帰省34
茶室では貴賤は問われない
亭主がもてなしたい客を招くのだ
その所以も、
社交場としても使われる理由が1つであるとしても
だから正客として俺が招かれた席で
青龍を次客に据えてもなんの問題もない
…考えたな
路地を通り、手水で手を清めていく
はらり、
水面に落ちた葉に
仰ぎ見る
そうか、
少し肌寒いとは思っていた
もう紅葉の葉がちらほらと赤く色付き始めている
こんなことにも気づかない程、
この2週間過ごしてきたのか…
社交界への誘い
招かれた相手の返事では何度も季節の口上は使ってきた
表面上の挨拶だが…
実際の秋の訪れ
周囲をひとしきり眺めれば、
こうして見るのも…たまには良い
無駄な気負いも、
張り詰めた気も解れていく
1つ、深呼吸をする
澄んだ少し冷たい空気が肺を
…体を満たしていく
「いこうか」
にじり口の前…
茶室に入る入り口で
清め終えた青龍に声を掛ければ、
朗らかな笑みを湛えた顔がそこにはあった
心配されていたようだと苦笑を返し、
体を屈めその小さな扉を潜っていった
にじり口から入れば広がる部屋の景色
掛軸に季節の花
…オリゼらしい設えに
もてなす感情が感じられて心地がいい
拝見し、暫し浸っていれば
開かれた襖
和装の弟の姿が現れ、
真の礼をするのを見、総礼をした
シュンシュン…
湯が沸いている
伏沙が帯から引き抜かれる摩擦
蓋置きに柄杓が置かれ茶室に響く振動
湯を切る茶筅の水音が耳に入ってくる
すべらかに進む…
亭主として振る舞う仕草や身のこなし
普段見たことの無い弟
それでも、
粛々と進むお点前に心が落ち着いていく
「御菓子をどうぞ」
「…頂戴致します」
菓子器に目を向ける
そう、
…カンパニュラね
練切りで表現されたその花は美しい
これを作るのに
何度も練習をしたのだろう
職人が作った様な綺麗な花が浮かぶ
まるでオリゼの死んだ精神や感情
それがこれに生まれ変わったように
…感じとれもする
助けを求めて
鈴をならし続け死に絶えたカンパニール
そんな必死の鈴の音にも求められた側は気付かず助けはついぞ来なかった
健気に助けを求め続けた、
それを憐れんだ神が化身を作った事で
…生まれ変わったそうな
そのカンパニュラの花言葉は
後悔
もっと早く助けに来れれば良かったと
後悔し、せめてもと生まれ変わらせ。
そんな
話があったな…
俺を呼ぶ助けの声を聞こうともしなかった
鈴は鳴らずとも、
俺に対し音沙汰もない事がオリゼから発せられた警鐘だった筈
…放置して聞いてやることが出来なかった
そして、
死んだ…感情が消えたのだ。
それは形を変えて、
ここにある練りきりに美しく生まれ変わった
…
そんな意匠かもしれない
懐紙に乗せて割れば餡が…甘い
甘くて罪深い味
たった2口で終わる小さな残香となって染みていく
何故…ここまで弟を追い詰めるまで、
何故俺は…
一服…
甘い、甘えが少し濃いめに点てられた
覚えていたのか
昔母上に点てて貰った時
まだ幼い弟は抹茶を少なくして貰っていた
苦いと、
溢していた…
弟の部屋に一緒に戻れば
待ち構えている傍仕え
直ぐに差し出されたブリオッシュを受け取って口直しににしていた
そう、
そんな時に俺は濃いめが好きなんだよと言ったことがあった
音を立てて飲みきって
口付けた所を回す
萩焼の茶碗
煉瓦のような夕日が落ちる前の色合い
燃え尽く寸前の感情か…
少しざらつく質感は弟の心か
口の中を程好い苦味が
香りが甘味を拐っていく
紅葉と合わせて
単に色合いの近い椀を選んだのかもしれない
「…御服加減は如何ですか」
作法の決まり文句ではあるが
問われた声は少しばかり揺らいでいた
やはり感情は少しは残っている
もてなすその気配りは
掛軸の意味は、設えともてなしも心がある…
「大変結構で御座いました」
心からそう思う
だから決まりきった返答に感情を、
…声に乗せた
……
水屋で片付けをしていれば戸の音に顔を向ければ、
先程にじり口から帰った筈の兄上の姿…
「…兄上」
何処か苦笑を浮かべた
寂しげな…
戸の音と
人の気配
てっきり母上かと思って振り返ったのだ…
ここは母上の趣味の部屋と言ってもいい
一人で考え事をするとき
寛ぎたい時は
たまに抹茶を作法無しに入れ、
それを飲みながら縁側でぼうっとする為に俺が来るくらい
その時よく…
母上が現れ、綺麗な泡の張った抹茶を点ててくれた
「この後時間空いてる?」
「もう少しで終わります、茶室でお待ちいただいて良いでしょうか」
片付けまでが亭主の仕事
客に招いた兄上が何処か手伝おうと、一歩踏み出してくる
それを押し止めるように…緩やかに言葉に込める
「…分かった、待ってるよ」
「はい」
釜を洗い、
錆びぬよう兄上の後を着く形で
炉に置いて乾かす
縁側に座った姿を認めながら
掛軸を下ろし
丸め、紐で結び止めて木箱へと納めていく
釜の環に火箸を差し込み片付け終える
灰を直して…
炉の火を消していれば外からの音に意識が向く
庭園の植物が水滴で煌めいている
雨が降り始めたのか…
兄上の方に目を向ければ黄昏た様に
柱に寄りかかりながら外を眺めているようだ
「お待たせしました。
…御相伴させていただきますが、宜しいですか?」
茶室には
後で食べようと失敗した菓子と、盆手前よりも簡易に
ただ自身が飲むための道具を縁側に置いていた
仕舞うのは茶碗と数点、それくらいにして
片付けを楽にするつもりだった
「いいよ」
「ありが…いえ、すみません」
気にしないと、言う兄上に…
自然と口から出た言葉を言い換えた




