進級6
…
「…で、オリゼ?」
「はっ…は…」
喉が、痛い
呼吸するために…
身体が酸素を求めるせいで息が上がって辛い…
浅く激しいそれのせいで、
胸が上下に短いスパンで動いている。
ラピスに続いて、
オニキスにも手厳しくやられて地面に仰向けになっているのだ。
「オリゼ?」
「…っぐ、な、んだ…?」
オニキスは水分補給の為だろう、
倒木の方に俺に構わず歩いていった…が
代わりに近付いてきたラピス…なにか、用があるのか?
俺が返事を出来ると、
このざまを見れば分かる筈なのに…返答をを急かしてくる。
薄く開いていた目を開けて…
掠れた、
途切れ途切れになりながら
呼吸を整える俺を上から見下ろし、
妖艶…いや、
残忍な笑みを讃えてくるラピスに顔がひきつっていく…
確実に宜しくない予兆だ…
「負けたよね?」
「っは…負け、たが?」
「テスト最終日、午後は何もない。
オリゼは一つ選択講義のテストがあるけど、それが終わってからでも半日空く筈だよね?」
「ああ…それ…が、何だ?」
「俺とオニキスと遊んでもらう、夕食までの時間なら構わないよね?」
「…っ」
要求…って、
それか?
一旦テストが終われば、休息を取ろうと思っていた。
夕食後までならば…疲れた身体も早く休ませられる、か…
酸素が欠乏した頭で考えを巡らせていく…
テスト返却を兼ねた講義も模範解答を配られるのもテストの翌日から…
通常より短い講義時間だ。
正誤のチェックも、見直しも…やるのはその翌日からだな。
…五時間程度、
勉強することがないとは言わない…
何の予定もなければ侍従の指南書でも読もうと考えていたが…
それなら、
休み前に時間を捻出して読める…
だから、こいつらに付き合う位…
毎夜、こうして手合わせだって協力してくれている、
オニキスもラピスも…
半年、俺を遊びに誘うことはしてこなかったお前が…お前らがそう言うなら
「まさか…二言はないよね?」
「はっ…は、…ない、な」
勝負に負けただろうと、
俺に二枚舌は持たせない、要求を飲ませる…
そう意思が込められた様な
圧力のある視線を見返しながら断言すればラピスの目に温度が戻る
満足した様だ…
それくらいの事を俺が飲まないと思ったのかと呆れ、
これで事は収まったかと気を緩め掛けた時だった
響く笑い声、
圧し殺し損ねた笑い声…
「…くくっ、ラピス」
弛緩仕掛けた、
この場の空気が張り詰める…
俺から視線を外して声の元を睨むように見つめるラピス。
その視線を横たわりながら首を横に向けて追えば
何て事はない、
抱腹絶倒する勢いの笑いを噛み締めている…
いや…圧し殺すことに見事、失敗している悪友が一人…
「何、笑いどころないよ…?」
「いや…くっくくっ…だってお前のその悪役顔と台詞が合ってないなと、そう思ったらな…くっ…」
「あのね…人のことそんな風に言って笑うもんじゃないと思うよ、オニキス?」
倒木に腰掛けながら笑い続けるオニキス、
それにラピスが眉尻を上げて…いらっとしたのか…
不機嫌さを隠さない、
喧嘩…になりそうな雲行き…
それはそうか、
どうせこいつらは俺と遊ぶ確約が欲しかった。
俺がいない所で相談でもしていたに違いない、
疲れが見える俺を…
今日は手合わせを中止して休ませる、そして同時にせめて雑談でもと思っていたのだろう…
だからラピスが手合わせはしてやると、
俺の頑なな態度にオニキスとの算段を白紙にして手合わせをした。
その上、
その後のラピスの提案は雑談ではなくとも…議論をすることで俺の身体を休ませつつ、言葉を交わす…楽しむ場を確保するもの。
そして…
第一の目的も叶えた。
俺との遊ぶ時間を約束させるために、
ラピスは立ち回った…
…そう、
オニキスの為にも立ち回った、俺から約束を取り付けた。
その直後…
手を貸すどころか座したまま、その様子を笑われれば流石のラピスでも頭にも来るだろう。
オニキスに怒る気持ちは分からんでもない
愚弄されたとでも俺なら怒るだろうし…
オニキスも、困ったやつだ。
…
そもそもこのモードに入ったラピスを笑い続ければ経験上、あまり良い結末を迎えない事は分かっている。
それをオニキスも分かっている筈だが…
どうやら、
オニキスは変なツボに入ったのか…笑いが止まらないようだ…
