赤12
全くのお揃いではないものの、
誕生日プレゼントとして各々に手渡せば…それに食いつくマルコ達
まだ中身も開けぬうちから何故か非常に喜んで、
正に狂喜乱舞状態…
各々…とても愉しそうな顔をしながら箱を開けていけば、
殺伐とした空気は嘘のように和やかな雰囲気になっていった。
そしてそれを確認した俺は、
もう険悪な事にはならないと判断して、一足先にジルコンの部屋から失礼してきたのだが…
ジルコンの部屋から出た俺に…
表廊下であるにも関わらず、
玄武が後ろからぴったりと付いてきた。
時間を置いて出てこなかったのだ
この時間人通りが少ないとはいえ、全く人目がないわけではない…
結果、
ジルコンの部屋を侍従を連れて退室した所を…
数人に見られてしまったたのだ
俺に侍る玄武をみれば…
川獺に罰を与えた原因の権威付けになる。
つまり、
川獺と同じ罰を与えなければならなくなるというのにだ…
普段からも俺が絶対に許さないことと、
俺の傍仕えならば分かっている筈。
だからこそ玄武は時間をずらして退出し、使用人通路から自室に向かう。
…いつも通りに、別行動すべきであったと知った上の行動か?
「はあ…」
何のつもりだと、
怒りを内包しながらも…それを逃すために溜め息をつく
此処で俺が玄武を怒ったとしても利はない。
人目に付くばかりでなく、
普通の学生と侍従であればこれは普通の状態だからだ
此処で玄武を叱責すれば、
俺が職務を全うしている侍従に対し
…理不尽な八つ当たりをしているように見える。
または…
何らかの失態を犯した侍従を責めていると考えられても困る。
公の場で叱責すれば…
玄武を晒し者にしてその評価を公然と下げる行為となる。
同時に俺自身の人としての格も下がる…
怒りをコントロール出来ない未熟さ、
こんな場所で侍従を咎める場を弁えない器だと思われかねない
「如何致しましたか?」
如何もなにも、
分かっているだろうに…そ知らぬ振りに気付いていないとでも言うつもりか…
半歩後ろから当然のように侍る玄武の気配に
やってられなくなる。
残念ながら…
その問いに理性を保ちながら答えるだけの精神力は、
俺にはあまり残っていない…
とりあえず疲れたんだ、
先程は久々に広い湯船で手足を伸ばした…
そして長湯したせいか、
上がった時よりも更に疲れが出て来ている
…多分、
ジルコンの部屋での性に合わない行動をしたからだろうか?
まあなんにしろ…
部屋に戻ってから玄武に詰問するつもりだ
「…」
「貴台?」
だが察していても、
廊下を歩く俺に侍る玄武はそれにあえて触れない
そして、
部屋に戻る迄待たずにどうしたのかと再度問いかけてくる…
多分…
玄武が罰覚悟でこの行動を取ったのは、
俺の権威付けが一番の理由ではない。
「…如何した思うんだ?」
「いえ、申し訳ありません」
公共の場で、
俺の体調不良を案じれば誰に聞かれるか分からない…
だから明確には口にしないのだろう。
何事もなく部屋に戻れば、
俺がマルコの配慮通り…
机に向かうこと無くゆっくり休むと分かっている
俺が今すぐ距離を置けと言わない理由
玄武にまだ侍る事を特例で許しているのは、
ただ手遅れだからだと思っているからではない。
疲れが出ている俺から目を離した間に…
途中で倒れることを心配した、玄武の配慮だと認識しているから
だから侍っていてもそれに気付かない振りをしていた。
俺に玄武の存在を認めさせなければ、
玄武が侍っていることに知らぬ存ぜぬを押し通せた…
詭弁にしかならないとしても、
そうすることで
俺が罰を与える必要もなかった…
玄武も体調不良の俺から目を離さずに済んだ。
なのに、
俺の溜め息に反応した。
如何したかと俺に声を掛けたことで…玄武は自分の存在を不必要に露にしたのだ
ただ、
俺を案じるが為に…
「全く…」
まだ部屋までは少しあるが、
丁度…人目がなくなったことを確認して足を止める
「急に立ち止まられて…何か考え事でもおありですか?」
俺の様子を伺う玄武も、
俺が立ち止まったと同時に直ぐに足を止めた
そして、雰囲気が変わったことも肌で感じたらしい…
他の耳や目が付かない状況であれば…
玄武へ聞きたいことを我慢出来るほど、俺の器は大きくないのだ
「俺にどうして欲しい、玄武」
「…貴台のお心のままに」
罰は何が良いかと
玄武振り替えり、見れば
膝を付く事なく
腰を深く折り頭を下げていく…
そうか、ここはまだ部屋ではない。
今人目がないとはいえ、
誰かが通りかかる可能性はある。
その時、
此処で玄武が膝を付いて頭を垂れいれば…
俺が忌諱している権威付けの程度が跳ね上がる。
確かにこうして腰を折ることも、
頭を深く下げることもそれを示すことになりはするが…
まだ両膝を付いてかしづくよりはまし。
つまり玄武としては、
膝を付くところだろうが…俺の意を汲んで譲歩する姿勢を見せているらしい
「…その台詞、やはり己がどうなるか分かっていての行動だったな?」
「勿論、承知の上で御座います」
…へえ?
淡々と返答する玄武の言葉に眉間に皺がよる
玄武が"俺の心のままに"と言うときは…
罰を受けるときか、
忠言を無視した俺に看過しませんよと嗜めているときが大半だ
そして今確認してみれば、
やはり罰覚悟での行動だったと玄武は認めている…
「そうか、早く部屋に戻るぞ」
「御意」
やはり、
罰を与えなければいけない
さて…どうしたものかと、
その玄武の謝罪姿から目を外し…部屋に戻る足並みを再開しながら考える
見逃して無かったことにするには、川獺と不平等になる
見逃さなければ玄武を自粛させることになり、
二人の世話を俺がすることになる…
俺はそれでも一向に構わないが、
実際のところ…残念なことに玄武への脅し文句以上にはならない。
此処は学園で、男爵家屋敷ではないのだ…
他家の目につく危険性が否めない上、
俺個人ではなく家として貴族の体面に影響するからそれは出来ない
学園の侍従に世話をさせたくはないし、
兄上にお願いして青龍に指示させて貰うことも出来るが…
川獺はともかく、
大きな失態は三度目は見過ごさないとまで玄武は言われている。
兄上に任せるリスクは大きい…
玄武が最終通告をされる危険は、犯したくない
…
ならば…どうしたものか
何か妙策でもないものか、そんなことを思っていたときだった
「貴台」
「ん?」
「お着きで御座います…本日もお疲れ様でした」
玄武の呼ぶ声
なんだと思えば、成る程?
