侍従講習27
乗り込んだ馬車は滑らかに走り出していく
久しくこれは使っていなかった気がする…
銀と濃いアメジスト色を基調とした俺専用の馬車を…
気のせいではない…
最近は兄上の馬車ばかりで、
これを使う機会も無かったからか、配色や差異の違いが良くわかる
やはりこちらの方が安らぐ…
ベースには暗い銀色を多く配色し、
座面や装飾にはアメジスト色を部分的に使用させた。
兄上のように、
ベースにアメジスト色…絢爛豪華に随所に施された光沢のある銀の意匠…
父上に至っては更に荘厳な格上の設えになっている。
そんな内装に比べれば、
作る際にも地味だと反対された…この空間の方が俺には合っている
息がつけるのだ
快適な筈なのだ…本来は。
此処に
…頭を垂れた侍従が居なければ、だ
「二人とも、面を上げて良い」
「貴台…」
「…はい!」
弾かれるように顔を上げた川獺
「玄武…鞭打ち5回、学園について落ち着いたらそれで先程の全ては済ませる」
「…宜しいのですか?」
「今回はそれで手仕舞う」
それに対し、ゆっくりと
頭を上げた玄武。
今は咎めないと分かったからだろうが…
「貴台、不適当では…」
「…なんだ、軽くて不満なのか?」
「いえ、要らぬことを申しました」
玄武の確認は…宜しいのですかという不敬な発言は
俺の提示した罰が軽くて安心したからでも、不満であるからでもない。
…それで俺の気が済むのかと疑問を呈した伺い、でも勿論ない
その証拠が玄武の視線だ…
俺の手首を見ながら、
あまり気が進まないと返答する様子に居心地が悪くなる。
ちっ…他の罰が良いのだろうか?
俺の状態を鑑みて
身体に負荷をかけることは止めて欲しいと?
杖より鞭を振る際には、手首の負担が大きくなる
…スナップを効かせなければならないからだ。
その手首に不安があると言いたげな視線が向けられたものだから、
思わず右手で左手首を庇う動作を取ってしまった
…疑えと言うようなものだ
が、
今はあえてそれを指摘する様子は無さそうだ
話が終わっていないと勘づいている、
玄武の流した視線が川獺の手を動かし始めた…
それによって…これまた見慣れ、嗅ぎ慣れた薬草の香りが鼻腔をつき始めている
だから…
指摘され、処置されるその前に玄武に言っておかなければならない
「…晒し者にして悪かった、玄武」
「貴台が必要なことと思われたことに異論は御座いません」
単に馬車を、
俺の権威をひけらかす為に乗り付けたのではない
それくらいは俺も分かっている。
査定と講習が過酷なものであると玄武達は知っていた…
早く俺の手当てと疲れを取るためには命令違反も辞さなかった、
仕方ない事だった…と
一つに…
門やあの建物の外壁は高く、
俺が正面に横付けするなと言ってはいたが…それでは馬車の到着を知らせることが遅れると気付いた。
二つ…
あからさまにあの場所に停めたのは、
多少人が行き来できるようにスペースを設け…ずらして停車したところで意味がないから。
スペースがあれど、そこを通ろうとする鋼の精神力の持ち主はいない。
停止した貴族の馬車の隣を…侍従が素通りする事は、
かなりの勇気がいる。
不敬にとられる場合だってある、ならば馬車の乗客を乗せて去るまで待った方が得策
大きく分ければこれが原因だ。
そんな理由があることを察した…だから鞭の回数も減らしている
何の工夫もしなかった訳でもない。
足止めを食らう人数を減らすこと、
俺が着替えや皆との雑談に割く時間を多く見積もって、
俺の体調を考慮すること、
それら全て含めて玄武は迎えのタイミングを鑑みた。
そしてあの時間だと、
算出して結論を出したのは、想像に固くない…
…それでも、
玄武達は俺の不興を買う結果になる。
正面に迎えにくるなと指示していた、
理由があれど…それを違反したことに変わりないからな…
「理不尽だと思ったか?」
「理由無くして、貴台がそうしたのではありません」
俺の指示ミスだ、
正解を選べば命令違反になる理不尽な指示だった。
…それでも、
それに玄武達は異論も目くじらも立てない
俺を責めることもしない…
歯向かう事が出来ないからしないのではなく、
理不尽であろうと黒を白だと言われれば白だと答えるのが常…
それが当然だと思うのが優秀な侍従で、
そしてその優秀な部類に玄武達は入っているからだ
「分かってくれてるなら良い…だがホス達に確約した罰は受けて貰う。
晒した分を差し引き、要因を鑑みればこれが妥当だと思ってる。
それと…川獺の分もお前がついでに負えるな?」
「畏まりました」
この澄まし顔…
俺の判断と結論まで、この様子では推察していたな?