そして抑える事も諦めたらしい…全く、やってられない
だが、静観も放置も出来ない。
ちっ…
ラピスとオニキスが拗れたら面倒なことになる、
笑いが止まる気配のないオニキスは今すぐどうにかなる兆しも、そして可能性も少ない。
ならば仕方ない…それならば可能性の高い方を取る、
多少暴論を振り翳しても…ラピスの方を止めるしかないな…
…と、
考えが纏まった。
さて…後はどうラピスを説得させるかと思った…その時、
視界にランタンの光が遮られる動き…
遂にラピスがオニキスに向けて足を進め始めたのだ
「ラピス、待て」
「っオリゼ…その手は何?」
「…オニキスと…喧嘩す、るつもりなら俺は止める」
不味い、
そう思えば咄嗟にラピスの足首を掴んでいた。
不愉快そうな視線をそのまま俺に向ける、怒気の籠るそれ…
それでも引くわけにはいかないと怯まずに言葉を継ぐ
「止めるなら…オニキスの方でしょ?」
「分かっている、し…オニキスを庇う訳でもない。
だがこれから喧嘩になりそうで…
それを止め…たいと考えた時、はっ…っ…どちら、に非があったとしても可能性の高い方を説得するのは間違いか?」
「…可能性?」
「そう、だ、可能性…が多い方に掛けただけの話。
なあ…オニキスが笑い始めたら止まらない時が昔…あっただろ、
その時…ラピスは激高したよな?」
「あったね。
でもそれなら…可能性は俺じゃなくあいつの方が高いんじゃないの?」
まだ息は上がったまま、
正直に言うならば…黙って呼吸に集中していたい。
それでも、
言わなければ…
口を紡がなければ…
…息を多く吸って少しでも乱れを整えていく
「いや…俺の手を振り払わない。
俺の話し、に耳を傾けて…会話も続ける。
あの時とは違う、お前は理性を手離してないだろ?
オニキス…の変なツボが消える、のを待つよりラピスが怒りを納める方が…よっぽど…勝算があるとは思わないか?」
「そうかもね、
でも…手を離して。オリゼに対しては怒っている訳じゃないからそうしているだけ、可能性はないよ?」
「ある…ね」
「…しつこいよ、オリゼ。
無いって言ってるでしょ…離して」
俺に掴まれた裾を見ながら、
軽く足を引き離そうと力を込めるラピス
それでも俺は、
指先に力を入れ…皺が出来る迄握り締める
「離さない、
…お前…も同じだろ、ラピス。
先程、俺に散々好き放題言ったこと、は棚に…棚にあげるのか?」
「…俺はオニキスとは違うよ」
「ふぅ…背景は違うが、表面だけ見れば同じだ。
俺を貶したことに違いはないだろ?」
「そうだね、
でもそれにオリゼは怒った…なら俺がオニキスに怒っても良いでしょ?」
「ああ…だが、
怒って非礼を犯し…た、俺にラピスは手合わせするだけで溜飲を下げた。
なら…オニキスに笑われたことも…
一回手合わせ、するくらいで…済ませられるだろ?」
「理屈は通る、
でもオリゼは俺に手抜きさせたくなくてそうしたんだよね?
…今、オニキスが俺を笑うことに納得出来る理由はない」
ラピスのオニキスへの強い視線は消えた、
振り払おうとする足の力も抜いた…
小康状態とは言え…理性が確実に戻ってきた。
辛い呼吸、
それを宥めながら水を差し続けた…
どうやらその甲斐あって、その危険な橋を俺は取り敢えずは渡りきれたようだ。
その状態をしかと確認してから
どの口が言うと、
散々好き放題俺に向かっていったのはラピスも同じだろうと言えば、不満そうに眉が下がっていく。
そこから推測出来るのは…
やはり…危険なモードは収まった、
オニキスと己は違うとは言っても…怒らないあたり、俺が指摘した事は違わないと分かってる証拠。
…頭が冷えればお前に分からない筈が無い、
そうだろ?
…
何を言うわけでもなく、
此処で会話を切る…
俺が呼吸を落ち着かせている間に、オニキスもツボを脱したらしい。
笑い声も収まり、
誰が口を開く訳もなく、
ただ少し湿って暖かい風が髪を揺らしていく…
そうしていれば心地よい疲れが出てくる、
ラピスやオニキスが言ったように一回ずつの手合わせで丁度良かったようだ。
…
さて…呼吸も正常、
最後の仕上げといきますか…
「ラピス…それでもオニキスに悪気はないだろ?」
「俺はオニキスじゃないから分からないな」
腕を組んで、
視線を俺から背ける…
…らしくねえぞ、
ラピス?