そんなこんなを考える間に、俺は部屋の扉の前に付いていたらしい。
考え事に集中し過ぎたあまり、
自室を通りすぎ掛けていた俺を呼び掛けて押し留めたのか
「ああ…」
定型文のお疲れ様は、
本当に俺が疲れているからだろう…
少し玄武の感情が籠った言葉になっていた
何も声を返すつもりはなかったのだが、
流石にと思って…おざなりながらも声を出せば…
見慣れた自室の扉を玄武が開けて、
俺に入室を促してくる
チラリと見てみても…その姿に変な緊張も、
気負いも見受けられない。
まあ…侍従としては素晴らしいのだろうが、
何の変化もない…
全て分かった上でやった所業かと、勘ぐりたくなってくるというものだ
溜め息が漏れそうになるのを押し留め…
入れば、
背後で扉を閉めた玄武がこれまたいつも通りに俺の横に来る。
脱いだ羽織を受け取り、
俺の着替え等の世話をしようとしているのだが…
その動きを俺は必要ないと手で押し止めた。
「…お怒りでしょうか」
「それが分からぬ程、耄碌したのか?
…川獺の手前だ」
俺が返事をしていたから、
そこまで怒っていないとでも思ったのか。
それとも…自制出来ているとでも思っていたのだろうか?
どちらにせよ
今玄武がすべきことは俺の世話ではない
「十分な叱責を受けるまで…不肖に侍従としての仕事をさせるつもりはない、
と言うことでしょうか」
「そういうことだな」
まあ…
怒ってなどいないと言えば嘘になる、
何故彼処で空気に徹しなかったと責めたくもある。
だが罰を与え無ければならないのは
…なにも俺の感情を解消するためではない
玄武の世話を無視したのも、意地が悪いのではない。
言葉にした通り、川獺の手前がある。
玄武に責を無かったかのように振る舞うことは許さない
罰を経ること無く、
侍従として侍ることを赦すこともない
ただそれだけのことだと…
だからこそ先程の事を俺は無かったことにすることは出来ないと、
言外に示せば
玄武は何も言わず、
その場で両膝を付いて低頭していく…
「…そのまま待っていろ」
「はっ」
数分前に廊下で見せた姿ではなく、
今度はちゃんと罰を乞う正規の姿勢…
膝を両方…共に床に揃えて付き、
両手を脇に揃えて頭を垂れている。
こんな無様な格好は、
…玄武には到底似合わない体勢、だ
それを一別した後、
その状態の玄武を放置して準備をする。
脱いだ羽織をお気に入りのソファー投げ置き…
クローゼットに向かった。
…
…さてと
どこだったか…
記憶を頼りに大きな蛇腹扉を開けば、
思った通り。
…その右側には俺の乗馬道具一式が入っていた
今から馬に乗る用事など無い
必要な物は、乗馬道具ではないし…取り出したのも乗馬鞭ではない。
使用頻度が低い物がその後ろに仕舞われているのだ…
そして鞍や乗馬鞭が掛けられている奥から、
手を差し入れて目的の一本鞭や入り用の物を取り出していく。
「これと、あと…」
馬車の一件の鞭打ちをまだ玄武にしてやれていない。
あいつらとの約束は違えない範囲で、
今回の玄武が侍った罰を上乗せする。
俺が体調が優れないのに己のせいで無理をさせること、
そして…鞭のグレードをあげることで玄武への心身に与える痛みは飛躍させる。
左よりも右手は傷も痛みも少ないとは言え、
鞭を振る負担は大きい。
そして俺の体力も乗馬鞭とは比較にならないほど消費する…
それで玄武が無断で侍った責と見なすのだ…
落とし処はこれしかない
今から…俺の侍従として普通に侍ったことを、
玄武を俺は責める。
気が乗らない
俺の意向に背いたとはいえ…あまり理不尽なことはしたくないし
罰を与えることでさえ、
無くしていいのならば無くしたいが
…それではケジメが付かない
ならば、せねばならない罰ついでに済ませてしまえば良いと考えた
今回の一件で俺の手首は多分痛むだろう、
そしてそれが治るまでまた期間が空けば、侍従査定の屋敷の門を馬車で塞いだ罰は更に延期になる
期間が空けば、
俺も問いにくくなる上…罰の効果もない
そうなればただの暴力になる上、
処罰の概念に反する
そう、
だから今から玄武にするのはあの一件の罰と
今回の命令違反
その両方を問うが…
名目は馬車での一件のみだ
「馬車の件、お前に鞭をくれてやっていなかったな」
「…はい?」
それを取り出し、
玄武の方を見やれば…
両膝をついて頭を垂れているとはいえ、
床に垂れた鞭先から俺が手に持っているものが何であるか察したらしい
間を開けて返事したことが、
玄武が返事を躊躇をした何よりの証拠になる…
「今何故か…すこぶる体調が良い。
打ってやるから、自分で服を脱げ」
「畏まりました…貴台」
物言いたげだ…
それも理解できる。
あの件については約束としては俺の体調が完全に回復してから、
責を問うと玄武の意向からそう決めていた。
そして何故それを今問うのか。
何より…先程の侍った責はどうなったのかと、
疑問を口にしたい気持ちを玄武は押し殺しているのだろう…
実際、
元気溌剌なんて事はない…
だが俺が体調が良いと言えば、
嘘であろうとそれは真実となる。
カラスが白いと権力を持つ人が言えば白になるのだ…
必要に迫られない限り
俺はそう言うことはしないが今回は致し方ないよな?
