帰省1。
今学期
最後の1日
憂鬱な日がやってきたと、
そう思えば思う程…緩慢な動きになりながらも半日を過ごした。
起床し、
基礎講義のテスト返却と解説…
喉を中々通らない昼食を済ませ
そして五つある選択講義を終えて寮に帰ってきた。
…
疲れた…
30分ずつ、
五つあった選択講義
トータル二時間半の予定が30分で済まされたのだ…
時間がもったいない、
待つのは面倒だと…
教授達が一気に纏めて終わらせてくれた。
教授五人に生徒一人
教える側が五人に聞き手が一人だぞ?
俺は、
過去の7人の話を同時に聞くことが出来たなんて偉人じゃない
寄って集って俺に怒涛のスピードで講義内容を詰め込まれたせいで
浮いた2時間程、
…自由時間になったが。
そんな特急講義で
理解できる筈がなく
帰寮し直ぐに返ってきたテストの見直しと再度復習、
読み返しを軽くした。
30分で終わったのは、この俺の理解の追い付きと復習時間を講義時間からカットした成果であることは分かっていたからだ。
あの教授達が、
それくらいの復習は講義時間内でやることじゃない。
浮いた時間で一人でやれと…
つまりは浮いた二時間は、
厳密に言えば自由時間ではないし…既に一時間半程消え去っている
さて
復習が終われば…
受け取った成績表と合わせてそれもバックに仕舞い終えた。
つまり、
本来の選択講義の時間はもう既に過ぎた
特別講義棟から寮に帰ってきて、
最後の身支度の時間を含めれば
そろそろ兄上が来る筈…
最後にこの部屋の片付けの仕上げ
バックに入れるものを入れて、
もう…後は兄上を待つだけになる
そう…
もう
屋敷に戻る時間が迫ってきている
あれだけの事をして、
父上や母上からどの様な扱いを受けるかは想像に固くない。
いくら優しい両親であれど、
兄上から見させられた帰省中の俺の生活計画から見ても…何の手打ちもなく済ます事はない
一度屋敷に帰れば幽閉されるかもしれない。
今までの半年、
小遣いがなくなったとは言え強制帰省はなかった…
最後の学園生活、
後先無い俺に対しての慈悲か…
親心からの猶予かもしれない
だからこそ、
悪友達には心配するなとか言ったものの…
実際俺が後期、此処に戻ってこれる保証は無いのだ
ならばせめて心残りがないように。
…
約束していた
オニキス達との剣術の練習も済ませられたし
他愛もない…
テスト結果やらの言い合いも充分した。
昨日の内にラピスとオニキスの相手はし終わったと言えよう。
危惧していたラピスの側仕えに関しても、
首にならず…
ラピスの怒りも落ち着いて元の主従に戻った様に見えた。
基礎講義と選択講義を終えてから
寮に帰る道すがら、書庫に寄って借りていた教本等も全て返却した
朝、基礎講義の前には
使用人部屋を片付けてきた。
万が一次の侍従があの部屋を使うとしても大丈夫なように…
支給された侍従服に白手袋
キャビネットには、
気に入っていた着流しが数着
城下で買った空瓶、
乾燥野菜やタンポポ珈琲を入れていたガラス瓶が数個
残してきた瓶や着物、
服も、家紋や俺の名が入ったものはない。
次の侍従が不要であると思えば捨ててもらって構わないと、
…処分に困るものは残していない
それ以外の物はここ、自室に持ってきてある。
もし学園から除籍されるなら、
屋敷の侍従がこの部屋の荷物は処分してくれる筈だ。
あとは
…最後にこの部屋の片付けの確認が残るだけ
この部屋にあるものは
全部…お気に入りのもの。
だけど全て荷物に入れられる訳じゃない
バックに入れて持って帰っても、
幽閉されればどちらにせよ同じことだ。
触ることも見ることも、使うことも出来ないだろうけど…
一対の礼服と賞金、
次男の証であるアメジストの原石
最後のお小遣いで買ったガラスペンとインク
それだけは
最後まで持っていなければと肩掛けに仕舞う
上の使用人部屋から持ってきた寝具。
枕代わりにしていた熊のぬいぐるみと肌触り良いタオルケット
入学祝いに仕立ててもらった着物も、
礼装もクローゼットの中に仕舞われたまま。
一度も袖を通すこと無く、
陽の目を浴びさせることも出来なかった服達
初めて父上に貰った鉱物事典
初版の限定のもの…
勉強が出来たご褒美に貰って大切にしてきたそれも、
重く此処に置いていくしかない。
昔は好きだった…
屋敷で馬と触れあうのが面白かった。
だから学園に入ったら、
クラブに入って乗馬もするのだと…無邪気にはしゃいだ俺。
学園生活に一点の曇りもなく、
前途洋々…希望しかなかった入学前。
乗馬の才能があるかも分からない、
クラブに入るのかも分からない…
そんな俺は
父上から一級品の馬具も揃えて貰ったんだっけ。
一度も使っていない