「おい」
「知らないね」
変わらぬ姿勢のまま、
背けた顔は俺だけでなくオニキスに対しても向けていない…
俺に一分の理があること…それを分かっている
だが…
…素知らぬ振りに否定だけ?
素直じゃないのはお前もか、ラピス?
本当は、
お前はもう理解しているだろ、
怒りも収められる状態になっている…
…それでも引かないつもりなのか?
…素直じゃないのは、
俺の真骨頂で十八番だ。
お前のものじゃない、ラピス…
「俺は…察することは、推し量ることも出来ない親友を持った覚えは無いな」
「ちっ…それ位、分かっているよ」
「なら無駄に怒るな、
ラピスが真面目に要求を俺に飲ませていることを茶化し、バカにしたわけではない…俺と遊ぶのはラピスだけでなくオニキスだって望んでいたことだろ?」
「うん、そうだね」
「きっと…変なツボに入っただけだ」
「…はあ…でも溜飲は下がりきらないかな?」
「俺はお前らが喧嘩して迄して、
取り付けられた約束では楽しめない…息抜きも遊びも出来はしないぞ?」
「…」
黙り、か
それも含めて俺の十八番だが?
ラピスらしくない…
でも、
こうして無言になるのは…その気持ちは良く分かる
だがそれでは何時まで経っても和解は、成し得ない
…ちっ、謝るしかないか
「ラピスが、オニキスに…我慢を強いた俺の我儘のせいで積もった気持ちが原因になったことくらい分かってる。
普通なら笑って済ませられることが大事になりそうなのも、
俺が悪い。…ラピス、そうだろ?」
「…違う」
ぴくり、
ラピスが肩を揺らした振動が手に伝わる。
不本意だろう?
目的の俺と楽しむ遊びの約束が切っ掛けに、
俺の非を責めることになれば…
「ならなんだ?」
「…オリゼを責めてる訳じゃない」
声が戻る、
怒りや負の感情が抜けてラピスの普段のトーン
…あと、もう少しだな
「知っている」
「…なら何でそうい「それでもそれが原因だ」…オリゼは悪くないでしょ?」
「いや、悪い…お前らに心配掛けて、配慮させて来た。
その我慢やフラストレーション…それが引き金になってお前らが険悪になれば俺は己を責める」
この意見は通す、
そもそも俺が我儘でこいつらとの時間を削ってきた…
その上それが要因で仲違いさせようものなら、
俺は俺を嫌になる
だから…折れるのはお前だ、ラピス
俺に気が引けると思わせながら遊ばせたくないのであれば…
此処でオニキスと衝突するな。
腕を解き、
ラピスの…此方を伺うように見下ろす揺れる視線を力を込めて見上げ返す
「そう、俺が怒りを収めたら…オリゼは己を責めずに済むの?」
「…全く、とは言えないがな。
己を責める刃が減ることは事実だ」
目を閉じる、
俺への視線を瞼を落として遮断する…
言いきった俺の決心は硬い、
此処でオニキスと衝突することが得策ではないとラピスは漸く思考を整理し始めた…のか?
溜め息混じりに、
オニキスへ顔を上げていく…
「…オリゼはこれと決めたら頑固で譲らない、
人の意見に耳を貸さない、そんな所が多い天邪鬼だよね…
でも…俺らを思っての事だと分かるから、仕方ないと済ませてしまうのはオニキスも同じ筈、ね…オニキス?」
「…まあな。だけど、言っていることは間違いじゃないだろ?
さっきラピスも好き放題オリゼのことを言ったのは事実だ」
「…」
「ラピス」
「分かったよ、オニキス。
さっき言ったことに間違いはないし…オリゼに悪いとは思わないけど。
今…自身を棚にあげたことだけは謝るよ、オニキス。
これで筋は通した…納得した?」
「くくっ…ああ、した。ラピス、笑って悪かったな」
「…いいよ、これだけまどろっこしく説得されればどうでも良くなるよ」
また、深い溜め息をつくラピス、
それをまた笑うオニキスに緊張を走らせた。
事態は収まった、
そう思って安心しかけた時のオニキスの遠慮なき笑い声に…
すそを掴む手に力を再度込めて、
ラピスに素早く視線を向けたが…
…その甲斐はなかった
杞憂…
それで済んで良かった。
振り返すことのなかったラピスの怒り…
良かった、今度こそそう思い安堵から一息つけば…
刺さる視線
ラピスは呆れた顔を俺に向けている、
もう…本当にどうでもいいと思って怒る気も無くなっているらしい
そして、
何心配してるのと、
今更…また怒るわけ無いだろうと冷えた視線を落としてきているのだ…
…はぁ
やってられない。
何故俺が呆れられないといけないんだ?
