帰省32
…川獺が軽食を用意してくれた
それは兄上と何かあったと、昼食を食べていない証明になろうとも
こんな時にでも
腹は空くのだから仕方ない…
烏にあんなことを言って、
俺が飯を食わなくてどうすると思い頼んだのだが…
午後の…
ティータイムにしては量が、
そもそもスコーンやサンドイッチという物ですらない
ローストビーフに、
ジャガイモのロースト
パンにスープ…
申し訳程度に食後のデザートと共に紅茶
…
無下にするわけにもいかず、
フォークを持てば自覚していなかった程の空腹にペロリと平らげてしまったのだから…川獺も俺の侍従の1人だったかと
俺の事をよく把握していると、侮っていたと認識せざる負えなかった
…
腹も満たされ、
あまり好きではない忌諱していて手に取ってこなかった本を読んでいた
…コンコン
そんな音に意識を活字から上げ、
入室を許せばそこには玄武
烏の様子、
体調に狢の診察結果
気になるそれらを聞いていく…
「…そう、寝れたようで良かった」
「貴台が心配なさるようなことはありません」
玄武が鍵を返しに…早くここに来たのは
俺の様子を見るためにだろう、
烏を狢に任せ…部屋に来たのか
川獺と交代した
その時、
俺の口からでなく業務の引き継ぎとして兄上との事は聞いたのだろう
嬉々とした剣術の時出していた雰囲気はもう何処にもない
それでも構わず…
烏の様子を報告させたのだから
…
何冊目だろうか、
読み進める毎に知識も理解も深まっていく。
ただの礼儀作法、
形骸だと意味のない物であると思ってはいたが
その理由、
発祥や起源を知れば面白くも少しは感じられてくる…
頁を捲りながらも
甲斐甲斐しく世話を焼く、玄武
好きな白檀の香が部屋を満たしているのは
俺の気を楽にさせようという意図か…
頼みもしない、飲み物
読書しながら紅茶や珈琲、玉露や抹茶でもない…それ。
葡萄を炭酸水で割ったそれは…
あまり飲まないジュースを今の俺に必要だと汲んだからかもしれない
そして、
時間を遅く…そして軽めにして貰った夕食も食べ終えた
「…貴台」
食事が終われば直ぐ様本を開く…残り少ないそれを読み終えれば
…風呂敷を持ってくるように言おうとした時だった。
そんな様子に遂に何も言わなかった玄武が口を開く
根を詰めるなと、
言いたいのかもしれないが…
そして読んでいた本も楽しくない内容であると思っているだろうが…
「休んでいるよ、反故にはしていない」
「御辛いのでしょう?
似つかわしくない笑いまで浮かべて…不肖はそろそろ横になられると思っておりました」
「辛いね、でもそれで良いと思えるから。
繕いきれないのは多目に見て欲しい。
それに…そんなに気を揉む程の事じゃない、無理はそこ迄していない」
「慣れない罰を立派に烏に与え…
それによって派生する不肖達の労働時間も負担まで考えてくださるようになられた。
心傷を乗り越えて剣を振るう姿も目に焼き付いております、
…傍仕えとして不遜ながらも主人の成長を誇りに思います。
なれど…
急激な内の変化…度重なる負荷、
そんな折りに心の拠り所にしていたアメジス様に否定されては持ちますまい。せめて今日は御早めに休まれませんか?」
俺に甘い玄武
甘言は何度も聞けど諫言は昔の記憶に微かに1、2度あるだけ
どれも俺の命が危険になった時
それでもこの程度
どこまでも甘い、優しいのだ
剣術から逃げようとも、
無気力で全てを投げうったときも…
眉を下げながら見守る皆の中、
一番に甘やかしてくれた
目を現実から背けさせてくれた
耳を塞いでくれた
それが俺のためになら無いことを知りながら
心地のよい言葉だけを聞かせてくれたんだ
でも、もうそれも終わり
…歪みながらでも少しは成長をしたんだ
滑稽であろうとその繭を破る決意が出来たんだ
こうして玄武が、
歯に衣を着せずに言ってくれるのもその証拠
まだまだ未熟でも…
あの頃より聞く耳があると認めてくれたのかもしれない
腐る前、
そして事件の起こる前に一度こうして怒られたことがあったっけ…
「…玄武にそこまで言われるのは何時振りだろうね」
苦笑しながら、
懐かしい…あの頃は普通の子息だったかなあと思い返す。
貴族の幼少教育も、
兄上や父上の期待に応えようと…無垢で、そして生意気に…
少しは休めと、
咎められたのはあの時くらい
それ以降は…
そんなことをいうことも無かった
それ程に落ちぶれていたから…
「もしや…貴台?