玄武の言い訳を聞くことも、
…逃げ道を残すこともない。
下げた面が、どんな表情を張り付けているかは見えないが
上着とシャツを脱いでいく手は気が進んでいない証拠
時間を稼ぐことすらしないが、
迅速とは言い難いからだ
…
漸くか…
必要な道具を準備をしながら玄武を待っている間、
準備を着実に進めている
ソファーには投げ置いた羽織が放置したまま…
いつもの玄武や…川獺ならその様な状態を許す筈がない。
そして趣味の本や綺麗な茶菓子とティーセットが広げられているテーブル上も
…まるでラピスの部屋の一部のように様変わりしている
罰のために必要なものをクローゼットから用意して並べてあるからだ。
一本鞭に、
乗馬道具である馬銜
そして式神を呼ぶための二枚の御札だ。
「貴台、御待たせしました…」
「そうか」
漸く脱ぎ終わったか…
と、その声にテーブルから目を離し、
向ければ…
完了報告通りに、玄武は俺の指示通り上半身何も身に付けてはいない。
両膝を付いたまま跪く玄武
その上半身に唯一付けているのは、
俺が与えた左腕の従属紋が刻まれた腕輪のみ
そして脱いだ侍従服は綺麗に畳み、
横の床にきっちりと置いている。
それが侍従らしい一面だと思う一方で…それと相反する物が露になっている
素肌だ…
その胸には父上に刻まれた魔法陣、
そして大きな袈裟懸けで切られた傷痕。
スパイだった頃の古傷か、
ラクーア卿の元で拷問にかけられた際につけられたものか…
そのどちらが原因か、俺は知っている。
玄武が俺担当の侍従になる際、
父上と兄上の同席のもと…一度見せられたことはあるのだから。
一般的な侍従、
いや普通は死傷になるような大きな傷を持っている筈ない…
服を着ていれば細身に見える玄武は、
やはり鍛え抜かれた身体を今でもしていた。
これが前職で必要な身体能力を身に付け、
そして死線を潜り抜けてきた身体…
それから俺の侍従になって数年経っているが、
見たところ衰えなど無さそうだ。
俺が兄上と間違われ連れ去られた一件から訓練は欠かしていないと知っている
「さて、始めようか」
「はい」
やりたくない…
あんな体を更に傷つけたくなどないと思いながらも、
用意した馬銜をテーブルから取り上げて
玄武の方に足を向ける
「面を上げなさい、玄武」
「畏まりました…貴…台、それは何でしょうか?」
玄武の目の前まで来た俺も、
床に片足をつく
面を上げた玄武が、
俺がその眼前にかざした馬銜を見て言葉を途切れさせる
まさか俺が…と、
こんなことをするとは思っていなかったのだろうが…
罰を受けるというのに、質問?
俺に許可を求めることもせず、
かつ、許されない質問をしてくるなど失態にも程があるだろうに…
らしくない…
「質問出来る立場か?いいから…口を開けろ、玄武」
「申し訳ありません、ですが身動ぎ一つしないと確約致します…舌を噛むような失態も致しません」
此処まで言えば無抵抗に口を開くかと思えば、
それは言葉を紡ぐため…
用意した馬銜を口に咥えさせようとしたのだが、
予想外にも玄武は拒否する…
何故…再三の質問に抵抗まで?
侍従らしくない、
俺の傍仕えとしての振る舞いから逸脱したものだ。
こういった場面では俺に従順な玄武がどうして…
まさか
…そんなに嫌なのだろうか?
「お前が大抵の痛みに耐えられること位知っている。
その上で俺が安全上必要と判断したことにお前が異論を唱えられる立場か?」
「いえ、失言をい…っ何を」
「…少し黙って」
「…っ」
質問するなら黙れと言えば良い
抵抗するなら…
その気力を削げば良い
このままでは、
馬銜を噛ませられないと戦略変更をする
口では抵抗しても、
姿勢は崩していない…俺に手を上げることもしない
一応侍従としての一線は越えていないところを見ると、少なくとも玄武に罰は受ける気はあるらしい
ならば
俺は…玄武が嫌がるであろうことをする。
気力を削いでいこうかと、
玄武の晒された肌に指を伸ばしていく…
銃創か…
左胸と二の腕にある傷は銃によるもの
腕のものは貫通したらしく、痕は小さい…
胸は…あばら骨で弾丸が止まった、
それを短刀か何かで玄武が多分…自分でえぐりとったのだろう
傷は深く、
そして歪に大きなものになっている…
痛かったろうな…
と、少し肉が盛り上がったまま治っているそれを指先で感じながらも撫でていく
…
そして刀傷だ。
数ある内の傷痕の中で一際大きなそれは、右肩から袈裟斬りされたもの
それを馬銜を持っていない右手で感じていく。
掌で…
その一番大きな傷をゆっくりと、そしてなぶるようになぞっていく。
これは玄武がラクーア卿の屋敷で失敗したときのものだ…
そう、これがなければ、
玄武は此処にいない。
スパイとしては誇れるものでないとしても、
俺にとっては…
「…っ」
「触られるのは嫌か?」
面を上げろと先程命令したせいで、
玄武は顔を俺に晒したままだ…
身体が反射から、ピクリと動くことや…少しの表情の変化はあったものの我慢していた筈
それが、
左の横腹…袈裟斬りの痕の最後を撫でれば声を発した
最後の最後で遂に、我慢ならなくなったのだろう…
身体を見られて、古傷をなぞられる。
その行為は玄武にとってなぶられる気分になるのかもしれない
だが…
俺の気持ちに気付いていて反射以外は動かなかった。
俺の目が薄く弧を描いて、
口角が上がって笑っているのを見ても…もう何も抵抗しない。
それは多分、
俺がそれを好ましいと感じているからと玄武が分かっているためだ…
俺にとっては玄武が隣にいてくれる原因だから、
痛々しいと思う一方で
不謹慎ながらも…嬉しい傷なのだと玄武が大人しくしていることを良いことに思う存分になぞっていく
…
「…口を」
「申し訳…「謝罪も返事も要らない、それも含めて今から俺が玄武にさせて済ませる。分かったなら…口を開けられるな?」…っ、ぐっ」
謝罪すらさせず急かせば、今度こそ薄く開いた口
それに…
素早く馬銜を噛ませていく…
鉄製の本来馬に使う物だ、何処かの拷問好きの悪友であれば人間用のものもあるのかもしれないが、俺にそんな趣味はない。
浄化魔法陣で清めて軽く手拭いを巻き付けているだけの代物
鉄を噛み締めて、玄武の歯が欠けないように、
手拭いを緩衝材にしているものの万が一もある…
強く馬銜の鎖を後頭部で引き絞り、強く噛めないように固定していく。
可哀想に、
涎が滲めば鉄の味がしてくるだろう…
「扉に腹を付けて背を向けろ、膝はついたままで構わない」
「…」
俺が己の言葉を聞く気がないと漸く諦めたのか、
もう反抗をする気はなくなったらしい…
玄武は俺に軽く会釈をして返事代わりにし、
入口の扉の方に膝を付いたまま向き直っていく…
その玄武の体勢が整ったのを見て、
霊力を発現する
「手を上に上げろ」
「…ぅ」
身体を扉に張り付けている状態だ
今度は顔を下げることも、扉に阻まれ出来ない体制。
馬銜は完全に声を抑えることは出来ない、
だから今の玄武でも声は出せるが、くぐもった物になるのをきらったのだろうか?