「…だとよ、
オリゼもこれで良いんだろ?」
「…まあ、な。
ラピスの悪口に対して、俺は剣を首に添えた…その時点であれは謝罪としたからな」
「…本当に素直じゃないね、
オリゼは謝るの、下手だから…なんとなくそうだとは分かってたけど」
オニキスの声、
俺から視線を外さないラピスを見返しながら返答すれば
…ラピスに呆れ返ったとばかりに、か…溜め息を突き返された。
まあ、当然の反応だ。
そう…
どんな事情があったとしても、
俺はラピスに正面からではなく横から首に剣を添えた。
俺とラピスが親友だとしても…
刃をつけていない練習剣だとしてもあまりに非礼な行為だ。
怒るのは当然、
それも身をもって受け止めた。
だからそれも含めて俺への散々な言い様と差し引き0にしようという意図
やはり…
こうやって後腐れなく、ラピスが振る舞っているのは…俺のその意図はやはり伝わっていたようだ
「ほら、いつまで寝そべって足首を掴んでいるつもり?」
「オニキス…と…手合わせ、するのか?」
「…しない、
だから手を離してよ…オリゼ」
「分かった」
…今度こそ、
ラピスのその要求に従って手を離す。
そうすれば軽く膝を折って頭上に差し出される手…
ラピスのそれを、
遠慮なくそれを掴み、起き上がった
…
「ふう…さてと、議題はどうする?」
立ち上がった俺を見たのか、
オニキスから掛けられる言葉…
その声にラピスと共に倒木へ足を向ける、
普段ならまだ手合わせをするところだが、今日は違う。
オニキスを挟むようにラピスと俺が隣に座り、
互いに腰を落ち着かせた…
まだ少し息の上がったままの…俺とオニキス、
オニキスは笑っていたのがほぼその原因だろうが…
水筒から水を煽り、
息が整った頃には二人によって決まったらしい戦術の命題…
議題について三人で討論し始めたのだった。
…
…不味い
不味い…
前期のテスト順位が張り出された、
その掲示板を何度も確認する…
その結果は何度見ても変わらない。
見違えでもない
昨日オニキスとラピスと過ごした手放しに楽しかった時間がかき消えていく…
冷や汗、
動悸…
…遊んでいる場合ではなかった。
テスト終わりだと、
今期…自分なりに精一杯やってきたから目標は達成出来た…かも、
そんな油断が、
思い上がりが…目の前の結果に打ちのめされていく。
…せめて26位以内に入っていなければならないというのに
記された俺の名前は上から39番目…
兄上が当然の評価だと認めるFクラスになるには、
後期と実習で大幅に上位にならなければ
もっと…もっと、
努力しなければ…
…長期休みの間に少しでも巻き返さなければ…
その順位には遥かに及ばない
ましになった剣術の順位は、69位…それでも中の上に留まっている。
まだ…足りない、
研鑽も練習量も増やさなければ…
せめてもの救いは、
今回は殿下の私邸に見習いとして行かずに済んだこと…か?
それは弟の誕生日を祝う社交会を父上が屋敷で開くこと…
そして俺の侍従講習と査定の為に繰り越して貰った。
侍従講習と査定は…仕方ないとして、
その他の時間は全て勉強に当てよう。
あわよくば…社交会も、
欠席出来るならしよう…弟には悪いが、
叔父上の件で悪い噂の立った俺が出席しない方が良い筈だしな…
他家で執り行われる会ではない…
手紙で出席するようにと再三言われていて了承したが、
帰省して直ぐに父上に撤回しよう。
…うん、
弟には後で個人的にお祝いしてあげれば良い
それで良い…
「オリゼ?」
「…」
ラピスの心配そうな声が横から掛かる…
「…まだ巻き返せる、そうだろ?」
「…」
オニキスが俺の肩に手を回してくる、
俺が立ち尽くしている…それを気遣って…
それでも満足に返事を返すこともなく二人をあしらって部屋に戻ったのだった。
…
…
そしてテストの返却と、
その講義が終わった数日後…
休みに入る…
格上の貴族家の馬車は大方出発した…頃合い
時計を確認してそろそろ男爵家の順番が来たかと、
自室から足を向けた学園の正門。
確かに男爵家の順番だ…
だが、
帰省の際に迎えにきた俺の家の家紋のついた馬車は一台…
今回は前回とは違う、
俺は遠慮せずに迎えの馬車を頼んだ筈だ。
玄武の手違いでは決してない、
兄上は俺が馬車を頼んだことは分かっているらしい、
…隣からは怒っている気配も感じないのはその証拠。
どうやら…テスト結果を受けた俺の凹み様を何処からか見ていたらしい、
…その心配?
