侍従講習26
三人が輪に加わってくれなくて助かった。
皆は帰る支度でもしに行ったのだろう、
…壁際にいたラクも視線を寄越してから去っていった
そして、まだ残っているホスとキナ
俺に何か用があるからか、
少し離れて喋っている二人に近付いていく
皆に向けてした同様の短い感謝と詫びを口にした後、
ついでに都合がいいと思った。
私物を返していただきたいと、
最後に申し出たのだが…返す素振りすらしないホス
…何かまだ言いたそうな顔
無言で押しきった
手を差し伸べて、
奪われていたネックレスをこの手に取り戻したのだ
やっと安心できる
これから学園に行くのだ…急場凌ぎよりも慣れたこれがなければ落ち着かない
いざというときに、
発動をさせていなくても御守りとして肌に馴染んでいるのだ。
…
直ぐにその場で着ける様に、
キナが何か言いたそうな顔をしていたが知らぬ振りをした
…
「なあ、リゼ」
「…あっち向いてろ」
侍従服はもう脱いだ…着てはいない
加えて自室、
此処にいるのはキナだけだ…こんな素行を見せたところで今更構わないだろう
本来誉められない、
殿下の侍従としてはあるまじき対応ではあるが…おいそれと口外するような奴ではないと信じているし…
今更取り繕っても、
その甲斐もないほどの素行は見せてきたから…
ま、今から着替えるのも侍従服ではない
傍仕え補佐役ではなく、ただの男爵家次男になると…
そんな言い訳は、
学園ではないここでは…ここでくらいは許されるだろうと
不機嫌な感情を隠しもせずに、
キナにぶつけた
「は?」
「着替えをまじまじと見られる趣味はない」
「…侍従に、着替えなんて手伝わせてるだろ?」
人目等、
慣れているだろうと言いたいのか…
着替えの手順を知っているはずの、
今や正真正銘赤の侍従になったキナがその言葉が真を得ていないことは分かっていて言っている。
着替えを手伝わせても、
直接主人や仕える相手の素肌を極力晒さない
襦袢やネグリジェ等で覆いながら行うもので…
侍従服をただ普通に脱いだ後も、
俺は不躾な同室者の視線に晒されたままだ…
痣を不用意に見せたくない、
それがあることが皆周知の事でキナには既に見られていることだとしても。
それに、
人の左腕の紋を凝視したり執拗に暴こうとするのはモラルに反している
何故着替える必要があるのかと、
キナが言いたい気持ちも分かる。
その侍従服の上からトレンチコートや外套を羽織って
既にこの部屋の窓から見える外の景色には帰路に発っていく馴染みの顔達もいる
キナも着替えてはいない…ただ、
俺と時間が許す限り最後まで話したいと思っていること
そして、
…俺の腕に刻まれた家紋をあわよくば見ようとしたのも、興味を引かれていることは明白だ。
そんなに見たければ、チャンスは幾度となくあった。
同室の上、
俺が衰弱していた時…痣を見つけた時少し袖を上げれば良かっただけ
良い奴だな…
愚直と迄はいかないが、誠実であるのは確かだ
だから、
着替えの手伝いをする侍従として見たいのかと、冗談交じりの言葉はこいつには相応しくないと飲み込んだ
「お前は俺の侍従じゃないだろ、キナ」
「…まあな、背中向いとくわ」
「それが正しい」
含んだ真意に気付いたのか、
これからここを出れば同列ではなく各々の立場に戻ると分かっている
だが、服を着替えただけで態度を帰るつもりはない
この部屋を出るまでは…
それがキナに対しての俺なりの感謝の仕方だ
「いいぞ、終わった」
久しぶりに袖を通した、
子息らしい豪華な一張羅だ
…無論、学園にこれから向かうに相応しいフォーマルな出で立ち
少々…
眉を潜められないくらいまでランクを落としても良いと、
伝えていた筈だが…はて?