はたまた返事を要らないと言った、
その俺の言葉を踏まえたのかは分からないが…
返事代わりに手を上に上げていく
「少しそのままだ、玄武」
「…」
返事はないが、
体制は維持している…
それをみて、テーブルの方へ向かい
発現した霊力をそのままに…
札を二枚まとめて人差し指と中指に挟み、玄武の方へ投げていく
バサリ…
大きな翼音をたてながらホバリングする梟、
そして床にタシッと力強く着地した狼
どちらも
此処一年ですっかり見慣れた俺の式神だ…
「…クル?」
不思議そうに首を回しながら、
俺に鳴く梟
普段なら森や暗い所で呼び出すものの、
今回は明るい室内。
式神であるから、
普通の梟のように夜行性ではないものの
暗闇や夜の方が能力を発揮しやすい…
「黒檀…悪いがあれを握って吊り上げろ。
…膝は付かせたままでいい」
「キュ?」
玄武の方を指差しながら指示を出せば、
瞳孔が細く鋭いその目を其方に向けていく…
暗がりではまん丸の黒い瞳が可愛いが、
今は金色に細い瞳孔が縦に一本…
猛禽類の獰猛な顔立ち、
それを連想させる瞳になっている
「黒檀、明るくて悪いが…分かってくれるか?」
「キューイ」
黒檀…もとい梟にはその堅牢な鉤爪で玄武の手を握り、持ち上げ吊り上げて動かないように固定して貰う
俺の指示を叶えるため
止まっていた腕から飛び立っていく…
「銀…お前もだ」
「グル…」
そしてワサワサと足元に絡んでて来ている狼
銀色の大きな体躯を、
俺の足に擦り寄せてきている…
「言わなくても分かるだろ…散歩のために呼び出した訳じゃない」
「…グゥ」
ふいっ…
そんな擬音が聞こえるように拗ねた様子で身を翻していく
玄武は膝を折っているため、
膝下からは床に付けている状態ではあるものの
鞭打つ時に玄武が暴れない保証はない。
だから重石として、ふくらはぎの上には銀に寝そべって貰いたかった…
そして手は黒檀に吊り上げさせる。
玄武の上半身を引き伸ばして動かないようにさせたのだ…
「少しの間…頼んだよ、黒檀、銀」
「キュイ」
「グルゥ」
頼んだと言えば、2つの鳴き声が返ってくる
これで玄武が扉に張り付く体勢で固定された…
銀の声は不満げなままではあるが、心配する程のことでもない。
鞭打つ前の準備は、
これでしっかりと整ってきた
兄上には劣るものの、
玄武より俺の方が魔力も霊力も高い。
そしてどちらも練度ではまだ未熟ではあるが、その今の俺でも無抵抗の玄武ならば伸せる方法はある…
魔力は僅差であるが、霊力の差は大きい
つまり、霊力をあまり持たない玄武なら俺でもやりようがあるのだ
短時間効率を無視した量を注いで召喚した俺の式神を、
霊力の少ない玄武が本気で抵抗したところで振り払うことは出来ない。
…そして発露した霊力と魔力を存分に当ててやれば、
反射で身体が動くことも出来はしない筈
それを確認してからテーブルに置いておいた鞭を、
手に取った
「さて、数回打ち据えるだけで済ませるって言ってしまったからね…
最大で9回、玄武にとっては軽いだろ?」
「…」
何も玄武を凝らしめたくてしている処置ではない、
此処まで厳重に拘束するのは
痛みで玄武の身体が動けば、鞭先が変なところに当たるからだ
…兄上ですら、一本鞭を打つときは微動だに出来ぬよう…
青龍に指示して俺を磔にして固定した。
そして俺は兄上よりも当然扱いが上手くない…だからこそ玄武の怪我を防止するために厳重にしているのだ
にしても、玄武が静かだ。
安全のために馬銜は噛ませた…
だから喋りにくいとは言え、何も言えないことはない…
発声を阻む構造にはなっていないのだが?
「何故…そうか、黙れと俺が言ったから黙っているのか」
「…」
何故だと聞いて自分で気付いた…
玄武からの変わらず返答はない。
呻き声すらない、
仕方ないことだと分かっていても少し寂寞感がある
ビジィィ!
