調整
「入れ」
ラピスらしくない声音
それと共にルークによって扉が開かれる
異様だ…
まるで知らない人の部屋に来たみたいだと何故か感じる
踵を返す訳にも行かず、
それを確かめる為に1歩踏み出した…
ひりついた冷めた空気
それが部屋の中に充満しているのは何でだ?
確かにオニキスはラピスが怒っていると言った…
怒らせた事なら何度もあるが、
その時に感じた物とは…そのどれとも何かが異なっている。
最初に感じた違和感は払拭も薄まることもなく、濃度を濃くするばかり
こんなことは初めてだと…
そう訝しく思いながらも、
部屋の中に進み
「…調整をさせて頂きに来ました」
ソファーに座っているラピス…様に
軽く頭を下げる
端的に殿下の用事で赴いたと伝えた…
「…見習いさん、俺は君に用があるわけじゃないんだよ?」
「私ではご不満でしょうか…」
「不満も不満だね、俺は"友人"のオリゼに用があるんだ。
こんな俺以外のしがらみにまみれて素直に来るようなやつに用はない」
「…」
見習いさん?
突き放すにしても、
言い方もその温度も…
そして殿下へこんな形で不満や嫉妬を直接的に表現することはない。
例え気を許した俺が相手だとしても、
分を弁えているし…
言ったたしてもそれは俺がラピスの親友である時だろう
侍従服を身に纏い、
そもそも殿下の侍従見習いとして予定を伺いに来た俺に…
そんな下らない発言はしない。
ラピスはよっぽどの事がない限り、
面と向かって…他家の侍従に対してさえも含めて貴族間の序列を無視した振る舞いはしない…
余程怒りで我を失っている
そう仮定すれば…
侍従見習いとしての顔を見せる前に、
親友の俺として謝ることを先にせよと言いたいのだろうか?
それにしたって変だな…
「ああ…事足りるよ、調整ならば君でもね。
でも俺が欲してるのは自身の意思のみで来る"オリゼ"だ
…詫びるならそんな役に甘んじて俺の怒りを誤魔化そうとしたって無駄な事だって分かってる筈なんだけどね?」
「…」
次に続く言葉に確信を得る
確実におかしいと。
悪友である俺に対して怒りの矛先を向けたいのだろう、
そして今この場にいる名前は同じでも見習いのオリゼには用はないと…
親友の方の俺に来て欲しいのも分かっていた…
俺はラピスの約束を反古にしてここ一週間あまり会っていないのだから、
それも当然かもしれない。
そしてラピスがそれについて怒っていると聞けば、
確かに俺は自分の意思で進んで謝りに…ここに素直に来ないかもしれない…
それは分かる。
侍従見習いとしての俺と親友の俺は同一人物、
手枷の調整の観点から見ればサイズに1ミリ足りとも差異はないのだからどちらが来ても用は事足りる。
それについても理解は出来る
…だが、
それについて俺は疑問に思ったわけではない、
それは俺が黙った理由ではない。
俺以外のしがらみ?
そんな役に甘んじた?
どれも
今ここでラピスが言うべきことではないのだ。
俺は用件を伝えた、
業務で伺ったと言った筈だ…
だからこそ、
殿下の指示に従い俺は制服でも私服でもなく、侍従服を着て…ラピスに調整日の可能な日を伺うために此処に居る、
それはこの場に必要なのは見習いの俺だからだ。
それなのに
仕事であっても自分の意思で来いと、私的感情で俺個人を求める言葉…
仕事と私事を分けるラピスならば、
…仮に私的なことに仕事の知識や軽い道具を使うことがあっても、
その逆はない、
仕事に私事を持ち込むことは絶対にない。
ラピス自身がそうであるからこそ
他人や俺らにも公私混同を求めないし、こんなことは言わない。
だから…
例えどんなに俺と遊ぶなり話がしたかったとしても、
それは別の機会に約束を取り付けてくる筈なのだ…が?
