責26。
…
静けさが部屋を支配する
反省するまでは許さない
そう氷点下のように冷たく刺さった言葉がこの静寂と共に俺の内に染み込んでくる
身体の震えを助長させていく…
冷えが這い上がってくる
アコヤの足元を眺めながら、
冷たい板張りの床にから冷えが這い上がってくる
あの冷酷な響きに、
なけなしの余力も奪い去られた。
椅子の間に落とされた四つん這いの姿勢が、
這いつくばった無様な姿が…どんな風に見えるか気にする余裕も無くなっていく
反省するまでは許さないということは
俺は反省すれば、許される?
張り詰めた極寒のこの空気のなか、
どの様に振る舞えば良いのか…
何をどう、
反省したら良いのかなんて…俺には分からない
ただ、
崩れ落ちそうな上半身を
力無く震えていく両腕で支えているだけで…
逃げ出したくなる気持ちを、
内に秘めるだけで精一杯なのに
先程よりも弱くなったものの、
椅子の上から…魔力圧や威圧感は変わらずに俺を押し潰そうと放たれている
「…そこに直れますね」
「…うっ」
「早くなさい」
「…ぃ…」
疑問符も付かない断定の言葉
早くしろと急かす追い討ちに、
なんとか身体を起こさなければならないと
麻痺した感覚の両腕を懸命に床に突っ張る、
上からの圧に怯む背中を丸めながらも起こしていく…
太ももに拳を押し付け、
揺れる上体を支え…足を揃えて正座する
「反省室での発言…主人が許したのは単なる侍従であれば無かったこと。
…それは貴方が友人であるからです」
「…」
「その友人の立場を利用しているのは、貴方でも流石に自覚していることでしょう。
まさか…あれで今回の件が終わったと、
侍従としての立場からは思ってはいないでしょうね?」
「…」
決死の思いで言葉に従った、
その直後に浴びせられた弾丸
まるで身体に穴が空いたように息が止まる。
抉られるように痛い…凍てつく雹が、
暴風と共に殴る様に降り注がれたみたい…で
何か言わなければならないと知りつつ、
その衝撃で口や喉は氷に固められたように動かない
「そうですか、
答えられませんか…」
「…ぁ…」
…あまりこういうやり方は好きではないのですが仕方ありませんね
そう言って響いたのは木の擦れる音
瞼を上げれば、
机の引き出しを開いている
そして取り出されたものは一枚の皺の寄った紙切れ
面も録に上げない俺に読ませるためか
目の前に差し出されて…
床に置かれた上質な紙には見慣れた筆跡が刻まれている
目で追った文字は
マルコの字でで間違いなかった
「この一週間、主人の気持ちが休まる日はありませんでした。
書きなぐったであろうこの紙は床に投げ捨てられたもの…書き損じの便箋ですが入り用かと拾い主人に差し出せば要らないと。ただ垣間見たその文章の意味に処分を躊躇しました」
心配、不安…自責の念
書かれているのはどれも俺に対する…友を思う気持ちだ
でもマルコは俺を友として扱わなかった。
己の侍従だからと、
しなければならなかった判断を…それで曇らせることは無かった
俺への処遇を免除することも…
主人として指示や命令を誤ることは無かった
知らない…
どんな気持ちで俺を見ていたかなんて
今の今まで、
知ることはなかった。
そんな弱い面などマルコは見せなかったから…
友だから手を弱めたいだなんてそんなことを感じさせられることも、
己を責める言葉や表情も出すこと無く…
俺を一人の侍従として扱った
見習いであろうと、
未熟であろうとも…出来が悪くて手をかけさせられたとしてもだ。
友としての感情や情に流されず
甘さを封じて、ちゃんと侍従として扱ってくれていたのだ
なのに、
それにたいして…
俺はどうなんだ?
そんな辛い判断や、
命令をマルコに下させておいて…見習いだからと言い訳するのか?
出来ないことだったと言い訳して…
今も目の前の傍仕えに許さないのではないかと、
ただ震えて怯えて床に這いつくばるだけなのか?
これではあまりに情けない
主人に要らぬ負担を掛けさせた、
気苦労をかけたことも侍従として問題があることは明確。
でも
一番情けないと思ったのは、友として…
マルコに心配させて心労を掛けさせた上に隠させたことだ。
友として、
あまりにお粗末じゃないか…
「何か思うことはありますか?」
「なっていないことが今はっきりと分かりました…友としても謝りきれていません」
爪が白くなるまで、
握り締めた手が痛い
痛みで固まった喉と身体の主導権を取り戻していく
掌に爪が突き刺さろうと
血が流れようと構わない…
自傷行為だと咎めを受けたとしても
それでも、何も言えず
口も開かずにいることよりはましだ
そう…無理矢理に口を動かして声を発していく
「そうですね。ですが一番に私が言いたいことは違います」
侍従としての前段階
人として…
マルコの友として基準を満たしていない
俺は人間がなっていないと言いたいのか?