何故兄上が普段着こなしている位のものしか入っていないのか…
玄武筆頭に俺の担当侍従は、
段々と…川獺ですら俺の意見を聞かないことが多くなっている気がする。
責めはしないが、
愚痴りたくなるほどにはこの場にそぐわない…浮いている格好。
此処に来る前に…
出来るだけ簡素にって準備しているだろう川獺に伝えていたのだが…
張り切り過ぎたのだろうな
銀糸が多く使用されている刺繍、
タイピン…カフスボタンまで拘って揃えられている
すっかり着なれてしまった俺の侍従服も…
確かに殿下に仕えるに足る格にするために、生地や仕立てはされた高級なものではあるのだが。
そもそも比べるのが間違っている…が、
着心地も…少し動きにくい。
働くようには出来ていないから…仕方ないか
「…リ…ゼっ、」
「なんだ?」
タイを締めながら、
振り替えれば…先に此方に向き直っていただろうキナが、
…とても変な格好のまま石化している
「…あ、あの…」
「キナ…俺はまだ、ただのリゼだからな?
お前が気にしていたのはこれだろ、家紋ならカフスとシャツの襟足にある。これで満足したか?」
「…拝見させて…いただいても宜しいのですか」
「好きに見ろよ、
何だったったら触ったっていいし」
「…め、滅相もありません!ありがとう御座います」
シャツの袖と襟足を
キナが見やすいように少しずらしてやれば恐る恐る…
油の注していない機械仕掛けの玩具みたいな動きで近寄ってくる
そんなに緊張しなくてもいいのにな…
口調も…おかしい
かなり、おかしい。
俺が馬車に乗って此処に来た時の態度と違いすぎはしないか?
服や身なりで人の印象は変わるというが…
中身は同じ人間だぞ?
まあ、
見たことがない俺の姿だから理解も出来るけど…
平装とは言え、
上位貴族の上格の設え。
髪の結び方も御貴族様用だし…
外していた兄上に半場強引につけられてしまったピアスも、
殿下に頂いた平紐にも宝石がついている…
僅かにだが、
香る程度に香水もつけている。
悪友どもに貰った簪は簡素ではあるが、重ねづけしている
着飾るのは貴族子息として必須で、義務のようなものだ…
これでも俺は少ない方だが、
着飾らない侍従としての身なりとは大きく異なる。
侍従として装飾品は身に付けることは規律違反
主人の許可を得ても身に付けられるのは基本侍従服で隠れる場所、
仕事に支障がでないこと、
かつ音が鳴らないようなものに限られる
俺が普段学園で平紐をしているのは、特例だ。
侍従の時であろうと身に付けろと…
主人の…殿下の命によるもので、
外そうものなら逆に…此処では無くさないように外していたが、バレたら…いや考えないようにしよう
「見るだけでいいのか?」
「…はい、ありがとうございました」
左様で御座いますか…
俺やその服に近寄きすぎるのも、触るのも怖いらしい、
口調も、
残念なままだ…
「あのね、キナ。
この部屋から、厳密に言えばこの敷地を出るまでは咎めるつもりはないから安心して口調を崩してくれよ」
「…左様なこと、この身には過分な「おーい、キーナー?」…うわ…な…お辞めく」
突進…
キナをベットの方へ押し倒した。
埒が明かない、
最後の最後まで…キナとは普通に話したいのだから
「らしくないよ、キナ」
「…」
言葉を失った、
ベットの上に仰向けに延びているキナ…
すぐに立ち上がろうとも、
この状態が非礼であると詫びようともしない
…ビックリさせれば、
しゃっくりみたいに治りそうだと…
キナならいけるだろうと思ったのは強ち間違いなかったな
貴族への失礼が云々…怖いのは分かるけどさ?
査定や講習で侍従の立場から見た怖さや、
その力を俺も設定や演技であれど感じたし…身に染みもしたけれど
「で、緊張解れた?」
「…心臓止まるかと思いま…いや、あの…だって…、な?」
立ったまま、延びたままのキナを見下ろした
敬語を使おうとした、
その時少しだけ兄上の真似をしてみれば…効果覿面だった…
にわか物真似でも、
そんなに怖いものなのかな?