指示ミスだったと気付かせること、
己の言葉や行動一つが何を引き起こすか…それを考えるきっかけになるとでも思ったな?
実質、
教育係を兼任しているに等しい玄武なりの…俺への貴族としての教育の一つ…か
まあそれはそれだ、もう一つの方が問題だ。
侍従としての立ち振舞いも見せつけられた
…本来は俺に直接教えることはない、あってはならない指導の方で。
それでも俺が前、
鴉に侍従としての指導をつけて欲しいとごねたことを知っている。
普段の学園生活で少しでも俺が侍従らしく、
…殿下に侍ることを可能にしなければと考えているのを理解しているから
だからこそ、
何も反論もしないのだ…
此処まで見込み、玄武は命令に反したのだ…
必要であったと…
例え俺を第一に考えた結果、そうせざる負えなかったのもわかる
が…
その織り込み済みでした、
という反応と対応に…少々癇に触るものもある…
「ったく…俺があいつらを萎縮させたくない事は分かってただろうに」
「承知しておりました」
「殆ど皆は帰っていた。終了時刻から猶予を持たせてから迎えに来てくれと言ったからな…俺を待たせない様に、ああやって迎えを直ぐに馬車の到着を見やすくしたのも分かってる、が…やりすぎだ」
「申し訳ありません」
そう…必要だと、
俺が意に介すことでも俺のためにした行動だ。
玄武には罰も顛末も分かっていたようだ…
だから玄武は反省は幾分かしても後悔はしないだろう、間違った行為では無いのだから…
俺が玄武の立場でも大差ない行動をとったしな。
確認してみても、
俺の予想は合っていたことは確認できた…
…
で…?
掌で踊らされた次は、なんだ?
もやもやはまだ解消できてすらいないと言うに…それは、何?
「まあいい。
で、何でそんなもの用意してる?」
「罰を承知で、早くお迎えに上がった理由ですよ」
嫌味か…
いや、確実に指示ミスだったと傷を抉ってきているのか?
玄武と話している隣で、
川獺が今や見慣れた薬箱から何やら取り出している
そんな作業はもう既に準備万端の様相だ
それを指示したのは目の前にいるこいつの他ない…
口元が引くつくのが、自身でも自覚できる
もやもや等、
言っている場合ではない…な。
唯でさえ、
その全て分かっておりますから…的な顔に嫌みの一つでも投げやりたい気持ちを抑えているというのに…
「手当てが必要です、先ずは此方をお飲みください」
「…玄武」
「ばれていないとお思いですか…
滋養に効きますからお飲みに、どうせ無理をなされたのでしょう?」
「必要ないと言ったら?」
「…何か仰いましたか?」
…ですよね
毛頭…
玄武には俺の話や主観を聞く気はない…らしい
先程まで頭を垂れていた傍仕えらしい侍従の玄武は何処にもいない
影、形もない。
まるで拒否や異論など…
俺の口からは出てこないだろうと自信でもあるのか…?
