昇級13
ぎぃ…
「大人しく出来てるみたいだね?」
「…ごめ…なさい」
閉ざしていた扉を青龍に開けさせれば、
大人しく…
いや愁傷に正座をして謝罪しながら頭を下げている姿
聞くまでもないが…
さて、何処まで理解が進んでいるのか。
そして…それについて己を省みる事は出来ているのだろうね?
「反省は?」
「…迷惑を掛けました」
とても言いにくそうに、
それでも膝の上で硬く拳を握りしめながらも言葉を絞る弟
てっきり…黙りこくるかと思っていた。
普段ならばそうして逃げようとすることも自制して…言わねばならないことだと理解して口に、言葉に出している
少しは…ましになったか?
こうして意固地な愚弟がそれを口にしやすいようにしているとはいえ、
少しは成長したのかな?
「何故、迷惑を掛ける事になった?」
「正規の手順を踏みませんでした…
私はあの場で返事を保留し、現当主である父上に持ち帰りませんでした」
「おかしいね。
個人の意思表示を許される状況であったから、
オリゼはそうしたのだと…そう父上に書斎で言っていた。
だから問題は起こらないと、迷惑を掛ける事にはならないと判断して返事を保留し持ち帰る事なく返答したのではなかったのか?
ならば…今お前が言ったことは反省する点にはならない」
緩く、
ゆっくりと横に頭を振りながら否定する姿。
その様に
オリゼが己の失言したことに対して…隠し伊達はするつもりはないと汲み取れる。
そう…
この会話だけを見れば齟齬はないし確かに筋は通る。
が、事実は違う。
事実が、前提が違えばその筋は通らない、
そもそも弟は嘘を…ついているから、だから反省点となるのだ…
それを分かっていて、
知らない前提で話を進めてやる。
さて、
オリゼ…どう出てくる?
「…その相手方の"個人の意思表示を許される状況"は確かにありました。
そして返答をしたことも事実です」
「お前の理論では、
それについては反省点にはならないのではなかったのか。
俺はそう言った」
ここまで、か…
眉間に皺がよっていく。
誤魔化さずに口にすると思ったが…少し買い被り過ぎたようだ。
論点を意図してずらしている…
嘘をついたこと、
それについて言及せずに反省していると言うつもりか?
言うつもりはないのだろうか?
にしては…
少しこの覚悟を垣間見れる口調や態度に違和感を覚えるのだが…
「…その通りです。
ですが、理屈ではそうであっても…口約束です。
相手方がそれを許可しない上で私が断ったと主張されれば家に迷惑を掛けることになります。
事実を知るのは…当人の私達、
そして…私の身内の兄上だけですが、兄上は…足りえません。
その相手方の主張が間違いであると知り得る証人に、
…利害関係にない第三者ではないために…
真に私の嫌疑を払う証人の条件を満たさない、なりえません。
そのリスクがある以上、その理論は…私の理屈は机上のものでありました」
「そう…それで?」
「その上、虚偽を申しました…
私はその許可の前に、
その令嬢とは明言を避けたとはいえど、返答をしています。
拒否の…個人の意思表示を独断で言葉に出してしまいました、
…誰とも結婚する気はないと。
その令嬢と…とは明言して言ってはおりませんが、
許可以前に断ったことと同義であることには…違いはありません」
「…つまり?」
「っ…嘘を、父上に言ったことになります」
欺いた…
その背徳感に心が揺らいでいく。
太股に落ちた視線には
強く、
硬く握り締めた己の手によってズボンにより一層皺がよっていく…
「ならば…確かに反省点となるべき事だね」
「…はい」
嘘をついた事を兄上からは責められはしなかった…
知っていた上で、
それを追及する姿勢がみうけられなかった。
つまり、
嘘偽りをしたことに関して…此方から言い出すことを兄上は望んだのだ。
惚けることも出来た、
が…それでは誠意を尽くせない。
そもそも反省点が…謝る理由がなくなるのだ、
…そして謝罪はただの保身の為に紡いだ安い言い訳に成り下がる。
論点をずらして反省したと主張しても良かった。
が、そんなこと…
迷惑を掛けたのだ…出来る筈がない。
言い出したくなくても、
どんなに情けない自身の声が耳に入ろうとも…言葉に出さなければならない。
そう、
ずっと暗闇で己の心に言い聞かせて…
事実だけを、
自身を養護する感情を抑えて口を開いたのだ…
「そうか…食事を用意させた、
格子越しではあるがちゃんと食べなさい」
「っ…」
「返事は?」
「…ぐ…っ…はい」
…裁決は?