「…だって、何?」
「あー、いや…その?」
「貴族の家紋が描かれた馬車から出てきた、そいつが同室になった。
それでもキナの俺への態度は砕けたものだったし、俺も子息として扱えなんてここで言ったことはない。
キナ…少し服が変わったただけで今までの態度を変えてももう遅いと思うが?」
煮え切らない態度、
敬語と姿勢を崩した地点で…
今でなくても、遡れば追及できることはある。
冤罪であろうと
無かった事象や場面だって作ることだって…貴族子息なら出来る
それをしていないってことは、
何も遠慮なんて要らないと示しているのに…と
キナに対してそう説明すれば
げっそりとした表情になっていく…
普段の、
今まで俺に対して向けられてきた呆れて物も言えない、
なんてキナの心の声が聞こえてくるような…残念な反応である
「分かったよ…心臓に悪いんだよ、
それ、どう見ても貴族らしく見えるもんだから…」
「くくっ…変なこと言うね?」
「リゼが、らしくないのがいけないんだろ…」
「あー、これでも一応貴族だけど…?」
「…普通の貴族ならどんな場面でも傲慢で俺らに対して非礼は許さない筈だ」
「まあ…一昔前の俺ならそうしたかもな。
そのキナの言った通りの傲慢で権力を振りかざすような、鼻持ちならない世間知らずの子息だった…ああ、世間知らずなのは今でも変わらないけど」
「っ…それってどういう意味だ?」
「勘違いしないでね、今の俺は違うから」
少しだけ緊張が走った、キナ
それを察して釘を刺す…
権力を笠に着た馬鹿な時代はもうとっくに卒業したからと
「で…?」
「ああ…聞きたいの?
知らなかったんだよ、偉いのは父上で素行の悪さも怠惰も許されたのはその保護下にあったからだとね。
侍従見習いになって、その完全な保護から外れた…己の立ち振舞い1つが周りにどれ程の影響力を持つか身をもって知ったし、貴族子息としての力も言葉の重みも…見る立場が変わって視野が広がった」
「誤解するなよ?貴族らしくないと、親しみやすいとそう思ったんだ…」
「分かってる、リゼ流の褒め言葉だろ?」
「そうだ」
「それ…初対面からか?
ならそれは喜ばしいことだね…見た目が与える印象も紋の効果も分かってた。
ここでの普段着に持ってきた服もね…玄武の反対を振り切って普段の衣のランクを下げさせた。
だからこの数週間キナ達と同じ辛苦を喜びを分かち合えた。
正解だった、腹を割るつもりは当初なかったが…こうして絆されて友と呼べる奴が出来たからな」
初対面からかと聞けば、
頷いて肯定する…
そんなキナに偉ぶって見えなかったのであれば成功だな
意図したとおりの結果が得られて良かった、
うん…
「…お前、素直じゃない癖にたまに爆弾投下するよな。
変なとこで意地張って恥ずかしくもないことを黙りを貫くくせに…そう言う恥ずかしいことはさらっと言いやがる」
「素直になってやれば、
皆そう言うんだよな…なんでなんだ?」
「なんでってな…」
解せない、
素直になれとか散々言う癖に…
言ってみれば
大方…こんな風にケチをつけられる
身分の差があるから、友と言うには爆弾投下に匹敵する発言に聞こえても仕方ない
無くはないのだろうが、
少ないだろう。
公然と肩を並べて遊んだり会話したりは不可能、
金銭感覚も生活環境も異なる、
価値観も異なる
余程馬が合わなければ、
一時的にでも友として過ごすことは出来ない。
そもそもキナの言う傲慢な貴族は多い、
…軽口一つ叩けない友人関係など一方的な強要にしかなりはしないか…?
…頑固者だとか
ああでもない、
こうでもない…互いの主張は
…遂には、馬鹿馬鹿しくなってきたと笑いだしやがった
もう疲れたと胡座をかき楽にしたキナ。
その後は俺の服装の変化を棚に上げ、
いつも通りのように話をして…
どうでもいい会話で盛り上がっていた時だった
「さて、行くか…あのままにしておくわけにはいかないから、
そう言えばキナはどうやって帰るんだ?」
「ん…迎えが来たのか。
俺は普通に、辻馬車に乗って帰る」
「そうか、あんな目立つ様に停めなくても良いんだが…
ほら、見てみなよ…ぷくくっ…ホスがたじろいてる」
「本当だ…って、くくっ…そらそうだろ?
正面入口にびったりと貴族の馬車が乗り付けて、格上の侍従がああして扉開けて立ってるんだからな」
「なんのために、部屋を最後に出ようと…ああして塞げば通りにくい。
人一人分の隙間しかないし…どうせ通れないならって、ほとんど皆誰が乗るのか見届けるつもりだろ?」
「そりゃ…誰が乗るのかって、一目くらい見てみたいだろ?
それも運が良ければ目に止めて貰える、雇用して貰える仕え先になるかもしれないんだ」
「え…それって、ただの俺だったらがっかりするよな?
