侍従講習14
…
ホスに向けて話したことによって、
…改めて己の口で経緯を説明することで
自分の中でオリゼの行動に対する理解が深まった。
…そして鮮やかにその光景を想像出来るようなったからだろうか、
話し込んでいれば此方まで寒気が襲ってきたようだ。
そしてそれはホスも同様に…
悪寒に耐えるように腕組みした手で体をかくように宥めている。
体を内から温めたい、
その考えに至って直ぐに行動する。
先程業務を終えて座ったホスの代わり立ち上がって、
今、静けさが落ちた部屋の一辺
そこにある簡易炊事場でお湯を沸かしているのだ
安い茶葉ではあるが、
給仕や紅茶を淹れる練習用でもあるのだろう…
常に此処には量だけは豊富に備えられているそれ。
沸いた湯を
ポットに入れていたときだった。
そういえば…と
「そうだ…俺…この全容を知る前に、聞き出す前に…
合格の目はないと言ったあいつに…どうせ言い訳だろうと思って怒ったんだ。
俺等を引っ張ってきたのはお前だろうと、この指示系統も仕組みも発案したのは誰なんだって、目はなくともこなすと言ったリゼに諦めるなと、一抜けなんてさせはしないって追い詰めた」
纏まった思考が、
己がリゼに対してどれ程酷い言葉を吐いたのか…と
その結論に至らせた
後悔が襲ってくる…
誰よりも己の発案した指示系統に責任感を持っていた。
そして逼迫、
業務がままならなくなれば状況の対処に当たったリゼ…
主人役に状況の把握と改善を提言、
責められても言い訳や責任転換すること無く…
己の行動起因も独断で、
連帯責任ではないと…
皆に間違っても飛び火しないようにと…傍仕え役や先輩役、俺ら見習いに非は無いと最後まで庇い続けた。
その結果…
身体の反射で震えていた、
コップ一杯の水に恐怖を覚える程の罰を一身に…
その最中に査定不合格宣告、
それ同等の言葉を講師から受けたにもかかわらず諦めること無く耐えきった。
冷静に努めた、
水牢に沈められても抗わないことで己の合格も諦めず最大限の努力をしたと、
その結果は奮わなかったらしいと。
他人のために被ったその結果を後悔すること無く、
ただ必然だと淡々と説明した…
それでも…まだ俺らの合格を後押ししようとしている。
そんなリゼに
俺が意見を言えはしなかったと言うに…
何の手も打たなかった、
尻拭いをさせてきた俺らに…俺に元よりとやかく言う権利など無い。
無責任にも諦めるなんて、と
卑怯だなんてそんなことを…リゼに言えはしない。
…それにも関わらず、
俺は疲弊して歩けもしなくなったリゼを敗走者のようになじった。
傷口に塩を塗った…
言いたくない出来事を無理矢理蒸し返し、
諦めるのが早いと、
更に努力しろと…言ったようなもの。
俺はリゼを、
その誠意をとことん貶めたのだ…
「それで、オリゼがお前を責めたか?」
「いや…話を全部聞き出した後に、
"溜飲は下がりましたか?"…って気は済んだかと少し笑いながら聞いて…きた」
「…キナーゼの為だな」
「ああ…」
溜め息をつきながら、
呆れたように俺に聞くホス…
その昔馴染みの質問の意を汲めないなんて事はない。
あの時はからかわれた、
何でもないから気にするなと誤魔化されたと思って頭にきた。
…でも、違った。
それは…
いずれ俺がこの結論に至って自己嫌悪すると思ったから、
リゼが俺や皆に負担に思わせないようにするための気遣いからだったと気付かされる。
…敵わない、
疲れ果てたあいつを介抱して…リゼを世話していたようで
立場は逆だった。
世話を焼かれ、
慰められていたのは俺の方じゃないか…
…
「講師なら全容を共有する。お前が報告する義務があると、評点に関わると言ったから、オリゼは起きたことをきっと全て説明した。お前が持つ情報が完璧であるように包み隠さずに、照らし合わせて欠落があれば傍仕え役の講師に減点される恐れもあるからな…」
臍を噛む、
そして黙りこけた俺にホスから切り込まれる。
「ああ…苦手だって知ってたんだ、でも無理矢理聞き出した」
切り口を変えて、
俺に言葉を投げてくるホス…
手厳しいな、
薄々感づいていることを俺に理解させる気だ…
「キナーゼの嘘に気付いていた。
気付いてなくとも…どちらにせよ恐らくオリゼは全て吐いただろう。
お前が報告する気にになれば、情報伝達がすべらかであると示せる…更にお前の加点になる」
