侍従講習20
「待たせたな、様子は?」
…入ってきたのは、講師長達ではなく子息役の講師
二人の代わりだと、
キナーゼと同じく俺の苦手な講師が入ってきた。
オリゼにとってもそうだろう、
あの講師達の方がこの講師よりは幾分ましなのに…
今の状況は勿論引き継ぎされてきたのだろう、
…この場の平常でない様子にも動じない…疑問を持っていない。
勿論、講師の一員としてオリゼの状況は把握している
仕事として情報共有済みだろうことも察する
が…その明確な理由が分かる一方安心は出来ない。
外れを引いた様な…残念な気持ちは拭えない
この平静さはその状況把握から来るものだと…どうしても思えない
…単純に、
平静であるのはオリゼを心配する気がない…
案じる気配が微塵も感じ取れないからだ
「…見ての通りです」
それでも、
問いに応じる
「そんなに私では不満かな?引き継いでオリゼを手当てしに来たのだが、もう殆ど回復している筈。今はそこまで酷くもないだろう?」
「…もう大丈夫だと言い張るほどには元気そうでしたね」
険が次第に含まれていく俺の言葉にも意に介することもなく
オリゼの様子を確認するためか、
此方に向かってくる…
その顔に憐憫も慈愛もやはり浮かんでいない…
業務の一端である、
問題解決に来ただけの雰囲気。
やはり心配の色は感じられない…
少しは気にしても言い筈。
例え急を要する容態ではないにしろ…
査定で必要だった指導だとしても…
オリゼを罰し、
積み重ね積み重ね…オリゼを追い込んだ。
キナーゼの話を合わせ鑑みれば…
此処まで疲れはてた状態を作り出したのは貴方、
必要以上に叱責した。
だから…手当てするのは当たり前、
そして過剰にしたオリゼへの対応に…この横になっているオリゼを見ても、
この人は何も気にしていないのだろうか?
命や緊急を要しないからと言って…
己の手で疲弊したオリゼのことを、何故案じることをしないのだろうか?
「おやおや…寝ているんですか?」
意外だと、
少しその声が揺れる
「無理しすぎた…んでしょう」
当たり前だろう…
こいつがどれほど気と体を張ってきたか
分かっている筈だ、
…こうして潜めること無く会話していても起きる様子もない程に疲弊している。
それを知りつつ…止めを刺したのは貴方方講師陣だろうにな?
「眠くなる前に、湯船から上がりたそうにしていましたね…
まあ、ホスファターゼも私もそうはさせませんでしたが」
その様子に俺の声に更に険が隠る…
普段なら平静を保てる筈の声音に本心が滲む。
それに続いたぼそりと隣から聞こえる声ラクターゼの声もも、
俺と同じく…らしくないものになっていた
「ラクターゼもホスファターゼもいい性格をしているな」
「貴方には負けます」
「不名誉ですね…」
見れば
眉尻を少し上げ、珍しく不満を隠そうとしていない。
嫌味だろうか、
単に称賛だろうか?
どちらにせよ…こんな危険な人に誉められても背筋が凍るだけ
オリゼを覗き込むようにして、
呑気に天気の話をするような語調で…
俺も不満を感じている、
…それもそうだ。
安易に近づいてきたこの講師、
先程手当てだと分かっていても…言い含めてもオリゼは水牢の単語を聞いた瞬間震え始めた。
…あの怯え様
そして落ち着いた後でも、
ただ湯船に張るお湯の水音にさえ怯えたオリゼに
今この講師を近付けるのは得策ではない。
水牢に沈めた張本人がこの講師だ
先程、
オリゼのことを心配していたラクターゼも良く思うわけもない…
勿論俺も好ましく思わない。
悪手中の悪手…采配だ
水牢でのトラウマがフラッシュバックしたらどうするつもりだ?
査定が終わった今、
手が空いている人員ならばいる筈だ。
何故他の講師を宛がわなかった…?
何故よりにもよってこの講師でなければならない必要がある?
…講師長の意図が汲めない。
「言ってくれるね…
あれま、本当に熟睡してる…仕方無い、手当するから離れててくれるか?」
オリゼを覗き込みながら、その頬をつついている
それでも起きないオリゼに少しばかり目を細めた講師。
「…何をなさっているのですか?」
「運ぶ際に暴れられては危ないから、熟睡中か確認していたんだよ」
オリゼで遊んでいたわけではない、
そう…言葉では説明されたが納得出来ない。
答えになっていないが?