おかしい、思っていた反応と違う…
変わらず、
問いかけの…詰問の声は遠い…
手を緩める気はない、
そんな意思を感じる厳しいもの。
開口一番。
その声音だけで判断はついた…
…霞んだ視界で表情が分からなくても、
どんな顔をして言っているのかは…一声で直ぐに理解出来た。
そして、
今もそれは変わらない…
…言わねばならないことは、
考えが及ぶ限りの…反省すべき事は全て言った。
それでも、
此処からは出すには足らないという兄上の判断
裁決は下らない…
それにまだ至る条件を満たしていない?
…何故?
これ以上、俺は何をした?
何を…
…
「…青龍、食べさせてやって」
「畏まりました」
待てど暮らせど…
開いた扉は1枚だけのまま。
判断は、結論は変わらない…
食事の際ですら、
この冷たく重厚な格子扉を兄上は開くつもりもないのだ…
口調は穏やかでも厳しさは含まれたまま。
出来得る限りの言葉も反省も尽くした、
それでも…
謝っても許してもらえない様子に、もうどうして良いかわからない。
「御食事を」
「…うん」
扉の前で控えていた…
兄上の指示通りに青龍が料理を格子越しの床に置いてしゃがみこんでくる。
声かけも…玄武のような優しさはない、
ただの業務の一環として…格子の隙間から差し込まれた匙を含むために、
身体を起こして冷たい鉄を掴みながら食べ進めた…
…美味しい
食欲なんて湧かない、
そんな風に思っていた。
喉なんて通らないなんて思っていたのに現金なものだ…一口食べればえづく事もなく匙を次々に含んでいく様に身体は、
喉も口も…胃ですら動く…
上半身裸のまま横になっていた、
煉瓦で底冷えした体に暖かいスープは胃に染み渡ってくる。
が…
その様子を、
やはり遠くで椅子に座りながら観察する兄上の目線は…
光に慣れた、
この視界に映るその視線は…
とても怖い…
普段ならば、こういうときは自ら扉を開けてくれそうなもの。
どんなに怒らせた時でさえも…
兄上は食事の介抱は自らの手でしてくれる…のに…
…何か、見落としている?
いや…やはり、俺の反省が単に足りてないのか?
暗闇のなか考えに考えた、
反省するまでと言ったのは父上の苦労を推し測れと言うこと。
己の行動の結末を考えて動けと言いたいのだと。
…理解が、
反省が…まだそれが十分でないと判断しているのだろうか…
父上からの叱責が無かったから…
了承するようにと返事に強制力がなかったから…大したこと無いと思っていたのは確かだ。
…でも、普通に考えれば
ただ事で済む筈もない
その上で俺の前言まで撤回しに行った…
泥を塗る上に泥を塗りにいくことと同義。
父上がどれ程の無茶をしたのか、
同じ爵位ですら難しい事を…格上の家柄にしたのだ。
それくらいまでは
分かった…
口直しに水を含まされながら、
頭を悩ませてもそれ以上反省すべき点は思い付かない
そして、
まだそれについて反省していろと言うならば…
この責は重いと、
まだこのまま此処に座して居ろと言われればそれはそうかもしれない。
が、反省する事は理解した…そしてしている。
ならば…
少なくともこの責の内容について、
処断についての提示は…このタイミングで兄上によって下される筈。
…でも、
それすら兄上は口に出さない。
食事の後でも言う気配は無さそうだ…
問題は貴族家間の問題に進展し掛けたこと。
それが叱責されている原因
後は…判決が下る…そう予測してした…
…まだ、
何かあるのか?