言う通りだ…
講師なら全容を把握する。
査定の判断材料としてそれらは必需だからだ…
だが、
俺が傍仕え役に伝える引き継ぎはそこまでのものは要らない…
業務連絡に必要な事は経緯や状況のみ。
報告義務があり、聞き出せなければ俺の評点が下がるとしても…詳細までは要らないのだ。
だから、
リゼは俺の評点の為だとはいえここまで説明する必要は無かった。
俺が本当に傍仕え役に報告しなければならなかったとしても
その内容は傍仕え役の把握とした全容と齟齬なく、
業務が回るに足る情報だけを開示すれば良かったのだから…
つまり、リゼが俺の
嘘に気付いていない可能性は低い…
「"俺等のためなら高いプライドを折って噛み砕くリゼ"
…だったか?この前キナーゼがオリゼはそういう奴だって評したのは」
「…そうだ」
「キナーゼの為に口を開いた。
心配していると、だから何が起こったのか知りたいとお前がそう聞いてきたから…オリゼは仕方なく明け透けに説明するような奴だってことだろう?」
「ああ…俺の脅しは、
細部までは口を割らせられないものだった」
そう、だから…
リゼが俺の嘘に気付いてなかったとは到底…思えない。
心配していた俺に、
あえて更に心配させるような知識を与えない。
…自身の無茶と受けた酷烈な罰について言わない。
その内容を俺が傍仕え役に報告すれば評点を更に稼げるかもしれないとしても、
それはプライドを折る充分条件にならない。
言うか言わないか…
その行動の結果を考えて天秤に掛ければリゼがどちらを選ぶかは分かりきっている。
脅しだけならば俺を心配させない方を取る…
梃子でも口を割らない。
魔法陣を使ってまで隠そうとしていた事実を、
易々と…恥外聞無く俺に明らかにしたりはしないのだ…
…
「どちらにせよ、本当に嫌であれば必要最低限に留めて事細かには言わない。
俺はお前ほど親しくもないが、お前のの知るオリゼはそんな性格ならば…謝れば許してくれるさ。
元よりキナーゼの意図も嘘も分かった上で話しただろうからな?」
「果たして…そうだろうか」
その上で、
俺がリゼを心配したから…隠し伊達すれば更に心配すると思ったから?
だから詳細まで、
報告義務が無い内容も全て俺に話した…
そんな人間じゃないのに…
俺は、
それを聞くに値しないのにも関わらず開示した…
俺が聞きたかった、
知りたかっただけで…リゼは明け透けに提供してくれたのだ
「何が不安だ…キナーゼ?」
弱気になった、
許してくれるだろうかと不安を口に出せばぱっぱをかけられる。
背中を向けていて、
情けない顔すら見られはしなかったもののそんな俺の表情もきっとホスにはお見通し…バレている。
…懸念があるからだ
「俺は…評点を稼ぐためだけに、
そんなことの為に聞き出したんじゃない」
此処にいる皆は侍従資格を目的に挑んでいる…
…俺はもう落ちたくない、
あんな悔しい想いも挫折も味わいたくない。
今回失敗すれば、
普段から冷めた目で見てくる奴等に何て詰られるだろうか…
そう、
今度こそ査定の合格は欲しい…
…脅しに使った報告義務があると言うのも完全に嘘ではない。
引き継ぎと言う点から見れば、
俺は傍仕え役に報告することは普通だ。
だが、
もしそれ以上の事を聞かれれば…業務に必要のない情報まで吐くだろう…
…全てその為だけに聞き出した訳じゃない。
合格するために、
己の為だけにリゼを傷つけるなんて、
俺はそこまで浅ましくない…
堕ちていない。
だが、
そう思われていたらと…
浅ましい自身の気持ちを見透かされていると、
そんな不安が拭えない
「分かってる、お前がそんな奴ではないことは知っている」
そう、
ホスがそう言ってくれたとしても…
リゼを傷つけて利を求めた、
聞き出した理由が全部…利己的なものからではなかったと証明する方法はない。
俺がどう思って行動したか、
最初は心配から…
看病するのだって必死だった…
が、
善意からの行動で得た情報が
評点を稼ぐのに使えそうだと悪魔が囁いた。
だから…
善意が芽生えたことなんて…それを示す証拠なんてもうない。
俺は真っ黒だ、
心を売った…義理より利を取る最低な奴だとリゼに思われても仕方ない。
…疑われても仕方がない行為をしたこと自体に変わりないだろ?