さて、そんな感情は置いておいてだ。
振るのは何年振りか…と
それでも身体が覚えている筈だと、試し打ちに床を打ち据えれば案外良い音
その音に
玄武の身体が僅かに反応するのに気付きながらも調整していく
バチィ…ヂィ…
全身と腕をしならせて、
玄武から離れた何もない壁を打ち据える
バチ
ヂィ…ィ
良し、精度が上がってきた
これで跳ね返った鞭が俺に返ってくる可能性は低くなっただろう…
だからと言って兄上のように余裕はない、
当たり処が悪ければ玄武の内臓を痛めることになりかねないからだ
そして
可愛い俺の霊獣に当てたくもない…
元の世界に戻せば直ぐに癒えると知っていても問題はそうではない。
…使役するだけのモノ扱いはしないと決めている
集中して9回、か
それも同じ所ばかり当てては肌が張り裂けて痕になる
欲を言えば打ちたくないが、
そんなことを今更言ってられもしない。
肩から腰に掛けて順繰り打って、傷が浅いところにまた打てば良い
それが一番負担が少ない筈だ
まずは一回
玄武の方に足を進めて、腹と腕に意識を集中させる
ビジィ…
「うっ…」
鞭を上手くしならせて打ち据えられた事を確認してから、玄武の様子を伺う
合図もなく急に与えられたせいで、
もしくは馬銜で口を開かされているせいか…
らしくもなく呻き声を殺しきれなかったらしい。
近寄ってみれば、
僅かに震えるその玄武の白い背中に赤いみみず腫が映えている…
痛みに強い玄武とは言え、
こんな跡が残る打撃…一本鞭が痛くはない筈がない。
でも…うん、
上等な方だろう。
俺の腕で可能な限りは、加減が上手くいって良かったかな?
「痛いか…玄武」
「…」
古傷の上から、
刻まれた赤色を確認するように軽く触っても何も反応しない
ヒリヒリはするだろうけど、
指先を見ても血の滲みも認められなかった
このまま同じように鞭打てば良いと、
判断した…
それにしても謝罪も返事もしなくて良いと、
その俺の言葉に従ってなにも言わない…顔は見えないが玄武に眉が下がっていく気配がする。
返事をしろと強制されれば…
明瞭でない声で返事はするのだろうが、呻き声など出したくないだろうと思って…そう言ったのだが
やはり返事がないのは、
勝手だと知りつつ…やはり少し寂しくもある
早く済ませてしまおう、
そう思って切り替え…残りの8回、鞭をしならせていったのだった
…
…
「銀…黒檀、もう良いよ」
「キュー」
「ウゥ…」
そう言えば…
鳴き声を上げながら、
黒檀が飛んで向かってくる…
「拗ねないで…銀。
二人ともありがと、今度夜に散歩でもいこうか」
「ホー」
「わっふ」
9回が無事に終わったと、
終わりだと声に出せばホッとした俺自身に
玄武の脚から飛び降りて走ってくる銀色の塊…
その俺の一声で即座に玄武の固定を投げ出した奴等に、つい苦笑が漏れる
仕方ないと…向かってくる黒檀のために、
留まるための左腕を横に付き出せば衝撃がないように着地し、
誉めて欲しいのか、
まんまるな金色の目をこちらに向けてくる…
キリッとしたこの目も嫌いではない
そして右足に…柔らかな感覚
視線をしたに向ければ、すり寄ってくる銀狼
尻尾を撫で付けるように添わせているのは、黒檀と同じ理由だろうな…
「ありがとう…良くやってくれた」
「キュー」
「グルゥ」
…そう言いながら役目が終わった式神を撫で、
別れを告げれば…可愛らしく一鳴きして姿を消していった
…式神が消えていった、
それを見送ってから玄武に目を移す
真面目だな…
黒檀の爪がなくとも、腕を上にあげたまま、
俺の指示を守りと押している姿がそこにはあった
痛みに強いであろう玄武でも、
全く痛まない筈もなかっただろうに。
今も辛くない筈がないのに…
殆ど呻き声も、
身体の反射もなく耐えたし
今も何もなかったかのようにその姿勢を維持している…
「玄武、腕は楽にして良い」
「…ぐ」
黒檀によって解放された引き上げられていた玄武の腕、
今は腕を下げることを阻むものはなく、
俺の指示に伴ってゆっくりと玄武が腕を下げていく
少し漏れた声は、
背中の皮が動いた…傷に響いた痛みによるものだろう
…
…近くで見ればやはり負担は掛けてしまったようだ。
出来る限り上手く打ち据えたつもりだったが、
肌が裂け赤くなった所と鬱血して赤黒くなった部分が2ヶ所出来てしまった…
そんなことを思いながらじっくりと、
確認していれば玄武が此方を伺うような仕草を関知する
俺が何をしているのか、
振り返ろうとしたのだろうが…
…それを俺は許しはしない
「動くな、まだそのままで居なさい」
「…」
拒否の意思を感じるものの…
動くことも封じられ、黙るしかない玄武を良いことに、
俺は左手に持ってきていた物を…アルコールを
玄武の背中全体に振りかけて消毒すればやはり染みたらしい。
「…ぅ」
少し肩が上がる、
傷に染みることの反射であるのか
俺に手当てをさせていることへの拒絶反応なのかは分からない。
だが、そんな反応を見せる玄武を無視して、
俺は消毒を済ませていく
次は、塗り薬
傷が酷いところには厚めに薬を塗り込んでいく…
全体にガーゼを当て、
包帯でぐるぐると固定していく…
最後に放置していた俺の羽織を
掛けてやって完成だ
「玄武もう動いていい…振り替えることも許す」
「…」
そう言えば、
腰をふくらはぎに下ろし正座する
そして…拳を床につけ、にじりながら振り替える玄武
その姿は鞭打たれて悲壮感を漂わせる物ではない
目も媚びることもなく、
うちひしがれていることもなかった…
ただ、凛とした1人の成人がそこに座している。
…まるで、名のある茶会で正客に呼ばれるような佇まいを、
何処か醸し出している御仁みたいだ。
俺が令嬢であれば、一目惚れでもしていたかもしれない…
それ程に精悍な雰囲気を漂わせている
…うん、
やっぱり羽織らせただけだけど玄武には和装があうね…
ねだっても俺の目の前で、
侍従の正装以外着ることは無かったのだ…
疲れたし、
これくらいの褒美があっても良い筈だろ?