反省する事が?
…わからない、
分からない…
どうしたら…
…
…
本当にこの愚弟は…
鉄格子を握り締めながら、青龍に匙を口に入れられるまま飲み下していく様子に一旦は眉も下がる。
が、
始終その弟の目は泳いでいる…
反省しろとは言ったが
そもそも反省すべき事の理解に至っていない。
…充分で無いことは一目見ればすぐに察した。
何故まだ許されないのかと、そう思っているのだろう。
このまま時間を置き続けても良いが…
その答えにたどり着く迄には数週間でも足りなさそうだ。
「オリゼ」
「…はい」
最後の一匙、
それを食べ終えたことを確認して声を掛ける…
此方に視線を向けてきている事には気付きながらも、
食事を終えるまでは何も言わないと決めていた。
どんなに怒っていても…
オリゼの、
…その食欲が削ぐことを良しとは俺は思わないからね。
「オリゼのあの行動の理由も聞かず、父上は立ち回ったんだよ?
それも家の駒に利用することも、詫びと対価として差し出することもなくオリゼを守った。
その上で、お前は何て言った?家の為ならばその身を差し出すと言ったんだ、父上の気持ちを愚弄するにも程があるね?」
「…う」
(再三、聞き出そうとしてきた理由が今問われているのか?
…結婚を断る、その理由が?
まさか!
それを俺が言わない事が…
此処から出すには足らないと、判決が下す判断がされない原因なのか?)
なんて…
そんな考えが今、オリゼの頭の中を駆け巡っているのかもしれない。
…反省しているうちに、
論点がずれて言ったのだろうな。
理由を言わないからこの状況に至ったことを、
…提示されていたその事をすっかり失念していたと…その顔に分かりやすく書いてある。
「その上で、俺が父上の代わりに何故そうしたのかと…確認するために鞭打ってまでも謝るだけ、聞いても理由を答えない。
俺は確かに厳しくしているけれど…まだ優しい方だ。
父上が多目に見て直接手を下さなかったのは、俺に任せたのは…温情だよ?」
「…っ」
動揺が走る顔、
潤む目に下がる眉…
そんな弟に畳み掛けるように告げれば更に怯えるような表情に変わっていく。
先程の、
俺に甘えるような視線は何処にもなくなった。
それについて考えが至っていなかったと、
理解が…反省が足りていないことを自覚したようだ…
…
うん、ここ迄来れば…
「分かったなら、言うことがあるね?」
「…反省が…足りていませんでした」
「そうだね、それで?」
「扉を…お閉めください」
やはり素直に言葉を口に出す。
理由は言わずとも…がっくりと項垂れた様子に、
事の重大さが…漸く理解できたみたいだ。
意地も張ること無く、
しおらしい行動にそれが表れていると言えよう…
「…上出来かな?
反省すべき事をしないといけないね?
それと、今からジェイデンと夕食を食べるから物音を立てない方がいいよ?気付かれたいならそうしてもらっても良いけど」
「…っ」
「御返事」
「静かに…反省いたします」
もう泣きそうだ…
その証拠に声が震え始める、頭を下げないだけ…逃げないだけ可愛げがあるね?
そのお陰で、
目が潤み始めている…それが少し離れたここからでも確認できる
「そう、なら閉めるから指を引いて?
