うだけ

既に俺は不適格の印を押されたらしい

…望みは絶たれたとしても、

そもそも当然だったと考え直すしかない。


そもそも…叱責はごうつくばって得るものじゃない、

それを受けて安心材料にすべきものでも…欲しいと願うものではないと分かっている





片膝をついて口を開く


何時も通りに、

すっかり覚えてしまった長い心得を暗唱していく


言葉すら覚えたものの、身についてはいない

…一つ一つの心得が指す真意がわかってくるにつれ、

分かるだけ成長したのだと見なしつつ、侍従としての己の立ち位置を省みる事になる


確かに…

長期休みの間は暗唱したことはなかった。

侍従講習や査定中も、

意識したことはあっても満身創痍で心得に基づいて行動規範に出来たかと言えば…否


…余裕がなかった




確かに、

侍従として不適格な俺に

内省を促すために詠唱させるのは的確なのかもしれない

…叱責として、

アコヤさんが意図せずとも事足りるのかもしれないと


重くなっていく一言一句を、

自らの口から出る言葉を耳にも受け入れていったのだった…







…やっと三周、

初めは見習いのときよりも、緩いと思っていたそれが終わる



杖で打ち据えられる方がまだましだったかもしれない。

侍従として至らないところを指摘され続ける、

それも己の声でそれを言い続けることは


…それ程の負荷がかかったし、精神的に疲弊を伴うものだった




「立ちなさい、これが今日の概要です」


「はい…」


ダメージも癒えないまま、

立ち上がれば差し出される紙が一枚

今日の殿下の予定と、

俺の仕事配分が書かれているもの


…何も任されないと思っていた

良くて、

部屋の設えや掃除位

後は体よく殿下から距離を置く雑務でも作られているのかと思っていたんだけど…




買い出しだって、

食べ物や衣類が多い…口や肌に触れるそんなものを俺に任せる筈がないと睨んでいた


傍で控えるなんてもっての他、

あり得ないと覚悟して目を通していたのに…




「疑問点はありますか、オリゼ」


「…疑問点しか、御座いません」



目を疑った

無いと思っていた単語が書き記されている


アーリーモーニングから

朝食、

軽食の準備…勉強を見るために傍で控えることも予定に組み込まれている




「不明なところは?」


「本日初めからの業務からです…私の役回りに食事やサーブがあるのは解せません」


「"侍従"の基本的な業務に、不服でもあるのですか」



侍従という言葉を強調して返された


どうやら

見習いのときもしていた業務だからと、この采配に俺が不満に思っていると思われた…らしい




違う、

そうじゃない


見習いから正式な侍従になったからといって驕っているのではない。

もっと高度な仕事をさせて欲しいとか…そんな大それたことは思いもしていない





そもそも

その侍従として基本的な業務ですら出来ていない


既に出来たと、

簡単であると…見習いの時は勘違いしていたと講習や査定の期間に思い知らされたから、

…既に蔑ろに思う気持ちは俺には微塵もない



寧ろ出来ていないことが沢山あると気づけたくらい、

それくらいの成長しか出来ていない。

食事の用意もサーブも何一つまだ未熟者だ、


基礎中の基礎

アーリーモーニングですらまだ勉強中

紅茶一つとっても…茶葉の旨味や特性を最大限に引き出すまで俺は出来ていない。

ビスケットだって満足に焼いて提供したことはない




朝食はそれ以上に無理だ

それに添える軽食や甘味ですら、

組み合わせに悩むほど…


そもそもその茶葉も

食事と組み合わせるであろう甘味や軽食の用意も…

事前にほぼ全てアコヤさんがしてくれている


主人の予定だって、

こうして教えて貰っている…

色々お膳立てして貰った上で

モーニングやサーブを任せて貰えているのだ、

恵まれているとは思えど


不満に思うことはない





「いえ…アコヤさんは先日の件を懸念されていますよね?

