帰省30
「オリゼ」
「漸くですか…父上」
恨みがましい目で見れば、
白虎によって下げられた茶器
その食後…
テーブル越しに苦笑しながらも衣装を解除していく父上の手
これで…
あの忌まわしい…耳
昨日この執務室を出ても、
礼状を書き終わっても外して貰えず耐えた此れが…
下げた頭の上からテーブルの上に、
ソファーから床に落ちた…
先程の朝食間も母上の視線が刺さった…耳と尻尾が
忌まわしき物がやっと剥がれ落ちた
耐えた…
昨日から半日あまり…
なんとか乗り越えたのだ
狢と川獺の生暖かい…いや、
獲物を見るような、
雰囲気に部屋を出る前も…
「これから、アメジスと手合わせをすると聞いているが…」
「…らしく、ありませんよね」
から笑い…
何故なら、心配そうに此方を窺っているからだ
何をそんなに…
いや、それだけ俺にとってナイーブな話題だと知っているから
父上だけではない。
この屋敷にいる末端の使用人に周知させる程に…
それでも、
愚息を案じても気になって聞いていると言うところか?
そんなシリアスな空気の中…
父上の視線1つで白虎が術具、
もとい尻尾達を回収しているのを視界に止めてしまう。
空虚から苦笑いに変わっていく…
「…オリゼ」
「私から…
自発的に兄上にお願いをしたことは知っておいででしょう?
らしくなくても…苦手でも興味を持てたのです。
最近まで話題に混じることすら忌諱していたとしても…剣を自ら手にとれるようになったのですよ…?」
「そうか…ならばよいのだが」
「今まで、
…貴族子息としての嗜みだとしても強制して来られなかった。
本来身に付けるべき物を免謝することは当主の体面上の避けるべき物であっても…感謝しています」
「構わない、必要にかられてはいなかったからな」
…嘘だ
必要にかられていなかった筈などない
素っ気なくそう言う父上に頭を振る…
「…私は、いえ…俺はそんな父親や屋敷の者達に囲まれ守られここまで。
それがどれだけありがたったことか、
そのために耐えて頂いていたことも…
長子でなく次男であってもこのような甘い親の情を、
恥が屋敷や使用人、そして外に漏れても咎めず見守り続ける高位貴族の当主等何処を探してもいませんよ…」
「良いと言っている…それが親の役割だ。
家や当主の体面のために子を仕立て上げるのは、
それだけの家だからだ、そして矮小な人間性しかない証明だ。
学ぶ、失敗して成長させる機会位与えてやれない、
その過程で揺らぐのならば家名を背負う…当主として舵取りしていく資格はないな」
…
此方が呆れた様に言えば、
溜め息混じりに話し始める…だけ。
父上にとっては当たり前なのだろう…
…何度だって、父上は…
この愚息に恩情を掛けるつもりらしい。
当然だと仰るが、
しがらみの少ない市井の者ですらそう言いきれる出来た人間性を持つ親がどれ程居るのだろうな…
…そしてそれに何度もあやかる、
甘えている俺は…
これでは陛下への口上をしたときと同じで…
こんな体たらくで
果たして成長出来ていると言えるのだろうか…?
「…前回もそう言って庇護して頂きました」
「ああ、陛下に謝罪しに行った時か?」
「ええ」
「気にする必要はないと言った」
「何度過ちを重ねたとしても守るのですか?」
「愚問だな、それが親の役割だと言った。
失敗無くして学びもない、人として成長など出来はしないからな?」
「っ…兄上との約束、
時間が迫っていますので失礼します」
「そうか、行ってくると良い」
駄目だ
何を言っても暖簾に腕押しだ。
何度過ちを犯したとしても、
重ねたとしても過ぎたことだと此方の悔いをはね除ける…
拉致が明かないと、
嘆息しながら言い放ったが…
目を細め、
満足そうに口角を薄く上げるだけ。
…咎めもしない様子に勝てないと、
退散しようと心の中で結論付けた
「有り難う御座います…玄武」
「御用意しております」
撤収だ
父上に退室の断りを入れて、
母上に軽く頭を下げてから立ち上がる。
傍に控えていた玄武に右手を差しのべれば
差し出された…それ。
3年振りくらいか
懐かしい細身の剣を鞘ごと掴み歩みを進める
扉を開けてくれるその表情…
チラリと盗み見るように見れば、
…目を細め、喜んでいるのだろうか…?