兄上による意図によって同じ馬車に揺られて帰る羽目になったのか?
その証拠に馬車が二つなくても俺を責めはしない…
横にいた兄上は何の疑問もなく、
その一つに乗り…席に腰を下ろす
「オリゼ、一緒に帰ろうか」
「…」
一台しかない馬車、
その扉は青龍によって開け放たれ…
中に居る兄上が俺を呼んでいる。
「オリゼ?」
「…はい、兄上」
避けたかった、
俺が情緒不安定であることも…そしてテストの順位もこの兄は把握しているのだろうから…
逃げたい、
逃げ場のない狭い空間で長時間…達成できなかった下限の順位について言及されたくない。
それでも…この一つしかない馬車で帰らねばならない。
徒で帰省等…
そんな素振りを見せれば公の場であっても兄上は俺を強制的に馬車に引き摺り込む。
そんな惨めな姿…周りに人の目があるところでされるわけには、
兄上に手間を掛けさせて家に泥を塗ることは…
そんな恥は…晒す訳にはいかない。
気が進まない、
なれど…意気消沈しながらも玄武の手を補助にその閉鎖空間へと身を運んでいく。
俺が座れば直ぐに扉は閉められて座面が揺れる、
進み出す…
御者が馬を鞭打ったのだろうな…
馬車の内部は…重い空気、
俺が口を開かない、
それを何か理由があると兄上も汲み取ったのか
暫く…
何も会話はない。
無言が支配する中…馬車は屋敷へと進んでいく…
…
「…オリゼ」
「はい」
静寂を破って開かれた兄上の口
さあ…断糾か、
裁きか…叱咤か?
姿勢を正し、
膝に手を置いて…続きの兄上の言葉を待つ
…
…おかしいね、
別に悪さもしていないし俺は弟に怒ってもいない。
ただ、
テスト結果が出てからオリゼが危うい雰囲気であると青龍から聞かされた。
心配で一緒の馬車に揺られようと、
様子を見守ろうと思ったことだったのだけれど…
「…どうしたの?項垂れて…畏まったままで。
馬車なら俺が一つで事足りると父上に進言したんだけど…俺と帰るのがオリゼは嫌だった?」
「…」
黙り、か
つまり…俺と帰るのは嫌だってことかな?
前回のように叱咤はしない、
馬車を一つにしたことは俺が怒ることがあると認識した?
…もしやそれを危惧して?
叱責されると経験から勘繰った…オリゼはそれを念頭に、膝を揃えて座っているのかもしれない。
「…どうしてそう、黙り酷って固くなっているの?」
「テストの順位が悪かったことは、承知でしょう。
…その上でそう言われるのですか?
まだ巻き返しが出来る余地はあるとはいえ…全力を尽くした結果がこれです。
兄上との約束が上手く叶えられそうもないと、それを自覚していて此処が居心地良く感じられる筈もありません」
「つまり、引け目を感じると?」
「…そうです、きっと…兄上はその結果について、私を怒るのでしょう…?」
確かに言った、
この俺は弟に…そんな下位クラスの評価に留まるような実力ではないと。
それはあの結果を見たところで変化はない、
苦手な科目があることは知っている
それが要因で総合では低めにはなったが…剣術のトラウマも乗り越え、この半年で巻き返してきている。
あと半年あれば…上位に食い込むのは難しくない
充分にその才覚も、
努力も備わっている。
青龍達には弟に過度に負荷をかけることになると言われたが、
そうでも言わなければ…
正当な評価になっていないと学園に掛け合う、
そうとまで言って示さねば…
この可愛い愚弟は己を上位等、己では辿り着けないのだと妥協する。
卑下している、
自己肯定が低すぎるのはあの魔力量測定の一件が原因でもある。
魔力量は確かに俺よりも少ないし、
俺よりも少し多い霊力は学園の評点には含まれない。
それでもあまりある努力と、
研鑽で高めていく能力は人一倍…
効率が良くないし、
結果も努力に比べれば直ぐに現れにくいけれど…
「オリゼ」
「…っ」
「確かに言った、
あのhクラス評価はおかしいと昨年度の結果を見て学園に怒りを覚えたことも事実。だけど今回、更に順位を上げたじゃない…俺の見込んだ通りだ」
「順位を上げたところで…fには及びません、26位以内に入れませんでした」
「そうだね、
でもこれは途中結果で最終結果じゃないでしょ?あと半年残っている、それまでにそこまで到達すると見込んでいるんだ。
オリゼが頑張っていることは聞いているし、責める気もない。
…それにまだ、学園にも怒らないよ?」
「…兄上」
「何かな?」
「本気で…この順位でも巻き返して上位になれると思っていらっしゃるのでしょうか」
「思っているよ?