いくら殿下が御許しになったとはいえ…危険分子の私にこの業務は適さないかと存じます。監視するにしても、手間でしょう…」


「私がオリゼを危険因子だと見なしていると?」



「はい、

午後からの散策も…私一人に殿下の付き添いをさせて良いわけがありません」



そう、

俺に任せるには問題しかない食事やサーブを任された上に

午後からは散策のお供と来た。



勿論、近衛を伴わない事から推測すると安全な学園内からは出ないのだろう。

周囲に気を張ることは少なくても、難易度が高いことに変わりはない




そもそも…付き添い自体したことが俺はないからだ。


…それも一人でこなせと?

アコヤさんはその間アフタヌーンティーの準備の時間に当てると予定には書かれている





「散策は学園内で、主人の身の危険はほぼありません。

外敵や暗殺に過度に警戒することもなく…傍に控えるだけのことですよ?」


「…その傍に控えている私が危険でしょう。

アコヤさんがそう考えた上でこの采配をされたことに、私は異論を呈しています」



「そうなのですか?」


「…殿下の口にするものや、

傍仕えである貴方の目が届かないところで主人と二人にさせることは避けるべきだと…どうか考え直してくださいと申しているのですが?」




そうなのですか?じゃないだろ…


主人の身の安全を第一に考える傍仕えがそんな呑気で良いわけがないだろうが


何故敵視しない、

友人として浴場やジルコン達と夕食を食べていたときにはあれだけ警戒していたのに。


その視線はどうした?

魔力をうっすらと発して、俺にマルコに近付くなと警告していた貴方は何処へ行った!





「何故そう思ったのかは分かりませんが…これを読みなさい」


「何でしょう?」




「あの内申書の続きです、

これを見て危険分子と判断するには満たないと私は思いましたが?」



受け取ったそれを

さらりと読んで、アコヤさんが警戒を緩めた理由は確かに読み取れる


主人への命令を最後まで守りつつ、

帝国への反意も示すことのないように動いたと

最後の総評として、

講師長の署名と共に書かれていたからだ…




だけど、

実際…俺はどちらも出来なかった

燃やせと命じられた帳簿の改竄の一端を、

命令違反の末に突きつけたんだ

…主人の潔白を信じきることなく疑って弾劾した。


そしてそれを監査である公爵に提出することも、

訴えることもせず逃げ出した…

もし主人が黒幕で…帳簿を隠し通す気であれば

その見習い侍従である己がそれを告発しないことは帝国への反意となることを知りながら

地下に潜ったのだ。


主人への命令違反や、

弾劾をしておきながら…主人への忠誠心を示すために告発だけはしなかった。

侍従として、人として何が正しいのかと悩んだ結果

どちらも正しくあれなかった…そんな経緯も此処には余すことなく書かれている



例え

総評で危険はないと講師長が判断してくれたとはいえ…

ただそれだけのこと。

有難いけれど、

こんな俺を危惧しない人などいるだろうか?



これを読んだからと、

危険はないと簡単に判断するのはリスクが高い

態度を一変させる程…俺への警戒を解くには時期尚早でもある。

そんな愚鈍な筈がないと、

判断能力に欠ける人ではないとアコヤさんのことを見ていたのだが…








「…確かに危険は少ないと判断されて侍従にはなれましたし、

これでアコヤさんのトラウマも打ち消すことは出来たと思います」


「ええ、私が面倒をみた見習い中で

オリゼが初めて侍従資格取得出来た子になりましたね」



なにやら感慨深そうに、

目元を緩ませている…厳しい指導者としての顔は何処にも見当たらない

傍仕えの表情ですらない…




数年…

俺への指導をしてきたからと、

初めて侍従になった見習いであるからと情に絆されてはいないだろうか?

貴方のトラウマを消してやると、

侍従になってやると啖呵を切った俺に甘い判断になってやしないか?