「ホスは…そう思ってくれたとしても」
だからこそ…
利用するための悪意だけではなかったと、
言い訳にしからないとしても弁解する。
詳細まで開示する…そう、此方も誠意を見せるべきで…
そして謝らねばとも思うのだが。
情けないことに、
二の足を踏んで踏ん切りがつきそうにない…
「おい、いい加減にしろ…オリゼはそんなに狭量な奴か?」
「いや…」
「そうでなくてもすべき事は変わらない。
キナーゼはオリゼに謝罪すべきだ」
「…っ」
…
「人間誰しも自分のことが可愛い、
浅ましいって思って自己嫌悪してるのも分かるがな…それを隠して逃げる魂なら俺の知る親友じゃないな」
「…」
「本当に…お前らしくない、少し鼻にかけた位がキナーゼの真骨頂では?」
…ここまで言われて、ハッとする。
謝ることから…最低限すべき事をせずに逃げようとしていた自分に。
ホスにこうして付き合ってもらった上、
尻尾を巻くような最低な人間になる訳にはいかないと…怖じ気づくわけにはいかないと顔に力を入れ直した
「…リゼに悪いことした、嘘同然の事までついた。
リゼに信じてもらえるか貰えないかではなく…俺は謝るべきだ」
「ああ、それが真っ当だな。
それくらいのことは餓鬼でも分かるぞ?」
「ちっ…言ってくれるな、ホス…後で謝るわ」
「そうしたら良い」
俺を嗜めるような声音が無くなり、
軽く笑いながら返ってきた言葉
それで漸く視界が明瞭になる。
考え事をしていて、
ずれていた焦点がやっと手元に合ったのだ…
丁度良い頃合いだろう、か
ぼんやりと見ていた視点を合わせれば…右手に乗せていた懐中時計の長針が鮮明に動いた。
背中越しに励ましてくれた声に落ち込んでいた気持ちも上がって来る。
今、うだうだ考えても何もならないと、
ホスの背を押す言葉に吹っ切れた
…
ポットから少々雑に注いだ琥珀色の液体
これまた沢山、誰かが練習に切った檸檬の輪切りを水面に浮かべてから
席に戻ったのだった…
…
…
「疲れていると酸味が欲しくなる…」
「甘味もな」
こいつの好み位、
知っている。
ホスの分も…と、私物の角砂糖を
内ポケットから2つ出してソーサーに置いた
「手抜きで悪いが」
「…高い物を」
添えられた角砂糖に少し眉を潜める
俺の奢りであるから、
…それも砂糖は貴族でない限り頻繁に口に出来るものではないと当然知っているからだろう
「気にするな。
それは精製が甘い弾いたものだ、訳アリで安いやつ」
「そうは言ってもな、砂糖自体が高価だ」
「相談の対価…それに、少し一息付いたってバチは当たらないだろ?」
まあな、
そう肩を竦めて見せるホスは…
遠慮する台詞とは裏腹に既に包みを剥がして紅茶に落としている。
自身の分も…と、
銀のスプーンでカップに当たらないように緩やかにかき回し溶かして暖をとる。
檸檬の酸味と角砂糖の甘味、
…紅茶の苦味に豊潤な香りが人心地付かせてくれた
…
…ホスが飲み終わる頃、
寒気が無くなった頃合い…
雑談と言う名の俺の懺悔室と化したお陰で
もう、
交代までの時間が近付いてくる。
雑談に割けるも無くなってきた…
「なあ…面倒次いでにもう一つ頼んでも良いか?」
「…なんだ」
「リゼと緊張しっぱなしで休んでも疲れは取れないと思って、担当時間に間に合うように誰か寄越すって約束したんだよ。
起こしてやってくれるか?」
「…了解、大概キナーゼも懐に入れた奴には甘い」
即断…か
らしくないのは俺だけではないだろ…ホス?