当然じゃない、俺の弟は優秀なんだから」
掛け値なし、
この言葉がオリゼに重くのし掛かろうと…言わない選択肢はない。
本気でそう思って居るから…
魔力量だって少なくない、
寧ろ多い方…
それに毎日の習慣で練度も上げてきている。
剣筋も悪くない…、
身体が成長していけば筋力もつく、今よりも剣撃も重くなっていく
Dクラスの末席、
少なくともオリゼの努力と相まればそれくらいの実力はつくのだ。
本人が、
低く見積もりすぎているだけの話…
…学園側の評価に思うところはある、
それへの不満どうこうと、
オリゼに発破を掛けるためにもそう表現したけれど…
一番は、
…この大事な弟が陰口を叩かれているのを止めさせるため。
両親の権威と実績を借りているだけで…
それで髙下駄を履いているだけで己の順位が高い奴ら。
学園での結果を…全ては自身の実力であると、それを勘違いしている馬鹿どもの目を覚ましてやれ…
…払拭させて見せろ
オリゼ程の努力をするわけもなく、
令嬢に現を抜かして茶会擬きでヘラヘラとにやけている奴らは昨年度で既にもう追い越した。
後は…髙下駄を履いている奴らだ。
家の格等些末にしてやれ…己が実力だけでそいつらの口を塞いで見せろ…
お前の努力を鼻で笑う奴等、
俺の出し殻だ、
影だと揶揄する奴等に目に物を見せてやれ
いい加減…
我慢の限界だ。
オリゼの耳に入ってはいないだろうが、
俺には聞こえてくる…腹が煮えくり返っているんだ
来年度、
俺が高等科を卒業すれば影から守ってやれない…
屋敷からでは、無理な話
だから…
それまでにオリゼが、
少なくとも上位クラスになれば…
D組に入ればやっかむ奴等から少しは引き離せる。
人を蔑んで、
実力を疑うような…そんな馬鹿な奴等は上位には居ない。
他人の実力を計れなければ、
己の実力も自尊の色眼鏡なく計れないのだから。
「…っ、励みます」
「うん、期待してる」
「…必ず、成します」
そう考えていれば自然と険しい顔つきになっていた、
…それをどう受け止めたのか、
面を上げたオリゼは泣きそうな顔をして歯を食い縛って…絞り出すように返答する。
多分、俺の考えは見透かされていないだろうな…
この反応は、
泣きそうな顔をするのは…低い自己評価を無理矢理に押さえ込んで、
ただ俺の期待に応える為だろうから…
時折…
神仏化するように俺の言葉を重く受け止める弟には、この期待はかなりの重量をもって響くだろう。
のし掛かるだろう、
その俺の言葉の効果、圧力…それを分かった上で言葉にした。
…引きこもりや自殺未遂から立ち直りかけている最中、
それでも猶予を与えずに急かすのには…
陰口を叩かれているのを抑える以外にも理由がある
もう少し遊ばせてあげても良いのだけれど…
辛いだろうけどね…
これは俺の我儘でもある…
立ち直ったばかりでもオリゼには努力し始める気配があったから、
そのチャンスは逃がすわけにはいかない。
そう思って圧力を掛け続けてきた。
一番に望むのは…
この可愛い弟が、
自分に自身が持てるようにと、それを願っているんだ。
…
俺の色好い返事に、
期待していると口にした兄上が険しい表情を崩して笑う…
ならば、
出来る限りの努力を。
…疲れているが、
この程度の眠気ならば抑えられる。
揺れで誘発される慢性的な休息不足を自覚しながらも…
道中の時間も有効活用すべきだと考えが至る。
「…玄武、戦術書出して」
「貴台」
荷物は玄武が持って管理している、
指示するが、
咎める声…
賛成していない
俺がどんな状態であるかは傍仕えの玄武は良く分かっている。
心配を掛けている自覚はある…
だから俺に移動中位は休んでほしいのだろう、
それくらい察している、
玄武は教本を出せと言っても動かないのはそれが理由だ。
「出して…」
「…馬車の揺れで酔われま「酔わないこと、玄武は知っているよな」…疲れておいでです」
「疲れているから、酔うかもしれないって?