あー目立ちたくない」
「帰らないつもりか?」
「キナ…分かってる、行かずに待っていても馬車はあのままで…状況が悪化するだけだ」
「…外套は?」
「持ってるが、格もコーディネートとしても合わない。
それに荷物をまた解くのも…トランクの一番下にしまった後だ」
「…視線を誤魔化すこと位できるだろ?
侍従ならその程度の手間だって厭わない筈だし…」
手間云々じゃないんだよな…
確かに面倒だとは思うけれど、それが着ない理由ではない
そもそも
着たところで…
おい、その目はなんだ?
誤魔化せるなんて露程も思ってないな、これ…
目が多くを語ってるんだよ
キナ…そんなにじろじろと、
外套で隠せるか想像しているだろう脳内が外からも丸見えだ。
「…で、隠せると?」
「無理だな」
おい。
あっさり無理だと断言するのか?
お前の案だろ…
そもそも誤魔化せるって言ったのはどの口だ?
…まあいい、
どちらにせよ外套を取り出す気はない
「これでも貴族の子息なんだ、キナの案は元々採用出来ないけどな…」
「…貴族の面子、か」
何か、
悟った顔…
そうか、服装も貴族の特権を示すものは多い
キナは貴族嫌いで、
過去にそれに拘りのある貴族から何かしら…されたのだろうか?
まあ、
俺もその貴族の類いだと…?
確かに男爵家次男だ。
まごうことなく貴族に類する者だが、
権力をひけらかす馬鹿な奴らと同類などと勝手に判断するな。
…失望を勝手にしてくれては困る
「あのな…見てくれがあべこべなんて許されない、それは貴族の責務であるから着るのであって顕示欲ではないぞ?」
「…リゼはそういう奴だったな」
「…今は権力は義務があって与えられるものだと知っているからな、何より過保護な玄武達が悲しむ」
「玄武達?」
誰だ、
そんな副声音がキナから聞こえてくる
俺の
「ほら…あの二人だよ、他に俺担当の侍従は二人いるけど
どいつも俺が俺を貶めることに関して敏感でな。後始末が面倒…」
「仲良くなれそうだ…
それと本音駄々漏れだけど、見てくれがどうのは良いのか?」
「キナだし、構わない」
貴族家の内情、
それに抵触する内容…それも愚痴
貴族としての見てくれや、権威を気にするならばそれらの発言は大丈夫なのかと変なところで心配を口にするキナに少し笑った
今更、
今更だろ…
「それって…喜んで良いのか?」
「さあ、どうだろうね」
…
…
「キナ、何故隣を歩かない?」
「あのなあ…無理に決まってんだろ」
「そうか、そうだな…」
「気持ちだけ受け取っておく。
それと、リゼが同列に扱ってくれたこと…友として過ごせたことは何よりの思い出だ」
「手紙位できるだろ、
それと…その時は同じ立場だし遊ぶくらいしてくれても良いだろ?」
「くくっ…楽しみにしてる」
小声で、
周りに聞かれないようにしながらも建物を降りてきた
それもここで終わりだと、
そうキナの言葉が告げている
分かったと、
一瞥をくれてから建物の外に足を踏み出した
侍従に、
特に着任してから何年かは外出も外泊も伴った完全な休みが取れることはない。
俺みたいな特殊な…
従僕のような侍従の立場でなければ屋敷から
担当時間でない休憩や就寝中でも呼ばれれば主人の指示に従うのが侍従だ。
それでも、
直近に手紙を書く暇も休みが取れる可能性があるなしに
そういう気持ちでいることは汲んでくれたらしい…
1人で
建物のエントランスを抜けてから、
そんなことを思いつつも俺に皆の視線が…
俺と視線が噛み合わないように向けていても、
不躾でなくても向いているのは分かった
馬車の止まる入口に
敷地を一歩出て、振り返ればキナはホスの立つ隣にいる
皆と見送るつもりだろうか?