鉄格子を握ったままだと挟んでしまうから」
「は、い…兄上」
珍しく従順な愚弟は、
どうやら本当に内省し始めたらしい。
俺の言葉に反抗することもなく…
格子から離れ、
身体を横たえる。
その煉瓦に侍った姿を確認してから、青龍に合図を出して扉で再び閉じ込めさせたのだった…
…
ぎぃ…
扉を開ける音、
うつらうつらしていた意識がその音で覚醒していく。
開かれたお陰で室内の光が差し込んできて、
かなり眩しい…
何時間経ったか分からない、
この長時間…暗闇に慣れた目は急な明かるさには目を開けていられない。
「っ…」
…目が効かない
その代わりに手探りで、確認するも冷たい感覚。
…やはり格子扉は嵌まったまま、
どうやら…理由を言うまでは本気で開ける気はないようだ。
…
暫く…
目が慣れたところで視界を開いていく
「目は慣れた?」
「…!」
近くに、
完全に戻っていない視界でも…朧気に兄上が覗き込むようにして此方を見ているのが分かってびくりとする。
格子がそのままならば、
てっきり…
先程と同じで…兄上は遠くで椅子に腰掛けていると思っていたからだ。
「さてと、理由を聞こうか?」
「…兄上」
「言わないなら反省出来ていないと判断するだけのこと…
理由を言うか、扉を閉めくださいと願うかどちらかしか選択肢は用意してあげていないよ?」
「…理由は言えません」
「そう、ならもう1つを言うしかないね?」
「…っ」
「オリゼ、どちらも言わない事は許していない」
「扉を…閉めて下さい」
「そう、残念だよ…手、出して?」
「…はい」
チャリ…
「?なっ…」
少し明るさに慣れたと
手を差し出しながらも、その金属音にうっすらと瞼を大きく持ち上げて見てみれば…
兄上の手に握られた、
キラリと光を反射したものに目を見開く。
反射で、
手を引こうとしても、既に遅かった…
兄上の大きな手で捕まれて為す術もなく嵌められていく。
冷たい…重い…
嵌められれば離された手…
試しに腕を引き抜いてみようとするも甲斐がないことは一目瞭然…
重厚なその代物に顔から血の気が引いていく…
それも…
手は格子から出したのだ。
その状態で手錠が嵌められれば…接合部が格子に引っ掛かって…
「間違っても暴れないでね?オモチャじゃない…軍用の遊びも少ない物、大男でも外れない仕様は過剰かと思ったけれど…
でも、窮屈なくらいが愚弟には丁度良いと思って用意したんだよ」
「…左様で御座いますか」
「それと、眩しそうだったから目も塞ごうね?」
「…っ」
「オリゼ?」
「御好きなように…」
…
確認するも、
やはり嵌められた手錠は言われた通り遊びは殆ど無い。
鎖ではなく蝶番のようになっていて…
切ることも、手を角度をつけて回すことすら出来ない。
その手は格子に引っ掛かって固定された上、
青龍に後ろ首を引き寄せられて捕まれて身を後ろに逃がすことも敵わない
動けない…
そんな状態で、
格子を通して目に映ったのは布等と生易しい…物ではなかった
…
視界に近付けられた、これまた凶悪な代物にもう寒気すら覚えてくる。
革製の額から鼻先迄覆うような形状、
手際よく回しつけられて締め付けられる…終いには背後で錠までされた音が耳に付いた
ギィ…
「やはり視界を封じるとオリゼは大人しくなるね?」
「兄上?その…閉じられるのは…」
呆れ混じりのその声と共に、扉の軋む音が聞こえてくる
また閉められるのか?
塞がれていない耳に、閉じられようとしている扉の音が聞こえ始める…
この状態で閉じ込めれるのかと気付き、
必死に言葉を探す…
なれど、
回避する手立てを考えてみても、
思考は正常に働かず言葉に詰まって…
「理由も言えないオリゼの意思に俺が従う理由はないね。
それと閉めろと言ったのは誰だったかな?…危ないよ、閉めるからてを、内側に収めなさい」
「…は、い」
「そうそう…言えるようになるまで拘束は加えていくからね?