「そういうお前も、あいつを買ってるじゃないか。
普段なら冷たくあしらうだろう?起きるくらい出来る筈だってな」
…言い返してくるが、
俺はお前よりも甘いぞ?
目下の者や立場の弱いものには仕方なく手を貸すことだってある、
お前みたいに理性的な判断ばかり出来るわけではない…
だから…
俺がリゼに情を持って手を貸すことより、
お前がそうすることの方が"らしくない"のだ
「…作業が早く終わった対価だ」
「素直じゃないのはリゼだけで腹一杯だ」
「人のこと言えた質か、ホス…?」
「キナーゼ、お前もだろ…」
「くくっ…同族嫌悪か?」
ホスが不愉快だと言わんばかりに顔を歪める。
だが、
らしくない事は…
少なくとも俺の言い分の方が分があると…
自覚があるらしい幼なじみは
俺が同族だと言えば、溜め息混じりに苦笑し始めた
「…冗談、お前ほどではない。
で、引き継ぎ聞かなくて良いのか?」
「聞く、てかホスが聞かずに先送りしたんだろ」
「こんなに時間かけて状況説明が為されるとは思わなかったからな…」
ホスはからかうように苦味を消し、
代わりに妖艶な笑みをその顔に浮かべる。
俺が口が止まらないほどにリゼのことを心配していたことを察していると、
責めるでなく言外に示すのは食えない昔からのこいつの性格か…
嫌味には感じない、
何だかんだ…ホスのそれは親しみが湧く笑みだからだ
「…で?」
「ああ、オリゼ関連以外は通常運転か。想定している"暗殺予告"も出ていないし、特に変わったことはない。
…万が一の為の余裕分の時間も巻けている」
「了解、俺のベット勝手に使って良いからな?」
「はっ…珍しい、お前が自分のテリトリーを人に明け渡す?
そこまでして…俺に休みながらでもオリゼの様子を見ていて欲しいと?」
「…さあな」
ホスが目をこれでもかと見張っている
そうだろうな、基本俺らは自身の領分を守る。
仲が悪いわけではなく、
気も置けない程だとは思っているが…
それでも性格上互いにずかずかと踏み込まれるのは好き好まない。
一線を引くと言えば聞こえは悪いが…互いに心地の良い距離感は肌で分かるのだ。
だが、今回は…
リゼを心配したせいだろうか…仮とは言え俺のプライベートスペースの最たるものでもその境界を下げることは構わないと思った。
リゼの様子を見て貰うのに、
ずっと椅子に座らせているのは気が引けると思った…
ホスも疲れているし、
己の領域に、部屋に入れるのだから…今更だと。
…頼んだのは俺だ。
疲れていても遠慮してこいつは俺のベッドに腰かけることもない、
休まないのではないかと
そう思っていれば、
ふと、気にかかったから口から滑り落ちていたのだ…
言った俺自身が一番ビックリしている
「素直とは…?」
「ちっ…だからてめえに頼んだって言ってんだよ」
ニヤニヤと、
面白そうに俺を笑う様子にリゼのような返しになってしまったか?
「…安心して行ってこい、仮眠はとるが見ててやる」
「ホス、頼んだ」
「任された」
俺の事を笑ってくれた対価に
…この際しっかりと押し付けようと心に決めた。
片付けも次いでに頼んで良いだろうと、
ホスの方に空になったカップを部屋の鍵と共に押しやれば…
さっさと行けと、
リゼのことはなんの心配も要らないと…
俺が代わりに面倒見るから、心配して作業に身が入らない等と言うことは無いだろうなとでも言うような目付き
左手で頬杖をつきながら、
カップを置いた右手。
御座なりに見える…それでいて情の籠ったホスの手で
追い払いに、後ろ髪を引かれながらも部屋から出ていかされた
…
…
キナーゼの照れ隠しと退室によって、
机の上のティーカップ…
俺に自動的に押し付けられた後片付け。
仕方ない奴だと、立ち上がり綺麗に洗ってから布巾で水気を吸い取っていく
スプーンも軽く磨いてから、引き出しの中に仕舞い終えた
さて…
静かに預かった鍵で解錠し、キナーゼ達の部屋に入る
オリゼが寝ていない方が彼奴のベットか…
当初の予定とは大きく算段は狂ってしまったがやっと寝れる。
襲ってくる眠気に
キナーゼのベッドへと遠慮なく、
掛布の上に横になると軽く目を閉じたのだった
…
…
目を開ければ見慣れた天上
すっかり寝てしまっていた…まずい!