いや違う、…これは有無を言わせないという口調だな
そう、
俺の身体を心配して…
全ては俺の手当てする為に。
当初から
俺の指示、命令違反を分かっていて早く迎えに来たのだから
「玄武…俺は」
「ええ。それと、湿布も致しますからね…
痣をそのままにしておくわけにはいきません。
見えないところは、部屋に着き次第させていただきますよ?」
…何が"ええ"、だ?
話を聞いていないだろ…そもそも
「何処に痣など見えるって言うんだ?」
「貴台」
「…分かったから、そう急くな」
間髪入れずに、
疑問符がついていても疑問も選択の余地もない問いが続く
肩を竦めて視線をそらすも効果はない。
玄武の視線がこの身に刺さっているくらい…
先送りにすら、
…させては貰えないらしい。
「貴台?」
「飲めば良いんだろ…」
白旗を上げれば良いんだろ?
…それが玄武達に不必要な手当てや看病を、
侍従の仕事を増やさないことも上に立つ俺の判断に必要なことと知っているから
嫌でも、
大丈夫だと突っぱねる言葉を紡ぐのは選択肢としてないことも頭で理解しているから…
渡されたままの黒い丸薬、
そして差し出されている水を手に手早く済ます…
苦い薬の味が口内に広がる、水で流しても気休め
溜飲が少し下がったような玄武を見てもなにも出てこない…
…水以外の口直しのものは無いようだ。
「貴台、お手を」
「服薬だけでは…気が済まないのか?」
「…」
ニッコリ
返答代わりに
そんな凶悪な表情と次の行程と言わんばかりに湿布の用意を進める手…
その川獺と息の合った手際に溜め息をついて、
手を差し出した。
「何をしたらこんなに痣が濃くなるのでしょうね?」
「…」
眉をひそめながら、
手首を処置していく…玄武
俺は何も言わずにそのままでいると足元に屈み、足首もしてくれた
有り難いが…
お陰で馬車の中は薬の匂いで充満している…
貴族らしい僅かに香らせていた香水など、
塗りつぶし…病人の自覚を無理矢理にさせるようにも感じられてくる
…まるで重病人のいる部屋みたいで、解せない。
そして二人もそう扱っているような…
そう、
玄武が無表情なのは決して理不尽な俺の行動ではなく、きっと体調の心配からだ。
…何でばれた?
痣はともかく体中に走る筋肉痛も倦怠感も皆には悟られなかった、
慣れない…いや、慣れてはいけないが
過度な緊張や水牢で暴れたことが負荷をかけたせいだ。
それが今日になって出てきた…
一気に…癒えた筈の疲労感と倦怠感と共に襲ってきた、
それがいけなかったのか?
「後は、太股と腕ですか…」
「っそうだ、何で分かる?」
「人間の行動を封じるのにそこを拘束するのが通例でしょうから」
「…大した推理だな」
「不肖も、別の場所で似たような事を経験しましたから…ね。
それに貴台の体調の変化くらい分からずして仕えられません、ですよね川獺?」
「はい…あの、少し眠られた方が…」
眉を下げて、
本心から心配してくれている川獺…
無論、玄武もそうなのだろうが…効き目としては川獺の方が心にくるものがある
天邪鬼の妖気が削がれていく…
そんな意味合いでは効果覿面、だ
「そんなに悪いように見えるか」
「張りの無い声ですから…気力もあまり残っていないのではと」
「いや、その通りだ…分かってる」
気が緩めば、
疲労も更に感じられるもの…
だがそれは原因ではない、
催眠と迄はいかなくても薬効だ、この急な眠気は丸薬のせいだ。
効きが悪い俺の身体でも…効能はゼロではない
川獺が寝ることを勧めたのは…
玄武が初めから画策していた事だ
それに抗ったところで、
次の手が…それでもダメならば別の一手も玄武ならば用意している
馬車に乗り込んだ時から察していた。
普段はないクッションが、
俺の横に用意されている綺麗に折り畳まれたタオルケットが今も視界の端に映っている