勿論口は最後だけれど…そうなればずっと此処にいることになる…何も言えなくなるんだから仕方ないね?」
制止する言葉をかけても、
邪魔になるだろうからと握り締めた格子も…
言葉ひとつで否定されていく。
閉められないようにと、
…力なく握りしめていた格子から手を離せば、
風圧と共に閉め際に言われた言葉の意味が押し寄せてくる。
その重い言葉に、
何も考えられなくなった…
…
…
横になり暫くすれば、
そんな楽しそうに笑う弟と兄上の声が聞こえてくる
その暖かい空気は鉄の扉で遮断され入ってこない。
ジェイデンの、
兄上に向かって…きっと太陽みたいに笑っているだろう顔も見ることは出来ない…
「…ジェイデンはお利口さんだね?」
「ん?
あまりいつも…ぎょうぎ?よくないって…おこられる」
そうだ、
俺とは違う…
利口に弟は振る舞っていた…過ちも失態を犯すことなく式で行動した。
「そんなことないよ、
ほら沢山好きなものを用意したから食べて良いからね?」
「ほんとうに?」
「御褒美だからね?
遠慮しなくて良いんだよ?」
…兄上の優しさは弟にだけに。
俺には向けられない、叱責を与えられているからだ…
褒美なんてない。
招待客に…無礼な行動を、父上達に迷惑を掛けたのだ…
その上で嘘偽りを言ったのだ。
…反省だって出来ていない
心配して何度も問われても、
その行動に起因する理由を聞かれても言えない…
そんな俺に兄上は誉める要素なんてない。
「ううう!
これ、おいしい…ほっぺた、おちちゃうくらいに!」
「ジェイデンは素直でいいね…
喜んで貰えて良かった、ラザニアは口に合ったかい?」
…素直、
ジェイデン"は"素直で良い…か
どうせ俺は素直になれない。
素直になれないから…悪いのだ
…
…
戒められた金属の感覚が重く心にのし掛かる。
格子に繋ぎ止められた手は、
その金属音が鳴り響かないように寸分たりとも動かせない。
不快な音を
弟に聞かせて水を差すことはあってはならない。
兄上と弟の楽しげな会話が…
笑い声が絶え間なく聞こえてくる。
それが此処に聞こえてくると言うことは…ここの音も響いて外に聞こえるのだろう。
静かに反省していろと、
そう兄上が俺に言ったのは…
弟に、この無様な姿に気付かれたく無いならば物音を立てるなと言いたかったのか…
この暗闇に慣れた目で見えるものは薄暗い煉瓦位のもの、
…それすら封じられた視界では今は見ることも敵わない。
冷たい…
寒い…
次言わなければ、兄上は本当に此処から出さないつもりだろうか
今反省を促されているのは
"迷惑を掛けたこと"
"嘘をついて繕ったこと"
…そうではない、
それについては父上からの詰問と青龍からの痛み、
そして先程俺がそれを吐露したで事で済まされた…
そう、問われているのは
"心配をかけていること"だ
何か口に出来ない理由があったからこその行動、
言い出せない俺を心配して聞き出そうとしてくれている…
今後同様の事が起こらないようにと、
未然に防ぐためと、懸念を払うためだとしても。
…それの行動起因は、
父上達の…俺への優しさが根底にあることは…気付きたくなくても目を瞑っても感覚的に分かってしまう。
兄上が怒っている原因、
父上が兄上に引き継いだ意図が分かる。
完全に理解が至った…
だが理由は変わらず言えない…
心配を無下にして反省も言葉に出来ない、
決して出来ないのは…意地でも天邪鬼だからでもない。
そんな俺には…
口すら要らないと見なすのだろうか?
「…っ」
今更になって言える筈無い
家庭を持つよりも、
自由奔放に生きるつもりだと…
自身の衣食を最低限賄えるだけの金銭を稼げれば良いと、
他国に行って色んな物を見てみたい
ギルドの依頼でも少しの足しにはなる
野営でもしながら、旅でもしてみたいと…
そんな理由を言える筈、
…そもそも無いじゃないか!