そんなこと、
言われなくたって俺が一番今痛感している
目を落としている、
マルコの字が潤んだ視界で歪んでいく
「…なん、でしょうか」
「貴方の友人関係に口出ししたいのではありません。ただ、主人を苦しめる"友人"は同じ侍従の立場からどう見えるでしょう?」
俺とマルコが友であることを、
そして同時に侍従と主人であることも責めることはないと言う
マルコが主人として、
…そして俺が見習い侍従として立場を守れば構わないと…多分言いたいのだ
だけど無条件の許容ではない。
今回のように、
俺が甘さや言い訳に逃げることがなければ…だ。
立場を利用して、
主人に害なす侍従になりえるのであれば切り捨てると、
見習いだとしても侍従として見ない。
世話役として…眉を潜める程度では済まさないと言う警告をされたんだ
今後そんなことをするならば、
いくらマルコが見習いとして扱ってくれたとしても形だけになるだろう
そんなことを俺は望まない。
…
本当に情けないのは…
床に這いつくばることでも、
無様な姿を晒すことでもない。
こんなことにさえ気づけもせず…
逃げ様とする心だ。
反省もそれを省みて成長も願わない…
向上心の欠片もない愚鈍な人間に堕ちることだ
侍従として仕えるならば、ちゃんと役に立ちたい
「…それは…好ましくは思えないです」
「その通りです。主人の侍従の一人として、私は貴方を好ましく思えません」
「…」
そうだろう…な
端から見ても、主人に負担にしかならない見習い等要らないだろう。
同じ侍従として認めることなんてないし、
その上指導なんてものもする甲斐がないと見なされるに決まってる…
見込みがない、
そんな部下を育てる手間暇が無駄になるのは予想がつく。
無駄になると分かっていて、
無駄骨や徒労を好き好んで背負う人はいない…
傍仕えであれば酔狂でもしない、
そんな暇があるなら主人の世話や快適な生活を支える為に時間を使う
今いる侍従の二人の内…
一人が使い物にならないのだ。
満足のいく仕えをするには…今のように主人の傍を離れてまで俺に割く時間など必要を感じはしないだろう。
俺は好ましくない
言い放たれた言葉は、至極当然の評価だ…
「貴方は誰の侍従ですか?」
「…っ、殿下の侍従です」
「そうですね。貴方も私と同じ主人をもつ侍従、未熟であれど見習いであってもマルコ様の侍従ですね?」
「…はい」
「矛先は己になるのでしょうが…貴方は主人の痛みや苦しみの原因を好ましく思いますか?」
「…自己…嫌悪しないこと…など…」
でも、
こうして時間を割いてくれている
まだ…教育して貰えている
言葉を重ねて俺に気付きをもたらしてくれて…
許される余地も、世話役を辞退すると主人に提言すらしていないのも
目の前の傍仕えは…俺に示してくれているのだ。
…情けない
「…貴方に自傷行為を促す気は全くありません。これだけは誤解のないよう先に明言しておきます。
その上で言わせてください。貴方に…侍従としての自覚意識は本当にありますか?」
「…」
ここに来て黙りですか
そう溜め息をついて…
"侍従として主人の許しを得ましたか?謝罪はしましたか?
それもしないまま何事もなく再び仕えることは許されると思いますか?"
"侍従としての己はありますか?主人の気分の変調が友人、それが己であろうとなかろうと侍従としてそれを支える気持ちが湧きますか?
少しでも労り気持ちを楽にするような工夫や給仕、甘味や物の提案と算段…ひとつでも考えましたか?"
"主人が悲しむ原因を軽減、回避、解決する策は練りましたか?主人の友人に対する働きかけはしましたか?
…自殺行為、自傷行為、自暴自棄。傷を増やし、悪化させ、果てには他の友人を優先する暴言…その不始末まで主人本人に全てさせる始末…
本来は侍従の立場にある者が助言、提言、提案…様々な助力をすべきではありませんか?
主人自らを率先させて動かしてどうするのです…貴方もはその間何をしていましたか?"
"その主人の友人は貴方自身
侍従見習いとしても未熟も未熟、人としてもまだ成長段階…ですがそんな貴方も自身の心ひとつ変えるだけで解決できたはずです。
手腕も話術も…駆け引きもできない…それでも出来たはずです、その主人の友人は政治の絡みが複雑な格上の貴族子息でもなければ、商業的に損害を出すような相手でもない。
未熟者の貴方でも御せる相手です。
己を変えるということは大変で難しいこと、なにも全て変えろとまで言っているのではありません。
しかし少しばかりの想像力と心掛け…そう行動をすればいくつ主人の心労を減らせましたか?"
「…うっ」
そう、
白昼の元に晒される
つらつらとアコヤの口から出てくるのは
己の触れて欲しくなかった未熟な所
無自覚に甘えていた部分
…どれも少し考えれば分かること、
それでも考えようとしなかった。
気付きたくないと自己防衛の為に勘づきながらも蓋をしたのだ…
「オリゼ。侍従としての自覚、おありですか?」
止め…だ。
再度聞かれた問い掛け
好ましく思わないとまで言われたのに、
嫌悪感等含まない淡々とした口調と声音で聞かれた言葉に何も言えなくなる
それは感情を制御できている証…
アコヤ程の傍仕えが出来ないはずもないが…
心のうちではどれだけ…どれ程俺のことを見限ったのだろう。
主人を害する友人として、それを看過するとしても侍従見習いとしては…
人前で流さないと決めた涙が
遂にぱたりとこぼれ落ちた
季節外れのにわか雨のように…
皺を伸ばす位に水滴が降り注いでいく
マルコによって書かれた文字のインクを、
大粒の雨粒が叩くように滲ませていったのだった…