それならばその間揺れを抑えてくれ…出来ることは知っている。
出来ないと言うつもりか?」
「…出来ることは出来ます」
「ならば、そうしてくれ」
「…なれど」
「くどい」
「どうしても、そうされるのですか…」
「…何度も言わせるな、玄武」
「…」
…終いには口をつむぐ玄武
再度、
催促をする。
取り出す気配も微塵も見せない…
そして、
馬車酔いしないのは体調が万全である時に限ると言い切った。
…ならば、
本を呼んでいる間…揺れを抑えてくれれば良い。
それならば、文句を言えなくなる筈だ
証拠に
言い淀む玄武
返答がなかったのは、
気が進まない証拠。
それでも此処まで言えば、
後は…俺の意を汲むしかない。
…渋々でも教本を用意するしかないだろう
…
…ん?
外の景色を眺めていたが…
待てど、暮らせど
俺に目的のものは用意されない。
不審に思って見てみれば…横に座る玄武は荷物にも手を掛ける事なく口を強く結んでいる
おい…
俺の視線、
それを受けても此方を向く動作もない…
…ちっ
命令するしかない、そう思いかけた時玄武の口が薄く開く、
何か言うのかと口を閉じれば…
「…アメジス様」
「玄武…何かな?」
「貴台を説得していただけないでしょうか…」
「…そうしてあげても良いけど…」
「疲労と慢性的な睡眠不足です、道中で仮眠をとって頂けねば…
この状態で効率が上がる訳がありません」
「だそうだよ、オリゼ?
宿で少し勉強すると良い、それまで休んだ方が理にかなっていると俺も思うけど?」
「…兄上」
この傍仕え…
兄上に助力を乞いやがった。
俺が兄上に休めと言われれば、
十中八九でそうせざる終えなくなることを知った上で!
その手があったか…
卑怯だぞ、玄武!
…
「何を怒っている?
…オリゼ、俺は何か間違ってる事を言ったか?」
「っ…いえ」
オリゼがあからさまに怒りをぶつける、
俺に口添えを頼んだことを不条理にでも思ったのか…
睨み付ける弟に対して、
玄武は涼しい顔をしているけれど…当然の処置だと思うよ?
同じ馬車で帰らせなかったのは、
情緒不安定なのもあったけれど…一番に体調が優れないと勘づいていたからだ。
身の安全のためにも、
目を離したくなかったからね…
大人げない、
理解していながら玄武に無理矢理に指示を通すなんて、ね?
そう語気を強めて言えばオリゼの肩がすぼまっていく…
「なら、玄武の心配りも分かっているんだろ…怒るのは御門違いだ。
そして分かっていて…何故その上で意を貫こうとする?」
「…やらないよりは身になります」
「身になる?
テストが終わって張っていた気が緩んだ…押さえ込んできた疲労感も押し寄せてきている筈だ。
その状態で…今、教本を読んだところで頭に入ると思うか?
まあ…それでもやりたいなら、俺は止めない。その代わり…宿では休息一辺倒にさせるから」
「…私は大丈夫です」
「本気でそう思って言っているのか?」
「…っ、大丈夫です」
はあ…まだ維持を張る、か
これは宿でも勉強するつもりだったね…
休むことも必要、だと再度教え込まないといけないか?
どうやら無理が祟って…熱を出して寝込んだことを忘れたらしい。
…都合の悪いことは、
もう忘れたのか…
それとも根拠なく倒れないと自信過剰なのか…
呆れた弟だ。
それと…
頭に入らないだろうと言ったのは、効率の観点から悪いと言う意味でだ。
疲れていても、
大抵の体調不良だったとしても入らない訳はない…半分は嘘だ。
己の体調を省みることなく…
加減が利かないオリゼは、
こんな状態でもきっと本を読み始めれば没頭してしまう…そして此方の言葉が通りにくくなる
そして、糸が切れた様に寝込むだろう
そう、だから制止をかけるならば、
本を渡す前だ。
玄武のその判断は大正解と言っても過言ではない
「玄武が此処まで言っているのはオリゼが"倒れる寸前"…そう判断したからだ」
「っ…そのようなことは!」
「そう…万が一体調を崩して倒れたら躾るからね?」
「うっ…」
反論、それを嗜めれば…
威勢が、オリゼの弁解の勢いは失せ、
一瞬上げられた肩も今度はすぼまる処か力なく…完全に落ちた。
オリゼは知らないが…玄武に倒れる寸前になったら強制的に寝かしつけろと言ったのは父上ではなく俺だから。
父上にはそれを認可して貰っただけ、
傍仕えとしての玄武の権限を越えることだからね…
きっとその対応が執行されるのは、
玄武からだけだと思っていたのかな?