嘘を言えばバレるのは分かっている…
繕えば良いと思うが決してそれでは納得してくれないだろう事も…知っている
どうせ言わされるならば、
こんなことになる前に言えばよかった。
…言えなかったら、
此処から出されず朽ちていくのだろうか…
それでももう構わない
言うタイミングはもう逃した。
何かのっぴきならない理由でもあれば別だが、
ここまで大事にしてしまった空気の中些末な理由では…言う勇気は無い。
こんな夢物語の、
空想に父上がどれだけの苦労を強いた?
兄上は…
こんな馬鹿げた理由を聞けば呆れるに違いない。
…もういい
どうせ
頑張ったところでたったひとつの式ですら何事もなく乗り越えられなかったんだ。非礼も父上にも家にも迷惑を掛けた…
なら、もういい…
兄上も弟を可愛がっているようだし…
弟もこんな不出来な兄より、
俺よりも…兄上の方が良いだろう…
それで、
それが良いだろう…
…
…
もう二時間経つか
そろそろ口を開く気になった頃だろうと扉を開ければ
様子がおかしい…
口を開く所か、
なんの反応も見せない
「…オリゼ?」
「言う…つもりは御座いません。お閉め…願えますか」
「…なら、足を出して」
「はい」
「首も出そうか…そう、そのまま」
「っ…」
感情が無くなったわけでは無さそうだ。
格子に手を入れて、
オリゼに拘束を施していく…此方側に寄せた小さな足首に、
そして…床から少し上げた首に金属の首枷を嵌めても
何の文句も言わない…
ただ、
俺が嵌めやすいように身体を動かしている。
おかしいね…
確かに…素直なのは良いけれど、
これは少し違う。
これは…意地で言わないんじゃない。
もう反省しているというより、何か思うところがあって…理由を言えなくなったのかもしれない
何もかも呑み込んで、
殻に籠っている
頑固なのは良いけれど、これは少し…重症かな
…
…予定よりも早く、
扉を開ける。
静かにしていろと今回は言わなかったのにも関わらず、
金属音が全くと言って良いほど響いてこなかった…
抵抗もしない、
大人しくただ閉じ込められていることを受け入れている様子に不安になったのだ
「…もう言う気になった?」
「お閉め…ください」
弱く、
それでいて決めていたとばかりにおれの問いに間髪いれずに答える様。
ぐったりと身体は横たえられたまま、
戒められた手は上に固定されている為か…血色が良くない。
…血があまり通っていないのだろうな
揃えられたままの足首に、
冷たい首もと…
光すら入らない、
全く効かない視界では辛いだろうに…
頑固、だね…
「そう、ならこれが最後。
それでも良いと言う返答と受け取るよ?」
「は、い…兄上」
「そう、本当にその口要らないみたいだ…仕方ないね、オリゼ」
「…」
「もう開けることもないよ?
選択肢はもう何も残っていないのだからね」
「…」
脅したつもりだったんだけどね…
泣く様子もない。
心に決めたらしい、
そう、何も言わないって?
口を塞ぐ前から、無言を貫くのか…
「うくっ」
脅した通りに口を覆ってやれば、
ピクリと反応はする。
だが、それだけで大人しいものだ…
枷でがんじがらめになって…
それでも、良いと
そこまで自身を痛め付けてまで…
それでも言わないと言うことは、手法を変えるしかないか。
怯える所か、
死にに逝くような覚悟をしているようだった
…
もう死んだのだろうか…
柔らかい…
暖かい
そして暗くない…
目を開ければ、兄上が優しい顔して此方を見ているのも
もう…現実では有り得ない事だ
「起きた?」
「っ!?」
「夢でも死後の世界でも無いよ?」
「あ…あ」
「…声、出ないか。
仕方ないな…暫くこうしてあげるから落ち着いてね?」
「っ…あ」
頭を撫でてくる手が暖かい、
吃音しか出てこない俺を責めることも急かすこともしない
もう、
今生でこんな扱いを…
扉越しに聴こえてきた、弟と…兄上の楽しげな夕食の空気。
きっと暖かい兄弟のあのやり取りの中には入れないと思っていたのに
あんな扱いは…兄上からもうこの身は受けることなどないと…
そう…諦めた筈なのに。
言えないから、
理由は…恥ずかしくて言えないから諦めたのに…何で?
