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万刃の姫の使い手  作者: 垣根風助
3/3

万刃の姫


 柔らかな朝の陽と窓から吹き込んでくる爽やかな風に、吉良坂は覚醒を促される。


 「うっ、眩しい……」


 それらを受けて吉良坂は呻くように呟いた。そして、朝の斜陽を嫌うかのよう吉良坂は寝返りうつ。

 最近は徐々に熱くなってきて、昼間の気温は25度を超す日が多くなって、非常に苦しい。しかし、そんな昼間の暑さとは打って変わって、この時期の朝方は吉良坂にとって非常に心地よい環境であった。


 「布団から出たくない……。もう少しだけ寝よう」


 微睡みの中、吉良坂は独り呟く。

 そして、再び夢の世界へダイブしようとして、ふと気づく。


 「あー、今何時だ?」


 ずっと寝てろと言われれば、丸一日は睡眠で潰せる自信がある吉良坂だが、本日は水曜日。つまり、ド平日である。そのため、学生の身である吉良坂は、学校に行かなければならない。

 二度寝の結果、遅刻しましたというのは嫌なため、現在時刻を把握しておく必要がある。そこから、睡眠時間などを決めて行動するからだ。


 吉良坂は彼の頭部が向いていた方向へと、緩慢に首を動かした。

 彼のベットの上端には棚付きのベットボードが設置されており、そこには小説や漫画に挟まれる形で目覚まし時計が置いてある。

 吉良坂はそれで時間を確認しようとたのだが―――


 「あれ、目覚ましがない……」


 普段絶対にそこにある目覚まし時計がなくなっていた。

 それに、と。


 「本もなんかぐちゃぐちゃになってるし」


 吉良坂は決して綺麗好きという訳ではないが、それなりに整頓はしている。ベットボードにある小説、漫画は寝返りの振動などで多少ズレることはあってもここまで派手に乱れることは初めてだった。


 「……まぁ、気にすることはないか」


 ―――大方、夜中に手が当たったのだろう。そう思い大して深くは考えなかった。

 そして、彼の考えが正しければ。

 吉良坂は今度は、首を下に動かした。すると、彼の視界に見慣れた形状の物体が映り込んだ。

 目覚まし時計だ。それは、デジタル表示のディスプレイを下にして落ちていた。

 やはり、手が当たった衝撃で落下したのだろう。


 「あったあった」


 どうやら霞んだ意識だったのと、目覚まし時計の置き場所はベットボードという先入観から最初に首を動かしたときには、視界に入っていたはずなのに気づけなかったらしい。


 吉良坂はお目当てのものが見つかるや否や、目的を果たすべく、目覚まし時計に右手を伸ばして。

 そして。


 ―――ピシリッ、石像のように固まった。



 一瞬。

 冗談でも誇張表現でもなんでもなく、本当に頭の中が真っ白になった。



 そして、その直後。

 今度は嫌な汗が全身からドッと流れ出た。

 呼吸が荒い。動悸も激しい。


 彼の視線はとある一点のみを捉えていた。

 とある一点―――それは彼の伸ばした右腕であった。

 まるで、縫い止められたように、彼の視線は一寸たりともそこから離れる気配はない。


 「……なん……よ……こ……れ」


 しばらくの沈黙を経て、ようやく吉良坂は言葉を発した。しかし、その声は酷く掠れていて、まるで蚊が鳴くみたいに小さい。一部、聞き取れない箇所もあった。


 吉良坂は絞り出すように続ける。


 「なん……で、み、右腕……がぁ―――」


 右腕。まさにそこに、彼がこのような状態に陥った理由が顕れていた。


 彼の眼前の右腕と真っ白なベットシーツのコントラストが一層、右腕にこべりつたそれを際立たせ―――。

 それはおぞましく、恐ろしく、おどろおどろしく―――。

 到底受け入れない光景を生み出すそれは―――。


 そう。

 どす黒く濁った深紅―――つまり、血であった。

 

 そして、それが堰を破壊する働きを担っていたかのように。

 複数の光景が吉良坂の脳内に流れ込んできた。


 ―――例えば。


 腹部に深々と突き刺された、漆黒の刀身の刃物の光景。

 

 そこから止めどなく溢れ出す夥しい量の血の光景。


 暗転していく視界に映り込む、黒色に浸食された夜道の光景。

 


 「うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」



 吉良坂はそれらの光景を思い出し、勢いよく飛び起きながら、絶叫した。

 

 すべて思い出した。

 あの光景は間違いなく昨晩、自分の見て感じたものだった。

 生温かい血の感触も灼けるような痛みも今なら鮮明に思い出せる。

 フラッシュバックしたそれらに全身が震えて、今はまともに歩くことは出来そうにない。

 