まあ、
まだ見送るのには早いが
「玄武」
「貴台…お姿をこの目にまた映せたこと、心より喜ばしく思っております」
「お疲れ様でした、お荷物をお預かりします!」
「ありがとう、川獺。
で、こうなることが分かっていて入口を塞いだのかな…玄武?」
「…承知の上でいたしました」
「迷惑だろう…馬車と門の僅かな隙間から帰路につこうと思う侍従はいない、皆を帰れなくして、俺の権威とこの姿を見せびらかせかったのか」
「はい」
「…ついてこい」
「はっ」
…馬鹿馬鹿しい、
俺を持ち上げたいのは分かるがこんな貴族の利己的面を此処で出すな
許可を出した覚えもない、
ひけらかす理由もない…
玄武、
何のつもりでこんなことをやった?
そんな怒りを腹に押し込めながら、
敷地へ…皆の身方へと向き直り足を進めていく
「この頭を下げることで許して欲しい。
入口を塞いで帰れなくしたのは一重に私の侍従のせいだ、申し訳ない」
「…いえ、俺…いや私達は」
ホスですら狼狽している。
それでも他の奴らよりましだと…
代表してホスならば対応できると見込んでその方向に。
玄武の頭を下げさせながら、
俺も腰を折った…そしてその後に話しかけたのだ。
キナは役に立たなそうだったからな…
俺が貴族子息で、
それも家紋まで知った上でこれ?
今までの俺に対する態度は…どこへいったんだろうか…
「玄武、詫びろ。
仮にも私が世話になった方達に足留めをさせて、何のつもりだった?」
「それは…」
「侍従として恥ずかしくないのか、
我が家が権力を振り撒く貴族だと思われたかったか?
俺に恥をかかせるつもりだったのか?」
「いえ、不肖はただ…」
「此処にいる皆はこれから他の家に仕える優秀な侍従であることに違いはない。その仕え先の家で、我が家の侍従の格が低いと他家に侮られるやもしれない。
必要に駆られる場合にこそ、貴族の力は使うべきであって悪戯に誇示するものではない…それを侍従の立場で、俺や当主の意向を無視して…そのような顛末を考えた行動だろうな?」
「申し開きの…「玄武、今は俺にじゃない」…はっ」
「…大変申し訳ありませんでした」
膝をつきはしないものの、
俺の半歩後ろで最敬礼をする様子に溜め息が漏れる。
確かに貴族の馬車を目立つように停めた理由は、迎えの合図がこれしかなかったからだ。
侍従として敷地を出るまでは、
子息として振る舞わないと出迎えも敷地外でしか認めないと言い含めてあったせいもあると…
だが、
やりすぎだ。
殆ど、通る隙間などない様に塞いで停めたのは…貴族の馬車に許された事であっても誉められたことではない。
傲慢な貴族なら気を止めもしない行為、
それでも父上や兄上は昔から勘違いした俺に釘を指してきた。
力は使うべき所で行使する物だ、
貴族の一員として義務を果たす前に権力を行使するなと…
規範であれ、
権力は領民や力の無いものを支えるために使えと。
侍従になりたてのホス達にとっては、
経験の積んだ色が上の侍従二人が姿を見せる前から主人たる人を外で待っている光景が…
その人物がこの建物から出てくるような、
査定を受けて帰路につく…今まで数週間過ごしてきた中にいるとしか考えられないだろうからな
そしてそれは的中した。
非礼をおかしたのではないかと、懸念が現実になったと皆がそんな顔をしている
「さてとキナ、なに固まってんだよ…ホス?大丈夫か…皆も悪かったな。
貴族に縁を連ねる者として一方的にけじめは付けさせてもらった、こいつには言い聞かせておくから許してくれるか?」
「っ…許すもなにも私達は意に介してなどおりません」
「ホス…この敷地を出るまでは、ただの同期だ。
キナにも言ったが、俺は同列…ただの査定を受けに来た見習いだからな?」
「ですが…」
言い淀むホスに、
隣のキナに目を移す。
目配せすれば苦笑しながらもこの場を和ませる役目を担えと分かってくれたらしい。
やはりキナの動揺は、俺が豹変したからだ
口調を戻せば顔が緩んだのは、こいつらしいな…
「お前な…さっき出ただろ?」
敷地を出るまで、
その言葉をつつく気らしい…
一旦でて、敷地に戻ってきたのだから厳密に言えば安心できないと
「キナ、まあそう言うなよ?」
「くくっ…分かってるさ
貴族のふりも出来るんだなって感心したぞ?」
「おい、キナーゼ…無礼過ぎる」
冷や汗でもかきそうな、
そんな焦った声にホスや皆を見渡してから
怒っていないと、
確実に伝わるようにゆっくりと口を開く
「ホス気にするな。
それと皆には世話になった、今度どこかであっても避けないでくれ。
まあ…立場上のあれこれがないところでは、今まで通り楽に振る舞ってくれて構わない」
多分、
こうして態度をあからさまに崩したところで
敬語であろうと口を開けるようになるのはきっと…多くて後三人。
コック長はもう帰ってしまったようだから、
ラクとホス、そしてキナの三人しかいないことは予想の範疇で
後ろにいる、
見慣れた顔に少し声を張って言いたいことだけを伝える
「ふっ…ふははは…あのな、リゼ…それはなかなかに難しいんだが?」
「こうしてキナが出来るなら、皆出来るだろ?」
けらけらと、
遠慮無く笑い出すキナに場も緩む
良かったと…
これで横暴な貴族子息だったと、
誤解されたまま此処を立ち去ることにならなくて済むと
笑い続けるキナと共に苦笑が誘発される
「オリゼ…って、呼んでいいのか?」
「くくっ…ん、どうしたホス?」
「その…侍従は?」
気掛かりだ、
そんな暗い顔をしている
手打ちにするって…俺が大事にしたから更に玄武には厳罰が下るのだろうとでも想像してるのか?