何で優しくしてくれるの?
あそこから…なんで出してくれたの?
「大したこと無いなんて言わないから言ってごらん?
大義があるとか、名分を負っているなんて思っていない…
それはオリゼにとっては大切なことでしょ?
それを全てではなくとも尊重しようとした父上も大概だよね…貴族の当主としては間違ってる、そしてそれに賛同する次期当主もね」
「…ごめ…なさ」
「まあいいよ、そもそもあのまま閉じ込めておく筈無いじゃない。途中から変な覚悟したみたいだけれど…」
「…や」
「言わなくても良いけれど…」
頭を撫でながら、
俺が落ち着くように扱ってくる手に身体の無駄な力が抜けていく
…言わなくても、
済む?
理由を言わなければ…
俺が反省していないと見なすのではなかったのか?
そんな引き際、
兄上らしくない…
中途半端過ぎる…
「ここまでだよ?本当に此処まで…
後は父上に、明け渡すしかない…もっと言いづらくなるよ?」
「っ…」
…やはり、
俺の疑問に答えるような宣告。
今後の懸念を、
俺が失態を犯す要因を把握しなければと当主が動くのは当然
兄上に聞き出すように、
手を緩めてくれた。
兄上に…
当主としての行動の他に心配だからこそ聞いているのだと気付かせるように差し向けた。
…この、
温情に…今此処で理由を言わねば…
父上からの
直接の厳しい叱咤と問いつめが待っている…
それに耐えられる訳がない、
結局言わされるのであれば…素直に言えば…
「…旅でもしようと、
家庭を持つよりも世界が見てみたい。金銭を稼ぐのも僅かで良い…そんな身軽な庶民になってみたかったのです」
「そう…それは確かに楽しそうだね?
笑わないよ、夢物語でも現実的でないとしても…」
「…申し訳ありません」
…下唇を噛み締めながらも紡がれる言葉
言うより仕方ないと漸く分かったのか…やっと理由が聞けた。
長かった、
どうしてこの位言えないのかなあ…
そもそも父上がああして行動したことで、
これくらいの理由を聞いたところで怒るわけもない
それなのに、
殻に籠って拒絶して…
「やっと口を開いたね…
でも、俺が口を塞いだままにしていたらそれも言う気になった時…オリゼは言えなかった。
食べ物だって食べられなかったんだよ?」
「…?
それはそうでしょう、あの状態で経口摂取出来る筈がありませんよね?」
何を言っているのか、
至極当然に栄養が摂取出来なくなると答えた愚弟。
何で俺が、
こんな易しい質問を投げ掛けたのか…理解が繋がっていない証拠だ
「…ねえ、また死のうとしたよね?
オリゼは俺のこの手で弟を殺させようって言うの?