これ程格好良くなるとは思わなかった…が
…
「外してやろうか、動くなよ」
「…」
さて、呆けているのも此処まで
用済みの…
景観を損ねる馬銜も外してやらねばと
ゆっくりと玄武の後頭部に手を回して、
その少し重厚感のある馬銜を口から取り除いてやれば
玄武の涎が少しついた、
鉄性のそれは少し金属の香りがふわりとする…
「ん…玄武、口利いて良いよ?」
「貴台」
鉄の味がするであろう口内は不快なのだろう、
つい先程まで口を塞がれて鞭打たれていた筈なのに…それでも掠れることもなく俺を呼ぶ声は、平時の玄武らしいもの
…本当にこの傍仕えは怖い
どれだけ痛みに強く、耐えられるとしても…
ここまで何事もなかったかのように振る舞える
俺なら、
声は直ぐに出せない
出したとしても、それは憐憫を誘うように揺れて枯れた物にだろう…
「なーに?」
「この様に罰を賜れるとは思っておりませんでした…御手間を御掛けしました」
そんな格の違いを見せつけられて…
悔しいなと臍を噛んでいれば、
目の前の…
俺に定型の挨拶をしてくる玄武は…いつの間にか眉を下げていた
そして、
俺が止める間も無く…これ見よがしに三つ指をつき、頭を床につけて平伏していく
らしくもなく負の感情を顔に出した…
何も玄武が罰されたことにそんなことをする筈はない
正当なものと分かっているし、
もし不当だと思ってもまず俺にわかるように顔や態度に出すことはない
まして、嫌み混じりに
罰を賜ったなんて言い回しをするようなことをするなど
…
…まあ、不満なのだろう…な
それは自身が罰を受けたことではなく、俺がこの体調で無理をしたからだろう。
ただ枷で固定するなら…
侍従の仕置き部屋で行えば俺の負担は少なかった。
別の方法だって一応あるにはあるが、
俺はどちらも好まなかったし
川獺がいない今仕置き部屋は選択外。
だからこそこの部屋で、
俺は霊力と魔力で玄武を過剰に押さえつけた。
玄武の安全上の観点からが一番の理由だが
そこまでしなければ、
今回の水増し分が罰として成り立たない事もあったからだ…
「どういたしまして…あ、今日はそれ着たままにしてね?」
拗ねた感情を隠せもせず、
少し強くなってしまった声で意匠返しをしてやる
大人げなく
俺が羽織らせた羽織を指差して言えば…
「っ…貴台!」
玄武が
頭を跳ね上げるようにして上げて…
そして、
玄武がとんでもないことだと首を横に振って俺に制止を掛けてくる
まあ…
俺の衣服を着ることを拒絶するのは、
侍従としては当たり前だろうけど…
…それを主人の俺は受け入れはしないよ?
「何、文句でもあるの?」
むくれたままの口
餓鬼であることも分かりつつ膨れさせながら聞けば
玄武が息を細く静かに吐いていく
…有り体に言えば、
俺に遠慮しつつも分かる様に溜め息をつかれたのだ
…
「貴台…手当てまで何故、貴台自らが為さったのですか」
少し間をおいて口を開いた玄武に、
やはり文句はあるようだ。
そう、侍従の手当てを主人がすることなどない
他の使用人や自分で処置することが一般的
恵まれた屋敷や仕え先では、
使用人や侍従のために常駐の医者を雇っていたり呼んで貰えることもある
俺の屋敷では
常駐の医者が1人いる
だけど、
ここは男爵家ではなく学園だ。
…俺が学園の侍従に玄武を任せるわけがない。
古傷が目立つとか腕輪の魔法陣に気付かれるから…
男爵家の体面の前に、それが玄武の名誉に傷が付く事だから忌むのだ。
…そうなるくらいなら俺が手当てした方がいい。
例え玄武が嫌がろうとなんだろうと…
俺に手当てして貰うことも玄武にとっては辛いことだと知りながら。
甘んじてそれを受け入れることも罰だと、
そう受け取ったらしい玄武は、先程は何も言わなかったけれど…
…本当は嫌だったらしい
「何でか、本当に分からない?」
「いえ…」
やはり否定はしない
玄武も俺の意図には気づいている…
名目もなく、実質的なものとしても軽かった処遇
実質的には命令違反の罰としては無いと言っても過言ではないかなりの甘さ…
本来ならば、いつぞやのラピスがしたように…
お前を首にすると言い放つ場面でもあったが、それを俺は匂わせることすらしなかった…
でも、けじめはつけさせないといけない。
だからこそ…
どうせしなければならない玄武の傷の手当てを俺自らがすることで
戒めを与えたのだ
玄武が手当ての難しい背中であろうと1人で対処出来ることを
俺は知っているが、それでもさせはしなかったのもそれが理由。
長年俺の気性を把握している傍仕えなら察しはつく、
自分で処置はすると言葉に出して言うことすら、今の俺が許さないと玄武は知っているのだ
まあ…普段なら手を緩めて、
川獺に指示して手当てさせるが…その川獺は今自室で自粛させている真っ只中だ
川獺の自粛を不当に解いてやってまで、
玄武の手当てをしてやることは出来なかったのもあるが…
「悪いね、俺ができるのはここまでだから…」
語気を緩めて、
一応罰は此処までだと匂わせる
残念だけど、
俺の手当てで少し我慢してて…
俺の腕では少し治りは遅くなるけど、
それも1日だけのこと。
その後は川獺にまかせるから、
傷が膿むことも痕になることもない…
「違います。
貴台自ら手当てして頂いたことに不足など御座いません。
不肖が主人の衣を纏う等、不肖は…」
「…何か言った?」
「貴台の御召し物を不肖がお汚しするわけには参りません…それに着物であれば私物が御座います」
おかしいな…
傷に障るから侍従服や洋装は着させたくない、
だからこそそれを羽織らせた。
それが分からない俺の傍仕えではない筈
遠慮すらすると思ったが、
なぜ今日の玄武はここまで反発する…?
