責29。
あれだけのことをした俺一人に任せるなんて…
今回は少しおかしい。
まだ俺は主人に対して侍従として謝罪が済んでいない、
失態する度に、
主人に許されるまで仕えることを認めないと常々俺に言っていた筈では…と。
アコヤが主人に俺を許すと確認するまでは、
…こんな風に仕えることを認めたことはなかった。
でも…
…それでも任せましたよとアコヤは言って出ていった。
様子を見る必要もないと、
侍従として主人の世話を俺一人に預けた
…それに応えないような人間には、俺はなりたくない。
目の前の…
使用人通路へと続く扉も俺が通れるようになっている
いつの間にか消えている魔方陣
その消えていった扉を見ながら決心を固め、反転する
ここにも魔方陣は何処にもない…煌めきも効力も…
その言葉にしないアコヤの信頼に、
殿下…主人の部屋に続く扉をノックする
「入れ」
入室許可の声に足を踏み出す
オニキス…様達はもう帰ったようだ、
ソファーで何かを読んでいる主人の後ろ姿に近づいていく
「自由時間…ありがとうございました」
「…アコヤに絞られたか?」
一礼して横に立てば
ちらりと視線を向け、顔を見られたがすぐに本に目を戻す
集中して読書でもしているのかと、
声を抑えて後ろに立ったのだが…
返ってこないと思っていた返事が返ってきた…
それどころか俺に会話を続けさせるつもりらしい
「…はい、お陰様で至らない点を自覚できました」
「それで?」
「…侍従として、再三に渡る失態の数々…お詫びのしようもありません」
「そうだな」
「っ…侍従としての心構えがありませんでした」
「その通りだ」
「っ…今更とはお思いでしょうが、機会をいただけるならば…今後もどうか…仕えさせてください」
「…」
感情の起伏がない淡々とした声に、
片膝を折ってかしずく
詫びることは多いと自覚しているから、
侍従として主人への謝罪無しになあなあにするつもりは毛頭無かった…
叱責か、やはり再起の機会は用意されないのか…
その判断を仰ぐため
頭を下げて静かに待っていると…
わずかに注意がこちらに向く気配を感じる
「オリゼ」
「はい」
「心構えもないままに仕える気か」
「心を…入れ替え精進致します」
「侍従として俺に仕える気があるのか?」
「許されるのであれば、望みます」
今まで自覚できはしなかったが、
マルコと交わした主従規約は俺にとって甘いものだったと今になって思う…
アコヤが何故確認しなかったのかと、
重すぎる罰の要項に俺を心配して声をあらげたが。
先程…
心得を復唱させられたことで知ったばかりの普通の使用人や侍従の扱い。
少し失態しただけで、首が飛ぶのだ…
つまり俺の契約のように罰が重くないのは…それを受ける前に用無しになるから。
比べ物にならない…失敗も失態も…多少の傷と痛みを我慢すれば無条件で許される
仕え続けられるその規約は、
マルコが名ばかりにでも侍従として俺を繋ぎ止められるように用意された物だと…
友として案ずる物が含まれると漸く理解出来た
その一線を俺から越えると明言した
侍従本来の…覚悟をすると
名目ではなく侍従として。
仕えるならば友人を言い訳に…規約に甘えず侍従の心得を持って仕事をすると
「ちっ、頭を上げろ…」
「ありがとうございます」
「…お前向けの主従規約を念頭に置かず、"普通の侍従"に照らし合わせれば
今回の件が首を上回る事は自覚しているのか」
パタンと左手に持った本を閉じ、此方を向く
面を上げた俺に、
本当にいいのかと俺の意思を確認するように目をあわせてくる
…首を上回る、ね
それも注意されたな…
今こうしてみれば殿下にどう責められるか分かった上で、
アコヤはあのような言葉を予め俺に突きつけてくれていたのか…
お陰で…
返答に言い淀むことも、
視線に動揺することも怯むこともなく、
姿勢を保ったまま俺は頭を上げられている
「承知しております…その上で厚かましくもお願いに上がりました」
やはり視線は外して貰えない
そうすることで、
俺の言葉に偽りがないこと、
本気であることを確認するために探られている
…反らすことなく此方を見る目は、
普段友として見るものではない…王族としての威圧が含まれた物だ
それでも怖くはない
アコヤにも窘められた…
侍従心得を何度も復唱させられたお陰で、
その心構えをする気持ちはもう固まっている
それが本来俺を見る目であると分かる、
侍従に向ける目として、主人らしい威厳でもあるとかんじるから…
「条件がある」
「…何なりとお申し付け下さい」
「決して俺の友人としての立場があることも忘れるな」
「っ…」
侍従としての覚悟、
それをするのはいいと…
だが別の立場も忘れるなと釘を刺されたことに息が一瞬止まった