結構残酷なことをさせようとするよね…それともそこまで頭がまわってなかった?」
「…っ」
その考えは無かった
目を見開くオリゼに溜め息が漏れる…
身内殺しなんてさせようとする、その行為そのものだと気付いたようだ
あのまま、
口を塞いだままの状態を受け入れる。
その行動は…餓死に、
俺にオリゼの命を奪わせる行為を許可させたと同じ事になる。
「…深層心理では、
無自覚だったのだろうけれど…少し考えれば己の行動の結末を想像出来た筈だ。
いや…考える事を本能的に避けて、オリゼは自殺しようとしていたんだよね?」
「はっく…っ」
そして、
身体を固く硬直させる…
罰でも与えられるとでも思ったのか、ここ迄衰弱している弟に前回したような魔力を当てるようなことはしないんだけどねえ…
硬直が収まれば次は身体を丸めて…胸を庇うように縮こまる、
ガタガタと震え始めている…
ああ…あれか。
胸に手を当てて、
魔力圧を掛けられるとでも思ったのか…確かに前回はそうやって言い聞かせたからね…
「…魔力圧を掛けられるとでも思った?」
「っく…う」
「しないよ。
こんなに可愛がってるのになあ…
どうして直ぐにそうしようと思うのか疑問でなら無いよ」
「…?」
「俺の手の内でどうにかなる事だからまだ良いけれど、
いや…それは逆に許しがたいけれど。
…そもそも二度はないって言った筈なんだ、命を粗末にするなって俺が言ったことを覚えているから謝ったんでしょう?」
「…は…ぃ」
もそもそと掛布に潜り始める弟に、
苦笑が漏れる…
俺、結構怒っていたんだけれどな。
こんな様子では責める気にもならなくなるのはどうしてだろうか?
…
大義名分もない我が儘な理由でと思ったのだろう
それくらい父上も俺も感付いていないとでも…
変なところで頭は回るのにね?
父上や俺に手間をかけさせたと自念でああなったことは分かったから…
そして俺に手を下させる意図など、
毛頭なかったことも…
「…はあ…一日、俺の言うこと聞けるなら許してあげてもいいよ?」
無意識であれど、
その命を諦めた事…
自殺しようとするなんて、
二度はないと言った筈なのにと怒りが沸々と湧いていたが…
「兄上?」
「どうするの?これでも怒ってない訳じゃないんだ」
「…聞きます」
「そ、ならまず湯あみしようか、
狢が心配していたよ?待っている筈だから怒られなさい」
「承…知しました」
「素直…狢が自身を責めてたよ、
指示とは言えど、オリゼがああなっている間寝ていたなどとね」
「っ…分かっています」
「父上にも謝れるね?」
「はい…」
「ジェイデンにも謝るんだよ?
あれだけ楽しみにしていたのに、姿も見せず断ったんだから」
「…」
…何?
また天邪鬼が復活か。
俺のせいでその約束が反古にされたと?
謝るのは自分ではなく俺だとでも言いたそうな生意気な目…
早すぎるね…
それに、そもそも俺が悪いことじゃないでしょ?
…
その責めるような、
恨めしい視線はオリゼから俺が向けられる筋合いはない物だよね?
「断ることになったのは俺のせいだって?
…違うよね、反抗したオリゼが悪いんじゃないの?俺に暴力を振るってまで…結構痛かったんだけどな?」
「…済みません」
頬を軽くつねれば、
その生意気な目は閉じられて…天邪鬼の気配も無くなっていく。
本当に…手の掛かる弟だ
オリゼがこうして直ぐ素直になれないのは…
昔からなんでだろうかと考えてきた。
今では…
その思考回路も気性も分かっているから俺や父上達も、
そして屋敷の者も程度に違いはあれど理解は出来るようになっている。
が、
それは子供だから許されること。
家族だから…そして雇用主の息子だからだ。
オリゼが将来…
何になって身を立てるのかは知らないけれど、
この性格や行動は…
上役から良く思われない処か仕事に支障をきたすことは想像に難くない。
だからそれもあって直して欲しいんだけどね…
なかなか上手くはいかない様だ。
…でも、
今はそれよりも宥めて甘やかす方が先決かな?
顔を枕に埋めて…
寒くない筈なのに、布団の塊が小刻みに震えている。
恐怖で押さえつけて矯正するつもりも傀儡にするつもりもない、
こうして萎縮させるのが目的ではないから…ね?
…
「貴台?」
「狢…後は頼むよ。
それとオリゼ、湯あみしたら部屋までおいで?」
「…はい」
部屋まで呼んでいた、狢が能面のような表情をしている
…あれは相当御冠、
まあ、それも薬になるなら仕方ないね。
ベットから引き剥がされながら運ばれていく姿に、
また、溜め息が漏れた