「っ!」
寝過ごしたか!?
がばりと起き上がり、
バクバクと拍動する心臓を抑えながら壁時計を見る。
…
「…ふ」
よかった…
まだ時間にはなっていない。
キナが嘘をついて起こしてくれるとは限らないのに、
確証もなく安心して寝てしまった…
キナはまだ働いて…っ
「っ…キナ!」
キナのベッドには膨らみが、
まだ業務に明け暮れている筈の…人間が寝ている?
いや…
もしや、
時計が遅れているだけか?
「ああ、起きたか?キナーゼじゃなくて悪い」
「…」
横を向いた瞬間、
寝返りを打った膨らみは…ホスファターゼ
背格好や雰囲気からキナでないことは一目で分かった。
枕元に置いていた懐中時計は壁掛けの時計と同じ時刻を示している、と今しがた確認した。
な、んだ…
キナではなくホスファターゼだったか…
時計のずれもない、
ならばまだ遅刻はしていない、キナの休憩はまだ…
それに
ベッドに寝ていたのが知らない人間でないことに緊張が自然に解けていく…
「そんなに警戒するな」
「…キナーゼは?」
「まだ働いてる時間だろ?」
「…そうですね」
ホスファターゼに警戒したのではない。
キナがそこにいると言うことは俺が寝坊も遅刻もしてしまったと示す事象、
俺はそれを危惧して気を張っただけの事。
まあ…
見知らぬ侵入者でないことは安心材料だが…それはそれで懸念はある
何故此処にいるかが問題だ。
考えられるのは…キナは俺を止めるために…
体調回復の為に、
抑止力として此処にホスファターゼを配置したかもしれないということ。
俺を、
業務に戻らせないつもり…
いや、
まさか…な
そう…その懸念が拭えない
ホスファターゼから何か情報を読み取れないかと警戒して観察していると、
ゆっくりとそう言いながら寝返りを打ちなおして
横に寝たまま此方に視線をくれてくる…
…
…
普段通りの顔
何も気負った雰囲気もしない、
俺の動きにも注意を払う仕草はない。
…養生させようという、
キナからの指令はないということか?
俺の杞憂であれば良いが、
それだけでは確証は持てない…
ここは、
愚直に聞いてみるしかなさそうだ
…
「…ホスファターゼ、何故此処に居るのですか」
「キナーゼに頼まれたからだ、
それに引き継ぎの際にお前の様子が気にかかった」
「大丈夫だと申した筈です」
「…全容を聞いているが?」
…何の全容だ?
っ、
キナーゼは早く此処を出ていった。
それは…何のためだ?
ホスファターゼに俺の行動を伝えるためか?
…ならば、
目の前のホスファターゼがこんな風に…俺の"大丈夫"を信じること無くはね除ける態度も納得がいく…
まさか、
些末まで…?
ならば…
とれる手法はごり押し
「ホスファターゼ、私は大丈夫と申しました」
…
…背中の方から、
大丈夫に聞こえない声がする
「…全て伝達された、
それと引き継ぎの際の様子を鑑みるに到底その判断は出来ないな」
警戒する猫か?
まるでそんなオリゼの声に目を開けて、体をそちらの方に完全に向き変えた。
俺の顔を見て一旦は警戒は解いたものの、
ありがた迷惑その物だと言うように渋い表情になっていく
成る程、
…やはり気を許しているという予想は強ち間違っていなかったようだ。
やはり大丈夫だとは思えない、
だから全容を聞いていると言えばまた"大丈夫"だと言い切った。
賢くはない、
俺を煙に巻くには幼稚な言葉選びだ。
が、
半信半疑でも全容を知ったかと知れない、
その上引き継ぎの際の様子を見られている俺に
普段から口癖のそれを使うのは…
二の次も誤魔化しの定型語も吐いたとて効果がないと勘づいたからか。
そして同時に…
それはキナーゼに話した全容は嘘偽りがないと…裏付ける行為。
加えて大丈夫でない既成事実があるからに違いない、
俺には繕ってもキナーゼを信用して弱い面も見せている…キナーゼの話にあった通り気絶している姿も見られていると自覚があるからだ。
もし本当にキナーゼが全て俺に伝えたとすれば、
大丈夫だと言い張ったところで甲斐はない。
ただ…万が一にも俺には体裁を保とうと考えているのだ。
気丈に振る舞うのは、
そう言うことだろう…
…
「…キナが全て貴方に伝えたと?」
「それはキナーゼのみが知る事だ。
…まあ、ほぼ全容を共有したと思うが」
「…信じられませんね」
「信じたくないの間違いだろう
…答え合わせをするか?