 と、そこで。

 吉良坂は遅れて気づく。

 

 ―――脳裏に浮かんだ出来事が記憶の混乱や夢ではなく、すべて己の身に降りかかったものならば、何故自分は生きているのか?と。


 「だって……俺は……あの時……。―――そうだ!!腹の傷は!」


 ハッとした様子で、吉良坂は慌てて上着を捲って自分の腹部を見る。

 本来、ざっくり裂けているはずの腹部はどうなっているのか。あの流れ出た血量から推測出来るに、相当深く身体に食い込んでいて、致命傷だったはずだ。


 果たして、右腕同様乾いて黒ずんだ血に覆われた腹部に大きく爪痕を残していた―――が、しかしその傷はまるで昔に負ったものであるかのように、綺麗に塞がっていた。ただし、綺麗にとは言っても、肉と肉がくっつき、まるで芋虫のような盛り上がった傷跡は残っていたが。


 だが、そんなことは今の吉良坂にとってみれば些細なことだった。

 何よりこの場で重視されるべきは傷が存在し且つ完全に塞がっていたことだ。

 そっと吉良坂は傷跡をなぞるように、腹部に手を当てて動かしたが、痛みはなかった。

 本当に古傷みたいだ、と吉良坂は思った。

 

 「一体、何がどうなってんだ……」


 状況がさっぱり分からかった。あまりに衝撃的で不可思議なことが多すぎて、事態を推測することさえ出来ない。


 「……落ち着け、俺」


 吉良坂は言い聞かせるように言う。

 そして、深呼吸一つ。


 「……よし、だいぶ落ち着いてきたな」


 未だに動悸は収まらないし、呼吸も若干荒いが、先程までと比較するとかなり沈静してきたといえるだろう。少なくとも、支障なく歩ける程度には。


 吉良坂はスッと瞼を落とした。

 そうすると、体の中心から鼓動を感じる。全身に血液が廻っているのが分かる。

 それこそ、生きているという何よりの証左。

 

 「大丈夫、死んじゃいない。痛みも全くない。今こうして俺は生きているんだ」


 再び、言い聞かせるような呟く。

 確かに、疑問は山のように積もっているし、不可思議なことも色々ある。気にならないと言えば、それは大嘘になる。しかし、今そこに拘泥したところで、疑問が氷解するとは思えない。寧ろ、余計なことまで考えてしまい、疑問が増えるかもしれない。それでは本末転倒だ。

 

 それより今は。

 『生きている』。

 この事実を強く確認する。そうすることで気持ちを一旦切り替える。


 「よし、これで大丈夫!さて、まずはベットシーツを何とかしないとな」


 言って、視線を下に落とすと、赤に汚れた白いベットシーツが見えた。

 中々の惨状だった。


 「これを家族に見せたら、厄介だよな……。仕方ない、どっかに隠して今度秘密裏に処分しておこう」


 吉良坂はそう言うが早いか、ベットから降りて、ベットシーツに手をかける。

 すると、吉良坂はあることに気が付いた。


 「あれ、毛布はどこだ?」


 毛布は一年中ベットに常置しているので、片付けたということはない。

 ベット周りを見たが、そこには無かった。

 ならば、と首を回し部屋を見渡すと、ちょうど吉良坂のに右方ある窓枠の下に毛布が落ちているのを見つけた。


 「見つけたって何であんなところに?……まぁ、もうどうでもいいや」


 この比にならない疑問を抱えている吉良坂は、ヤケクソ気味に言った。

 そして、ベットシーツを手早く剥いだあと、窓の方に向かう。

 

 その途中で、吉良坂は見た。

 毛布にシミのように赤い血が付着しているのを。

 

 「あれ絶対俺の血だよな……。それに、毛布がなんか微妙に膨らんでいるように見れるんだが……気のせいか」


 そんなことを言いながら、吉良坂は毛布の元まで辿り着く。

 そして、毛布をガバッと勢いよく拾い上げた。

 

 その瞬間―――吉良坂は驚愕に顔を大きく歪ませた。


 「なっ、なっ」


 ワナワナと声を震わせながら、無意識に半歩後ずさる。

 何故か?