あの時…
ほぼ無理強いされて言わされた言葉を思い出す。
卑下して見合わないからと背を背けた俺に、
…己の友人として自身を認めて欲しいと、
この人は俺に切に願ったから…
多分、
俺がこうして侍従としての覚悟を決めたことが…
友人としての立場を捨てることになると危ぶんだんだろう
条件として、
これを言わせることになろうとは…
…情けない
「返事は?」
「…心得ました」
「それと、今回の件は叱責も沙汰ももう終わっている。
俺がそう判断すると、それがわかっていてアコヤは侍従としてお前に謝罪させた。お前がどちらの立場を選ぼうと待遇が悪くならないのを見越してな」
「…左様ですか」
「今後は甘くしてやれないぞ、それでも意志は変わらないか」
「変わりません」
どちらの立場か…
俺は従僕などにはならない
例え主人からの待遇が悪くならなくたって、
負担になるだけと分かっていて…
自身だけが楽になる方を選びとるほど落ちぶれてはいない。
体面で侍従として扱ってくれる、
侍従としてそう言ったものの俺が従僕を選びとれば…
あの傍仕えは本当の意味で俺を認めることは今後一切なくなる。
アコヤの指導に堪えて見習いから侍従になってみせると、
あんたのトラウマを消してやると、
啖呵を切ったあの言葉も一旦従僕になってしまえば叶えることは出来ないだろうから
「…分かった。漸く良い顔をしたな」
「そう…でしょうか」
威圧感を納めた、
普段通りに近い雰囲気で此方を見る。
それから読み取れば
俺の返答や態度に何かしら満足がいったのは分かったが…
少し口角を緩めた表情をする程に、ご満悦とは…
それに、
俺が良い顔をしているのかも疑問だ
「アコヤの手腕を誉めるのは癪だが…、意図した侍従でもないがお前がそんな顔をまた出来るのならば普通の主人の立場を振る舞ってやる」
「…ありがとうございます」
そんな顔とは
どんな顔だか知らないが…
謝罪は受け入れられたようで良かった
「それで、そのアコヤはどうした?」
閉じた本を開き、再び読み始める
表の装丁が
片膝をついたままの俺の視界に入ってくる
帝王学か…
分厚く読書するにしてもなんとも楽しくなさそうな内容だろうに
読まなければならないと読んでいるのだろう、
今目を通している頁は、
ほぼ後半…後数頁で読みきれるようだ
「夕食をお持ちするまで、私にこの場を任せると言っておりました」
「なら、あと少しあるか?」
「…そのようですね」
時計を見れば既に6時をまわっている
先週給仕したのは7時…後一時間程でその時間になる
暫くそのまま控えていれば、
やはり目測は間違っていなかった。
…最後の頁に目を通して読みきった殿下は、
その分厚い本を閉じていく
「…オリゼ」
「はい」
読書の役目を終えた…
その本を差し出され、両手で訳もわからず受けとる
確認すれば、
書庫から借りてきたもののようだ
学園所蔵の印が本に捺されている…つまり読み終わったから返却しろと手渡されたのか?
「…此方は返却しても宜しいでしょうか」
「そうしてくれ。
それと何時まで膝まづいているつもりだ…基礎講義の復習がしたい、場所は分かるな?」
「机横の本棚ですね…」
「ああ」
侍従として仕事を振られた
その指示する声に立ち上がって書斎に向かう
傍仕えがしていた動きと
場所の配置の記憶を辿っていけば、基礎講義の教科書類や…ノートと万年筆、メモ用紙等入り用のものは何とか見つけられる。
さてソファーから動かないということは、
書斎で勉強するつもりはないということだ…
此処にある全ての基礎講義の物を持っていったとしても、夕食までは後一時間。
全ての講義の復習はいくらあの殿下でもこなせる量ではない。
…つまり
週初めの講義の復習は済んでいると考えた方がいい。
週末に入る前の講義の復習…
と言うことは、
何か役に立つかもと
色々と書き控えて置いた手帳を内ポケットから出して開く
殿下の組の講義は…
基礎魔法陣と算術、歴史学だ
3講義分…これなら軽くさらう程度であれば、
夕食までの時間で復習出来なくはないだろうと確信を得られた。
…
教本や筆記具を
数回に分けてソファー前のテーブルに移動させる
「お待たせ致しました…どちらの講義からなさりますか」
「算術」
片膝をついて伺えば俺の苦手な講義、
歴史学の方が良かったと思ったが、殿下として教育を受けていれば帝王学だけでなく国の歴史にも神通していない筈がなかったと思い直す
意図を汲んで、
用意して並べた基礎講義の科目に…殿下の目当てのものは含まれていたのはよかったのだが、
どれも教えられるような物じゃない
そもそも…Dクラスの殿下にKクラスの俺が勉強の手伝いをすることがおかしくないか?