「…危惧することは、必要かと。

従属紋でも刻んだ方が「オリゼ」…はい」


「いくら私が殿下から権限委譲されていたとしても、それは無理ですよ?」


「…そうですか」


「それと、主人に直接それを頼むことも私が許しません。

折角信頼をして頂いたことを、貴方は無下にするおつもりですか?」



「いえ、その様な意図はありませんが…」




「ならば、

朝の起床とアーリーモーニングからお任せしますね」



「…」



なぜ…ならばお任せしますね?

となるのだろうか


情に絆されたままだし、

主人である殿下の信頼を裏切るなとそう言い含めるだけで済ませるつもりか?

それで俺への疑念は払えたと?



それに…

俺が危険でないと見なしても午後からの散策は大問題だ。



殿下の有難い心配りは分かる

信頼もしてくれていると分かっている…

そして見習いではなくなった俺を侍従として扱う、

自身の侍従として人目に晒すことを厭わない、と。

その為に…どうやら本格的に友としての配慮や甘さは無くしていくつもりらしい事もだ。



それがあるからこその

アコヤさんのが俺を付き添いを任せてみようかと、そんな采配になったことも推測できる





「どうしました?」


「もし危険でないと見なしても、技量に問題があるでしょう…

私に付き添いをさせて問題を起こしたらどうするのですか?

部屋であれば人目につきませんが、外は違います。

…それも今日は休日で午後はサロンや茶会等で出歩いている学園生の人通りも多い筈です」





そもそも論


俺は侍従服を着た状態で、

殿下の後ろを付いて回ったことはない…


任された仕事も

殆んど寮の部屋と給湯室の行き来で済むもの。

お陰で…

数々の俺の失態や未熟さが外に漏れたことはない

漏れたとしても、

殿下が許した範囲。

オニキス達等の…内輪でとどめられている



それが、

外であれば人の口に戸は立てられない

情報操作が出来たとしても、

それは目撃者が少なかった場合…不特定多数であれば

そんな事も出来なくなる




「自信がないのですか?」


「あるわけないでしょう。

朝食一つとっても…基本的な業務すら一人でこなせもしない。

その上で問題児ですよ、自他共に認める程の…

今まで受けてきた叱責や罰は片手で収まりませんし、裏付けに事欠きませんよね?」



「オリゼ、貴方はもう見習いではなく侍従として認められたのですよ?

普段通りの所作が出来るなら、付き添いくらいは出来ますよね?」



「っ…畏まり、ました…」



付き添いくらいはって…

簡単に言ってくれるな


恥を忍んで基本的な業務も出来ていないと言ったのに、

侍従としては名ばかりだと。

加えて

問題児であることも忠告したのに…



何で指示に逆らうなって、

付き添いが出来ると…承諾しか返答は許さないと怖い目をするかな?




「…オリゼ」


「はい」


「明日は一から朝食を準備してみますか?」


「…はい?」


自信なんてない、

どうしたらそつなくこなせるだろうかと…

付き添いについて必死に考えていた、

それだけでショートしかけていた俺の脳天に雷が落ちる




一から?

何種類もの料理を作って?

アコヤさんが用意してくれている茶葉や、軽食と甘味の組み合わせを選ぶだけでなく?


材料の調達から、

主食だけでも大変なのに。

紅茶との組み合わせを考えて何種類もの甘味や軽食を

俺が作れるとでもこの人は思っているのだろうか?





