溜飲
コンコン
『失礼いたします』
「…」
「…」
『…どうかれましたか、殿下。その様に魔力を出されるとは』
入ってくるなり
異様な雰囲気に気付いたのだろう、アコヤがマルコに窺うような声で問いかける
「なんでもない」
「…っ」
一瞬魔力がアコヤのほうに向いて緩んだ圧に
体が崩れていく…
立てていた片足も揺らぎ、
かしがっていく視界に咄嗟にもう片腕も付いて両腕で体を支える
振り返り…視線を此方に戻したのだろう
再び向けられた圧は先程以上
…最早這いつくばっているような体勢だ
そしてそれでも耐え難い…
少しでも気を抜けば手の支えすら直ぐに崩壊するだろう事は考えなくても分かる。
こんなに遠慮なく、
魔力量の差を留意せずに向けてくることは無かったのに…
それ程にマルコは怒っているのかと、
この事態は…どう収拾させたらいいのか…と
そんなことを考える余裕など無い筈なのに冷静に思案する俺がいた
『殿下』
足音がする…
こちらに近づきながら嗜めるように言葉を重ねるアコヤは至って通常運転…
この状況を見ても何も思わないのだろうか?
焦りもしない、
「アコヤ、邪魔立てするな」
『殿下』
「アコヤ」
言葉を重ねるアコヤに堪忍袋が切れたか…
一転、圧力の矛先が変わる
張った糸が切れるように床に崩れ落ちた
忘れかけていた呼吸が荒い音を立てて耳にまで聞こえて来る
…衣が貼り付いて急に寒さを覚える…
冷や汗がぶわりと湧き出たようだ…
『殿下』
「アコヤ、いい加減にしないか」
ぼんやりと横になった視界に
制止の言葉にも関わらず歩みを進めるアコヤが映る
『殿下が侍従見習いとしたのでしたよね。監督責任は私にあるはずではありませんか?』
…あれだけの魔力に当てられないのか?
俺に向けられた魔力量と同じだろう圧に晒されても、
侍従らしく礼のなった姿勢…
平然と受け答えを続けるアコヤに疑問が浮かぶ
「………何が言いたい」
『そこの見習いが、私が席をはずした間に粗相をしたのであれば私の指導不足。責は私にと申しているのですよ、殿下』
遂に怒気のこもった声にも強くなったい圧力にも何事もないように答えている…
以前支えられながら感じた震えは……
…そうか自身のものだったか
そもそも傍仕えになれるほどだ…少なくとも耐性位は持っていて当たり前じゃないか。
驕って庇ったつもりで…
守られたのはあの時も俺の方だったのだ
そう横になった視界に膝をつき、
謝罪するアコヤの姿を見ながらぼうっと考えていると
霧散する魔力
「…見習いとしての叱責ではないことは分かっているだろう?」
深い深い溜め息と共に吐き出された台詞
マルコが疲れた声を出す…
『殿下、その方が殿下にとって都合が宜しいのではないかと…行き過ぎた進言であったならばお詫び申し上げます。』
どこか楽しげな声音
謝罪のために膝を折っているというのに、
立場は下のはずのアコヤの方がこれではマルコを御しているようだ…
「…どこから聞いていた、アコヤ」
興が乗るとはこういうことか…一変、ニヤリと付くような策士の雰囲気
『そうですね…、扉に控えて居たのは劣等感の下りからですね』
しれっと立ち聞き…
扉に控えて居たと言える度胸に感心して…
ちょっと待て、聞き捨てならないぞ
ほぼ最初からじゃねえか!茶器はいつ下げたんだよ…退室してから殆んど居るじゃないか…
「それで?」
『建前は先程お伝えした通りですが、自身の身の降りで他人が責を受ける。己を大事にしないと言うことは、その様なことになると分からせるためです。
…まあ多少の良心は痛むかと』
「…いい性格してるな、相変わらず」
『お褒めいただき光栄です、殿下。
…ああ、そう言えば先程啖呵を切られましてね。そこの見習いが傍仕えとしての私を成長させてくれるそうで…
ここは庇いだてすることで、何か糧になることでもあるのだと推測したのもありますね』
待ってくれ…
話の方向が不味い…
「ほう…なかなか面白い」
「そういう意図は…ない…殿下、罰ならば俺…私が受ける…」
『黙っていなさい、オリゼ』
ちらりと視線を投げやられ、被るように言われた言葉に次げる言葉が出てこない…
「…っく」
言葉が詰まる俺から無関心とも言えるような冷えきった目線をきって…
『殿下、ともあれそういうことですので』
「合い分かった」
そう言いながら殿下が立ち上がり
向かう先を追えば……
杖を差し出すアコヤ
「…っ殿下」
思わず目の前の足を掴む
馬鹿なことをしているのは分かっている…
アコヤの話の流れで、見習いの振りをしているのではなくなった
俺は今見習いだ…
事実上厳格である主人と侍従見習いの立場
だからそれに歯向かうことは、
マルコに対して手出しすることはあってはならないこと。
…
それでも、
離すわけにはいかない。
落ちた視線を感じながらも掴み続ければ
「…アコヤ、見習いの教育がなってないようだが?」
『ええ、大変申し訳ありません。加えてお願いします』
更に高く差し出す動作に…力も抜ける…
手を引けばどうなるかなんて分かりきっている…手を引かなくても悪化する一方…
「オリゼ、殿下から手を離しなさい。
主人から私が杖で打たれる回数を増やしたいた言うのならば構いません」
「いえ…打たれるのは、私が…」
「そうならないことは、
殿下が矛先を変えることはないと分かっている筈です。
…
先程の殿下との会話で、
まるでもう期待されたくないと言うような表現をしましたね?
ならば何故貴方は見習いなのでしょうか…
そうして膝をついているのは"友人"としての立場ではないということ
…見習いと言うのは先があるものです、
侍従になるという見込みが…期待がされた身分です。
…
私が指導する"見習い"ならば此方から見捨ては致しません。
それに…あれ程人に発破をかけておいて指導もしない内に貴方が自身を諦めるなど…舞台を降りるなど決してこの私が許しませんね」
「…アコヤ、さん…」
「何処かで己を諦められないのでしょう?
期待をする側が、その期待を諦めない様を見ていなさい…期待と言うのは目をかけると言うのはタダではないのです。
時間も労力も…時には資産も心も使うでしょうね、
辛いのはそれを受けて努力する側だけでなく、双方なのですよ?」
「…なれど」
「期待を裏切ることが怖いのでしょう?
それによってもたらされる事象も…ですがそれから逃げていては駄目であることは自覚している筈です。
…手を離しなさい、そして目を背けず見ていなさい」
「っ…かし…こまりました」
だらりと滑るように手が
絨毯に音もなく落ちていった…
痛い…
俺が俺を諦めた
それをこの二人は許さないつもりだと、
だからこそこの結末になったのだと見せつけて楔を打つのだ…
下らないと、
己を諦めるなと…
期待して裏切られたとしても、痛みを伴ったとしても
それでもまた期待するのだと…
まるで父上のように、
兄上のようで…
そして熾烈な方法は…玄武に似ている
そんなことを考えながら、
…離された、
その足がアコヤに向かっていくのを静かに見ていた