…寝ろと言われると思っていた判断材料の一つだ
「…お身体、横にさせていただいても宜しいでしょうか」
「疑問符くらいは…せめてつけたらどうだ、玄武?」
「不要ですから」
渋々…
それでも玄武にとっては快い返事に、
俺基準で言えば快諾ととって構わない反応が得られたとこの傍仕えは判断したか…
そもそも疑問符がついていない、
その前に…その問いにもなっていない問いは
…俺を横たえる一歩手前の姿勢でなされているのだから、俺を横たえるのは玄武の中では決定事項
…そして変更不可だろう
「…ぃ」
悲鳴を上げる身体、
不要な力が籠っていることも支えられた手から伝わっているだろう
眉を寄せる表情も、
侍従らしくなく隠そうともしない…
丁度良い位置に置き直されたクッション、
それに支えられるまま…頭をのせて横になれば
タオルケットが川獺によって掛けられる…
魔法陣の発動光が一瞬空間を走る
玄武によって魔力が注がれると、振動が少なくなる
そう、振動緩衝の魔方陣が床に描かれている事も…
クッションやタオルケットと同じ証拠だ。
…最初から俺をしっかりと寝かしつけるつもりだったことは疑いようもない
「…お疲れ様でした、貴台。
着く前に起こしますので御安心下さい」
「ああ、頼む…」
少しの振動が、
眠気を増幅してくる…
その誘発の揺れを抑えないのは、
…完全に振動をかき消さないのは、憎い程にこんなところまで仕事が出来る傍仕えの策の内。
玄武が意図するところだろう
罠に、
いや…玄武の思惑通りに嵌まったのは癪だが
気持ちの良い揺れとタオルケットの温もりに目蓋が落ちていった
…
…
背中を丸めて、
落ち着いたように眠る姿に少し安心する
揺れを抑える魔力を注ぎながらも、起きる様子もなく小一時間程経過したところで嘆息する。
此処まで寝ていただければ、
一先ず…
そう思って肩の力を少し抜いたところだった
「良かった…」
「ええ、よくお眠りになられていますね…貴台のことですから、
そろそろ起きられるかもしれませんが」
その溜め息に、
川獺も吊られて言葉を漏らしましたか…
川獺とて、
不肖に負けない程貴台を案じていましたからね
「かなりお疲れ…でしたよね?」
「ええ、想定よりは非常に軽いものでしたが」
「…貴台基準で考えるならば、確かに軽いものでしょうけど」
「川獺も言うようになりましたね…」
「…っ申し訳ありません」
「責めてはおりませんよ?
貴台ならばその程度の失言は気になさいませんし…今起きられて耳にしたところで許すでしょうから」
「…玄武さん」
「なんです?」
「…あの、後で怒られませんか?」
川獺が貴台を心配そうに、
そして罰が不肖に加えられるのではないかと不安そうに声を掛けてくる
「…川獺が危惧しているのは薬で貴台の眠気を誘発したことですか?
それならば貴台は飲む前から気付かれていましたし、
飲んですぐ横になりました。不肖達の意を汲んでくれた上に…責める御言葉もありませんでした。
…その気兼ねは不要なものかと」
「貴台は…やはり」
「川獺も気付いているではないですか。
そもそも貴台に寝る気がなければ、あの程度の薬で寝ることはありません。
…昔から優しいですよ、言葉や行動が一見そうは見えなくても…」
「我にも…思い当たる節は幾らでもあります」
苦笑、
そんな顔をしながらも…
そんな場面が川獺にも脳裏に浮かぶ、直ぐに思い起こせるほどにあるのでしょうね
まあ…
そんな感傷に浸っているところ、悪いとは思いますが…川獺?
先程の貴台の優しく甘い判断に、
謝罪すらせず放置なのはどういうことでしょう?
今のうちに
…それに甘んじたままの川獺には一言注意をせねば
「玄武さんにも…そんな思い出がたくさんあるのですね」
「ええ…ですがそれに甘えて良いことと悪いことは理解していますよね?