「どうした、何故なにも言わない?」
「僭越ながら…ラピス様は今回の殿下の依頼について、
侍従見習いではなくオリゼ様個人が出向くべき…調整相手にと考えておられるのでしょうか?」
「そうだ、何か問題でもあるのか?」
「…いえ、貴方様の都合が悪くなければその様にお伝えします。
お時間は如何しましょう」
「そうだね…オニキスが君を1週間好きにしたって聞いてるし…
でも"友人"のオリゼなら毎晩8時から四時間ほどで良い」
勿論1週間ね、と
…そう加える目の前の相手に更なる疑問が湧いて止まない。
今回の依頼は御家からではなく、
直接ラピス個人に対して舞い込んだ依頼…
求められているのが趣味や試作品として"私的"作っていたものであっても家業に類する"仕事"に変わった。
…
私的なことを仕事に持ち込むことになる、
それにも関わらずラピスはそれを躊躇なく受注した。
また…
相手が皇太子だから仕事を受けざる負えないと考えたならば、
名目は侍従見習いに対して行使したほうがまだ納得できるのではと、そう思う。
身体は同じ…傷付くのは親友である俺に違いはないが
詭弁を使えば親友に向けて仕執り行う訳ではないのだから…と
私事を仕事に持ち込むことになる…それを断れるのに、断らない。
態々…見習いの名目を取り去り親友を仕事に関わらせる。
この…
ラピスの信条に抵触する2つを自ら積極的に選び執り行うと…?
…素の俺を好きにしたいって?
友人?
親友の俺…ではなく友人の俺?
今迄…
それがどんなに簡単な依頼でも、
家業に類するものは…俺らに手伝わせも目に触れることもさせない、
寮で出来る仕事が発生すれば一人にしてくれとオニキスと共に俺を部屋から閉め出した。
…
先日だって、
侍従見習いの俺に対してだって親友に使うことは信条に反すると言って、
家業の道具…刑具を使うことを嫌った。
皇太子である殿下が絡んでいたとしても…だ
そんなお前が?
他でもないラピス本人がそう望むと言うのか?
…おかしいだろ
「…平日の毎夜4時間をここで1週間、宜しいでしょうか」
が、"私"は"ラピス様"に
多少条件で変わっても依頼を受けて頂かなければならない、
それが仕事。
例え…多少おかしなことになっていようと、
態々、
…ラピス曰く"友人である俺に"仕事の代打を依頼することになったとしてもだ。
「それで良いよ」
「それではそのように"友人様"に伝えます」
「…そうして」
休日は確約できないと思いますと、
日数換算で1週間で良いかと確認するも快諾される。
言付け…まあ本人はここにいるけれど建前上ここにいるのは"友人のオリゼ"ではない
自室にいる"オリゼ"に伝えておくと方便を使って退室しようと足を踏み出した
「…ああ、次いでにそれともうひとつ」
「何でしょうか?」
「朝食は約束通りに…そう言えば伝わると思うから」
「……っ畏まりました」
再び一礼して、今度こそ退室した
…
自室に戻って制服に着替えるも、
…予習をしようと机に座るも何も手につかない
最悪だ、
去り際に言われた台詞が頭に残っている…
気まずいからって逃げないよね?
"朝食は約束通りに"なんて…
約束は既に破られ一回も履行された事はないのだから。
だからこそ怖い
どれだけ怒っているのか分かる
見習いとして行ったが、あれはもう普段のラピスではなくスイッチが入りっぱなしだったのかもしれない。
1週間分共に食べるはずだった朝食…反故にした上に今日の朝食も一緒に食べないなんて事はないよね?
解釈するならばこうだろうか?
だが…実家の職業柄だろう、その顔のまま。
何が切っ掛けで戻るか分からないが…
少なくとも気の済むまでは俺のよく知るラピスに戻りはしないだろう…
でも必ず戻さないと…
振り切れていて、自分の手でスイッチを切れそうも無さそうだった
本気で怒らせたことはない…
最近怒らせたときでもちゃんと友人だった、
多少のスイッチの入りようはあったがそれはラピスの自己調整が出来る範囲だった筈だ
…
そんなことを考えれば、
考えてしまえば…
何を書くでもない、
結局動かしすらしなかった手に持つだけの硝子ペンを置いて、
何も進まなかった予習の為の物を片付ける。
上の使用人部屋から持ってきた
今日の講義分の教材をバックに詰める…
最後に硝子ペンも入れて…
…
朝食に向かう準備をし始めた