引きこもりになってからは、
あることすら忘れて奥の方に吊るされたままにしていたんだな…
もったいない事をした
…
コンコン
「帰るよ」
そんな後悔を
部屋の最終確認と共にしていれば、
扉の向こうからタイミングよくかけられた言葉
重くなった肩掛けを手提げで持ち、
立ち上がり
扉を開ければ兄上に…
後ろにはトランクを持った青龍が控えている
「…兄上」
「準備は出来てるみたいだね」
「はい」
「なら行こうか」
「…」
帰りたくない
そんな事を言えることもなく
部屋を出て、施錠しなきゃならない。
兄上が隣で待ってくれているのを知りながら、
鍵を閉める前に最後にもう一度だけ…と、
大好きなものが詰まった自室の景色を名残惜しく最後に脳裏に焼き付けていく
「…オリゼ?」
「いえ、何でもありません。
お迎えありがとうございます」
黙って部屋の中をただ見ている、
扉を閉める前に名残惜しそうにしている俺の姿はやはり変に見えたのだろう。
心配そうに声をかけてきた、
その声に何でもないと…
そしてゆっくりと扉を閉め
今度こそ兄上に体を向けながら
…出発の準備は終わったと言葉にしたのだった
…
…寮から馬車の止まっているところまで歩いていく
俺の前を歩く兄上と
その半歩後ろに控える青龍
とぼとぼと、
側仕えのいない俺は
自分で重い肩掛けを手に持ちながら俺はついていく
「可愛い…可愛いんだけど、青龍」
「左様で御座いますか」
「連れないなあ…迎えに来たのを気にしてるんだよ?
お礼言ってくれた、滅多に素直に言わないのに…可愛いでしょ?」
「…左様に御座いますね」
大人しく付いてくる俺に、
先導する兄上の口調が崩れていく…
それに対して、
青龍の応対は冷静そのものだ
兄上も
俺が今回の帰省を忌諱していることは分かっている筈
この馬車に向かう足取りは、
俺が地獄に向かう距離が短くなっていくことに等しい。
兄上の計画上、
俺が屋敷に着いた瞬間こんな甘い顔も声も消える。
俺に身の自由はないし、
兄上はただきつく俺を怒る筈。
泣こうが叫ぼうが、
父上や母上も俺を罰する…
そんな
父上や兄上の管理下にある屋敷に帰れば逃げ場はないと理解出来ている。
それでも俺が今も逃げないのは、
…兄上が部屋に迎えに来るまで在室して逃げなかったのは、
何も逃げるなと、
兄上が釘を刺して脅したからじゃない。
…俺に逃げる気が無かったからだ
怖くても、
迷惑かけた両親と兄上に対してけじめはつけなければと…
それを兄上も感じ取っていた
そうでなければ…
本気で俺が逃げると思っていれば、
兄上の事だ。
昨日今日放置なんてしなかった…
兄上の部屋で寝起きさせられて、
講義の前後も逃げないように青龍にでも見張らせていただろう…
だから
迎えに来るまでは自由に学園生を謳歌できた。
部屋に迎えに来たのも、
純粋に兄として一緒に帰ろうと…
俺のことを思ってくれている行動によるものが大きい。
俺の身の安全の確保、
逃げることも懸念してないわけではないだろうが…
屋敷までの監視だけが目的ではない。
それくらいは天邪鬼の俺が邪推しても否定出来ない
兄上の気配りが分かっているからだ
だから…
感謝くらいはしている。
大人しく後ろをついていく、
無駄な手間を掛けさせるだけと知っているから抵抗もしないだけだ
「分かっているじゃないか。
青龍、俺の弟は可愛いよね?」
「若…申し上げても良いですが、玄武に睨まれますので御容赦を」
「そうだね…ごめんごめん」
「…今、なんて…?」
目の前の会話
その中に出てきた"玄武"の響きに
思わず足が止まる。
ただでさえ重かった足取りが止まる…
「気分…悪いの?」
「…いえ」
「なら、俯いて立ち止まるのはどうして?」
「っ…」
久しく聞いていない単語
立ち止まる事も逃げと見なされたのか、
数歩後ろで俯いて立ち止まる俺の方に足を戻してくる兄上
我が儘は駄目だと嗜めるように、
肩に手を置かれて歩くように促される…
「オリゼ」
「ごめんなさい…」
その兄上の
顔を仰ぎ見る為、俯いていた顔を斜め上に上げれば…
黒い物を背後に背負った兄上
ここで立ち止まったところで、
何の意味もないと俺に言い聞かせている目だった
こうしている内にも
歩くのを促される様に、
兄上の肩を掴む手が強くなっていく
「…行こうか。馬車をあまり待たせても悪いし、ね?」
「はい、兄上」
聞き間違い、
そう思うことにして…
馬車に玄武がいないことを祈るだけが
今の俺に出来ること
…釘を刺され、
また重い歩みを再開したのだった
…
…
「オリゼ、着いたよ」
「…はい」
とぼとぼと歩いていれば、
いつの間にか馬車の前に着いたようだ
肩から兄上の手が離れて