馬車に早く乗っていただきたかった気持ちはわかります、ですが貴台の言葉に被せて発言しあろうことか…急かしましたね」
「…自覚、しております」
「貴台は罰も咎めもしないと暗に仰っていました…ただ謝罪は後でしておいてくださいね、川獺?」
「…っ」
「私への懲罰に含めて全て済ませる、その御言葉が何よりの表れでしょう…」
「…申し訳…ございません」
膝に綺麗に揃えられて置かれた、
そんな川獺の指に力が入る…
先程の思い出に浸っていた嬉々とした雰囲気は霧散して、
忸怩の思いが滲み出してきている
「不肖に詫びたところで意味のないことは…川獺、わかっていますね?
鞭打ち五回等、無いに等しい罰ですからね…不肖への処罰にすら足りません、勿論、川獺の無礼の肩代わり分など入る余地はないのです」
「…はい」
「もう一度言いますが、不肖に詫びなくても宜しいのです。
川獺、そもそも貴台には最初からあまり咎める気もありませんでした、
貴族としての面子よりも査定仲間を選ばれた。
それは不肖達、下の者に対する時も同じ…
本当に…そんな風に芯がお優しいのは変わりません。
…昔不肖を拾ってくれたこともその人柄からでしょうね」
この目の前ですやすやと、夢の中なのでしょうか?
本当に無邪気な横顔です…
タオルケットの肌触りを確かめるように…時折、首上まで引き上げて掛けられたそれに頬刷りする。
そんな…眠られている貴台が、
まだ何の辛酸も舐めずに朗らかであった…あの幼子の姿に一瞬見えた
あの時の記憶を思い出せば…
貴台に拾われて馬車に乗せられたときの事を
敗走して…深手の痛みで滲む視界に焼き付いた"俺"を案じて泣いた
大丈夫だと切れ切れに紡いで、
無理矢理に表情筋を動かした俺に…向けられた顔が忘れられない。
ふわりと笑いかけてきた、あの幼子の姿に…
「…あの、その話は本当だったのですか?」
「その話とは、拾われたことでしょうか」
「はい…」
「ええ、事実です。
使用人の端くれならまだしも道端で倒れていた素性も知れない人を傍に置こうとするのですよ?
仮にも貴族の継承順位の高い子息がです…普通考えられません」
「貴台はどの様な判断で…」
「さあ…リスクを何処まで勘定に入れられていたかまでは、不肖も聞いたことがありませんから」
「リスク…そうですよね。
間者の可能性も、家を危険に晒す要因になるとも限りませ…あ、そのそういうつもりで言っている訳では無いんです!」
「不肖を信用してくれるのは有り難いですが、実際問題その危惧は正しく必要なものですから…まして此処まで仕え信用えた今も、ですよ?」
「え…その危惧が…正しく必要、
今も…ですか?」
危機管理、
それは誰に対しても必要なことと…
川獺は不肖に何の疑念を抱いていませんからね、
それは嬉しくも誉められたことではない…
前歴のある相手に、
少しは危険があるかもしれないと…
そう警戒するのも侍従としてのスキルの一つ。
…貴台の身を守るために必要なことですよ?
「御屋形様達は当然として、アメジス様からの不信感は相当な物でした。
不肖の素性も誉められたものではないので改めて辞退しようとしても…貴台がそれを許してくださりませんでした」
「それは…どういう」
「和の国からの間者…それもこの男爵家と交流のあるラクーア卿の所へ潜入していましたから、王弟殿下の屋敷に探りをいれていたスパイを警戒しない訳にはいきませんよね」
「ええ、ええええー?!?
あの、危ない人だったんですか!」
「川獺、声を抑えなさい…貴台が目を覚ませたらどうするのです?」
「あの、申し訳ありません。
それで…」
「倒れていたのは、少々しくじりましてね?
なんとか命からがら逃げ延びたものの、深手で領地からすら離脱出来ずに近くで力尽きました」
「公爵の領地…何故そこに貴台が?