敬語を恐る恐るでも外してきたのは、
おれと同列であればこそ…玄武の減刑を願えるから、かも知れない。
少しだけ、
寂しい気もするけどため口で話してくれただけで満足しないとね…
「ああ、首にはしないけど?まあ、鞭打つくらいで…もっと酷いのがいいなら「まてまて…誰も望んでない」…そう、ホスや皆に感謝するんだね玄武?」
「…温情に感謝致します」
後ろを見れば更に深々と角度を大きくした…
多分、先程からホス達に向かって礼をしたままの玄武に溜め息が漏れる。
許可をだしていないから仕方ない、
俺の指導役に徹するとき以外は…普段は優秀な侍従らしい振る舞いなんだけどな…
残念なやつ…
まあ、俺が言えた達じゃないか?
子息の立場がなければ…俺は玄武より劣る侍従だし
…仕事も出来ないしな
心配も、迷惑かけてるから…
殊勝な態度だ…
馬車の件は悪いと、絶対に思っていないだろうにな
ったく…
「貴台…あの」
「ああ、川獺。時間だったね…玄武、もう頭を上げていい」
「御随意に」
少しばかり玄武を見ながら考え込んでいたのか
気を戻されて、許可を出せば頭を上げる玄武
問題無さそうだと確認して、
足を反対に向けていく…
「…じゃあ皆元気でな?」
「またな!」
「オリゼ今度は…公の場では勘弁してくれよ」
「ええ…機会がありましたら宜しくお願いいたします」
石像と、
唯一口も身体も動く手前の三人に手を振る
「ああ、また皆に合えたら嬉しい。
それとホス、私的な場所に限るから安心してくれ…じゃ!」
そう最後を締め括り終えれば
後ろからおずおずと、
川獺が時間を知らせてくれる声が聞こえてくる
仕方ないなと、
手を振るのをやめて…今度こそ馬車へと振り返り乗り込んでいった。
…
…
気軽に、
後ろ手に振りながら馬車に乗り去っていった後
暫く呆然と皆動けなかった…
俺ら三人はまだましだ。
他の奴等なんて蛇に睨まれたように今でもまだ、立ち竦んだままだ…
しかしな…
俺らと共に過ごしたオリゼが高位貴族だったなんて…
そんなことは、
いや、確かに端々に洗練された所もあったし所作も綺麗な物だった。
だが…良くて傍流か貴族相手の商家の跡取りだと高を括っていた
「ほんと、貴族なんだよな…あいつ」
「オリゼが…知ってたのか?」
感心するような隣のキナーゼの呟きに、
驚く。
こいつは貴族嫌いだ…そんなこと昔から知ってる
オリゼが貴族だとキナーゼの口からは確かに聞いていた、
聞いていたが…よくて騎士伯の子息位だと…下位貴族の縁者くらいだと思っていた
男爵家だぞ?
それもただの高位貴族じゃない…あの家紋
それを知ってて、あんだけ打ち解けていたのか?