…紅茶の買い付けは店名を聞けば、

一人で行くことは出来る。

でもその時間がない

自由に動ける時間は早くても深夜…店が開いてるわけもない


それに甘味や軽食の材料も、主食も…

同じ理由で買いそろえることは不可能。




それに、もし手に入れられたとしても不安だ

主食も甘味も…軽食も

どれも簡単なものならば、

用意できるし…俺一人でも作れることは作れる。


だけど…普段殿下が食べているのは、アコヤさんの手製で

一つとっても手間隙も腕も必要な…凝った代物だ。

それを何種類も用意なんて、

俺の睡眠時間を全て費やしたとしても出来上がるか甚だ疑問だ




「…オリゼ?」


「…殿下に不便を強いることは出来ません」




「買い出しならば不要です。

茶葉も…基本的な食事と軽食、甘味を作る材料のストックはあります」


「…」


買い出ししないのであれば、

出来るかもしれない。

…でも、

それでは一からではない


今まで通り、お膳立てして貰っているではないか




「それと、普段主人の希望に添うように何種類も御用意はしていますが…私のようにオリゼにも初めからしなさいと何時言いましたか?」


「…」


お膳立てして貰った上に完璧な働きも見込んでいない?


何種類も用意しないと、

普段と変わらない選択肢の数と出来映えの両方を揃えなければ

殿下に申し訳が立たない


種類を減らすことも、

味も出来映えも格段に下がった俺の料理を食べさせることが…何故許されるのだろうか


そもそも、

用意してくれている材料から…

俺がまだなんとか作ることが出来る料理や菓子、軽食が出来るとも限らない





「やる気があると思いましたが…勘違いでしたかね」


「一からではありませんよね、

調達からするのが当たり前。その高下駄を履かせて貰った上で殿下の選択肢を狭めても良いと仰るのですか?

私は、貴方のように上等なものを上手く作ることはまだ出来ませんし…品数も揃えられません」




「ストックがあるなら、

買い出しに行く必要はありませんよね?

それと私のように初めからしなさいと言わないと言った意味は、オリゼと私の得意料理は違うからです。

普段私が品揃えしている甘味や軽食を作れと言ってはいません」



一応、方便はあるものの

一から任せてくれる気には違いないらしい

品揃えを減らすことも、

出来ない菓子や軽食を作らせる事もない。




俺が作れる範囲で、

殿下の好みを踏まえて作れと言いたいのか

いつもなら、

主食一種か、軽食2種類のどちらか

それと甘味3種類…


3時からアコヤさんと1時間こうして打ち合わせをした後、

殿下の起床時刻までは2時間ある。


…簡単なものなら、

なんとか…味も出来映えも普通の域を越えはしないけど

揃えられることには揃えられる




「今ある茶葉と材料を教えてくれますか?