その様子に気づかぬ振りを、
視線を外し、廊下へと出た
…
そう言えば、
玄武がいつも剣を用意してくれた
講師が来てその時間になると…
嫌がる俺を宥めて、
剣術の練習直前迄触ろうともしなかった
嫌だと逃げ出したことも…
差し出されたその手を叩き、玄武から剣を振り落とさせたこともあった…
思えば
こうして剣を受け取ったこともなかったかと。
催促することは無かったかと…
廊下を歩きながら、背中越しにも分かる…
玄武のその雰囲気に気づかない振りをした
…
…
「兄上」
「おはよう、オリゼ」
兄上の部屋、
玄武によって開かれた扉から見えた姿
俺とは違って居室でもラフな格好等しない兄上が…
無地のワインレッド色のシャツに
タイトな黒いラテックスのパンツ…装飾を削ぎ落とした剣を吊るための機能的なベルトを締めている
髪も貴族然とはしていない…
下でサテンリボンで括ってはいないのだ。
横に流している髪も…
全てオールバックにして括り上げている。
高い位置で一纏めに団子にしてかき上げられたそれは…
冗談抜きにしても、
饒舌にしがたい…美形が格を落とすとこうなるのか…
罪深すぎる…
礼服姿ならば誰だって多少は見映えはする、
だが…真の整った顔立ちと統制の取れた身体は何を身に纏っても引き立てられるらしいな
「立ち尽くしてどうしたんだい?」
「やはり…兄上は格好いいですね」
「うん?オリゼには負けるかな、それ良く似合ってるし」
「…ソウデスカ」
「何で片言なんだい?」
「こんな兄上に言われても納得しがたいのですよ…
令嬢が放っておかないのも、弟の目から見ても一目瞭然にわかりますから」
「何を言っているんだ?
オリゼだって最近は人気だろう?」
「は、い?
それは…いえ」
…
それは引きこもりからましになったからだ
そして侍従見習いだとしても殿下との交流がある上、
俺の目に止まれば兄上への足掛かりになる。
…踏み台だろう、
橋渡し役には丁度良い立ち位置だ。
学園内では男爵家次男で格が高いわけでもない、
侍従見習いで
殿下の体面を気にして無下にあしらいもしない…
最近は確かに増えてきた
話したこともない子女から、
そして数人からは何度も話しかけられている事も事実だ。
殿下か兄上に用があるのかと対応していたが、
話の要領は掴めなかった。
ただの世間話
取り留めもない話をして去っていく
まあ、
そうやって距離を縮めて行く作戦だろうかとは思っている…
兄上はそれを勘違いしているだけだろう…
弟想いもここまで来るとと、
れんびんな目で見れば…
同じ目が此方に向いていた…
「…あえて聞かないけどね、さて…行こうか。
ここで立ち話していてもね?」
「はい」
扉付近で立ち話
それもなんだと、本来の目的を思い出す
…
兄上に背中を押されながら先を急かされたのだった
…
風も無い
日差しもまだそこ迄強くもない…
手合わせをするには丁度良い温度に晴れ渡った空
昔よくここで…
あまり良い思い出の残っていないここに来たのは久方ぶりだ
剣の練習をするに適した芝、
周りには華やかな手入れされた花も木々もない。
素朴な自然を模した風景
集中力を欠くような物を排しているのだ
「久々だね、こうして面と向かうのも…
昔はよく練習したね」
遠い昔
そんな記憶を思い出すように兄上が呟く
考えに耽っていた…
その思考を止めて、
目の前に立つその顔を見上げる
…
自分も思い返してみるがそんな記憶は何処にも思い当たる節もない
「した記憶はありません…」
「そうだね…4歳位だったかな?
まだ指南を受ける前だったから…あ」
「…」
「オリゼ…ごめんね?」
「いえ、大丈夫です」
「止めにする?」
鞘から抜いて握っていた…
右手が下がり、剣先が力なく地面に着く
目線が落ちていく
…
それでも思考は滞らない
心配そうに…兄上がしているのが分かる
付いてくるのを止めもしなかったが、
控える玄武も窺うような雰囲気
教師の嘲る目付きがフラッシュバックする
違う
…教授の言葉…目付き
オニキスやラピスとの練習を瞼を閉じて思い出す
塗り替えろ
例え太刀筋や捌きが未熟だとしても
兄上はそんな目をしない
深く、呼吸を整えて目を見開いた
目の前に立つ視線を迎え撃つように目を合わせた
そうすれば信じがたい事が起こったと言わんばかりに…
目を張った、
そんな兄上に
軽く苦笑が漏れる
「いいえ、此方から行っても良いですか?」
「…っいいよ?おいで」
「参ります!」
「ふっ…」
キィーーン
太刀が交わる、金属音が響き渡った
…
…
「はっ…」
息が上がる
対する兄上は殆ど初めの位置から動きもしない