甘いね…
二の次を告げないところを見ればやはり自覚していた。
倦怠感も、睡眠不足もギリギリ限界を越えないようにしてきただけで…
負荷が、
先程の馬車の嫌な記憶や
期待していると圧力を掛けられればその危うい一線は直ぐに越えただろう。
何かんだ、
オリゼはそれも自覚、理解している…
だから、反論も見栄も張れない。
天邪鬼で素直でなくても…
今回の長期休みは予定が詰まっている、寝込めば心配だけではなく迷惑をかけることになると思い出させたのだ。
何の予定もないなら、
躾や責は甘いものになるけれど…畏怖を感じさせるように脅したのはそれもあってだ。
「否定しないところを見ると、限界が近いことは自覚してるんでしょ?
それと…屋敷に帰った翌日に、社交会もあることを知った上でまだ大丈夫だと言い張るなら何も言わない。その後は侍従講習と査定でハードスケジュール…道中の無理が祟っても回復に当てる時間はないんだよ?」
「…」
「オリゼ」
返事をしなければ兄上の咎める声、
分かっているのかと…その上で無理をするのかと言い含められる。
殿下に予定があるからと、
…侍従見習いの振替の勤務日数を来年度に繰越したのだ。
その予定が、
社交会も侍従講習と査定が…
寝込んで出席も受講も出来なければ、どうなるか。
殿下から俺が叱責されるだけでは済まなくなる…
貴族子息としての勤めがあるならばと、殿下は了承した。
…侍従講習と査定を、アコヤさんも応援してくれると言ってくれたし、
兄上の期待も…クラスの上位になるには見習いから脱する事が肝要、その為には侍従資格もいるのだ。
友人として…破格の融通を利かせて貰っている。
上司として期待して貰っている…
兄からの…当然のような評価に必要な資格
それを…寝込んで、
兄上や当主からの叱責できっと…休み中は少なくとも屋敷から出して貰えなくなるだろう。
反古にすれば…それだけの問題に、
家の問題になるのだ。
父上にもまた、迷惑を掛けることになると考えが及ぶ…
「…そこまで言うならば寝ます、玄武…膝を借りる」
青ざめていく、
その顔を隠すため…返事を待たずに玄武の膝に顔を押し込める
…兄上が、
怒っていないと良いな…
背中に視線が刺さっている、
無言
あの時のように聞き分けも悪かった…心臓からでなくても背中に魔力圧を掛けられれば心臓だけでなく脊椎を通る太い神経も痛むだろう
「…畏まりました、
アメジス様…口添え感謝致します」
「大したことはしてないよ、
青龍…揺れを抑えてあげて」
「お任せください、若」
「…で、その体制だと寛げないよ?
オリゼ…怒っていないから此方を向いて寝なさい」
「…ぃ」
「ん?良く聞こえなかった」
「分かり…ました、兄上」
その言葉に
…ゆっくりと兄上に背を向けていた顔を身体毎よじって直る。
玄武の腹に後頭部を預けて顔横になれば…
玄武の俺を支え直す手が、俺を包み込んでくる。
「お休み」
そう言って…
塞がっている玄武の代わりに兄上が冷えないようにタオルケットを掛けてくれる
それも、
好みの肌触り…
口調は厳しいものだけれど、その手付きからも確かに怒ってはいなさそうだ。
そう思って安心した…
思わず肩まで掛けてくれたそれを顔まで引き上げて頬刷りしてしまって気付く。
これは何処から出てきたんだ、と
何故用意してある…
普通に考えれば帰省の為の馬車に、
タオルケット等持ち込まない。
それも…兄上はあまりタオルケットの肌触りには拘らない。
自分用で持ってきたとしても…俺好みであるのは偶然?
…そう疑問に思えば、
そもそも、
最初から…寝させられていたのでは?と…
そんな疑惑が考えが次々に沸き起こってくる。
馬車の一件も、
俺の指示を履行しない玄武の反抗も織り込み…
全ては兄上の、掌の上か…
これではいくら反発しても無理だったのだ
勝てない、
兄上のことだ、きっと俺を寝させる策ならばいくらでも講じていた筈なのだから…
…
鼻先まで引き上げたそれに埋もれ、
そんなことを思っていれば…
青龍が…
兄上の指示で魔法陣を発動させた。
…
視線を伏せていても分かる、青龍らしい冷たく鋭い魔力のそれは、
適度に馬車の揺れを抑えて…
そう、
微睡みを誘発するような心地よい揺れで…俺を夢路に誘っていったのだった…
宜しければ評価の方、お願い致します(*´ω`*)
執筆のやる気が上がります。