そして、
馬車を乗り付けて俺らが通る隙間がないほどに門を塞いだ…
その貴族らしい権力を目の当たりにした筈だ
確かに頭を下げて俺らに謝罪する、
そんな稀なことをしたとはいえ…それでもキナーゼがオリゼを気に入ったままだとは不思議なこともあるものだ
「知ってた、先程まで殆ど失念してたが」
「おい…」
肝が冷える、
キナーゼの態度からそう予測していたのに…
万が一無礼打ちされても可笑しくないことを多々やってきた覚えがある
そのせいで冷や汗が止まらない、
そう言外にキナーゼを責めるが…目を反らしやがった
「それでも…やっぱり良い奴だったな」
「…どこがだ?容赦なかった、
俺らは気にしてなかったのにあの侍従を鞭打つって言って…」
話も反らしやがったか…
そもそも良い奴って、キナーゼ…普通は様付けだろ…
ラクターゼが
げんなりしたって、心底呆れた顔を向けてくる
お前のせいで俺にまで…だ。
「ホス…それを含めて餞別だったんだよ
俺らに向けてね…立場をひけらかしたくなかったと思うぞ?
それと、これから仕え先で実際問題やらかしたら俺らだって罰を受けるのが…それが普通だろ…
リゼが貴族子息として振る舞ったのは、侍従を従える立場から…侍従としての教訓をくれるためにだけだ」
「…オリゼらしいですよね。
矜持もプライドも高いのに、簡単に私達の土俵に降りてくるのはただ優しいからだけではありません」
「ほら、ホス?ラクもそう言ってる」
「ああ…分かってる。
分かってる…よ、普通の貴族の子息が俺らに頭下げないことくらい。
それにああして公然と自身の侍従の非を認めさせて謝るんだから、
必要のない…恥を晒すようなもんだ。
でもな…それでも裏がないなんてことは有り得るか?」
「ホスファターゼ?
認めたらどうですか…オリゼが紛れもなくただの同期であったと。
貴族然とした後に口調も振る舞いも崩して、私達に謝り直したのは…体面を一番気にする貴族らしくない処か何の利もありません」
「…それも、頭では理解してる」
「なら良いのですが。
そもそも…仕えている主人やその縁者の貴族が頭を下げることになった、そんな失態を侍従がしたならば…数回打たれるくらい軽いものでしょうに」
「…ラクターゼ」
「何ですか?」
「いや、可笑しくて…何処かの総代兼、リーダーみたいなことを言うんだって思ったら…な?」
「誰が無事で済まないと分かっていて、主人役の講師陣に突っ込んでいく人と同じですか!」
「くくっ…ラクターゼも相当失礼な発言をしてるが、いいのか?」
「…聞かなかったことに…していただけますか」
「まあいい、お互い様だ。
…しかし、ほんと…俺らも出来る限りいい主人を選ぶしかないよな…
あの玄武って侍従もオリゼと良い関係みたいだったし、もう1人の侍従も会話を遮っても咎めはなかった」
「ホス…何を言ってるんだ、
リゼはそんな奴じゃないだろうが…」
「ホスファターゼ…つまり、無許可で主人の言葉に侍従が声を被せて遮ったことは…厳罰。そう言うことですね?」
「ああ…オリゼの面子はそれだけでも傷が付いた。
馬車の件もそうだ、どちらも酷かったら鞭ですむわけないだろ…」
「…ホス」
「分かってるだろ…貴族だってことくらい。
今回俺らの前で己の面子がどうなろうと、これくらいの事で納めたのは特例だ」
「おそれ多くもあの身なりで…私たちと同列だと、そう仰っていましたからね…」
「冗談きついよな、ラクターゼ」
「ええ…非常に無理がありました」
「俺らと同じ立場でもあったから。
その理屈で言えばオリゼが俺らに頭を下げることに、その面子に傷はつかないという…同期に謝っただけだという無茶苦茶な理論を置いていきやがった」
「ホス…それ、無理があるだろ」
「その暴論、あいつらしいだろ?
それにそもそも論で…貴族子息が黒を白だと言うのであれば、俺らは"白"だと認めるしかないよな…」
「…最後まで、リゼらしかった。
それだけのことか…」
「そうですね…」
「ああ、その通り…ちっ、もう行かないと」
「時間か?
そうだな、俺もそろそろだホス…ラクもまた何処かで」
「ええ、機会がありましたら」
「上手くやれよ、キナーゼ?」
「ホス、そっちもな」