…昼休憩の際に、考えた甘味と主食、軽食について助言をして下さいますか?」


「勿論、その程度の事は相談に乗りますよ」


「出来映えも、

チェックしてくださいますか?」


「当たり前でしょう」

「…ありがとう御座います」





「…そこで少し待っていてください、

茶葉と材料を書き出しますから。

主人の起床時刻までは後一時間ほど、今日のモーニングの確認をするとしても…何を作るか考える時間はありますね?」


「はい」


殿下を起こす前に、

今日のアーリーモーニングの確認をする。


アコヤさんが準備してくれた菓子やビスケット、そして紅茶の銘柄を頭にいれてからでないと

何を飲まれるかの伺いが出来ないからだ






「…オリゼ、部屋に戻っていて良いですよ。

私は今から準備をしてきますが構いませんね?」


「ありがとう御座います」



時計を気にして机から立ち上がったままのアコヤさんに、

これ以上俺に割く時間がないことを理解したから

そう言って直ぐに自室に下がってきた






傍でアドバイスをしてくれるまで、

俺は頼りきるつもりはない


そもそも今まで、

この時間何をしていたのかと言えば…殿下へ教える教科の勉強の仕上げ位


アコヤさんが、

アーリーモーニングのビスケットや甘味を作り

そして朝食の下準備をもしている間。

俺は侍従としてなにもしていなかったに等しい

そんな忙しい中、

助言をくれだなんて言える筈もない…




さてと

朝食として作れるもののレシピは控えてある。

殆んど、

講習で習ったものだ


それと、

アコヤさんが書き出してくれた材料一覧

見比べながら、

作れるものを絞っていく作業に移っていったのだった






「アコヤさん」


「確認しにきたのですか、オリゼ」

「はい」


もうすぐ6時になる、

頃合いだと給湯室へと足を向ければ

見慣れた光景が広がっている。



俺以外の侍従は、

何かしらを作っていて忙しそうにしている

貴族の休日の朝は基本的に遅い、

だからビスケットを今作り始めたらしい侍従や傍仕えも多いが


早く起床する殿下の傍仕えであるアコヤさんは、

もう全て完成している。

朝食の下拵えも、ほぼ完璧に終えている…


用意された紅茶の缶の銘柄を確認してと。

それと

いい匂いをさせている今日のビスケットと甘味は、

普段見慣れたものだった。








「おはよう御座います…殿下」


「ああ…」



少し眠そうだけど、

既に目を覚ましていた殿下に声を掛ける


「今日の紅茶はいかがいたしますか」


「…アッサム」


「畏まりました」



枕とクッションを背中に添えて、

殿下の身体を起こしながら伺いを立てる


先程

確認しておいた銘柄に、アッサムはあった筈だ

そして甘味の指定はないから、

ビスケットとガナッシュを用意すれば意に沿えると

頭の中で結論付けたところで視線を感じる




「オリゼ」

「はい」


「手首は大事ないのか?」

「…業務に支障はきたしません」


咎めるような目をしている…

ジルコンが昨日、

食堂で俺の昼食を運んだ一件のせいかだ。

あれだけ噂になれば耳に入らないわけない

そもそも…剣術の講義を休んだ時点で、

右の手首情報は得ていただろう


そして、

今殿下を起こす際にも俺は左手を支えにして起こしたのだ

普段は右手でするところを、

そうしたのだから…疑念が増しても不思議はない




「そんなことを俺が聞きたいとでも?」


「無理は致しません」



「及第…行っていいぞ」

「…御用意して参ります」


少し剣呑にしてはいるが、

要望通りの返答はできたらしい…

侍従としての働きに支障があるかどうかを聞きたかった訳ではないと、それならば手首を悪化させることは許さないと釘を刺したのだと理解した


右手を全く使わずに、

侍ることは出来ない…負荷を掛けないと確約は出来ないが、

軽減させる努力はすると口にさせられたのだ





給湯室へとまた戻ってきた


朝食の下拵えを終えて、

一旦全て片付けも終わっている…のか。

朝食の材料や下拵えが済んだものは、

鍵のかかる冷蔵庫や冷凍庫にしまってあるようだ


そんなアコヤさんの目の前にあるのは

紅茶が数種類と先程焼き上がったばかりのビスケットと甘味…

紅茶に入れるミルクや砂糖も用意されて銀トレーに準備されている

つまり…

アーリーモーニングに必要な物は、後紅茶を淹れるだけになっている。





「ありがとう御座います

紅茶はアッサムとのことでした」


「そうですか」


一言断れば、

手渡されたアッサムの缶と、

予め用意してくれていたカップ等一式


その後は無言

集中してポットに紅茶を淹れ終えた。

後は抽出時間とを気にするだけだと居室に運ぼうと準備し始めたが…




「…オリゼ」

「っ、申し訳ありません」


即座に、

誉められた行動ではないと諌められる


俺の右手が芳しくないのは、

殿下が知るところ

つまり…それを伝えたアコヤさんが知らないわけがないのだ


そう…

つい習慣で右手でトレーを持とうとして、

その挙動を止められたのだ




「左を使いなさい。

アーリーが済んだら片付けは私がしますので、朝食まで貴方が侍りなさい」


「畏まりました…」


アーリーモーニングの洗い物は、

俺の担当だったのに…

その間朝食のお伺いと、着替え等々の御世話は傍仕えであるアコヤさんが担っていた


俺がするより、十全だ

食器の扱いだって差がない訳ではないけど、

格段に差が開いている身の回りの御世話よりもまだまし。



まさか水仕事は手首に触るから?