キナーゼのようにお前から一から聞き出して、俺の知り得た情報と照らし合わせる…オリゼ、今から確認しても良いのか?」
「…」
少し間を置いてポツリと出た台詞はキナーゼを疑うもの。
渋い表情に疑念が浮かんでいるのは、
眉が下がっているのは…俺がキナーゼと親しいから。
キナーゼが裏切りに近い事をするわけがないと思っている、
それでも俺がこうも全て聞いたと自信ありげに言うからには
キナーゼが俺に全容を話したとも考え始めたからだろう…
まあな、立場が逆であれば俺でもそんな反応をする。
オリゼが疑うのも強ち間違いではない、
親しい相手であろうと本人の確認を得ずにペラペラと個人情報を話す達ではないと俺も信頼を置いている
が…きっと今回はあえてペラペラと個人情報を話した。
しかも査定に影響する事以外もだ…
今回は珍しいキナーゼを見た、
俺に話すことがオリゼにとって恥の上塗りを意味していたとしても、こいつを心配していての行動だと分かったから
だからキナーゼが信条に反していると分かっていても、自覚しての行動だと理解して話を止めなかった
俺らが知ることによって、
オリゼの捨て身の戦法を止める轍になればと話したのだ。
「…」
「で、聞き出して欲しいか」
「…嫌に決まっているでしょう」
「だろうな」
黙り続ける様子に再度聞けば予想通りの反応
オリゼらしくプライドが高い
聞く限りにおいては不様ではなかったが…
冷徹にも見えるほど己を律して冷静に振る舞うオリゼには水牢や主人の部屋で見せた態度は隠したいのだろう
罰の熾烈さを考えれば充分冷徹沈着
…取り乱したと思わないがこいつはきっとそうは思ってない。
恥であると、
弱味を見せたと感じている
そんな事象を、
キナーゼにですら渋々語ったことを俺に…
2度も同じ事を聞かれて言いたくないに決まっている。
普段にまして、
いやかなり表情も声音も感情豊かに表現する様子
情報は知っているのだ…
俺が今更聞き出す必要はない。
気に食わない奴ならば
侮辱する為に聞き出して自尊心も壁も保てなくなるまで吐かせてやっても良い…が、するつもりはない。
オリゼの酷くなっていく表情に手を緩める…
俺だって…
こいつの事を珍しく気に入っているし、
罰を受けたのも俺らのため…恥をかくことを知りながら行動したのだ。
それをほじくり返して徒なすような真似をしたくはない
「それで、食欲は…どうなんだ?」
「…充分です」
話題を変えてやれば
目に見えて安心したのが分かるが会話になっていない…
オリゼの視線を辿ればサイドテーブルにある水
キナーゼの話にもあった、
コップもそこにある。
…水、ね。
彼奴が用意したものだろうが、食事ではない…
食欲を満たすものでは決してない。
…まさか俺に遠慮しているのか?
大した手間でもない、
世話焼きを選択することを決めた今ならば…
「待ってろ」
「御気遣いなく、ホスファターゼ…大丈夫ですから」
仕方ない、
いまから調理場に行って…何か見繕ってこようかと
そう思い、
立ち上がって歩き出した俺を引き留める…
…その声に振り返った
大丈夫と言えば、
大丈夫に見えるようになる訳無いだろうが…
免罪符にはならないし、
それに騙される俺ではない。
なら、
やり方を変えようか?
「…なあ、あの時俺を"ホス"って言ったよな」
「…」
「無言は肯定と取って良いな?