湯船から…運ぶ際に寝ていたとしても、
手当て中に起きない保証はない。
もし処置台の上で目覚め、暴れ出せば床に落ちる…
力の入らないあの状態では受身も取れず、
捻挫や打ち身で済む可能は低い
…運ぶ際に暴れ出すのと同じ危険性がある
手当てならば、
包帯を巻くくらいであれば俺達でも充分だ
「…自覚があるのであれば「オリゼが暴れ手当て中に危険になるならば、処置は私ではなく他の講師にすべきだと?」…はい」
他の講師が適任?
勿論だ、
オリゼが起きれば恐怖し…暴れるような相手が手当てに相応しいとは思わない、
当然の事だ。
そしてこの講師もオリゼが己の顔を見て暴れる、
恐怖する事を自覚している。
ならば…何故辞退しなかった?
…講師ならば、誰だって侍従資格を持っている
手当て位、
この講師で無くても事足りる
貴方である必然性はない。
「…ホスファターゼ。この采配に疑問を持つことは悪くないが、
最初から私が手当てに相応しくないと断定するのは愚かなことだ」
「…オリゼが平静を欠くような相手でも、ですか?」
「私を手当てに来させた講師長の判断は適切だ。
話を長引かせて手当ての邪魔をするなら、私としては一向に退室してくれて構わない。どうする?」
理解出来かねる
そしてその納得出来ないまま、引けと言われる理不尽さ
…それでも
「…此処に留まります」
「そうか、ならば手を退かしてくれるな?」
「…御意」
脅しにも似た条件、
それに…屈した。
オリゼを庇うように上げていた手が落ちていく…
俺の意思とは別に、
言葉に現れたこの講師の威圧感に従う言葉を口が紡いだ
動かない体、
唯一動く視線をやれば
俺の手があった空間を進み、
魔力操作でお湯を抜いて…オリゼを引き上げてから背を向けて進んでいく
何をするかと思えば片手で抱え直し、
空いた片手で処置台…もといベットの上に陣を描いて発動した後、
似合わない丁寧な手付きで
…オリゼをその上に横たえていく。
「…体温は戻っているね、これならば処置効果も上がる」
そんな独り言を落とす講師
対する俺はただ立ち尽くすだけ、
動けなかった…指示に従うことが身に染みていた。
条件をはね除けることすらしなかった、
そんな自身に嫌気も差してこよう…
オリゼを心配して、
留まる事を選んだ。
そう一見すればこの俺の行動は正当化出来る
そんな自己ですら弁明も騙せもしない考えを頭に浮かべながら、
視界ではコマ割りのように…場面が進んでいく
既に湯船から講師によって抱き上げられている…
その淀みない所作、
オリゼに触れた所から…
陣と接触したところから…オリゼの湯で濡れた服も髪も水分が飛んで…いく。
頭を枕に沈ませれば…
即座に銀色が覆う
さらりと枕から、
乾いて艶のある長い銀糸が零れ落ちていくのだ。
綺麗な髪、
同性でも見惚れる程の容姿であることは本人は自覚がない。
隣の少し耳の赤いラクターゼも、
目が少しばかり離せなかった俺も同じこと…
長い睫毛が、
閉じられた目を覆い隠している
そんな無防備なオリゼに考慮することもなく、
その講師が左手を掬い、
袖口を捲り上げ傷の確認をしようとしたところだった
「…ん?」
「やっと起きましたか…オリゼ?」
「っ…」
「落ち着きなさい…手当の途中だ」
振り払おうとする挙動
それを見た講師が眉を潜めて即座に反応する。
懸念した事がやはり起こった…
オリゼの腕を掴んで
台に縫い止めて離さない…
負担にならないように手首を握ってはいなかったのが幸いか、いや意図的にだろうか…?
暴れ続けるオリゼにも動じない。
そして力の差は歴然、
微動だにしない講師の腕が寝台から浮くことはない。
床に落ちることもなく…固定されたままだ、
そう、オリゼの力は全く敵っていない…
…
「落ち着きなさい」
「…いやだ…また沈められる」
「…水牢に沈める気はない、安心しろ。
理由なく君を苦しめ自由を奪う講師は居ない」
「…罰は…理由はある…」
「査定は終わった、懲罰もない。
…先程地下で言われたことを気にしているのか?」
「っ…」
「講師長の仰ったあれはただの戒めにすぎない。
もし鐘が鳴らず、あのまま査定が終わらずとも沈められはしなかったと聞いている」
「…何故…沈めるって、房に入るくらいでは足らない…と言われたのに」
「落ち着きなさい、査定は終了した」
「…罰は…受けるまで、消えはしない…」
「…例えその最中であっても懲罰に値するか判断は講師長のみにある。
その講師長が終わりと、そう判断したならば沈められはしない」
「貴方…は?」
「沈めるつもりはない。
疑っても意味はないな、私にその意思があろうとなかろうと…元より君を水牢に入れる権限は私にない」
「…何故…」
「何故今…私に押さえつけられているか、か?