まだ貴台は幼くあられたのではありませんか…」
「御屋形様が、所用で…と断り続けていたそうですが。
そろそろ良いだろうとラクーア卿に生まれた次男の顔が見たいと催促されて、遂に断りきれずに貴台の顔見せに向かったそうです」
「…あの…」
「想像通りですよ、川獺。
その道すがら、倒れた不肖が拾われ…結果逃げ出した筈の侯爵邸に逆戻りしたわけです」
「こうは言ってはなんですが…よく生きていますね、その…」
「寝返りましたから…勿論貴台に絆されてですが、侯爵としても直ぐ寝返るような者に信を置ける筈もないですよね」
「…」
漸く、
警戒する気配が出てきましたか…全く足りませんね、
"俺"の初動に反応してから貴台を守るために動いても、間に合いません。
速さでも勝てないことは、
川獺は…私との力量差を自覚している筈ですよね?
それが分かっていない訳でもないでしょうに…
私に対する心配も色濃く残ったまま、
…万が一裏切れば身を呈する前に奪われますよ?
「勿論、情状酌量で罪人の紋はありませんが…まあ、侯爵には洗いざらい吐かされて服従させられましたね。
それから、色んな手順を踏んで此処に使用人として着任し…侍従講習を受けさせられ今に至ります」
「…あの、服従って」
「さあ…知らない方がいいこともありますよ?」
「うっ…でも、貴台に着いていかなければ逃げおおせたのでは無いのですか?」
「選択の余地はそもそもありませんよ、貴族の子息の温情を無下にすれば…そうしても良かったのですが、あまりにも必死でしてね?
どちらにせよ死ぬのであれば…幼子の言葉にしたがってみても良いと思った次第です。
後で人をやって手当てさせれば良いとか遠ざけようとする言葉にも耳を貸さず、誕生日はこれが良いって…っふふ」
「ええ…完全にモノ扱いじゃないですか…それで何で嬉しそうにしてるんですか?それに無礼打ちで死ぬ方が楽でしょう…何故苦痛を受けると分かっていてそちらを選んだのですか?」
「贈られたものならば、所有出来て傍に置いておけると考えたらしいですよ?
さあ…貴台が何の忌諱もなく助けようとしてくれたからですかね?
その結末が不肖の命を助けなくても、無下にしたくないと思ったからかもしれません。
それと後で聞いたことですが…
確約無く不肖が目の届かないところに行けば、直ぐにでも処理されることが分かっていた。お前のメンテナンスは許しても、卿であっても俺の所有物を勝手に破棄することは出来ないだろうって主張してました。
貴台が変なところで敏いのは…元からですね」
「…そんな経歴の人の指示で何の薬なのかも聞かずに…よく飲みますね…警戒もなさらない、我には無理で…す」
「川獺、今更不肖を警戒しても無駄ですよ?」
「っ…貴台に何を飲ませたのです!?なにをする気ですか!」
「何も?