口調を穏やかに変えたものの…
普段ならば飲み込む筈で、
そして…侍従服以外のものを着るなんて提案は自らしないのに…
「ん…何が言いたいの?」
遂に頭に来たのか、
苛々する感情がこめかみをピクリとさせるのを感じる
俺も好きで手打ちしてるわけではない
早く終わらせてやりたいと願っている…
それなのに玄武はそれを何度も阻害してきているからだ
一度や2度なら我慢は効くが、
再三のそれを流せる程には俺の堪忍袋は強くはない
「不肖の傷に障ることを気になさっているのであれば着流しでも用は足りる筈です…御自身の羽織を血が付くことも一介の傍仕えに羽織らせる貴台のことです、紋付きや袴…羽織すら無くともお咎めなさらないでしょう。
今晩はここと不肖の部屋から出すおつもりが無いようですので…着替えさせて頂けないでしょうか」
「つまり…まさか玄武が着流しを着るの?」
「…貴台の御意向です」
にわかには信じがたい、
玄武の着流しと言えば多分あれしかない
俺の意向だろうと、
格が落ちるだの侍従としてその姿は適さないだの…
あらゆる理由から言下に断ってきた玄武
絶対に着ることのなかったものなのに…
「二言はないね?」
覆すかもしれない、
そう疑心を抱かざる終えないと玄武を睨みながら問えば
正眼構えて此方を見ている…
「ありません」
きっぱりと、煙に巻くことなどないと…
偽りを申すつもりもないと示されたその玄武の返答に
あの姿が見れると、確信が得られた。
遂に…
望みが叶う
役得とはこの事かと顔が緩むのが
不機嫌になっていたことも忘れ、
期待感と羨望で顔が緩んでいくのが止められない
「え、本当に良いの?
玄武のあの格好が見られるなら棚ぼた物だよ!」
「貴台…」
嗜める視線に俺を呼ぶ声もすっかり呆れた物になっている
だからと言って、
長年心に秘めてきた念願が叶うのだ
窘められようが、
呆れられようがそんなのは関係ない。
玄武のことだ、
今更どんな風に俺が振る舞ったところで着流しを着ることを撤回することはない
そう知った上で…にやけ顔を止める努力すらしなかった
…
…
玄武が着流しに着替えるため、
一旦退出していった
…少し御時間を頂きますと、
ならばその間にテーブル上の鞭や馬銜の片付けをしようとした。
が、
そのようなことは後で不肖が致しますのでと強く言われて釘を刺された…
じゃあ何をして待とうかと、
仕方なく思案しようとしていれば…
直ぐにその考えも見透かされたのか、
貴台はただ休んで居てくださいと言われてしまった…
その玄武の強い意思を感じて、
なにをすることもなく、俺は渋々ベッドがある寝室に足を向けたのだった…
ココン
短く扉を叩く音
「貴台、入っても宜しいでしょうか」
「入って」
待ちに待った玄武の声
そわそわしながら玄武が戻ってくるのを、
今か今かと俺は寝室のベッドに腰掛けて待っていた…
「失礼致します」
「うん…うん?」
冷静ないつも通りの声と共に、
扉を開けてその姿を俺に晒してくる玄武に
自然と俺の目が見開かれていく
良い!
…思った通りの黒い着流し、
多分夜に馴染むように過去の玄武が選んだのだとしても構わない
前職の仕事道具の一つだったこともこの際問題外だ
筋肉質でありながら、すらりとした身体
玄武が此方に足を進める度、その着流しがボディーラインに流れるように衣が動く…
何より艶やかな黒髪と、
深い緑色の瞳にとても似合っている…
「格好良い…」
「このような侍従の姿を嬉々として見る主人は滅多に…いえ、他には居られないでしょうね」
ベッドに腰かけている俺の目の前、
正面から少しずれた横に控える姿勢で止まった玄武が冷ややかな声で俺を諌める。
冷たい態度に見えるが、
それは多分意図的にそうしているだけだ
「…呆れてるの?」
「明言は避けさせて頂いても…?」
先程は、
濁すことも…明言も避け無かったのに今それをするのか…
そう玄武に呆れながらも、
目が少し笑っている俺の傍仕えの姿を…
もう一度じっくりと目に焼き付けるように上から下までを眺める
玄武の長身に、
その格好はとても似合う。
似合うものは似合うのだ…
侍従として正しくない服装、
そしてそれを見て歓喜する感情を隠しもしない俺も…主人としては誤っている。
それは分かっているし…
玄武もそう言うけど、大事な侍従が映える服装をすることを喜んで何が悪いんだろうか?
欲を言えば、
胸元を着崩して欲しいけど…それは流石に叶わないだろうな
「む…呆れてるんだね。
でも満足だよ…ずっと見たかったんだ」
「不肖の着流しがそれ程…いえ、思い返してみれば…昔はよくねだられていた時期が御座いましたね…
まさかとは思いますが、貴台…」
柔らかい温度を称えていた玄武の目が据わる
単に物珍しいからと、
俺が自身の着流し姿に目が奪われているのではないと気づいたからだ
「今の玄武も捨てがたいけど、
あの頃の感覚を研ぎ澄ました鋭い玄武も良いよ?
…あの時も着流し着てたし、玄武は兄上と違った格好良さが…うん」
今、俺の傍に立つ玄武は傍仕えだ
同じ着流しを来ていたところであの時の雰囲気は、纏っていない
少し何時もとは違う雰囲気ではあるが、
これは紛れもなく侍従としての玄武の空気だ
…
あの時…
己から出た夥しい血
その血だまりに立つことも叶わず、身を浸し横たわっていた玄武の姿を今でも覚えている。
意識を保つのも難しいであろうに
俺が遠くから近づ居ているのを察したら…
鋭く、洗練された感覚を張り詰めた空気が飛んできて、威圧感だけで肌がビリビリとした…
そんな手負いの獣、
少しでも手を伸ばせば禍々しいほどの殺気に命が危ぶまれると思ったのだ
背後にら馬車から降りたばかりの
父上たち
俺を止めるその声も遠く、手も間に合わないと分かって…
そんな手負いの獣に向かって俺は走った。
本当に殺す気がないと、
俺を害することはないと…何故かそう思えたから。
そして結果論
そう言われようがなんだろうが、
獣は…伸ばして触れてくる俺の俺を傷つけることも噛むこともなかった
心配する俺にたいして、
追い付いてきた母上が俺を引き離そうとするのを拒絶した。
そして父上がしようとする攻撃から、
小さな身体で阻んだ…
父上が狙う倒れた獣の身体は大きい、
俺の身体ではその的を隠しきれないと知りながら…その場で両手を広げて壁になった
その行動がどう写ったのか…何を思ったのかは分からない。
だが、その時獣から出ていた刺々しさは嘘の様に霧散したのだ。
そして…
持てる牙も爪も、
俺のために折ってやると…
お前が望むなら何にでもなってやる、侍従にでも飼い犬にですらなってやると言って、
俺の前で薄く口角を上げて身を投げ出した
意識をあの場で失う意味を知っていて、
別人のように…優しく、そして幸せそうに俺に向かって微笑んで笑ったのだ
「…仕事柄必要な物でした。
そしてそれを貴台が格好良いと考えられるのであれば…教育上悪影響以外の何物でも御座いません。
ご満足頂けたのであれば、貴台…不肖は今からでも侍従服に着替えさせて頂いても結構なのですが」
確かにあの時の、
血に染まった玄武…
そのスパイとしての姿に俺が格好良い等と言えば、
貴族子息として危険思考を持つと当主から弾圧されてもおかしくはない
だからこそ語気を強め…
俺を諌め、着替えてくると?