台から落ちれば怪我をするからだ、君の安全を守るためだ」
「…暴れ…なければ?」
「手を離す、手当てを再開するだけのこと」
「必要…ない」
「暴れても、処置をする。それに懲罰房でそれを同意したのは君本人だ…違うか?」
「…っ」
「違うのか?」
「…違いません」
「まだ暴れるつもりか?」
「…いいえ」
「…宜しい」
非を認めさせられたからか、力を抜いた…
それに伴って講師も腕から手を退いて処置に移行するようだ
…
…
「…先生」
「質問か?」
「…丁寧にし過ぎではありませんか?」
「君は自身を粗雑に扱いすぎだな。丁寧でもない…ただ、普通の処置をしているに過ぎないのだが?
どうせ…オリゼはそれも必要無いとでも思ってるんだろうね」
「…その様なことは」
「嘘だね?先程も口から出ていた。
だが冷静になった今、意識的に本心を言える筈無い。手当を拒めばこの二人が心配するから…そうだな?」
「…」
「沈黙は肯定してるのと同義、知っていても黙るか…」
「余計なお世話です」
呆然と、
ただラクターゼと空になった湯船の傍に立って見守る
袖や裾をはだけさせられて、
現れる太股や、足首の青黒い痣
マッサージしている際は布で見えなかった部分が目についた
…
キナーゼが痣になってたと言っていたな…
更に今回悪化した様だ、
良く見れば血が滲んで傷になっていた
それ一つ一つを消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。
痣が濃い部分や筋肉疲労が酷い部分だろうか、
そこには軟膏を塗り湿布にして…
出来たのはミイラ…か。
包帯だらけ、オリゼの四肢の半分程の面積は白く覆われたようだ。
最後に起き上がらせて、
座らせると首の回りも包帯に…
何処の重症患者であるかと言いたい。
これで終わりだと言う講師に、
足をぷらつかせながら感情の薄い声で礼を言ったオリゼ
"それでも必要無いとでも思ってるんだろうね"
先程講師がそう溢したその言葉が
やけに重く思い出される。
何てことはない、
そんな目でオリゼが自身の包帯を巻かれた手首を眺める目には達観したような
他人事であるような目だったからだ
…
やっと終わった
こんなにぐるぐる巻きにされれば目につくだろうが…
合否の発表も明日の午前に終わって
午後には迎えが来るのに…
玄武の目を欺くには無理だろう
これをむしり取ったところで、痣が見えるだけ…
治りも遅くなれば危険度は高まる。
オニキスやラピス、殿下に
見つからないように…治るまでは会わないように注意しなければ…
「…さてと、オリゼ」
「はい?」
「着替えだ、服は同室のものに頼んで用意してもらった。皆も…着替えてからおいで」
「ありが…あの、侍従服とペンダントは?」
思考に沈んでいた視界に、
講師によって服が差し込まれる…
見覚えのある着物、
確かに自分の私服だ
それはいい、
この際それはどうでもいい。
今、俺に必要なものは私服ではない、
感情と痛みをコントロールする術。
誰か自室に片付けてくれたにしても…
ありがた迷惑、
今、
この俺にペンダントは必要不可欠だ代物だ
「…侍従服は自室にあると思うが、ペンダントと内ポケットの中身はそこの二人の手の内だ」
「…はい?」
耳を疑う、
想像出来ない答え…
「仲間思いの行動は、見逃すのが粋ってもんだ」
「講師でしょう…?」
注意をしてくれても構わない
俺の私物が…奪われたというのに注意しないのか?
看過するのではなく、
寧ろ推奨しているような…
嫌な予感がする
「直ぐにでも陣を発動する気でいたのだろう?
それは俺も感じてはいたし…無理をしないように今晩は預かるのだと言っていた二人に同意見だからな」
「…」
最悪…
二人を咎めようと見るも、
流石というべき逃走
着替えているのか…カーテン越しに気配
姿は見えなくても声は聞こえている筈なのに反応はない。
問い詰めても、
ペンダントもなにも俺らは知らないとしらばっくれるつもりか…
所持を認めても返す気はないようだ
ならば、次策。
描き直せばいい…
が、筆記具はない
魔法陣を描けない…
この体たらくな感情と痛みを皆の前で繕うとしたら、
二人や皆が見ていない今しかないのだ。
血で描いても良いが…
この講師にはそんな隙は与えてもらえそうもない
窺うも…無言の圧
俺の考えなど容易に読んでいるとばかり…
尽きていないとしても、
魔力操作には心身共に負担がかかる
ましてこの状態で掛ければ、
俺が痛まない体を思いやることはないと知っている
心的負担…
これは皆と素直に向き合えと言いたいのか?