動く必要がないのだ
避けるまでもなくいなされているだけ
此方からばかり、
仕掛けている…手出しする気はない、か
ふっ…
そう気が緩んだ時だった
「オリゼ、隙だらけ」
チリッ…
身の危険を感じて距離をとれば
腹のギリギリで薙ぐ…太刀が通りすぎていく
ちっ…考えが読まれた
兄上側からも手出しするらしい…
ジャリ
踏み締めた土が鳴る
…思いの外耳についた
冷や汗が背筋を伝っている
あの言葉が掛けられ無ければ、
大振りに降られていなければ…
だが、
気付かなくても俺が怪我をすることはなかっただろう
「はっ…刃を潰している、此方は胴当てもしてあるのに…何を遠慮しているのですか?兄上」
「んー、しているつもりはないよ?」
防具を狙った兄上の意図は…
対してラフな格好のまま危険等ないと言わしめた姿
事実、
それほどの実力差があったとしても…
少し余裕を崩してくれても良いじゃないかと、
剣の手合わせを今しているとは、
到底思えないゆるりとした口調に余裕綽々な雰囲気…
ちっ…
どれ程尊敬していて
敵わないと知っていたとしても…
そんな相手だとしてもだ。
「…本気に、して差し上げます」
「出来るの?オリゼに俺を?」
煽ってくる兄上に
ニヒルに口角が自然と上がってくる
楽しい…
手加減されていても、本気になることはきっとなくても
口先くらいは何を言っても自由だ
魔力を高めていく
補う為だ、付け焼き刃でも少しは動きがましになる
そもそもその間待ってくれている地点で、
…まあ容赦されているのだが
「当たり前です、行きます」
「ふふっ…来なさい、叩きのめされる覚悟でね」
「…っ戯言を!」
基礎的な型
先程と比べてブレもない、スピードも先程よりは一段階上がる
いなす兄上の剣の重みも、少しは増してくる
角度を変えて斬り込む
タイミングをずらす
例え扱える技術が
不完全で両手に収まる型であろうと、
工夫で補えばチャンスは必ず巡ってくる
オニキスやラピスの独自の捌き、
それを少しずつ混ぜれば…
ほら、崩れた
…ここに!
兄上の軸が少しぶれる
剣を叩くように振り払い、首元に剣を…足を踏み込んだ
「ぐっ…」
「勝負、あったね?」
1歩引くだけで
素早く体勢を戻し避けた兄上に
そのスピードを利用され…そのまま転がされた
素早く、立ち上がろうと仰向けになったときには…
剣先が目の前にあった
「…参りました」
「ふっ…また手合わせしようか?」
「このまま終われませんよ…」
魔力も使わず、
息も切らさない…
赤子を扱うようにされたままでは格好悪いにも程がある
剣が引かれ、暫く
呼吸を整えていれば…
代わりに手を差し伸べてくる兄上
それを掴みながら起き上がった
…
「湯あみしておいで、その後お茶にでもしようか」
「はい、兄上」
…途中まで
各々の部屋にと分かれる際に声を掛ける
着替えだけではと…
オリゼ程は汗だくではないにしろ、
気持ち悪く感じるほどにはうっすら発汗はしている
昼迄の約束、
一旦湯を浴びる時間を作った方が良い
緊張が解け切れていないのを解すためにもね…
「楽しかったなあ…」
「相手にもならなかったでしょうに」
「オリゼと手合わせできただけで嬉しいんだけど?」
「…別の意味で楽しませるくらいになってみせます」
「可愛いいこと、言うようになったね…楽しみにしてる」
「…そうですか、期待はしないでください」
「ん?なんて?」
「…努力はします」
むすっとした顔が可愛い
俺に並ぶくらいになると啖呵を切ったかと思えば、直ぐに期待はするなと言う口は…
聞き直せば、尖りながらでも紡がれた台詞
…卑下して諦めている訳ではなさそうだ
この弟は…
少し俺を神格化しすぎているからね…
その思い込みは直りはしないだろうが、努力すれば俺くらいにはなれると思う
まあ…そう言えば、
確実に反論して怒ってくるから言わないけど
また後でと断りを入れて、
爛々とした玄武をつれて部屋に戻っていく姿を
暫く見つめていた
…
「玄武」
「はい」
「満足しただろ、湯あみが終わったら少し休め。
兄上のところでどうせ昼過ぎまで過ごす」
「…貴台」
「小一時間だ、その後烏を迎えにいく」
「畏まりました…」
俺の剣が見たかったのは分かる
だから許した
だがそれはそれ。
本来玄武が仮眠をとる時間を割いたのは分かっている
万全にしておけ
その意味は伝わったか…
本気の烏を抑えられるのは玄武位
まあ…俺に手は上げないから俺でも勝てるが意味合いが違う
が…理性を欠いているなら話は別だ
万が一にもそれはないが
…念のためだ
部屋に入れてから様子を直接見に行ってはいない