まさか…楽になされる筈の自室や不肖達の前でも、気丈に振るう為に襟を正し続けるおつもりか!」
「玄武にそう言わせるだけ、耳に入れさせるに値すると判断するだけ俺は成長をしたんでしょう?
確かにあの頃みたいな昔の俺ではないかもしれないけど…努力位出来るよ。有り難う、認めてくれて」
「貴台!」
叫びが、慟哭に似た悲鳴が…
部屋に響き渡る
俺はそんなに辛くないよ、余程玄武の方が辛そうだ
こんな俺にそこまで心を割かなくて良い
もういいよ
もう甘言は要らない
手を煩わせないよ
だから、そんな顔をしなくて良い
これが普通になれば、心配も掛けなくなる筈
昔なら…
こうして知識に貪欲であったのだから
「もう何冊か本を読み終えて、少し作業したら就寝するよ」
「貴台!」
「玄武、俺がそうしたいんだ」
「…畏まりました」
冷えた玉露に手を伸ばせば
はっと顔をあげ、
取り替えようとするその動きを止めて退室させた。
そうして静けさが染みる中、
夜食代わりの琥珀糖を摘まみながらテーブルの上の風呂敷から本を取り出したのだった
………
二週間余り…
あれからかなり時間は過ぎたのにも関わらず何をするでもない若君
あれだけ構っていたオリゼ様の話題すら、
いえ…小生と会話すらほぼされない。
掛けられる言葉は短い指示のみ、
部屋から出ることもなく
ただ当主からの割り当てられた仕事をこなすだけ…
「若、何時までそうされているおつもりですか」
「何が言いたいの?」
柔らかな声音ではない
冷たい、温度の無い返答
普段から傍仕えを始め使用人にも気を配る主人は…
書類を読み続ける
此方には一目もくれない様子
「…今朝方、玄武を通じてオリゼ様から手紙を頂きました。
貴方様の弟君は社交界の礼状を代筆したことがありますか?
出られたことはありますか?
昨日の料理に関しての謝罪をされた文面はあの柔らかなあどけなさも何処にもない貴族そのものでした」
「それがどうしたの?
弟だって俺と同じく貴族の子息だ」
貴族子息であることは同じでも同じ人間など何処にも居ない
それは兄弟であっても例外ではない…
外交に向く兄、反して内政向きの弟
まして…そつなくこなせる天才と努力だ
幼いときより若を傍で、
その横でオリゼ様を見てきた
互いに持たないものそれを…
弟は兄を尊敬し、兄は弟を慈しんでいる…
その懸命さを誰よりも知っている筈の"貴方様"がそう言われるのですか?
「…一昼一夜で書ける様になるものではありません」
「しつこいよ、前から練習でもしていたんでしょう?」
「2週間ほど前でしょうか。当主と過ごされていた時、陛下や卿への礼状を書かれた時されたそうです」
「なら勉強したんでしょ?
…それだけのことだ」
"それだけのこと"
自身の尺度や物差しでだけ計るような物の言い方
普段より絶対オリゼ様の行為を、
評価をその様に表現することはない
誰よりも知っている筈だ、
苦手な分野にも…躓き腐れど再び立ち上がるその気性を
立ち向かう、
己に追い付こうと苦心する様を。
その姿を一番近くで見守ってきた…
立ち止まり
振り返り、時には手を差し伸べて…
種類は違えど何より…
その才を認めていた貴方様が
そう言われるのですか?