苦手ではない講義であっても学力差がありすぎる…
「…畏まりました、先週はここからでしたね」
教科書の頁を開き、殿下の書き留めたノートの該当するところを開く
計算するであろう用紙を手前に置き、万年筆を差し出す
「分からない点は…聞けば教えてくれるのだろう?」
「…私の力の及ぶ限りは」
意地悪く問われたその台詞にやはりと思う
嫌な予感はしていたんだ。
この3講義に限らず、今週は俺にとって苦手な講義ばかりだった…
予習ではなく復習をしたいと言ったのは意図された苛めか何かだろうか?
来週の講義であれば
まだ得意な講義もあったのに…と
復習となれば多く見積もっても今週の講義に絞られる
どの復習であれど、俺には負荷が強い…
組が違えど基礎講義の内容は一緒だ、
…進捗だってほとんど同じに進んでいく。
基礎講義を受け持つ教授が組数だけいるわけではない、
数人しかいない。
だから一人数組を担当する…進捗がずれるのは同じ時間に全組を教えられないからであって、そのずれは長くても一週間。
俺が受けた講義と殿下の講義は、
一週間単位で見ればほとんど同じ内容だ…
「答えとして不十分だ…同じ講義内容を"知っている"筈だな?」
「はい…」
そして、
同じ講義を受けているのだから
教えられる筈だとも責められるのか…?
確かに正論だ。
最下位クラスであろうとDクラスの殿下であろうと
組が同じくなる可能性はある。
おれの組にもDクラスは一人いる、よって個人のクラスによって組が分かれているわけではないし
…組違っても同じ講義の内容とレベルが提供されている。
だからといって…
教授による教育が同等になされても、学園生の出来はばらつきがあるだろうに
俺と、
殿下の評点は天と地の差がある
それに含まれる魔力や家の格を差し引いたって…雲泥の差が残る
単純に頭の出来も違うんだが…
「…俺の傍仕え補佐ならばそれくらい出来るだろう…?」
「は…い…」
何処かで打ち合わせでもしたのかと言いたい
アコヤの意図することは分かっていると…早速甘えるのかと言われたように感じる
そして多分間違いないし、
目の前の悪魔も手加減してくれそうにもない。
言い訳など1つとして認めてくれはしないだろうと、
脳内で必死に先週の講義内容を思い返していく…この殿下相手に教えられる程に復習が足りているとは思わない…が理解はしていたはずだ
…
…そして地獄のような時間は、
俺の願いとは裏腹にそれからすぐに開始されていった
「オリゼ」
「…前問の応用です、
途中式までは同じ解き方をなさってください」
「…そう、それで?」
「問によると、これを求めるようですから…この公式を当てはめてはいかがでしょうか…」
「ふーん」
冷や汗をかきながら
問われるままに答える…
どう考えても理解に躓く問題でも無い基礎のものから…応用例も入り交じったそれを必死に…
必死に、耐えた。
教本には解説や基礎例題があるし
復習して内容の理解はしていたから、何とかそれを見て教えられはする…
「…成る程、その通りみたいだね」
「はい…」
俺の言葉を聞いても、
一旦は受け流して自力で教本をなぞって例題を見たりして理解していく…
どう見ても俺の言葉は役に立っていない、
聞く必要がないのに聞くのだ…
自主で出来る復習ついでに
つまり…俺が理解して
正しく問われた事に答えられているか確認をしているのだ。
何で教える必要もないのに、
冷や汗をかきながらこんな事をさせられなければならないのだと、
言える筈もない言葉を押し殺しながらも
夕食の時刻まで…途切れず問われる俺を試す要望に応え続けたのだった