目を上げれば見たことのある兄上の馬車が目の前に…
開いている馬車の扉から、
兄上は躊躇すること無く
青龍の手を借りて馬車に乗り込んでいく
…だけど、
俺はそうはいかない
俺の横…
馬車の扉の前に立つ侍従が、玄武だった。
一年前、
初年度の後期始まって直ぐに…
もう俺に側仕えは要らないと、学園から手酷く扱って屋敷に返した。
ある筈もない手落ちや、
無理難題を突きつけて役立たずだと
俺の側に侍るなと
兄上の侍従にでもなれと言って
追い出した…俺の側仕え、だった人だから
…
初年度後期、
最初の講義で魔力量測定があった。
父上や兄上の魔力量が多かった為…
当然…
あの当主の息子、兄上の弟だから魔力量が多いだろうと、その期待は俺にも掛かっていた。
俺自身もそう信じていた
兄上や父上のように自身も魔力量が多いと…
期待に満ちていた。
だけど、
その思い込みは外れた。
周りも時間が経つにつれ、
期待外れだと
前期の成績も悪くはないが学年一位の兄程ではない、
魔力量も突出して多くない
兄の劣化版だと陰口を耳にするようになった。
だからそんな自分には侍従など要らないと、
玄武を屋敷に返したのだ。
引きこもりになった…
長期休みも帰省するつもりはなかった。
学園を卒業してからは家に帰らず、
何処かでひっそりと暮らそうと思っていた
だから、
玄武には今後会うことはないと思って…
理不尽に接したのに
そんな相手に、
…合わせる顔がない
「お久しぶりにございます、貴台。
この日を…首を長くしてお待ち申し上げておりました」
「…」
「何してるの?ほら、玄武に荷物預けて早く馬車に乗りなよ」
馬車の中から、
何をしているのだと兄上の声が掛かる
「…兄上」
「なに?」
「…いえ、何故ここに玄武が居るのですか?」
「オリゼの傍仕えでしょ?当たり前のことに何を疑問に思うことがあるの?」
「兄上…」
やはり…
俺が玄武に会い難いことを察しても、決定事項は変えないらしい
俺が屋敷に帰る事は変わらない。
屋敷に戻る為の馬車
俺の世話役として馬車に控えさせた人事も今更変えようがない。
出発直前になって変更してくれと、
俺が我を通したところで無駄なことくらい頭では理解できる
そこまで餓鬼じゃない
だけど…
玄武と俺が馬車に乗ること、
その事象は変更不可で変えられないこと、
素直にそれらを受け入れられるわけでもない
「話なら乗ってから聞く、いいね?」
「…」
それならもう遅いんだよ
それを分かってて言うから…
だが、
兄上の二度目の促しから拒否する余地はない
不承不承、手を差し出している玄武に荷物を押し付け
馬車に乗り込んだ
…
…馬車が出る
舗装されている道だとしても、
全く揺れない訳ではない
目の前の兄上から、
隣に座る玄武から視線を外すために馬車の窓の外を眺める
馬車の扉から見て右奥が上座
進行方向に正面を向けて座れる場所が一番地位が高い席だ。
そこから左奥、
右手前、最後に左手前の順で席順が決まっている
勿論
上座に兄上、
その隣の三番の席順には青龍が座っている
進行方向を背に、
左奥が俺の座る…次席で
その隣の玄武は、四番目の一番下座となっている
外は学園の正門を抜け、
城下の景色になっていく…
ただ流れていく
賑わう店先の喧騒、
商売魂を発揮している店主…
楽しそうに買い物をしている客の人々
どれもこの馬車内の静けさ、
重苦しい空気とは正反対
例え手を伸ばしてもその景色は窓で隔てられ、
願っても馬車は降りれない。
すぐ目の前の…
その賑わいに身を投じることは出来ず、
…今の俺には別世界
「それで?どうしたの?」
「…分かってて言っているでしょう、兄上」
「荷物を持たせた地点で玄武を傍仕えとして認めてる事になるってこと?」
馬車に乗る際、
手荷物を玄武に預けた…
それは自分の担当侍従だと認める行為
此処にいる侍従は
青龍を除けば玄武一人
復数人侍従が侍らない場合、
その侍従は己の側仕えであることが一般的
兄上の側仕えが青龍であるように、
俺の側仕えが玄武であることは…荷物を預けた地点で認めたに等しい行為になる
俺がそう思わなくても、
そう思われる
それだけは避けたかったから、
俺は玄武に荷物を預けたくなかったのに…
「玄武は父上の…屋敷の侍従です」
「玄武はオリゼの側仕えだよ?」
「…俺に、
侍従はいません」
「傍仕えに限らず、自身担当の侍従や使用人は要らないって手紙で言ってたことかな?」
「はい」
「…もしかして本気でその手紙の主張が両親に快諾されると思ってた?」
「あの時点ではいざ知らず、
牢に入った愚息には過ぎるものです」
「…簡単にオリゼ担当の人達が自らその役割から降りると思ってたの?