まるで…オリゼ様が生まれる前に、
昔に戻られた様だ
俯瞰、この世などとつまらない目をした
あの頃のように
表面的に浮かべる表情と裏腹
何事も容易、
何故出来ぬと理解出来ないとでも言うように…
周りを虫のように冷徹に打ち捨て切り捨てるような値踏みする冷たい目と心で
傍観者になられていた貴方様に
「…今日は茶室で作法を復習しているそうです」
「そう」
「先日は剣の練習を、昨日は茶菓子を作ったそうです。
表情が抜け落ち…普段なら着ない正装を、紋付きの着物を着ながら…分かりませんか、若」
「…分からないね、俺の仕事を中断するまでの報告かな?
いつから手打ちを好むようになった、青龍」
…パタリ
片手で参考本を閉じる様子
それを片手でゆっくりと机に置き、万年筆も置いて此方に目線を向けてくる
腕を組み、刻まれた眉間の皺は
やはりかなり不快に思われている表れ
琴線に触れているのは、上から目線で問い掛ければこうなる事は承知の上
怒りか、鋭い刃のような瞳に射ぬかれた
…引きはしない
オリゼ様を守ることは主人を守ることと同義
オリゼ様にとってだけではない
主人にとってもオリゼ様は心の拠り所
「…小生の身であれば御好きなようになさいませ。
自殺未遂に始まり…持ち直しながらも見習いとしての業務、勉学の遅れの取戻し、当主の仕送りの停止と叱責から来る過度な節制と馬車を断る自殺未遂に似た行動。
それから再び立ち直れば…玄武の手打ち、屋敷に戻れば私刑に始まり陛下や侯爵への謝罪と口上、烏の一件…剣術と今回の手紙。
自覚為さっていますね、
オリゼ様が貴方様の事を慕って甘えていらっしゃる事も尊敬されていることも。
この様な時にその心の支えに叩かれ、心の拠り所を失えばどうなるとお思いですか?取り返しが今度こそ付かなくなっても…その時後悔されても小生は看過致しますが…宜しいですね?」
無理に無理を重ねる、
出来ないことや苦手なことにもそうやって取り組む。
若にとって会得が容易でもオリゼ様にはそういかないことは多い…
それでも努力で賄う、
あの真面目で勤勉な気性が戻ってきたのだ…
昔のようにとはいかなくても、
それでも何を心の内に秘めていても再び歩みだした。
そんな中…
それを一番知っている、
一番理解して認めている若にその努力を無下にされれば…どれ程痛手を負うことになっただろうか
そしてそれでも、
今も努力することを惜しんでいない…
痛々しくも見える正装で己を律して認められるまで積み重ねるのだと、
半端でなければ、
成熟すれば兄上も認めてくださるかもしれないと…
悲しそうに、
隠していてもそんな感情を写した顔で…もう無知ではいられないからと言われた心情は押して計らなくても直ぐに察しが付く
「…青龍」
「貴方様から命は捨てるなと言われているのでしょう、
殿下の手で自殺防止の陣も刻まれています。
どうか御安心を、きっと自殺はしません。オリゼ様にとっては多分…死ぬより辛い生を歩まれるだけです」
「…」
「では、部下に引き継ぎをして参ります。
一刻程御時間を、その後はどうぞ御自由に小生を為さって下さい、業務に支障は出ませんので心置き無く」
「…分かった」
「では、一旦御前を辞させていただきます」
「分かったから待って」
「…何か御用でしょうか」
扉に手を掛けかけた、
その手を離し振り返る…
「頭、冷えたよ…だから」
「左様で御座いますか」
「謝ってるじゃない…当たって申し訳なかったよ、青龍」
「謝罪は必要ありません。
そう言えば…オリゼ様も謝罪されていましたね」
「ごめんね?反省してるよ、気付かせてくれて助かったよ?」
「それは宜しゅう御座いました。
では、引き継ぎの段取りも準備も御座いますので退室させて頂きます」
「青龍!」
「…お手を御離しください」
一礼して下がる、
その行為は背後から…強く引き留められた
右腕が痛い
ソファーから立ち上がり、
ここまで来たのは…小生を引き留めるため
珍しく感情的だ…
色が戻った声
…それでも元通りとはいかない
"自殺"
その言葉に反応して真理に気づいていない
「…青龍」
「それでは今度こそ失礼致します」
離された腕に
背を向けたまま、部屋を辞した