悪意や恨み辛み…それらを向けられても陣で制御できれば淡々と答えられる…が、そんな楽をさせるつもりがないのだな
「オリゼ」
「…分かっています、魔力も使うなということですね」
「そう言うことだ、諦めろ。
どうせ無礼講だ…それに陣を発動しない方が得策かもしれない。少しばかり弱っていた方が下で待ってる皆の怒りも減るんじゃないか?」
「な…っ」
何故…私服?
それも和装…好きだし着脱も楽だけれどシャツとズボンでも良かった筈
釈然としなかったが今の言葉で理由が分かった
包帯が見えに見えまくる格好
…
包帯を見せびらかすような、
そんな格好が悪いこと出来るかよ
皆が怒っているのは、
きっと俺が誤ったから…当主を疑惑から黒に傾けて判断を迫ったこと。
万が一、
潔白な当主の目の前で派閥で割れ、混沌とすればどうなったかと…査定に落ちたらどうしたのだと責めるのだろうか。
俺をリーダーに据えた班のものには言い訳も立つ…
…最初どうなっても知らんと啖呵は切ったからだが、それを理由に本気でそう思えるほど性根が腐ってもいない
キナーゼには、
証拠書類を確保すると、まるで侯爵側であるかのように振る舞って…保険の書類確保をしないように仕向けた
此処にいるラクターゼによって、
俺がどんな行動をしたかもう分かっている筈。
…
この二人は置いておくにしても…
考えたくもないので思考の外に放り投げておくにしても
包帯を見せびらかすような、
憐れみで怒りも不満も抑える為に着物を着たくはない。
詰襟で、
上着を羽織れば隠せるのに…
「さて、俺らは終わった。オリゼも早く着替えろ」
「待たせているみたいですしね」
「…欠席の選択肢は?」
「ない」
「ラクターゼ…欠席の「許されるとでも?」…っ」
「先生…」
「全員参加。ああ、慢心して一人で歩けるとか思うな。
回復の度合いの意味だけで言ってるんじゃない。目を離せば無理するだろうと監視もかねてな…人質いや、物質ホスファターゼもラクターゼも振り切れないだろうからね」
「…せめて洋装で出席させてくださいませんか」
「意図は分かっているな?そして…変更が効かないことも」
微笑…
悪魔が天使の笑みを真似たみたいだ
恥を捨てて、目の前から去ろうとする
そいつの腕を掴んで止めるも無下にされる…
らしくもなく、
いや…こいつらしさなんて知らないがゆっくりと
傷を労るように手を剥がされて扉の向こうに消えた講師
苦手だ…
人の隠そうとするその弱点その物を貫いて…
それが俺を嫌うからではなく、
俺の為になるからと…分かってやがる。
人の心を動かすには恥外聞を気にせず晒せば良い
そうすれば、楽になる
相手に同情して貰える…話を聞いて貰える切っ掛けにはなる
だけどな…そんな有り難迷惑要らねえんだよ
卑怯だ
そもそもこれは俺への懲罰で、皆は関係ない。
自らの手で同情を買うような真似はしたくない
まして、
それを材料に俺の間違いを責める相手の攻撃を避けようなんて…そんな惨めな矮小な輩にまで落ちはしない
落ち込んだ顔も、
あんまりだと嘆くこの気持ちも…
策の内だな。
更に不憫に魅せる操作、そんなものに捕らわれ従うほど馬鹿じゃない。
ならば、ペンダントがなかろうと包帯が晒されようと
"そう"見えないように振る舞うだけだ
舐めるなよ…
不遜でも、不敬でも…ニヒルに思い通りに何てならないと笑ってやるんだ。
ハロウィンの仮装だとでも思えば良い
決して、
決して…哀れになんて見せない
握り締めていたのか…
少し皺の寄ってしまったその着物を撫でて整える
「着替えてきます…」
「お…おう?」
「…?」
お互い、
俺の雰囲気が変わったと目を見合わせていたのも
すんなりと着替えに行った行動に首を傾げていたことも…そんな二人の心象に気付くことないままに
カーテンの向こうに、
一歩一歩確認しながら消えていった