あの時…呼び方が変わるほど、それほど余裕がなかった。
加えて長い付き合いで、キナーゼが誰かの世話を俺にお願いすることなんて今の今まで1度たりとも無かった。つまりそこまで心配するほどにお前の状態が良くなかったってことは明白だ」
「…キナはただ、心配性なだけですか…「あいつはな、誰彼構わず手を差し伸べるほど優しいやつじゃない」…はい?」
「まして今は侍従査定の真っ只中。自己管理を含めて評価になる、甘ったれに同情する奴でも世話焼きでもない…あいつも俺もな」
「…ならば何故…キナは貴方に頼み、ホスファターゼも断らず此処に居るのでしょうか」
そう、
体調管理に支障をきたすかもしれない行為だ。
こうして俺が此処でオリゼの様子を見ていたのも…情からの理論的ではない行動
本来今は俺の休憩時間、
当初の少しでも仮眠を…キナーゼとの会話でその時間は無くなった。
疲れた体を熟睡させる算段も、
お願いされて此処に来た時点で選択肢から完全に外した。
…
他人のために気をやる余裕など無い筈、
罰を受けて疲弊したのは自業自得…そいつの看病をしたとしてだ。
そんな美談など査定の合格には何のプラスにもなりはしない、
加えて既に限界は近い、
世話焼きなどしていてオリゼと共倒れになれば、更に最悪…
俺が今すべき事は、
自身の許容量を測り間違えた甘ったれに同情する事でもなく、世話を焼くことでもない。
…寝ることに他ならない…のだ、がな…
「さてな…まあ俺の方は手法はどうであれ、助けられたから。
早く作業が終わって早く休める分還元してやっているだけ、貸し借りは好きじゃない」
「…貸し等ありません」
「俺がどう受け取ったか…貸しだと解釈する権利はお前には奪えない。それと、キナーゼに頼まれたのもある」
「…食事の世話まで頼まれてはいないでしょうから、
キナとの約束は破ることにはならない筈です。
それに借りだとしても、それを此方が認めることも享受する義務もありません」
「破ることにはならないとも証明できない、
含めて"頼んだ"と言ったのかもしれないからな…そして本人が此処に居ない以上確認も出来はしない。
それにな、貸しを返させて貰えなければ困る」
「…」
「後、先程キナーゼと話していて分かったことがある。
あいつの話を全て鵜呑みにする訳ではないが、オリゼに自己犠牲の傾向があるのは分かった。キナーゼに何も口にしなかったと言って良いのか?」
「…そのような事実はありませんので御自由に」
キナーゼが素直で無いのはオリゼだけで充分だ、
そう言っていた理由が分かってくる。
天邪鬼…
その上頑固だな
「まさかとは思うが、水は含まれないからな…
食欲もなさそうだと、俺に遠慮して食事の世話を断ったとキナーゼに言うか…?はてさて、それを聞いたらどう思う?
そうなれば困るのはお前の方だ、これ以上心配を掛けるのは本意ではあるまい」
…
「…食べますよ、そこまで言われるのでしたらパンを持ってきて頂けますか?
ただ、押し売りの貸し借りもこれで済ませて下さいね…」
何か考えたのだろう、
少しの間があって返ってきたオリゼの言葉は妥協案。
それにしても…あまりに酷い
俺が食事の面倒をすることは止められないと判断した、
そしてそれならば…
俺の手間が最低限になるようと考えた。
だだでさえ衰弱しているんだ…
そのオリゼが保存が利くように硬く焼いたパンを容易に嚥下出来るわけがない。
ただ調理場に置いてあるパンを持ってくるだけで、
食事の世話を焼いたと見なせと言っている…了承出来るわけがない
「本当に素直じゃないって言っていた理由が身をもって知れた。
…成る程、キナーゼのアドバイスは正しい…こうして脅さないと己の事を大事にしない訳だ」
「充分大事にしています」
「ならきちんと食べるつもりだったか?