…絶対そんなことはさせない
着流し姿をもっとみていたいという欲望もあるが…
今此処で玄武に着替えさせることを許せない理由がある。
教育に悪かろうが、何だろうがそんな世の常識を目の前の侍従の口からは言わせない。
此処にいる玄武が、
自身を傷つけることは…
「何が悪い?
俺は今まで…スパイであった玄武を否定したことがあったか?
例えそれが眉を潜められる日の当たらない仕事だったとしても、それよって策略に掛けられた側から悪であると非難されようと…
俺はお前がお前自身を恥じて否定することは許さないぞ」
「なりません。
男爵家次男でおられる貴方様がそのようなことを仰るなど、どの様な了見ですか」
声を張り上げることすらしないが、
どう見ても俺の発言は好ましい物ではないと非難する
それくらいの、
玄武の激しい反発があること分かっていても…あえて俺は口にした
「どの様な了見?
情勢を探るために、偵察すること等何処の貴族だってやっていること。
日の元で公然と言えはしないが、この帝国でも政治や国を治めるためには影や密偵は欠かせない存在だろう?」
「それは影や密偵の話でしょう、
それとスパイは別物です」
勿論
影や密偵は欠かせない存在…
公然と言えはしないが、それを身内や家に連なるものの間で認めることは悪ではない。
次期当主やその継承権がある子女には、悪影響処か施政者や貴族当主としての教育の一つとしてその扱いを学ばせる。
次男俺は勿論、
それを支える右腕の傍仕えに至っても…それは分かりきったこと
玄武がそれを知らない筈がない
「っ…影や密偵が暗黙されていたとしても、スパイを擁護する言い訳にならないことくらい知っている」
激しく玄武が俺を非難したのは
その認められている影や密偵と、スパイは別物であること。
…本質が違うから、
ただ策略を防ぐためや情報を集めるために潜入させられた影や密偵とは似て非なる者達
スパイとは、
影や密偵と同様の仕事もするが、それは主に暗殺…陰謀の為
つまり…悪に加担するものの総称だ
だから…
誰かに聞かれれば、
正気を疑われるかもしれない。
玄武が自らスパイに甘んじて身を落としていた理由を知る、
…経緯を知っている父上達ですら、
この俺の言葉を聞けば…廃嫡されるかもしれない発言だと、それを分かっていても俺は口にした
「ならば、今後そのようなことを口に為さらなきようお願い致します」
「…玄武から玄武を否定する言葉は聞きたくない。
昔俺が誘拐された時、担当侍従のお前達が助けにきてくれなかったら俺は今生きていない。
それに…それなくして俺が欲した玄武は、俺の目の前に今立っている傍仕えもこの世にいないのだから」
強く諌めるその言葉に同意することはできない、
未遂で終わったラクーア卿の事件
それがなければ此処に玄武はいないし、その過去がなければ今の玄武は形成されていない。
そして…
そんな玄武を誕生日プレゼントに欲しいと己の担当侍従にしていなければ、
俺はあの時…とうに命を落としていた
玄武は迷うことなく扉を蹴破って
踏み込んできた。
その時、既に彼奴等の手で俺の首にダガーナイフが振りかぶられ、
突き立てられる一歩手前だったから…
安全を期すために可能な限り急ぎながらも、
慎重に探りを入れていたらしいあの時俺の傍仕えであった烏や、護衛の騎士達なら少し遅かったかもしれない
「…貴台のお心は有り難く頂戴致しました」
「なら良い…」
「ですが、今後そのような発言をされる恐れを…不肖は回避したく存じます。
部屋を…少々辞させて頂いても宜しいでしょうか」
「待て…」
「畏まりました…」
そもそも玄武の着流し姿を俺はもっと見たい
長年叶わなかった折角の機会なのに、
こんな一瞬じゃ足りないのだ。
何とかして玄武の決定を回避しなければとぐるぐると思考を回し始める
「着替えるつもりか?」
「はい。
…して、いかほど御待ちすれば宜しいですか?」
そもそも退出の許可を出すのは俺の権限
それを知りつつ、
退出させることが決まっている前提の発言だ
そもそも待てと言わなければ、
直ぐにでも動きそうだったし…現にその指示がなければ玄武は目の前に留まっていないと顔に書いてある
今にでも、
退出して着替えて来るつもりだ
何も用がなければ、
後"いかほど"も此処に足止めされてはくれはしない…
ただ、
媚びへつらうだけの侍従など俺は望まなかったし
間違ったことでも、
何も言わず何でも言うことを聞いてくれる侍従も屋敷には1人とて居なかった
そして、
そんな変わった男爵家の侍従達のなかでも異色はこの玄武
必要であれば俺に付き従うこともする、
侍従として完璧な振るまいとてこなして見せる…
そして俺は玄武にもイエスマンにならなくて良いと、
侍るだけの奴は要らないと言ったが、
その手前文句は言いにくいのだが
…少し想定外な傍仕えになってしまった…
さて、
どうしたら着替えるのを諦めさせられるか…
もうあまり猶予がないと知りながら、どうすれば良いかと
侍従らしからぬ玄武を説得出来る材料を…
記憶の引き出しを探す為に眉間に皺を寄せていったのだった