 その理由は彼の目の前に転がっていた。

 先程とは、全く違ったベクトルの衝撃的な光景がそこには広がっていたのだ。

 

 闇夜を溶かし出したような艶やかなショートカットの髪と小ぶりな鼻梁。その顔立ちはやや幼い印象を受ける。どこまでも透き通るような色白の肌が対比のような僅かにはだけた薄闇色の和服から窺うことが出来た。


 まぁ、簡単に言うと、とても可愛らしい中学生くらいの女の子がちょっと煽情的な恰好で床に寝こけていたのだ。


 「いやいや!ちょっと待て!」


 これは一体なんの冗談だ!?と激しく狼狽する吉良坂。

 しかし、彼は何とかパニック寸前のところで踏みとどまり、考える。

 

 (朝起きたら美少女が家に居ましたってか!?ふざけんな馬鹿!どこの創作物の世界の話だ!んなこと現実であって堪るもんか!ほんとにどういう状況なんだ。そもそも誰だこいつ。どっから入ってきた)


 しかし、というか、案の定答えなど出てくるはずもない。精々出てくるのは日本のサブカルチャーにどっぷり浸かった妄想じみた下らない考えだった。宇宙人だとか天界から落ちてきた天使だとか、京香に知られれば、汚物を見るような蔑んだ目を湛えながら「キモい」という辛辣なお言葉(ごほうび)を頂戴することになりそうだ。


 「と、取り敢えず起こした方がいいよな?」


 流石に寝かしたままという訳にはいかないだろう。少女がどのような経緯で吉良坂家延いては、この家の長男たる吉良坂慧の自室に侵入を果たしたのか、などは検討もつかないため、彼女に直接聞いてみる必要がある。もしかしたら迷子になって、彷徨った末にここにたどり着いたのかもしれない。

 ……突っ込みどころ満載だし、可能性としては生まれたて赤子が屈強な軍人を戦闘で負かすレベルで絶無なのだが。


 吉良坂は気持ちよさそうに寝息を立てる少女を起こすことに若干の罪悪感を覚えながら、しかしそれを無視して、右手を伸ばす。

 血まみれの右手が少女の華奢な身体に置き、ユサユサと揺らしてみる。


 「お~い、お~いお嬢さーん!起きてください~!」


 割と大きな声で呼びかける。

 すると、少女に反応があった。


 「うっ、ん」


 浮上しかかった意識が朝の陽を感知し、少女は可愛らしい声を漏らしながら身体をよじる。


 (もうひと押しだな)


 覚醒の兆しを察知した吉良坂はより強く少女の身体を揺らしつつ、声を掛け続ける。

 

 「おい、起きろ!起きろ!」


 そして、吉良坂が頬をペチペチを叩いたことで、少女はついにその眠りから脱出を果たした。

 少女はおもむろに上半身を上げると、一言も発することなく、ゆっくり半開きの眼で周囲を見渡し、やがてそれは吉良坂の前に差し掛かった。

 その瞬間、釘を打たれたかのようにその眠たげな双眸が吉良坂をばっちり捉える。

 

 「おっ、な、何だ?」

 

 突然注がれる視線に、吉良坂は少し面食らいながらも、そう返す。

 しかし、少女は何も言わない。ただ、じーっと吉良坂のことを見つめるだけだ。

 

 「あの~聞いてます?……もしかして日本語しゃべれなって感じか?」


 ずっと見つめられ、流石に気恥ずかしくなった吉良坂は、僅かに顔を逸らしながら問う。

 顔立ちは欧米風ではなくどちらかと言えば和風的な印象を受けたので、自然に日本語で話し掛けたのだが、それが通じないとなると外国の人かもしれない。


 (参ったぞ……中高通して英語の成績オール2の俺に本場の人間との英会話とか無理ゲーにもほどがある……)


 吉良坂が内心で己の語学の才の無さに絶望していた―――その時であった。


 「おはようございます」


 鈴の鳴るような心地よい音が彼の両耳に滑り込んできた。

 それは幼いさの中に色濃い理知を宿している―――そんな声だった。


 「へっ」


 必死にどう意思疎通を図ろうかと考えていた吉良坂は、唐突に少女から放たれた日本語に、つい間抜けな声を漏らした。

 吉良坂は僅かに外していた視線を戻して、ジッと少女を見据える。

 少女は和服の袖からちょこんと飛び出している両手で、目を擦っていた。

 そんな少女に彼は問いかける。


 「日本語しゃべれるのか?」


 「はい、しゃべれます。より具体的に言うのでしたら、日本語しか話せません」


 目を擦りながら、少し眠そうにそう答える少女。

 吉良坂はその回答に安堵の息を吐いた。どうやら意思疎通は問題なく行えるらしい。


 ―――であるならば。

 吉良坂は早速、最も疑問に思っていることを訊くことにする。

 それを訊かないことには何も始まらない。


 「なら訊くが―――お前は誰だ」


 すると少女は、態勢を変え、片膝を床について頭を垂れる。

 そこについ先程までの、眠たげな緩い雰囲気は感じられない。それどころか、霧に包まれた深い森のような静謐さを漂わせている。

 そして―――


 「私の名は剣型(ソードタイプ)特異戦具(アーティファクト)―――『万刃の姫』プリンセスオールブレードです。使用者様」

 

 少女は、そんなことを口にしたのだった。

 

 

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