コック長の役目のやつらに聞いた、最近忙しくなってから食事を録に摂っていないと証言はとれている」
「…食べていますよ」
「食事の時間が合わない人に向けて何時でも食べられるように用意してあるパンとチーズだけだろ、いつもそれを少し口に程度とラクターゼ達は言っていた」
「食べていますから宜しいでしょう?」
きちんと食べるつもりだったと言わない。
パンとチーズを少しだけ…
食べているとはいえ、それではオリゼ自身も満足に食べているとは言えないと分かっているからだ、
だから論点を…話をずらす。
そもそも俺が、
皆が…お前が食事を満足に摂っていないことも知らないとでも思っていたのかと、
お前のその誤魔化しで納得すると思われていたと感じて、
珍しくも頭に血が上ってくる
「…食事休憩まで減らしている、それでも充分大事にしていますと言うか?」
「休憩や食事を抜いている訳ではありませんし、
それに皆も同じようなものですよね?」
「…まあ良い、持ってくるから待ってろ」
腹が立った
本気で自身を労っているとでも言いたげ…
これ以上会話を続けても埒が明かない。
そう判断して
未だに諦め悪く…俺を押し止めようとする気配を無視して部屋から出ていった
…
…
「ほらよ」
「パンで良いのですが…」
目の前に
差し出した器を一別してオリゼは顔を背けた…
パンなんて持ってくるはずはない、
まさかとは思ったが
オリゼは俺が言われた通り、パンだけを持ってくるとでも本気で思っていたようだ。
呆れた…
キナーゼが心配するのが分かる
「馬鹿なのか?…暖かいスープは今のお前には必要だろうし、パンより消化の良い物が適切だ。それとな、"皆も同じようなものですよね?"とお前は言ったが、忙しくてもお前ほど簡素に食事を済ませている奴は居ない。
そしてその時間を取れるように配慮してきたのはお前だろ」
「…貴方は世話焼きではないのですよね?」
確かに世話焼きではない
が、少なくとも恩を受けっぱなしにするような人間でもないが?
…それに大した事もしていない
「そんな大層なことではないだろ…俺は少し手を加えて持ってきただけだ。冷める前に良いから食え」
「…」
「気付いてないとでも思ってるのか?
終わらなかった作業が引き継ぎの際、お前が俺やキナーゼに伝えることがないのは…押した分はお前が代わりにその分働いて賄っているから、その逆はあってもだ…」
「…」
「お陰で皆、まともな食事位取れている。
だから食べろ、今くらい…芯から温まらないと疲れも取れない」
「…分かりました」
無言で乗りきろうとするオリゼに…
言外に、体が冷えきっていた原因を知っていると言葉強く言えば仕方ないとばかりに漸く俺の手から器を受け取る。
自身の分も食べながら、オリゼが蓮華を取り口に含んでいく様子を確認しながらだ…
…
作り途中のスープ、
作業中の奴の横から分けてくれと、調理場で言えばあまり良い顔はされなかった。
どれくらいいるんだと聞かれ二人分と、
オリゼにも持っていくと言えばその表情は一変した…
話し掛けた一人だけではない
周りの奴等もだ。
俺の言葉を聞いていたのだろう…
各々の作業を一旦止めて、わらわらと…人が集まって取り囲まれた。
何が必要だと聞いてくるわ、
オリゼに何かあったのかとこぞって聞いてくる始末。
更に何を作る気だと問われ、
ベースのスープに手を加えて雑炊をと言えば材料がいそいそと用意される。
作っていれば…
何人ものポケットからは私物であろう甘味をオリゼに食べさせてくれと握らされた。
キナーゼの担当時間の奴等にまで慕われている…
それほどまでオリゼが皆の事を考えて動いて感謝されているという何よりの証拠
同時に心配もされているんだろうがな…
…
…やっとか
食べるのが遅い、な
最後の一匙だろう…器を傾けて掬う動作を見て思考を止めた。
ゆっくりと、きっと胃に馴染ませるように食べているのだ…
少し時間をかけて食べ終わった器をオリゼの手からむしりとる。
茫然とそのままの形で…
その空になった手に、ポケットから次々と預かった甘味をもっさりと積み重ねて置いていく
「…あの」
「受け取れ」
「…」
「俺の菓子じゃない、調理場担当の奴等から無理矢理渡された。食べさせてくれと頼まれてる、流石に今…全て食べろとは言わないが…」
困惑した表情が、
…マロングラッセか?
それに視線が止まって次第に明るいものになっていく。
…どうやら好物らしい
「そうですか、ならば今は1つだけ頂きます。
それと…御馳走様でした」
「…あ、ああ」
それ以外をサイドテーブルに置き、好物らしいそれを口に運ぶ。
花が咲くように綻んだ顔に
…目を見張った