その代わり逐一、詳細まで報告は上げさせているし
確認もしているが…
烏のことだ、無理を繕っているに違いない
溜め息をつきながら、
汗を流すため湯あみに向かった
……
魔方陣で軽く清めた後、
着替えを手伝っていく青龍
オリゼほど、
…湯あみは好きではない
魔方陣で済むのならば、それで良い
…たまに入るのはまあ、気持ちいいが
「若」
「なに?青龍」
「いえ、お茶も宜しいですが…そろそろ昼食の御時間です」
「そうだね…なら軽く。昼は分かってるよね?」
「海の幸…でしたね。御用意しております、若」
「苦労したでしょ?」
「いえ、若の為ならば易いことです」
「…そう、青龍がそんなこと言うなんて…
オリゼの剣にでもそんなに動揺した?」
「…」
コンコン
「兄上?」
「入って良いよ、青龍良かったね?」
「…用意して参ります」
久々に甘いことを言う青龍を問い詰めていれば、
オリゼが来る
免れたね…どうせオリゼの姿に感化されたのだろう
俺と同じく、玄武も青龍も
オリゼの剣術…
その練習は、
それに関して昔起こったことは知っているのだから…
「?…兄上?」
ソファーに座っている、
…近付いて行くも兄上は思案気な顔をして黙ったまま
どうかしたのかと聞けば、
すんなりと此方を向いてくる…
思い過ごしかな…
何かあまりよくないことを考えている風に見えたが…
「気にしなくて良いよ、青龍が面白かっただけだから」
「そうですか」
あの青龍が面白い…ね
あまりそういった冗談は言わないと思うんだけどと、
入れ違いに出ていった方向を
後ろを眺めたまま
ぼうっとしていれば
背後から促す兄上の声がする
無意識だった
振り向き様に…暖炉横のドアが視界をかすった
「っ…」
昨日の耳の感覚が思い出される
出ない声も
締め付けられる首元の圧迫感
耳鳴りのように鎖の金属音まで聞こえてくる様だ
「オリゼ?…ああ、オイタした時のことでも思い出した?」
「…兄上」
「ふふふ…さっきまでの威勢は何処いったのかな?」
「何処にも行っておりませんよ」
「そう?なら良いけど…ふっ」
「…兄上」
一瞬固まったオリゼを
誘導した
隣を指し示して此方に来るように言えば、噛みついてきながらも
ソファーに大人しく座った姿
こけおどしだと分かっている、
強がりなのは何時もの事。
だから…
耳があればぺたりと伏せているのだろうなと笑って見れば…
ジト目で睨み見てくる弟を抱き寄せる
ビクリと反射に揺れる体の振動が伝わってくる
素直じゃないなあ…
思い出したのは事実
でも嘘はついてはいない。
認めはしないが否定もしない
…反発しないだけ、ましかな?
普段ならするのに…
そうか
そう言うことか…
ここ3日父上や母上の部屋で
今日は俺と過ごした理由は衣装の件だけではない筈
他の侍従の負担を減らすため
自身の代わりに烏の世話をする時間を捻出させたのだろう
明日は皆予定を聞かれていない
きっと烏の様子を、
この後迎えにいくのだろうから…
烏に時間を当てるのだろうから…
だから俺に叱られる様なことはしない
成長したんだね…
いつまでも小さい弟だと思っていたけど
そして数日経てば元の天邪鬼に戻る事が想像に固くなくても
…微笑ましいことには変わりはない
「今日の昼食はオリゼの好きなものだよ?
食べていくでしょ?」
「…青龍の負担になるだけでしょう」
「そう?青龍も乗り気だったけど…嬉しくないの?」
溜め息を吐きながら
青龍の負担だと言う様子に…疑問符が浮かぶ
照れ隠し、ではない…
普段照れ隠しで言うならば、
素っ気なくとも嬉しそうな雰囲気を出すのに…
隠しきれない筈なのに…
何処か様子がおかしい
声のトーン低いし淡々として感情もない
「…好物であればそれは嬉しくもなりますが
それとこれとは別問題ですね。
どうせ心配していたのでしょう…もし手合わせ中、立ち竦めば好物で慰めるつもりで」
「…まあね、可愛い弟のためだから出来ることはするよ?
青龍も多かれ少なかれそう思ってる筈」
「…そうですか、それは有り難う御座います」
余計なことを…
そう副声音で聞こえてくる
眉間に皺を寄せながら淡々と言われた台詞
それはないんじゃない?
確かに言葉自体は素直だけど…
普段の否定や反発の方が可愛いげがある
少し…頭に来た
「オリゼ、言葉だけの感謝ほど俺が嫌いなことはないけど?
思ってないならそう言えば良い。迷惑なら、もうしないからそう言いなさい」
「…っ」
感情を隠さずに強く言えば、
先程の淡々とした無表情は剥がれ落ちていく
目に見えて震え始める姿にも
冷えた感情は
頭では可愛いと思うが心は動かなかった