頭をよぎった、

そんな理由を考え無いようにして殿下の居室に紅茶を運んでいったのだった




その後は着替えや朝食の伺い…

そして朝食の時間まで何とか一通りの業務をこなし終えた


殿下が朝食を済ませる間はアコヤさんがついている



今日のモーニングは

バターの匂いが美味しそうな焼きたてのクロワッサン

付け合わせにはスクランブルエッグ、ハムとチーズで主食一種類だ。

甘味はシナモンをたっぷりと効かせたリンゴとバニラアイスが乗ったデザートガレットと、

見た目にも綺麗な色とりどりのリーフパイ

多分ほうれん草やさつまいもの粉末で色を出しているのだろう…


そして3種類目は、

フルーツぎっしりのパウンドケーキ


殿下がガレットを食べ終わった後に、

リーフパイとパウンドケーキをサーブしていた…

食後の紅茶はアールグレイの濃いミルクティーで、

それと一緒に食べることを見越した上での組み合わせだったんだ





その圧巻のラインナップのメニューに

明日の朝食を用意するのは俺であることを思いだし、目の前が真っ暗になる


それでも、

意識を取り留めサーブの一部を手伝った後俺は、

寝室に移動する。

殿下がその美味しい朝食をとっているその間に、

ベッドメイキングや洗濯物の仕分け、掃除を済ませていく為だ。



見劣りするだろう明日の朝食を考えて溜め息を漏らしながらも

それを終わせ、

アコヤさんも朝食の片付けを給湯室で行う時間まで間に合うようにするのだ。

掃除とベッドメイキングの完了を伝え

洗濯物については続きを引き継いでから、

入れ替わりに殿下に侍る…

通達されていた科目の勉強の手伝いを終えていったのだった




「昼食も終わったし、オリゼも休憩をとって構わない」


「ありがとう御座います」



昨日、

食堂の夕食ついでに買っておいたパンとチーズ

それを口に放り込んでから

再計算する


考えたメニューは

甘くないパンケーキと

バターをたっぷり溶かし込んだオムレツにソーセージ。

フレンチトーストには、

酸味のあるフルーツソースと生クリームを添える


甘味には

スコーンとクロテッドクリーム、甘いビーツのジャム

そしてマフィンと

クッキー数種類だ




フレンチトーストに使うフランスパンは用意されているもの

ソーセージも、俺は一から作ることは出来ない


フルーツソースや、ビーツのジャムもアコヤさんが作ってくれたものだろう

そのハンデがあっても…これだけ用意するのは俺には難しい


アーリーモーニングの準備も、

起床や着替え…寝室の掃除や洗濯物の仕分けも

朝食までの業務を全て免除されても精一杯だ


準備ならば二時間で間に合う

でも調理時間や、片付け…

焼き時間や焼菓子を冷ます時間

サーブまで考えれば


どれだけ計算したとしても到底朝食まで間に合わないのだ

それに、

これは最短時間


余裕を持たせれば…更に間に合う処の出来上がり時間にはならない



同じく休憩を貰っているアコヤさんに、

メニューを書き記した紙を手渡す



「…オリゼ」


「まだ私には早いです」



「私の助言を聞く前から諦めるのですか?」


「…う」


「」





…少し時間を遡った

川獺の自室では玄武が不機嫌そうに目を閉じながら壁にもたれ掛かっている




玄武さん…




「川獺、貴台が何を御望みか分かっていますよね」



「不肖の身はどうなろうと構いませんが、貴台がそれを庇われるおつもりであることは残念なことに確認済みです」



「当主様が…それを認めれば、貴台は…っ」



「無事では済みません」


「それを回避する手段って…ま、まさか命を…」


「そうです、

侍従として不適であると処分されようとどうでも良いこと。

そもそも貴台のためになるのであればと侍従となりました

ならないのであれば、

害になるのであれば邪魔な存在は不要…消すのが常套ですから」



「…我が悪いのですよね」



「いいえ、貴台としては不条理なことをした己が悪いと」



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