他の担当になるって、本気でそう思ってた?」
「…他の担当になった方が得策です」
「本気で、そう…今でも思ってるの?」
「ええ…見習いをして改めて思いましたね。
確かに昔、兄上と同じ駒が欲しいとねだったことは覚えています、
ですが、それにしても何故…次男の俺に兄上と同等の優秀な侍従達や使用人がつくのかと、
今では人員が手薄な父上や母上担当に何故配属されないのかと思っています」
「オリゼ」
「…なんでしょう」
「使用人や侍従とて人間。
父上の采配が上手いことも、相性や適性…それらを含め様々なことを甘味した配置なのも分かっている筈。
それに…少なくとも玄武がそうは思っていないことくらい、分かってるよね?」
「…さあ、人の心までは分かりませんので」
「オリゼ!」
「…勝手になされば良い、きっと後悔する。
その判断も、俺についた人達の皮算用も…間違っています」
「皮算用って…なに?
損得勘定でついてると思ってたの?次男の肩書だけで、そのヒエラルキーを手に入れるためだけに「それ以上の役があるならばそちらを選ぶべきだ」」
「っ…本当、天邪鬼。
残念だけど…
本気で躾直さないといけないみたいだなあ…
ねえオリゼ?1年言わなかっただけで俺が言い続けてきた事をすっかり忘れてしまったみたいだし
…思い出させてあげないとね?」
「…」
「屋敷まで我慢してあげようかと思ってたけど、やめた。
…隣においで」
「…お断り、します」
そう言えば、兄上の意図を汲んだのだろう、
青龍が立ち上がる気配がする
そして、何をされるかも…
席を入れ換えようとする兄上の意図も分かる…
そんなもん、嫌に決まっている
「オリゼ、来い」
「ぅ…」
「俺がそちらに移っても良いなら、それでも良いけど?」
「…止めてください」
良いわけがない
脅しだ…
俺が良しとしない事が分かっていて気にしないと、
実行すると明言する。
…
今座っている俺の隣、玄武の席は
一番位が低い
兄上が座るべきではない。
だが兄上が玄武に席を譲れと言えば
同時に…玄武が一番の上座に座る事になるのが分かっていて言っているのだ。
揺れる移動中の馬車、
立ったまま席に座らない事は選択肢にない…
席を譲った玄武には、
空いている席は上座の席ひとつ。
兄上は玄武の席に移る、
つまりは玄武に席を空けろとしか言っていない
席を譲った後
玄武が兄上の上座に座る許可や命令はない。
つまり…
兄上の許可なく座れば
間違いなく玄武は叱責される
「オリゼ、来る気がないなら…」
「…いえ」
「俺が下座に座れば、
玄武が許可なく上座に座らざる終えない。
その状況を阻止したいなら…
俺の脅しは分かってる筈だよ?」
「玄武が代わりに兄上の席に座る許可は…」
「それを出せば、
脅しにならないね」
「…兄上」
やはり玄武が上座に座る許可は出ない
玄武が
上座に座る許可を願い出るような事もない
そんな…恥知らずの侍従は父上の屋敷にはいないからだ。
つまり、
これ以上俺に選択肢はない。
俺が願っても兄上から許可は出なかった…
勘違いじゃなかった
兄上はその許可を出さないことで、
俺が兄上に従うか、
玄武が酷い罰を受ける二択をやはり迫られているのだ
「で、どうするの?」
「隣に、座ります」
「ならば…いい加減来なさい」
「…はい」
それに比べればこの席に青龍が座る方がいい
次席の格だろうと、俺が三番の格の席に座ろうとこの馬車で兄上が許せば、
そうしろと言えばそれは許される
青龍に罰は下らない。
俺が兄上に従うだけで、
玄武もこれ以上俺の手で痛め付ける事もない
…
低い声、意図的であろうと命令口調にまでなった
…その兄上に抗う術を俺は持っていない。
最終確認の声に…
唇を噛み締めながら、
青龍の座っていた…空いた席に移動したのだった