この家に反旗を翻せば何処であろうと胸に刻まれた陣によって昏睡させられますしね…それに、
不肖がこれを自ら外さない限り貴台に忠誠を誓ったことに変わりはありません」
「…従属紋」
「鍵も掛かっていませんし自由に外せますよ、枷ですらありませんから不肖の意思ひとつでこれは捨てられます」
「それに何の意味が…」
「お願いしたのですよ、貴台に。
そんな物がなくても構わないだろうと言われましたが、戒めに下さいと催促したんです」
「…」
「外せるようにしたのは、貴台の意思です。
俺に愛想がつきたら好きにしろと…不肖が昏睡陣にも死すら恐れ無いことは知っていましたし。
皆の信頼が欲しければ外すなと、貴台に身限られたくないことを見透かされていましたから…選択肢があることは苦痛でした」
「なら、実質は悪事を阻止する役割は…何も…
どれも意味をなさないのです…ね?」
「貴台を身限らない限りは…まあ、有り得ませんけれど」
「…う、裏切らないですよね!?」
「さあ…」
「おい…そこまでだ」
「おはようございます、貴台…御気分や体調は如何ですか?」
「無論…気分はかなりの斜めだ」
「…それはそれは」
「川獺を恐がらせるな…裏切る気は毛頭無いだろ、なあ玄武?」
「貴台…何処から聞かれていたのですか」
「そんな経歴の奴が差し出す薬なんて危険だとかなんとか…からだ。
川獺、安心するといい。
それは玄武でも外せないぞ…玄武自身がそう細工してるからな」
「えっ…でも外せるって」
「構造上はな。だが玄武は外せない
そうそう…従属紋のあまりの苦痛に、外し掛けたことがあった。
本能的なものだが…だから外そうとすれば昏睡陣で眠るようにした。父上は良い顔を最初はしなかったらしいが説得したんだったな?」
「よく御覚えで…」
「反抗したからなあ…
あれは辛かっただろうな、流石の玄武でも」
「…貴台」
「あの、何があったんですか?」
「川獺…質問を取り下げる気は無いのですね」
「まあ、川獺が聞きたがってるんだから良いだろ…なあ玄武?」
「恥を…晒せと仰りたいのですか」
「…必要以上に不安を掻き立てさせて川獺を疲弊させてどうする?
罰代わりだ、話してやれ」
「元より不肖に拒否権等ありはしませんよ…貴台」
「しおらしくて…らしくないな?」
「どうとでもなじっていただいて結構ですが、川獺が貴台を怖がるかもしれないとは思われないのですね」
「川獺に対して、そんなことをすることはないからな」
「それも…そうですね」
「そもそも川獺がそこまでの失態をしたら…玄武、分かってるだろ?」
「ええ…不肖の責任、ですね」
「っ、玄武さん!」
「傍仕えならば当然のこと、貴台はそう仰りたいのですよ」
「…まあ、川獺が俺を怒らせることなんてないだろ。
あったとしても…川獺には、な?
玄武なら手加減なく処罰を与えられるって理由も確かにあるにはある」
「…貴台」
「玄武、それを纏うのは…怖いからやめろ。
川獺が固まってる」
「…貴台、撤回してくださいませ」
「…ちっ、川獺を甘やかす気はない。
単に玄武が川獺の上役で、責を取る義務があるから俺はそうするだけだ」
「不十分ですが?」
「もしそうなれば、当人を無罪放免にする気はない。
…川獺も手打ちにする、これで納得したか?」
「御意」
…
「…玄武」
「はい、如何なさいました?」
「…俺は自身の発言力を蔑ろにしてはいないし、侮られないと知っている。
川獺があれで甘えると思ったのか?」
「…万が一のことも御座いま「玄武」…申し訳ございません」
「いいけど」
…
…
「そもそも、玄武が俺のことを侮ることの方が多いだろ…」
「貴台を侮るなど、したことは御座いませんが…そう感じておられるのであれば不敬にあたりますね」
「あたりますね、じゃないだろ…鞭の回数、増やしてやろうか?」
「…貴台のお心のままに」
「っ、おい…冗談を察しない振りか?」
「主人の機微も察っすることの出来ない傍仕えに対する処遇は以下ほどのものでしょうか?
先程も妥当な回数は提示して頂けていませんでしたからね、烏のように乞えば増やしていただけるのでしょう」
「…わかった、玄武やめろ」
「お分かりになられたのであれば、そういたします」
「軽口が過ぎた…玄武」
「…宜しいのですよ、主人を侮る侍従等…黙らせるくらいの力は"貴方様"には御座いましょう?」
「貴族子息として…力を振るう際は注意しろと言われたことは覚えている。
間違った使い方をするな、適切であるか判断をしてから振るものだ、
…権力とは軽々しく扱うものでもないと」
「…不肖を単にからかうのは宜しいのですよ?
例え力を使ってでも…貴台がそれでいいのであればそもそも諫言は致しません。
ですが貴台が目指す貴族像はそうではありませんでしたね?」
「からかうために…力をちらつかせた。
不用意に、玄武から見れば…冗談では済まないと受け取れる言動だった」
「…既に差し上だしたこの身をどう扱われようと、貴台の勝手ですよ?」
「そんな扱い、するわけないだろ…玄武。
悪かった、先程迄侍従として過ごしてきた…侍従から見た仕える貴族の言葉の重さも身に染みている」
「…貴台」
「なんだ…」
「川獺が更に固まっておりますが、如何いたしましょう?」
「…俺が悪いって?
玄武が怖いからいけないんだろ…怒らせた俺も悪いけどな」
「優しい方ですが…」
「それも知っている、本領発揮するなよ?」
「ええ、承知しております。
因みにもう少しで甘味処を通り掛かりますが…」
「川獺の口に突っ込むもんでも買ってこい…甘ければ気付けになる。
それと玄武も好きなものを買え…後で食べればいい」
「…」
「黙るな、俺の分は要らない」
「貴台の分は、如何いたしましょう」
この傍仕えは…
どうやってでも俺に栄養を摂らせたいらしい
川獺の心配はしているのだろうが、
それはそれ。
利用したのだ…俺が川獺に甘味を与えることを玄武は予測した
主人…の俺がなにも食べないのに、
侍従の甘味だけを傍を離れて買いにいく傍仕え等何処にいるのか
そんな真っ当な、
至極当然の摂理を玄武は説いている…
先程怒らせたばかり、
川獺に甘味を与えたいなら食えと?
立場を示せって言いたいんだろうが…
生憎今は腹は減ってないし、間食を食べたい気分でもない
本調子でないことを悟られている、
多分…査定中に胃が小さくなったことも今バレただろう。
玄武の罠だ…
食事を抜いてはいないが、
最低限過ぎたことを推測されていたようだ。
「何か…口にしろってか?
食わせたいならそれも買ってきていい…食べてやる」
「ありがとうございます」
確認がとれました、
やはり録に食べておられなかったのですね!
そう言わんばかりに
滋養に良いものでなくとも…何か食べさせたいという玄武のオーラが増えた
…怖くはないが、圧が凄まじい
「…で、何を食わせる気だ?」
玄武のことだ、
下調べ済みだろう…その甘味処のメニュー位把握している
そして、最初からどうにかして
俺に食わせる算段もしていた…筈だ
「貴台が好まれる物ですよ?」
「へえ?好ましい…ね」
疑わしい、
そもそも好きな物だ?
不足している栄養が、食べ物が"好ましい"物とか玄武ならそう表現するのだろう?
「貴台…滋養だけで下調べをしたのではありませんし、葛湯などお持ち致しません。ですから鬼を見るような目をしないでください」
「…葛湯でなければオートミールか?」
どろどろ、
食感も味も何もかも美味しさ等皆無のあれ。
嫌いなものとしての頂点に近いそれが脳裏に過る…
ホスによそわれたせいで食べる羽目になったそれの記憶が蘇ってくる、
苦々しい、
三度も玄武に指導をつけられた上に包帯と薬…
加えて嫌いな物で栄養補給もさせるのか…
マロングラッセやベリーのタルトなんて出てこないと確信している
重ね重ね…
我慢してきた査定に今も正論で指導される。
いい加減…姿勢を崩したい俺の不満が滲み出してくる
そんなこんなで
酷い不調面をしながら、ケチをつけまくっていた
八つ当たり…にすらなっていた
が、今は気付かない
玄武達なりの査定合格の内祝い…
仕える相手の侍従合格等、おめでとう御座いますの一言ですら言えはしないだろうと思い至ったのは後の事。
祝いの言葉、
それすら音に出来ない侍従の立場として。
これが…
甘味の算段をする事自体が…祝い、独断で出来る心遣いであったと気付くのは随分後になってからだった




